ft CNY history
 8/5に人民元が対ドルで2008年以来初めて7.0(1ドル=7人民元)を超えて下落した。人民元は対ドルでリーマンショック前から一貫して緩やかな上昇を続け、それが持続不可能になった2015年にはチャイナショックによる下落容認を経てここ4年ほどは6.2 -7.0のレンジで取引されていたが、その上限(人民元安側)を突破したわけである。本ブログは「貿易戦争における中国の弱点はやはり外貨準備」において「中国の外貨準備はIMFが考える必要額をチャイナショック前後から急速に割り込み始めた」「中国の至上命題はあくまでも愚直にコツコツと経常黒字を維持することである。25%関税のインパクトを打ち消すことができるのも、また愚かしい爆買いで海外サービス赤字を垂れ流して貿易・サービス間の歪みが拡大するのを阻止できるのも人民元の大幅な切下げである」「貿易戦争により7.0という数字にはますます政治的な意味が付与されているが、その戦いは困難になりつつあるし、何よりも意味がない」と人民元の切下げを主張してきた。まさかそれが中国当局の耳に届いたわけではなかろうが、中国当局は思ったよりも素早く、本ブログの主張通りに小さく前進している

 一般的に今回の人民元7.0ブレイクは当局の確信犯であったとされている。人民銀行はブレイクの1時間後には声明をWeb上にアップし、「人民元の下落は主に、保護貿易主義や中国製品への関税が要因」と率直に説明した。記者会見では人民銀行の担当者が「7という数字は別に年齢ではないので、一回通り過ぎたら二度と戻らないというものではない」という寒いジョークも飛ばした。もちろん貿易戦争再燃を待つまでもなく人民元売り圧力が市場で常にかかってきたので、特段ドル買い介入を行わなくても人民元を下落させることはできる。また、先に7.0をブレイクしたのはオフショアCNHの方だが、本土で取引されるCNYもしばらくして追随して7.0をブレイクし、それを見てCNHが安心して更に7.0から離れるという、いわばアキレスのCNHのような光景も見られた。CNYも付いて行くとなれば相場はそれなりに遠くまで這って行けるのではないか。

米国による通貨操縦国認定

 人民元の7.0ブレイクを受けて米国財務省は日本時間8/6の朝に早速中国を通貨操縦国に認定している。中国の通貨操縦国認定は公式レートを闇レートに近い1ドル8元近辺まで切り下げた1994年以来となる。これを受けて米株先物は一時クラッシュしたが、冷静に考えると認定したところでできるのは経済制裁くらいしかないが、米国は既にあらゆる経済制裁のカードを切っているので、実務的に意味があるかは不明である。

 なお、米国財務省によると少なくとも2019年5月時点の中国は通貨操縦国の定義を満たしていなかった。財務省の定義は
Criterion (1) – Significant bilateral trade surplus with the United States(著しい対米貿易黒字)
Criterion (2) – Material current account surplus(GDPの2%以上の巨額の経常黒字)
Criterion (3) – Persistent, one-sided intervention(12ヶ月以上にわたる一方向な為替介入でGDPの2%以上の外貨を購入)
の三つを同時に満たすことと明確に決められている。中国は2016年のレポート以降毎年(1)に該当しているが、(2) (3)は当てはまってこなかった。もちろん8/5にレートが7.0を超えたからと言って定義(2)と(3)に該当するようになるわけではないので、財務省が掲げた定義に今でも中国は当てはまっていないが、米国政府が自分達が文書に記した定義を平然と踏みにじるのは今に始まった事ではないCNNニュースは「米財務省は5日、中国人民銀行が人民元の下落を容認したとして、同国を為替操作国に指定した」と解説しているが、「容認したのが為替操作である」という論理は我々の読解力の限界にチャレンジしている。

