

米国の消費者物価指数(CPI)はヘッドラインで見てもコアで見ても高い伸びが続いている。6/10に発表された5月分CPIは前年比ヘッドラインでは2008年以来、コアに至っては1992年以来の高い伸びとなっている。しかし、6月に入りむしろインフレ警戒は市場であまり話題にならなくなったように感じられる。長期金利はタカ派なFOMCすら無視して低下が続く。本ブログが5月に既にこの上なく明確に断言したように「足元のインフレの数字の伸びはFedの見立て通り一時的である」との考え方が広く受け入れられつつあるようだ。
さて、足元の「中古車や家庭用調度品、航空運賃、衣料品」中心の物価上昇が明らかに一時的であり問題視するまでもないのは当然として、この山が通り過ぎた後に果たして物価上昇ペースは元の水準まで戻ってくれるのか。山の幅は2~3ヶ月から1年近くまで様々な見方があるが、1年以内に収束するならば誤差である。

完全に収束してしまうとどうなるか。1980年代以来、米国の政策金利ピークがサイクルごとに低くなってきた。前サイクルでは2018年年末に到達した2.5%(コリドー上限ベース)で折り返しており、2.5%までの利上げは失敗であったとの声が多い。とすれば今サイクルの引締めは2.5%にも到達できない可能性が高いということになる。2019年には一転して利下げが行われ、新型コロナが拡大する直前の政策金利は引下げサイクルの最中にあり1.75%であった。もし「一時的でないインフレ」が見られず今サイクルの利上げが前サイクルの着地点である1.75%程度で止まるなら、短期金利がそこまで上がるのに何年もかかることを考えると、その積分である10年金利にとって1.75%すら高すぎるということになってしまう。現に米国の長期金利は春に一時1.75%まで上昇していたのが、1.5%割れが定着してしまっている。30年金利は前サイクルピークでもありFed関係者が認識するロンガーラン金利でもある2.5%まで上昇したところで引き返した。足元の水準はそれこそ多くの市場参加者にとって「ポジション調整に伴う一時的な動き」と見なされているが、もし一時的でないインフレが来ないなら中長期的にも正当化されてしまう可能性を秘める。というわけで「一時的」の後の物価基調は死活問題になってくる。

ではコロナ前と何が「一時的でない」変わり方をしたのか。ヘッドライン物価ではコモディティインフレ(が挙げられる。コア物価は米国民の購買力に依存する。そして不動産と家賃の上昇で帰属家賃が上がるかどうか。インフレ期待による慣性。足元は長かったロックダウンと給付金でできた貯金で消費が盛り上がっており、小売り売上高は面積で見てもただのペントアップという以上に伸び続けている。売れていれば値上げしても許容されるのは自然な流れに見える。


コロナショック以来、大量の労働者が失業したが、彼らの収入は潤沢な失業保険加算(黄色)と給付金(赤)によって守られ、むしろ働いていた時期よりも収入が増え、それが後のインフレ―ショナリーな経済回復の動力になったのは常識である。しかしここで触れる価値があるのは、財政支援も一過性のものであるということである。正確には山は2回あった。2020年春のトランプ政権の失業保険加算及びそれが始まるまでの繋ぎとしての素早い給付金、そして2021年春の必要だったかどうかも良く分からないAmerican Rescue Planである。失業保険加算はその山以外の期間も労働者の収入をコロナ前以上の水準に保つのに役立ってきたが、人手不足が話題になるにつれてこれから撤廃されていく予定である。

であれば、消費もコア物価も収入が普段通りに戻るにつれて盛り下がっていくと考えるのは普通ではないか。もちろん貯金が増えたので、購買力のブーストがしばらく続くという考え方もできる。しかし、普段家計がやり繰りしている収入と比べて給付金の規模はそこまで大きくない。


個人貯蓄率の月次推移は概ね給付金収入と似たようなスペクトルを描くが、他にも外出制限による支出減など他の要素が加わっている。そろそろこの山々も終わるという中で、どれくらいお金が貯まったか計算するにはこのスペクトルの普段との差を足し合わせていけばよい。1-Saving Rateが普段の支出なのでそれと比べると、だいたい普段の年間支出の1割強を貯めたと思われる。CNNは超過貯蓄を米国のGDPの12%にあたる2.6兆ドルと表現した。複利を無視して非常に雑に表現すると、10年間の1%ずつの追加物価上昇に対して超過貯蓄は購買力を維持できる。従って「財政出動が一時的なのでインフレは一時的に決まっている」と決め付けるのは安直すぎると言えるものの、この数字が上限となる。
リカードの中立命題によるとばら撒きが結局増税で回収されると消費者が分かっているならばら撒きを消費に使うより貯蓄しておく行動に出やすいが、さすがにその議論はいくらなんでも時代遅れであり貯蓄率は再び低下するだろう。その上で、ここが米国であることを思い出す必要がある。Moodysによると超過貯蓄の2/3は収入トップ10%層に、3/4はトップ20%層に帰属する。富裕層はごっそり貯金を増やしたが彼らにとって超過貯蓄とは収入というより

