
貿易戦争のヘッドラインが飛び交う中でにわかに脚光を浴びているのは環球日報(Global Times)編集長である胡錫進(胡锡进, Hu Xijin)のTwitterアカウントである。中国当局に近い人間にしては珍しく(本土からのアクセスを禁じられている)Twitterで中国当局寄りの意見や予想を流暢な英語を発信し、フォロワー数は36,000人を超える。英語ユーザーからLaoshi(老師)と呼ばれて質問されたり、またBloombergをはじめとするメディアや金融関係者も平気でソースとして引用するほど有名になってしまっている。この胡錫進は何者だろうか。
Wikipediaによると胡は1960年生まれの59歳であり、人民解放軍系の大学から北京外国語大学のロシア語専攻に進み修士号を取得している。その間天安門事件があり、本人曰く「天安門広場に行ってデモに参加した。当時は誰よりも過激な学生であった」そうであるが、当局による武力鎮圧が始まる前に広場から離れていたようである。その後人民日報の記者を経てその子会社の環球日報(Global Times)の編集長を2005年から務めている。

環球日報は「China's Fox News」とも紹介される保守誌である。その政治的スタンスは当局の公式見解よりも保守的であり、2016年のFTの記事は上のような世界観を紹介している。つまり、ほとんどギャグである。人民日報の子会社だからと言って「中国共産党機関紙・人民日報系の環球日報」といったあたかも公式見解を彷彿させるような枕詞は過大評価に見える。しかしこのギャグのような世界観を、リベラル派のメディア及び市民の罵声を浴びながらも維持し続けたのは胡の手腕によるところが大きいと思われる。60歳近くなった今でも必ず自分で毎日何がしらの論説やツイートを書いており、全方位に論戦を挑んでいる。その元気あふれるキャラクターのためファンも多いが、風景写真をSNSにアップするだけで罵声が飛んでくる程度にはアンチも多い。ZTE, ファーウェイを擁護する投稿をiphone 7Plusで行ったことも嘲笑の対象になった。

胡のジャーナリストとしての原体験はユーゴスラビアである。1993年から1996年にかけて胡は人民日報の特派員としてユーゴスラビアに駐在し、ボスニア紛争を体験している。胡の英語Twitterアカウントのトップ画もその時にサラエボで撮影したものと思われる。その時の体験について胡は講演で「私が建物の2階で食事を摂っていたら1階で重機関銃の銃撃が始まり、私の面前のスープは皿の中で飛び跳ねた。それが戦争だ」と回想している。図は内戦でハイパーインフレに見舞われたユーゴスラビアの5000億ディナール紙幣を見せる胡である。「私はその時から、私の親戚友人が食事中に機関銃の衝撃で粥が飛び跳ねるような国に絶対したくない、私の住む街を絶対サラエボのようにしたくないと思った」と胡は語る。
ではそれで戦争反対のリベラルになったかというと、どうやら逆である。列強の戦争反対はリベラルだが、侵略される方が戦争を回避しようとすると富国強兵しかない。元々ユーゴスラビア連邦は様々な民族を内包した連邦国家だったが、冷戦で親東側だったこともあって「民族自決」の理念(口実)の下でどんどん解体されていった。スロベニア、クロアチアの独立を欧米は直ちに支持し、それを見てボスニア・ヘルツェゴビナも独立を宣言した。ところがボスニアの領域内には親連邦のセルビア人住民も住んでいたため、民族自決は民族浄化と内戦に繋がった。独立戦争はすぐにもセルビア人側の勝利に終わりそうだったが、あと一歩というところで米軍を主力とするNATO軍が空爆で介入し、独立側の逆転勝利で終わるまで内戦は長引き死者20万、難民200万が発生した。中国もユーゴスラビアと同じく旧東側の多民族国家であったため「西側に空爆、解体される」連邦政府の方に共感したようだ。そして1999年には西側が小さくなったユーゴスラビアから更にコソボ自治区を独立分離させたコソボ紛争では、ベオグラードの中国大使館も米軍に爆撃されてしまう。この時胡は既に帰国していたが、空爆の生存者であった若い記者から当時まだ普及していなかった携帯電話で第一報を受け、「全中国で初めて事件を知った人間になった」と自称している。
