p1
 日銀の長引く金融緩和への批判として、意外な理論が引っ張り出されている。「動学的価格指数(Dynamic Equilibrium Price Index)」である。曰く、金融政策は足元の動きにすぎない消費者物価指数だけでなく資産価格をも重視すべきだという。今のように景気が良いのに物価が上がらない場面では金融政策は緩和に傾きすぎてバブルを招きがちであるというわけだ。

  DEPIは日本発の理論である。バブル崩壊の反省もあってか1991年に本邦で発表されており、出オチで申し訳ないが2001年には『物価の安定を巡る論点整理』で既に白川日銀前総裁が批判的にまとめている。

「これは、通常の物価指数と資産価格との一種の加重平均になる。DEPIは、理論的には明快な根拠を持つ指数であると言える。しかし、「生涯にわたる効用」を考慮するという考え方に立つと、現在のフローから 得られる効用はそのほんの一部に過ぎないため、加重平均に際して資産価格の方が圧倒的に大きなウェイトを占めることになる。その結果、DEPIは資産価格そのものをみることとほとんど同じになってしまう。ところで、一般に資産価格(とりわけ地価)には、1.将来の商品・サービスに関する実質的な価値の高まりの情報と価格情報の両方が混在する、2.期待やリスクプレミアムの振れに左右されやすい、3.統計精度が低い、といった問題点がある。 したがって、事実上資産価格に規定されるDEPIも、同じ問題点を持つ。 白塚[2001b]は、これらの点を詳しく論じたうえで、DEPIを政策目標や政策判断の中心的指標として位置づけるのは適当ではなく、資産価格は物価指標と合成せずに別途参考指標としてみていく方が有益である旨を、指摘している」

 それ以降この考え方は下火になっている。冒頭のチャートを見てもわかるように、DEPIはあまりにも激しく動くからだ。おまけに精度が低い。これを元に金融政策を決めたらとても安定した政策運営ができそうな気がしない。

  ただ、これはDEPIの考え方そのものが的外れであることを意味していない。 「生涯にわたる効用を考慮するという考え方に立つと、現在のフローから得られる効用はそのほんの一部に過ぎないため、加重平均に際して資産価格の方が圧倒的に大きなウェイトを占めることになる」のがまるで間違ったことのように語られているが、実際にそれだけ人生で資産価格の方が大事だということではないか。人生のどこかで購入する可能性が高い住宅が高騰しそうだと思ったら、インフレ期待で前倒し購入するかもしれないし、所得が足りなくて買えないならその分(巨額になるが)消費を削って節約していくしかないというのもインフレとそっくりだ。例えば中国で住宅バブルが消費を蝕んでいる話は有名だ。それに比べて毎年1〜2%の消費者物価の影響は微々たるものである。当局が消費者物価の低さだけを見て不動産バブルを放置した場合、消費者からすれば結局数%のインフレを体験しながら生きているようなものだ。
CPI GDP growth
  インフレは大変遅行した指標であり、米国CPIと米国GDPを見ると実体経済から1年半ほど遅れている。その遅れている指標を中央銀行が追いかけるものだから常にバブル→引締めのやりすぎでバブル崩壊、の繰り返しとなる。しかも、戦前のようにお金を借りて商品を買いだめする大商人が物価を動かしているわけでもないので、金融緩和が物価に効く経路は「実体経済でバブルを起こす」しかなく、引締めが物価に効く経路も「実体経済のバブルを潰す」に他ならない。ならば消費者物価という、消費者への影響も小さければコントロールもしづらい指標から離れて資産価格から直接実体経済を確認すべきというのも納得できる主張である。さらに、冒頭のDEPIチャートは値動きが荒いもののあながち的外れな指標でもない。2014年のバズーカ第二弾が必要なかったのもわかるし、その後チャイナショックこそ緩和を拡大すべきだったところでバズーカの残弾がなくなって、日銀は慌てて2016年にマイナス金利をひねり出したわけだ。

 考え方としては有用なので、DEPIの残骸も中銀コミュニティの中でところどころ見られる。世間のFedビューとBISビューの争いのBISビュー側に無理やり挿入することも可能だろう。(冒頭記事ではFedビューとBISビューを整合できるものこそDEPIだとしているが流石にそれは言いすぎだ)。Fedも消費者物価と同時にFinancial Condition Indexを「金融環境が引き締まっている、緩和的である」と参照しているが、このFCIには地価はともかく、株やクレジットなどの資産価格はある程度反映されている。日銀に至っては「期待やリスクプレミアムの振れに左右されやすい」と言いながら、ETF買入でそのリスクプレミアムに直接働きかけに行っており、TOPIXが下がったら買入を行い、上がったら見送っている。

この記事は投資行動を推奨するものではありません。