我々は貿易戦争を映画や小説のようなノリで見ているが、特定の企業や技術で勝った負けたは瑣末でしかない。中国の最大の弱点はチャイナショックの時と同じく、あくまでも外貨準備であると本ブログは考えている。チャイナショックにおける人民元切下げや崩壊を狙った取引が厚い外貨準備の壁にぶつかってことごとく失敗してきたので、今回も人民元レートの話になると人々は学習の結果もあって「外貨準備があるからどうせ動かない」と思考停止しがちである。
図は前回の記事の使い回しであるが、中国の経常収支(黒線)とその各要素の寄与である。中国の経常収支は歪みが大きいのが特徴であり、コツコツと稼いだ貿易黒字を近年になって急速に「旅行」(サービス収支)の赤字で散財しており、今にも経常赤字転落しそうな水準になっている。旅行、つまりいわゆる「インバウンド爆買い」の解釈は難しく、格差の拡大と共に13億の人民が稼いだ貴重な外貨を一部の腐敗した富裕層が贅沢して散財しているとも言えるし、単に海外の物が安いから一族郎党の分も買い物しているとすれば本来サービス赤字は本質的には広義の貿易赤字である。つまり中国はあれだけ米国から「米国の雇用を奪った」と言われながらも、イメージに反して特段国際貿易で「広義の貿易黒字」を蓄財できていない。爆買いと厳密には分けづらいかもしれないが、「いわゆる誤差脱漏」も年々増えており、とにかく元を海外の通貨なり物なりに換えようとするキャピタルフライトの存在も示唆されている。
ただでさえ「貿易黒字がない」にも関わらずなぜか貿易黒字大国のイメージを持たれている中国だが、更に2017年の(狭義の)貿易収支を経産省の資料で見ると、ポジションがよく分からない香港を除くと、中国の貿易黒字はほとんど対米国に集中している。米国以外から稼ぐ外貨は微々たるものである。一方、部品素材機械を供給する台湾韓国日本ドイツ、資源を購入する豪州サウジに対しては軒並み貿易赤字である。もしトランプ大統領が希望するように何らかのディールとやらで「対米黒字をなくした」場合、中国は「大幅な貿易赤字プラス大幅なサービス赤字」と経常収支が真っ赤になってしまう。関税によって対米輸出競争力が大きく低下した場合も同様である。
この貿易収支内の歪みは米国の輸入の旺盛さ(つまり、最大貿易相手国がどれだけお行儀が良くても必ず貿易戦争になる)と、1989年の天安門事件以降30年にわたって米国が兵器やハイテク製品、工作機械について対中禁輸措置を取ってきたのが背景にあるだろう。米国が中国に売れる品目はあまりにも少ないのであり、この背景を理解せずに米中貿易不均衡をなくそうと言い出しても当然無駄な努力となる。
経常黒字がしょぼいとなると、次に気になるのは当然その積分である外貨準備である。こちらの図がIMFが考える適切な中国の外貨準備額と実際の外貨準備額であり、単位は対GDP%である。かつて外貨準備は貿易決済に用いられることを想定し、輸入額の3ヶ月分以上が適切などと言われていたが、21世紀において外貨準備が果たす役割は更に複雑になっている。IMFが考える適切な外貨準備額は輸入3ヶ月分(オレンジ)、短期負債(青)、そしてマネーサプライの20%(黄緑)などにより算出されるARA EM Metricであり、その算式はブラジルについての記事から拝借することになるが、
ARA EM Metric = 5% × Exports+ 5% × Broad Money + 30% × Short-term Debt + 15% × Other Liabilities
であるそうだ。この数字の100%〜150%がIMFの考える適切な外貨準備である。
中国の場合、輸入3ヶ月分という古典的なハードルは取るに足りない。短期負債もたかが知れている。しかし、黄緑のマネーサプライの20%は外貨準備を大きく上回った。これは概ねM2とでも考えておけばよく、国内でローカルカレンシーがじゃぶじゃぶである限り、そのじゃぶじゃぶのお金がキャピタルフライトするリスクが高くなるというものだ。まとめると、概ねマネーサプライ垂れ流しによるキャピタルフライトリスクのせいで中国の外貨準備はIMFが考える必要額をチャイナショック前後から急速に割り込み始めた。資本規制を敷いているものの、それで年々増大するキャピタルフライトリスクを永遠に封じ込めることができるわけではない。
更に、これは本ブログの思い込みに過ぎないかもしれないが、外貨準備の中身が劣化しつつあるのではないかと思える。外貨準備は経常黒字の蓄積や介入のみで変動するわけではなく、海外からの直接投資も人民元に換金された後、入ってきた外貨は集中管理され外貨準備にカウントされていると思われる。特に中国株・債券の指数組込みによる海外からのFDIインフローもカウントされているだろう。これらのFDIインフローは以前の工場などと比べて遥かに逃げ足が速い。昨年の記事でも記しているように「我々の想像する「国が保有しており介入などに自由に使える外貨資産」のイメージに近いのは対外純資産の方であり、中国の対外純資産は日本の2/3弱にあたる205兆円(2017年末、前年比-5兆円)である。外貨準備3兆ドルの残りは「対外純資産でない、借りてきて手元にある外貨」である。従って外貨準備の数字はあまり意味がないし、どんどん意味がなくなっている」のである。
というわけで、一部の企業が実は人々のイメージを覆すような国産技術を持っていた、というのは大した問題ではなく、中国の至上命題はあくまでも愚直にコツコツと経常黒字を維持することである。25%関税のインパクトを打ち消すことができるのも、また愚かしい爆買いで海外サービス赤字を垂れ流して貿易・サービス間の歪みが拡大するのを阻止できるのも人民元の大幅な切下げである。チャイナショックで中国は一回は人民元を切下げるという正しい施策に出たが、元安によるデフレ輸出に耐えられない諸外国が人民元暴落の恐怖を煽ったりおだてたりして正しい道から中国当局を連れ戻してしまった。一部で上海アコードなどとも言われるが、「人民元が7.0を割り込まない」が既に暗黙の第二次プラザ合意だったのではないか。「中国がバブル日本の失敗例をよく分析している」という枕詞と共に中国政府が「第二次プラザ合意を回避や警戒」しているなどという声もあるが、これは明らかに自意識過剰である。たとえ人民元切上げが何らかの会合で決まったとしても、参加者は誰一人それを実現する力がない。暴落さえしなければ僥倖である。
人民元の対ドルレートはチャイナショック以来3回目となる7.0突破を狙うチャートとなっている。もちろんPBOCをはじめとする中国当局はその間に何か新しい芸を思い付いたわけではなさそうなので、外貨準備を取り崩して7.0を死守しようとするだろう。貿易戦争により7.0という数字にはますます政治的な意味が付与されているが、その戦いは困難になりつつあるし、何よりも意味がない。
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