こういった経歴により胡は天安門広場でデモに参加していたリベラルから「国が強くならないと西側にやられてしまう」とアンチリベラルになったようだ。下手に国際畑が長かったため「リベラルを当局のようにただブロックするのではなく国際的なルールの下で論破する」自信も付けたのかもしれない。現に胡が天安門事件の時に広場でデモに参加した(その上で振り返ってみると当時は幼稚だったという取り上げ方ではあるが)ことを公言して憚らないのに並行する形で、環球時報も天安門事件をタブー視せずに発信し、たまに当局の記事削除に遭ってはリベラル派市民の嘲笑を買っている。中国国内からVPNを使ってTwitterアカウントを作成したのもその自信の現れと思われる。
なお、このアンチリベラルは今の中国の40代、50代のエリートの間である程度共通する感覚ではないかとも思われる。米中の間で貿易戦争、スパイ疑惑、イラン制裁違反疑惑でファーウェイCFOの拘束、更に南シナ海の「航行の自由」作戦など様々な摩擦が起きているが、1990年代まで遡ると同じような出来事が続いていた。WTO加盟を巡る米中対立、台湾系米国人科学者の李文和が中国に核兵器の小型化技術を漏洩したとしてFBIに冤罪逮捕された李文和事件、イラン制裁違反疑惑で公海上で米軍が中国商船を包囲して臨検したが何も出てこなかった銀河号事件、台湾海峡に第7艦隊が進駐して戦争直前まで行った台湾海峡危機と、エリート達は青春時代を思い出したことだろう。なおWTO加盟についてはアジア金融危機の影響で中国国内が超絶不景気に陥っていたこともあって、輸出に頼りたかった中国当局が大幅な譲歩を行い実現している。その結果中国の低品質ながらも一通り揃っていた国内消費財メーカーは軒並み壊滅し、WTO後に外資と競争して生き残ったブランドは家電のハイアールくらいしかない。歴史が繰り返すとすれば今回も中国側のスタンスは国内景気次第と思われる。
共産党員であり半国営メディアの編集長という肩書きにもかかわらず、胡がなぜTwitterアカウントの運営を許されているのかは不明だが、だからと言って当局が彼を通して海外にアドバルーン的な発信をしようとしていると勘繰るのは過大評価に思える。ビッグマウスとまで言わないにしても、スポークスマンとしては自由奔放すぎ、御しにくすぎ、危うすぎるように見えるからだ。人脈によってある程度の内部情報を仕入れているかもしれないが、あくまでも趣味や論戦や売名行為のためのアカウントに見える。従って「ボーイング機の購入を削減」といった、このアカウントしか発信していない話はやや割り引いて見るべきではないか。

環球日報は「China's Fox News」とも紹介される保守誌である。その政治的スタンスは当局の公式見解よりも保守的であり、2016年のFTの記事は上のような世界観を紹介している。つまり、ほとんどギャグである。人民日報の子会社だからと言って「中国共産党機関紙・人民日報系の環球日報」といったあたかも公式見解を彷彿させるような枕詞は過大評価に見える。しかしこのギャグのような世界観を、リベラル派のメディア及び市民の罵声を浴びながらも維持し続けたのは胡の手腕によるところが大きいと思われる。60歳近くなった今でも必ず自分で毎日何がしらの論説やツイートを書いており、全方位に論戦を挑んでいる。その元気あふれるキャラクターのためファンも多いが、風景写真をSNSにアップするだけで罵声が飛んでくる程度にはアンチも多い。ZTE, ファーウェイを擁護する投稿をiphone 7Plusで行ったことも嘲笑の対象になった。

胡のジャーナリストとしての原体験はユーゴスラビアである。1993年から1996年にかけて胡は人民日報の特派員としてユーゴスラビアに駐在し、ボスニア紛争を体験している。胡の英語Twitterアカウントのトップ画もその時にサラエボで撮影したものと思われる。その時の体験について胡は講演で「私が建物の2階で食事を摂っていたら1階で重機関銃の銃撃が始まり、私の面前のスープは皿の中で飛び跳ねた。それが戦争だ」と回想している。図は内戦でハイパーインフレに見舞われたユーゴスラビアの5000億ディナール紙幣を見せる胡である。「私はその時から、私の親戚友人が食事中に機関銃の衝撃で粥が飛び跳ねるような国に絶対したくない、私の住む街を絶対サラエボのようにしたくないと思った」と胡は語る。