米中金利差は人民元にとって有利

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 では人民元はこれで対ドルで際限なく下落していくのだろうか。かつて「米国の政策金利が中国に肉薄する」ではFedの利上げ継続によっていつかは米中政策金利が逆転するという懸念を取り上げたことがあった。中国景気は米国ほど強くなかったため、Fedの25bpずつの利上げに対して、一応は通貨防衛のためもあって翌日にPBOCはリバースレポ金利の対抗引上げを行ってきたが、その幅は10bp, 5bpを経てついに0bpになり、2018年12月のFedの最後の利上げでは両国の政策金利はほぼ並んだ形となっていた。その「Fed高金利による外貨準備の吸上げ」が中国の経常赤字転落懸念と並ぶ人民元相場の最大の構造的な弱点であったが、Fedが先に利下げに転じたことによりこの米中政策金利の「肉薄」状態は解消に向かいつつある。Fedの利下げに対しても追随利下げが出ると予想する声も大きく、複数の指標金利の中でどれを引き下げるかまで実しやかに議論されたものの、蓋を開けてみると特に追随利下げは行われなかった。従って政策金利競争については人民元に分がある
China US CPI
 その背景には米中のインフレ格差がある。必ずしも良いインフレとは言えないものの、中国の消費者物価CPI(青)は高止まりしており、米国のCPI伸び率(黒)に1%近くの差を付けている。
China US Gap
 インフレ格差は米中の長期金利差にもじわじわ効いている。2017〜2018年の米国の利上げ局面では米中10年金利差は1.6%から0.3%まで縮小し、それは中国の投資リターンの相対的な低下を意味したため人民元安圧力になり得た。一方足元ではFedのハト化によって米中長期金利差は再び拡大し、2019年7月には米中長期金利差は再び1%の大台を取り戻している。つまり非常に大雑把に言って実質金利は米中横並び。米国の10年国債よりも中国の10年国債に投資した方が毎年1%以上も金利をもらえるため、金利差から見た極端な人民元安余地はそこまでないと思われる。

人民元切下げはグッドニュース

 金融緩和を行わないまま通貨だけ切り下げるのは案外好手かもしれない。今まで続けてきた逆の組合せ、すなわち通貨防衛を行いながらの金融緩和にはほとんど意味がなかった。金融緩和の大半の効果は通貨安によって初めて得られる。チャイナショックを招いた通貨切下げも、もしあれがないまま人民元がドル高に付いて行っていたら破局は更に激しいものになったに違いない。貿易戦争で関税がかかり始めて経常赤字懸念が加速する中で、外貨準備を取り崩し(つまり米国債を売り)ながらだらだらと為替介入を続けるよりも潔く流れに身を任せた方が遥かに良い。

 格付け機関フィッチの担当者に至っては「人民元レートの7超えは格付けに対してインパクトを持たない」「通貨相場の不安定化やキャピタルフライトを招かない限り、むしろ為替相場の柔軟化はクレジットポジティブである」と喝破する。(Andrew Fennell, a director in Fitch’s sovereign ratings arm, said Monday’s fall in the yuan past the seven-per-dollar level was “not meaningful from a sovereign credit perspective.” “In fact, to the extent that moves are orderly and do not destabilize currency expectations or precipitate capital outflows, greater currency flexibility could even be viewed as positive from a credit perspective.”)

そして非理性的なキャピタルフライト

 コントロールが難しい人民元安要因はキャピタルフライトである。つまり7.0をブレイクしたという象徴的なイベントを見て中国国内の人民や輸出入企業が再びドル買い人民元売りに殺到するという懸念である。チャイナショック後でもこれが目立ち、当局による外貨換金制限が年々厳しくなっていく結果を招いた。グローバル債券投資家と異なり未熟な人民は1%の金利差など誤差と考えているため、潜在的なキャピタルフライト圧力は2019年になってより激しくなっていることはあっても逆はないだろう。昔から中国の外貨準備における(不正流出を示唆する)誤差脱漏の多さは目立って大きい。現に日本で不動産を購入する時に、人民元を海外に持ち出すためだけに日本への旅行ツアーを組み、ツアー客一人一人に札束を隠し持たせて数億円分の紙幣を持ち出した、映画のような事例も存在するようだ。これはごく一例であり、他にも多くのルートがあり全てを塞ぐのは不可能である。心理的な影響については、7.0を絶対国防圏として人民に強く認識させればさせるほどブレイクした後のショック感は大きくなるため、早めの戦線離脱は正解である。

