HYG
LQD
 米株がクラッシュすると共に、社債市場も再びストレスに晒された。特に原油安が直撃するシェールガス企業が発行したハイイールド債を保有するとされるハイイールド債ETF(例としてBlackrockが運用するHYG, 上図)などは当たり前のように15%程度下落したが、今回興味深かったのは投資適格債ETF(例としてBlackrockが運用するLQD, 下図)も同じくらいクラッシュしていることである。投資適格債の方が安全そうなのに、むしろこちらが震源地になったようにすら見えた。前回2018年12月のクラッシュでは本ブログが「ジャンク債ETFのパニックと流動性イリュージョン」記事を仕立てたが、もう一度この流動性イリュージョンが一部で話題になった。もはや今後クラッシュするたびに起きるのかもしれない

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 Blackrockが更新するLQDが保有する資産価値の合計(NAV, Net Asset Value)はETFほどは下落していない。例えば最もクラッシュがひどかった3/12時点ではNAVが124.18と計算されていたのにもかかわらずETFの取引所価格は117.94で引けており、その差は実に5%に達する。NAVは信用ならない簿価ではなく毎日更新されている時価、それもBid sideの合計である。1株あたり124.18ドルもの資産を保有しているETFをどうして118ドルで叩き売る人がいたのか。

 前回の記事でも解説したように、ETF価格と原資産価格の間の関連性は設定・償還プロセスによって保証されている。ETFをBlackrockに持ち込んで解約を申し入れると原資産の束をもらえる。理論上全ての原資産を一瞬で売れれば124.18ドルに換金できる。神童のように扱われる高頻度取引業者(HFT)などが本来この裁定機会を逃すはずがない(現にHFT業者はETFのマーケットメイクもやっている)。よって普段ETFがNAVから大きく乖離した水準で取引され続けることはあまりない。

 しかし今回は数%の乖離は数日間は放置された。これは毎度のことながら、まず原資産の方の流動性がなくなったからである。理論上124.18ドルとは言っても数百銘柄の社債を1銘柄ずつマーケットメイカーの投資銀行に売りに行ったらとてもそんな価格で売れる気がしない。既に大損を抱えた銀行にはno bidと言われて追い返されるかもしれない。そうすると、マーケットが荒れている時に大幅なディスカウント状態が継続することはありえる。
BND
BND factsheet
 Vanguardが運用するTotal Bond Market ETF "BND"は更にひどいことになっている。89ドルだった価格は一時ザラ場で76.5ドルまで売られた(3/12引けは80.82)。しかし、少なくとも運用会社が公表するNAVは3/13時点でもまだ85ドルを下回ったことはない。NAVの10%も下を叩くのはさすがにやや理解しがたい行為である。いざ解約してもbid throughとなるのを恐れた、と言っても中に入っている社債の平均デュレーションが6年なので利回りで片道100bp以上の取引コストを見積もっているというのか。しかもこのETFの中身の4割程度は米国債である。なんともアホらしい。

 皮肉なことに2016年のThird Avenue破綻事件と2018年年末の大クラッシュを乗り切ったHYGは参加者も毒を食らわば皿まで小慣れているせいか健全なプライシングが続いている。3/12でもHYGのNAV乖離はせいぜい1%強であった。ハイイールド債よりも流動性が低いと恐れられる投資適格債とはなんとも恥ずべき状態ではないか。

  真面目な議論に戻ろう。投資適格債ETFの急激な流動性枯渇の背景は何なのか。まず毒を食らわば皿までもな参加者が多いHYGと違って、下手に安心感があるネーミングのアセットクラスなので原資産に疎い参加者が多いのではないか。どこまでのディスカウントなら叩くべきか、という判断は原資産の土地勘がないと付かない。
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 また、実際に投資適格債はハイイールド債よりも流動性が低いという考え方もできる。2年前にFTが「Most bonds don't trade」という直球なタイトルな記事を書いている。2018年時点で、毎日トレードが記録されている社債は全体の18%である。1日5回以上までハードルを上げると8%しか残らない(左図)。総残高に対する日次の回転率(右図)で見ると、投資適格債(IG)の方がハイイールド債(HY)よりも低い。一応は市場参加者からそれなりの緊張感をもってモニターされているハイイールド債と違って、クレジットクオリティを重視する長期投資家と自称する投資適格債投資家は毎日ピッチのてにをはや文字のフォントばかり気にして相場すら見ていないかもしれない。
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 社債の流動性の薄さはリーマンショック後のボルカールールをはじめとする規制のせいで銀行のリスクキャパシティが著しく低下したせいでもある。増え続ける社債残高に不釣り合いなくらいマーケットメイカーの在庫は減っている。普段から自己玉をたくさん抱えられるマーケットメイカーがたくさんいれば限界的な売りや買いのフローを吸収するのは造作もないが、社債のトレーディングが縮小してトレーダーの人数も減っているとなると途端に困難になる。例えば「売りフローが増えて普段の保有量の倍まで在庫が増えてしまった」となると大騒ぎになる。偉い人から「今の玉が捌けるまで新規bidを立てるのを禁止」と言われるだろう。とすれば投資家が保有している、黒と青の間の差分の社債残高は半永久的に逃げ場がない