ではそれで戦争反対のリベラルになったかというと、どうやら逆である。列強の戦争反対はリベラルだが、侵略される方が戦争を回避しようとすると富国強兵しかない。元々ユーゴスラビア連邦は様々な民族を内包した連邦国家だったが、冷戦で親東側だったこともあって「民族自決」の理念(口実)の下でどんどん解体されていった。スロベニア、クロアチアの独立を欧米は直ちに支持し、それを見てボスニア・ヘルツェゴビナも独立を宣言した。ところがボスニアの領域内には親連邦のセルビア人住民も住んでいたため、民族自決は民族浄化と内戦に繋がった。独立戦争はすぐにもセルビア人側の勝利に終わりそうだったが、あと一歩というところで米軍を主力とするNATO軍が空爆で介入し、独立側の逆転勝利で終わるまで内戦は長引き死者20万、難民200万が発生した。中国もユーゴスラビアと同じく旧東側の多民族国家であったため「西側に空爆、解体される」連邦政府の方に共感したようだ。そして1999年には西側が小さくなったユーゴスラビアから更にコソボ自治区を独立分離させたコソボ紛争では、ベオグラードの中国大使館も米軍に爆撃されてしまう。この時胡は既に帰国していたが、空爆の生存者であった若い記者から当時まだ普及していなかった携帯電話で第一報を受け、「全中国で初めて事件を知った人間になった」と自称している。
こういった経歴により胡は天安門広場でデモに参加していたリベラルから「国が強くならないと西側にやられてしまう」とアンチリベラルになったようだ。下手に国際畑が長かったため「リベラルを当局のようにただブロックするのではなく国際的なルールの下で論破する」自信も付けたのかもしれない。現に胡が天安門事件の時に広場でデモに参加した(その上で振り返ってみると当時は幼稚だったという取り上げ方ではあるが)ことを公言して憚らないのに並行する形で、環球時報も天安門事件をタブー視せずに発信し、たまに当局の記事削除に遭ってはリベラル派市民の嘲笑を買っている。中国国内からVPNを使ってTwitterアカウントを作成したのもその自信の現れと思われる。
なお、このアンチリベラルは今の中国の40代、50代のエリートの間である程度共通する感覚ではないかとも思われる。米中の間で貿易戦争、スパイ疑惑、イラン制裁違反疑惑でファーウェイCFOの拘束、更に南シナ海の「航行の自由」作戦など様々な摩擦が起きているが、1990年代まで遡ると同じような出来事が続いていた。WTO加盟を巡る米中対立、台湾系米国人科学者の李文和が中国に核兵器の小型化技術を漏洩したとしてFBIに冤罪逮捕された李文和事件、イラン制裁違反疑惑で公海上で米軍が中国商船を包囲して臨検したが何も出てこなかった銀河号事件、台湾海峡に第7艦隊が進駐して戦争直前まで行った台湾海峡危機と、エリート達は青春時代を思い出したことだろう。なおWTO加盟についてはアジア金融危機の影響で中国国内が超絶不景気に陥っていたこともあって、輸出に頼りたかった中国当局が大幅な譲歩を行い実現している。その結果中国の低品質ながらも一通り揃っていた国内消費財メーカーは軒並み壊滅し、WTO後に外資と競争して生き残ったブランドは家電のハイアールくらいしかない。歴史が繰り返すとすれば今回も中国側のスタンスは国内景気次第と思われる。
共産党員であり半国営メディアの編集長という肩書きにもかかわらず、胡がなぜTwitterアカウントの運営を許されているのかは不明だが、だからと言って当局が彼を通して海外にアドバルーン的な発信をしようとしていると勘繰るのは過大評価に思える。ビッグマウスとまで言わないにしても、スポークスマンとしては自由奔放すぎ、御しにくすぎ、危うすぎるように見えるからだ。人脈によってある程度の内部情報を仕入れているかもしれないが、あくまでも趣味や論戦や売名行為のためのアカウントに見える。従って「ボーイング機の購入を削減」といった、このアカウントしか発信していない話はやや割り引いて見るべきではないか。
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