このパラグラフはやや雑学となるが、購買力と混同してはならないのはマネーサプライである。確かにコロナショック後の強力な金融緩和によりM2は爆増した。雑な言い方をすると世の中にある米ドルを10ドル見つけたとして、そのうちの2ドルは昨年刷られたものである。世の中の物が増えていないのにお金が2割も増えたら物価も上がりそうなものだが、M2は消費や物価とは直接関係がない。貨幣数量は経済運営のツールの一つでしかなく、世の中の貨幣が多かろうと少なかろうと、消費に使えるのはあくまでも自分自身の貯蓄しかないからである。本来、失業保険としてばら撒かれた現金のうちの大半は元々労働で稼ぐ予定だったものであり、労働が消滅したので、仕方なく一回「給料支給」という決済を飛ばして直接現金が新たに作られて配られた。同じ収入に対して「仕事」が消滅したので当然貨幣回転率(流通速度、Velocity)は低下する。「M2が増えたのに流通していない」のではなく、先に経済活動のストップに伴って回転率が下がったのであり、GDPがそっくり下がらないように人為的にM2を増やして補填せねばならなかったのである。GDPが巡航速度に戻った後も、お金を使おうと思った時にM2が少なければ何度も回転させることになるし、多ければあえて回転させる必要がない。従ってM2が今の水準を維持したまま(実際これは次の信用収縮まで続くだろう)、回転率が元に戻ったら大変なことになるのではないかという心配は杞憂である。M2自身はGDPを産まないので、M2が一定のまま残るなら回転率は名目GDPによって決定されるだけであり、回転率そのものが意志を持って平均回帰するわけではない。回転率の逆数であるマーシャルのkの上昇についての議論も同様であり、両方元の水準に戻るのを前提としてお絵描きをすべきではない、というのがこの方面の議論の落ち着きどころになるのではないか。とすると経済の規模と比較して運用先を求める貨幣が過剰になるので、実質金利が低くとどまり続け資産価格が不安定化(バブル&バースト)しやすい、というシンプルな示唆になる。つまりM2の議論をすればするほど「低すぎる実質金利はいつか上がるに違いない」という主張を誤爆してしまう。

期待インフレによるインフレ加速説は更に取るに足らない。貯金がないのにテレビが値上がりしそうというだけで2台目のテレビを買って1台目の横に置くことはしない。ミシガン大学消費者信頼指数では回答者のインフレ期待は指数にマイナスに作用し、インフレ期待が鎮火すると指数は改善した。

残る物価上昇要因はコモディティインフレと帰属家賃である。輸入物価は上がっているが国際物流が完全に回復すれば上値を抑えられると思われる。中国主導ではインフレが来ないとは既に議論した。ここからの米金利は短期的にはただただコモディティを見ながらトレードされることになるか。こちらは供給サイドが政治で決定されるため方向は予想しづらいが、実質金利がマイナス深く留まるならば前サイクルと異なりコモディティの不安定さが独り歩きする可能性は残る。

残る伏兵はCPIの4割を占める帰属家賃である。これは少々マニアックな話題になってしまいよく調べないうちに方向の予想まではできないが、ノルデアは帰属家賃は実際の家賃にやや遅行して上がっていくと主張する。今のところ、これだけは活況である不動産バブルが帰属家賃に大々的に波及している形跡はなく、CPIの帰属家賃は春にボトムを打って反発を始めているところである。この波及のタイミングを予想するのは難しいが、ここからはベース効果もあってそこそこ盛り上がると思われ、もし不動産バブルが本格的に帰属家賃に波及してCPIが高止まりした場合はこれまで議論してきた「一時的なインフレ」との扱いが異なってくると思われる。もちろんFedは不動産価格だけを引締めることにそこまで熱心ではないが、それでも「米国はもう一度不動産バブルとバーストを経験するコストに耐えられない」とも発言しているくらいなので、仮に帰属家賃主導でCPIが高止まりしたら引締めを躊躇う理由はあまりなさそう。その時に長期金利がどう反応するかは中立金利次第となるが、いずれにしても物価の議論は中期的には賃金、帰属家賃とのにらみ合いに戻るか。
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