IMG_5275
    ペンス副大統領による10/4のハドソン研究所でのスピーチが中国への宣戦布告に近いと、一部で波紋を呼んでいる。現状に対する徹底的な非難もさることながら、特徴的だったのはまず米中関係の歴史を、まるで離婚する夫婦が過去の出来事や期待を振り返っては被害者意識を炸裂させるかのように全面的に振り返っており、米国の失望感と幻滅感を際立たせている。

    履歴からしてペンスが中国史に詳しいはずもないので、このスピーチ原稿は中国専門家など相当充実したスタッフが起草に関わったであろうことがわかる。以下、ペンスが触れた中国史について振り返ってみよう。

「独立戦争の頃から中国は米国の商人が運ぶ朝鮮人参や毛皮を歓迎した。中国が(列強の侵略により)侮辱、搾取されて来た「屈辱の世紀」においても、米国は侵略に参加せず、むしろ門戸開放政策を掲げてより自由な通商と中国の主権の保全を追求した。」

 清がアヘン戦争、アロー戦争、日清戦争での連敗を経ていよいよ列強に分割、植民地化されそうになった1899年に、国務長官ジョン・ヘイが欧州列強及び日本に送りつけた門戸開放宣言については、「米国がモンロー主義で中国の権益確保に乗り遅れたから割り込もうとしただけだろう」という意地悪な見方もできる。しかし、門戸開放宣言からワシントン九カ国条約、更に太平洋戦争まで続く米国の門戸開放政策のおかげで義和団事件や革命、日露の進出でボロボロになった中国の版図が保全されたのは事実であり、米国がどんなに恩着せがましく取り上げても誇張ということはない。

「米国の宣教師が中国に初めて福音をもたらした時、彼らは歴史を持ち活気に満ちた人々と豊かな文化に感動した。また彼らは信仰を広めると同時に中国の初めての、また最高の大学を立ち上げた。」


  大学ランキングで中国勢の双璧といえば清華大学と北京大学であるが、双璧は共に米国と縁深い。清華大学は先ほどのジョン・ヘイ国務長官の提唱により義和団事件後の対各国の賠償金のうちの米国部分を減免し、その資金で米国留学のための予備校として設立したのが始まりである。北京大学の敷地はTIME、LIFE、Fortune誌創刊者のヘンリー・ルースとアルコア社創業者のチャールズ・マーティン・ホールの寄付を使って燕京大学創設者である宣教師ジョン・ライトン・スチュアートが清の旧王族より購入したものである。燕京大学はキリスト教系大学ということで1949年の共産革命後に解体させられたが、今の北京大学の半分を形作っている。

「第二次世界大戦が勃発すると、米中は同盟国として共に帝国主義と戦った。戦後に米国は中国を国連の創始国(五大国)の一員としての地位を確立させた。」

 第二次世界大戦での戦いぶりがフランスよりましだったとはいえ、中国がただの戦乱にまみれた一後進地域から五大国の一角に加わったのは想像を絶する躍進であった。日本では今でも上の段落の全てを一気呵成に実現した「異様に親中的だったフランクリン・ルーズベルト大統領」への呪詛が絶えない。「自由中国」への米国の熱い思い入れは今からすると想像が難しいが、今も「自由中国」である台湾に対する態度にその面影を見出すことができる。

「ところが1949年の革命によって政権を獲得した中国共産党は権威主義、拡張主義を推進するようになり、朝鮮半島の山や谷で米軍と戦った。私の父も自由のための戦いの前線にいた。しかし、残酷な戦争ですら我々の国民を結び付けてきた絆を回復する願望を修復する願望を打ち消すことはできなかった。1972年に米中は国交を回復し互いの経済を開放し、米国の大学は中国の新世代のエンジニアや学者、ビジネスリーターや官僚への教育を始めた。」

 1972年、中ソ対立に付け入る形で米国は共産中国をソ連率いる東側から寝返らせることに成功した。1970年代の中国は今以上の権威主義国家だった。しかも文化大革命で混乱しており、人民の基本的人権どころか生存権すら危うかった。しかし李承晩からマルコス、ゴ・ディン・ジエム、ピノチェト、かつてのサダム・フセイン、今のサウジアラビア王家を見てもわかるように、米国が同盟国に民主的で基本的人権を尊重する政治体制を要求することはない。米国がかつて手こずったベトナムへの侵攻を通して中国は西側への忠誠を示し、米中はソ連の崩壊で中国が用済みになるまで短い蜜月時代を迎えた。

「ソ連が崩壊した後、我々は中国が必ず自由な国家になると信じ、その楽観さに基づいて21世紀の始まりと共に米国は中国をWTOに加盟させ、経済の門戸を開いた。かつての政権がこの決定を下したのは経済的自由が政治的自由に繋がり、中国が私有財産、個人の自由、信仰の自由といった人権を尊重するように変化するとの期待に基づいたものだった。しかし、この希望が満たされることはなかった。中国人民の自由への夢は未だ実現せず、鄧小平が唱えた「改革開放」は今だに口頭では繰り返されるものの、その響きは虚しいものとなっている。」