人民元安で経常収支改善を目指すべし

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 そしてキャピタルフライトよりも大きな経常赤字要因は海外旅行の方である。高すぎる人民元の購買力によって中国は海外旅行での消費で大きなサービス収支赤字を計上してきた。また海外での人民の豪快な消費には、人民元をとにかく人民元でないものにしてしまおうという、先ほどの不正流出と区別しづらい行動もあるだろう。元々立退き補償などで身分不相応にばら撒いてきたお金である。国の経常収支が貿易戦争で危うくなった今、人民元安で人民達の購買力を少しくらい落としてもバチは当たらないだろう。

外貨建て債務

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China USD Bond by sector
 良いこと尽くめにしか見えない人民元安がもたらす唯一の懸念は不動産企業を筆頭とする中国企業のドル建て債務である。チャイナショックの時では人民元安でドル建て債務が相対的に重くなり中国企業のバランスシートを圧迫するという議論が有名であった。2015年にはドル建て債務が多いセクターの代表格である不動産業界の人民元切下げに由来する為替差損は120億元(約1800億円)に達したという。上図は中国企業の外債残高である(人民元建て外債も含む。ただ大半は外貨建てと見て良いだろう)。その後2016年はチャイナショックで痛い目に遭ったというのと、中国国内の調達環境も改善したのを背景に外債残高は一時純減に転じたが、2017年以降はデレバレッジ運動のせいで資金調達が再び外債に向かい、2019年現在の外債残高は2015年当時より2割弱大きい程度である。GDP成長対比ではぎりぎり減っていると言い張ることもできる。無害というわけにはいかないが、一桁台の切下げ程度ならクレジットクランチを招くほどではないだろう。人民元は対ドルで値上がりしかあり得ないと思われていた2015年当時と違って下落が青天霹靂になるわけでもない。外貨建て資産が裏にあるなら更に苦しさは緩和される。なお発行体分布(下図)で見ると圧倒的に不動産と金融が多い。チャイナショックの時は不動産企業の財務が悪化して不動産バブルも弾けるなどというシナリオも立てたものだが、ついに実現しなかった。人民元切下げが輸出をブーストできれば、中国企業にとってはたとえ外債負担が重くなっても、切下げがなかった場合よりましだろう。

 人民元の下落はよく「米国関税のインパクトを打ち消すため」のものとして取り上げられてきたが、具体的にどれくらい人民元が下落すればインパクトを打ち消せるのか。3000億ドルは中国の対米輸出総額5000億ドルの6割にあたり、それに10%の関税がかかるなら人民元が6%下落すれば良い。6.9をスタートに取ると終着点は7.3となる。6%程度値下がりすると事前に100%確信したとしても色々なコストを払って人民元からキャピタルフライトさせる意義はあまりない。

 まとめると、たとえ人民元が下落トレンドに入ったとしても恐らくは緩やかなものに止まる可能性が高い。短期的には貿易戦争を更に激化させる可能性を秘めているが、チャイナショックを招いた人民元切下げと同じく、長期的には中国経済にとってポジティブな対策を当局が素早く打ち出したという解釈が可能である。

 本日のCNY基準値(Fixing)は再び7.0より人民元高方向の6.97に決められ、それがリスクオンへの回帰のきっかけにもなったが、それでも前日よりは人民元安であり、実勢より人民元高方向に決まったのはあくまでもスムージング(Counter Cyclical Factor)の範囲内である。米ドル指数の変動次第でもあるが、基準値もどこかのタイミングで7.0を超えて行く可能性が高いのではないか。まさかここまで大騒ぎを作ったのに前述の為替操縦国認定を受けてまたすぐ引っ込めるわけにはいかないだろう。

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この記事は投資行動を推奨するものではありません。