、日銀は政策決定会合をノーサプライズで終えた。日銀は現在、マネタリーベースを毎年80兆円増加、超過準備付利をマイナス10bp(0.1%)、長期(10年)金利を0%と、三つの誘導目標を設けている。そのうち、マネタリーベース増加目標を撤廃するという観測も一部であったが、そのような展開にはならなかった。決定会合後にドル円と日本国債がそれぞれ重そうに推移しているのは、「世の中はテーパリングを懸念しているが俺はないと思う」と考えて張っていた人が多すぎるからだろう。

 アベノミクスの目玉、というより他の二本の矢が不発だったためアベノミクスそのものである日本銀行の量的質的金融緩和(Quantative-Qualitative Easing, QQE)は2013年4月に始まり、当初はマネタリーベースを2年で2倍にという目標であり、これを2014年10月の追加緩和で年80兆円増額に拡大した。2015年に入ると、導入から2年経ったにもかかわらずインフレ誘導という意味では特に効果が出ず、年間80兆円もの国債を何年も買い入れ続けるのが不可能ではないかという議論(量的緩和限界論)が盛り上がった。この懸念を打ち消すためもあって、2016年1月に日銀は理論的な限界のないマイナス金利(日銀超過準備の一部からの10bpの徴収)の導入を決定した。日銀はこの異次元緩和の目標を物価上昇率2%に置いているが、原油安や中国の景気減速でこの目標の達成が一時期絶望的だったということもあり、次なるマイナス金利の深掘りを織り込む形で日本の長期金利は一時、政策金利よりも低いマイナス30bpまで沈んだ。

 日銀が2013年に異次元金融緩和を始めた際の理論は、中央銀行が物価目標を強くコミットし、マネタリーベースを拡大することによって国民のインフレ期待を引き上げ、実際にインフレに持っていくことができるというものであり、そのために金融政策の目標を政策金利(無担保コール翌日物金利)からマネタリーベースに変更したが、マイナス金利の導入によって操作目標を再び政策金利に戻した形となる。この時点で上のリフレ理論は効果の薄いものとして放棄されていると見てよい。マイナス金利は結局「金利を引き下げれば企業の借り入れがしやすくなる」という古典的な緩和策の延長でしかなく、リフレ理論のいうインフレ期待のコントロール云々はその後登場しなくなった。

 1年経ってから改めてマイナス金利政策を振り返ると、銀行を始めとする金融機関の収益を圧迫し、また国民の(心理的なものだが)利子収入の低下につながったこともあって概ね評判が悪く、ドル円の為替レートも日銀の意図とは裏腹にマイナス金利導入前の120円から一時100円を割るほどの円高が続いた。マイナス金利は借り手の利益、貸し手の損失になるため、非常に大雑把にいうと財務省が得し、預金主体である国民や銀行が損する。つまり増税に他ならない。

 そんなわけで非難轟々だったため、日銀は2016年9月に今度は長期金利のコントロールに乗り出し、長期金利ターゲットを0%とした長短金利操作(Yield Curve Control, YCC)付き量的質的金融緩和という形を作り上げた。マイナス金利に由来する極端な低金利の弊害を認め、とはいえすぐに撤回するのは格好がつかないため温存したものの、代わりに長期金利の水準をマイナス圏から0%近辺まで引き上げ、今に至っている。


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マイナス金利導入後の日本の長期(10年)金利推移。

この記事は投資行動を推奨するものではありません。