 社債のトレードが減少したことのもう一つの副作用は「NAVが信用できなくなる」ことである。ETFのNAV算出に使われる個別銘柄を値付けしているのはインデックスベンダーだろうが、取引されていない社債の価格はリアルタイムに更新できない。トレーダーですら「この銘柄は半年くらい見たことがないから水準が分からない」のに、マーケットも見ていないインデックスベンダーが勝手に憶測で価格を切り下げるような「価格操作」をできるはずがない。とすればNAVの変動はマーケット対比でかなり遅行するのではないか。実際相場がラリーした3/13でも前日比でBNDのNAV切り下がりは続いた。だとすれば「NAVから乖離したETFの方の水準」の方がある意味正しいかもしれない。

  それでも相対的にマシなHYG, LQDとBNDの間に差が付いた背景の一つには、ポートフォリオの中身があるかもしれない。HYGは3/12時点で1,007、LQDは1,985銘柄しか保有していないが、BNDは2/29時点で実に9,183銘柄を保有している。解約プロセスによる裁定が保証されているとしても、9千銘柄も引き渡されて来たらとても売り切れる気がしない。もちろん実際には本当に9千銘柄がやってくるわけではなく多少の融通は利くが、保有資産の複雑さと値付けの透明さ(銘柄が多ければ多いほどその中でDon't tradeなマイナー銘柄も多いだろう)は危機時の挙動に少しは影響を与えたかもしれない。
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 更にマイナーな債券ETFである、ハイイールド地方債を集めたHYDに至っては一時19%のディスカウントで取引されたという。

 いずれにしろ、リーマンショック以来半ば凍り付いてきた社債市場を、ETFはあたかも上場物のような流動性があるかのように見せかけてきた(某有名アナリストの言葉を借りると流動性イリュージョン)のである。確かに平時には原資産のbid -offerの間に小口の投資家を呼び寄せて活発な値動きを形成させる力はETFにはあったが、ストレス時におけるETFの流動性はあくまでも原資産そのものの流動性に依存している。そこに流動性イリュージョンに釣られた、「いつでも売れる」と思っていた投資家が流れ込んでくると途端に出口が詰まる

 更に言うと、取引のなさが産み出すNAVのブレ幅の小ささ、またその結果としてのETFのボラティリティの小ささもまた原資産が凍り付いてきたことによるイリュージョンである。「ETFを組み込んだバックテストを行うとやたらとリターンが安定する、しかも投資適格債の分散投資なので安心」「この天才的なバックテストを生み出したシグナルが点灯したら社債ETFを全売却すればいい。社債市場について分析する必要もない」くらいの軽い気持ちで参加した、社債市場に疎いマルチアセット投資家は、結果的に万人に笑われるような水準でぶん投げることになっても同情の余地はない。
HYG
 今回ことの発端になったのは石油やシェールガス周りの一部の企業のクレジットにすぎなかったが、深く考えずにETFで入って来た投資家は火元のクレジットリスクだけ正確に外すことはできず、「あのセクター大丈夫か」と怒られるリスクを避けようとするとETFごと売却するしかなくなる。ETFをはじめとするパッシブ戦略のシェア増加によりアセットクラス内で特定セクター発のショックは全アセットクラスに波及しやすくなっているよく考えてみるとHYGが保有するハイイールド債のうちエネルギーが占める割合は高々8%であり、それらが全損になったところで資産は8%しか毀損しないのに8%よりも下を叩く投資家が続出した。2016年のシェールガスショック以来、原油安と言えばハイイールド債、という条件反射は自己実現しやすくなっている。

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この記事は投資行動を推奨するものではありません。



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