 ソ連崩壊と前後して中国政府が学生や市民による反政府デモを戦車で鎮圧した1989年の天安門事件が起きている。ここは最大の攻撃材料になるはずだったが、相手のメンツを考慮したのか、「昔は良かったのに今は許せない」という流れに統一させたかったのか、毛皮と朝鮮人参まで取り上げたペンスはなぜかスルーしている。事件後米国は直ちに反政府デモの指導者達を保護すると共に中国に経済制裁をかけた。中国は米国による政権転覆の企みに警戒するようになり今に至り、2018年現在もFBやTwitter、Googleへの中国住民のアクセスをブロックしている。またこの時から2018年現在に至るまで中国への兵器やハイテク製品の禁輸措置が取られた。米国が最も強みを持っているこれらの分野での輸出を禁止すると貿易赤字になるのは自明であった。代わりに、中国は市場の大きさを利用し、中国進出する米国企業に技術移転を要求することになる。

 省略された「ソ連が崩壊した後」から2001年に「中国をWTO加入させる」までの十年間にわたり、米中関係は最悪だった。1996年には中国の台湾初の総統選挙を軍事演習で威嚇し、それに対し米軍が空母機動部隊を台湾に送り込んで一触即発になった。1999年のコソボ紛争中に中国のベオグラード大使館が米軍のB-2爆撃機に「誤爆」された。2001年には南シナ海で米中軍用機衝突事件も起きており、その緊張感は船同士が接近する程度しかない今の比ではない。中国軍機のパイロットは死亡、損傷して海南島の飛行場に不時着した米偵察機を中国軍は押収し、徹底的にその技術や部品を分析した。ペンスのスピーチが作る「昔は良かったのに今が最悪だ」という構図は現実からかけ離れている。ただ、それでも中国をWTOに加盟させたのは米国政府の器の大きさを表すものだった。当然、中国からのデフレの輸入と米国債購入により米国もインフレや双子の赤字と戦う必要が薄まった。

 その後米中関係が劇的に改善したのは米国が2001年に9/11を受けてアフガンとイラクで戦争を始め、次に2008年にリーマンショックを起こした結果である。イラク戦争によって南シナ海どころではなくなり、またリーマンショック後の経済回復に中国からの支援が不可欠だった。「過去25年で中国を再建した」のは米国を政経両面で弱体化させたブッシュ大統領である。それがオバマ政権の8年間で米経済が回復し、世界経済が再び米国一強が戻ってくるのにつれて、再び中国が用済みになったわけだ。

 「今」に関しては当然非難一色で、知的財産侵害、軍拡、監視国家化、信教の自由の侵害、(一帯一路などの)新興国の債務拡張、そして米国政治への干渉である。特に中国が貿易戦争に際してことさらトランプ支持の州に損害を及ぼすよう策を弄したことが決定的にトランプ政権の心証を悪くしたはずだ。それ以外は例えば口を開けば人権問題だったビル・クリントン時代と比べても厳しいわけではない。山のような非難に埋れかけているが、米国の最大の要求が「知的財産の保護」「技術移転要求の停止」であるとはっきりしている。少なくとも文字通りに受け取るなら「中国の台頭を全面的に阻止しに行く」わけではない。技術移転が止まった途端に止まる程度の台頭だったならともかく。一方、米国第一主義の攻撃目標はあくまでも中国であり、日本を含む各同盟国は矢面に立っていないことも徐々に明らかになってきている。せいぜいカナダのようにみかじめ料を強化されるくらいだろう。

    それに対して中国は2017年にこそ積極的なトップ外交を見せたものの、2018年になって実際に関税がかかり始めると対話を止めて根比べに入っている。さっさと技術移転強要を止めればと思えるものの、最初に貿易戦争で負けないと大見得を切っていたのを引っ込めて妥協すると指導者の無謬さに傷が付くなど、恐らく内部的に譲歩できない理由があるのだと推測される。

    ここで再び1900年に戻ろう。そもそも清朝(西太后)がなぜ列強を敵視し、義和団を肩入れして列強に宣戦布告したか。西太后は1897年に親政と改革(戊戌の変法)を目指した甥・光緒帝をクーデターで幽閉したが、1900年になって皇帝の廃立と光緒帝の甥にあたる溥儁の擁立まで検討した時に、光緒帝に良い印象を持っていた列強の猛反対に遭って挫折した。光緒帝が「病気により親政が不可能になった」と言い張ろうとしたが、列強の要求でフランス人医師が光緒帝を診察し、目立った病気はないとする診察書を世間に公表してしまったという。病んでいたのは国家の方だった。その後西太后が義和団と列強の間で揺れていた時、列強の干渉を退けて自らの息子を皇帝に据えたかった溥儁の父親、端郡王・載漪が「列強は西太后の引退と光緒帝の親政を要求している」とする通牒を捏造し、西太后に見せたのが宣戦布告の決定打だった。権力者が、側から見て驚くような非理性的な施策を打ち出す時、その裏には必ず驚くほど低レベルな権力闘争や打算がある。それは21世紀になった今でも変わらない。

関連記事

Remarks by Vice President Pence on the Administration’s Policy Toward China(公式・フルテキスト)



この記事は投資行動を推奨するものではありません。