中国が12月に金融緩和に転換したのは周知の事実として、それがきちんとクレジット供給として実体経済に流れ込んでいるかどうかを測れるとされる、社会融資総額(TSF, Total Social Financing)の1月分が発表された。TSFには毎年1月がスパイクする「開門紅」と呼ばれるアノマリーがあり、1月に銀行が全力で貸出しを行うことになっている。この「開門紅」の温度感が今後1年間の貸出し態度を規定するとする声もある。もっとも実際には年半ばで方向が転換されることは珍しいものではなく、例えば2019年の1月分の爆増は好感されたものの、終わってみると他の月は全然伸びなかった。いずれにしろ、チャートを一目眺めても分かるように2020年、2021年と開門紅が伸び悩んだのに対し2022年1月は前年比+10.5%を付けており、クレジット緩和局面と認められやすい数字となっている。
前回の記事でも触れたように、12月の中央経済工作会議では明確に2022年のテーマを「穏(安定、Stability)」に置いた。正確には「穏字当頭、穏中求進」、つまり「穏(安定)」が最も重要であり、安定の中で前進を追求する、ということである。つまらない四字熟語はどうでもいい。要するに前回の記事でも触れたように火遊びの時間は終わり、後始末の時間が始まるのである。ボヤが燃やした家具を元通りにできるかどうかは当局の能力次第である。他の部局はともかく、少なくとも中央銀行である中国人民銀行(PBoC)の金融政策はそれに素早く反応している。恐らくずっとそうしたかったところを現政権の金融緩和嫌悪への警戒があってずっとできなかったのが実情であり、ようやく金融緩和の理論的支柱というか、後ろ盾を見つけたという形である。
金融政策では1/17から1/20にかけて更なる大規模な金利引下げが敢行された。実体経済の融資コストはあくまでもLPR(Loan Prime Rate)に連動する。12月のRRR cutがLRP 5bpの低下にしか繋がらなかったこと及びその仕組みは前回の記事で説明した。その上で「2022年の更なるLPR引下げを期待する声も大きいが、それにはMLF金利引下げ、リバースレポ金利引下げ、及び更なるRRR引下げのうちの少なくとも一つが必要である」としていたが、早速1/17にはMLF金利引下げとリバースレポ金利引下げがやってきた。限界的な調達コスト低下にしか変換されない預金準備率引下げと異なり、利下げは直ちにLPRに連動しない理由がない。12月分LPRは企業向け融資のベンチマークである1年ものだけが引き下げられ、住宅ローンに連動する5年ものは据置きとなり、当局の不動産政策に関して様々な憶測を呼んだが、1/20に発表される1月分LPRはあっさり1年ものと5年ものが同時に引き下げられた。副作用として国債金利の低下も観測された。
予想を超えるMLF, リバースレポ金利の同時引下げの翌日、PBoC副行長・劉国強(Liu Guoqiang)が国務院の記者会見で金融政策について述べたポエムが一時話題を呼んだ。曰く、我々はフォワードルッキングで動く必要があり、後回しにすると市場は期待が外れたと感じ、興味を失ってしまい「哀莫大於心死」となってしまう。一旦そうなるとその後の対策も大変になる。この故事成語は庄子の「夫哀莫大於心死、而人死亦次之」が出典で、世の中で最大の悲哀とは精神が死んでしまうことであり、それは肉体が死ぬよりも悲しいことである、という意味であり、まさに金融政策運営の神髄と言える。この中銀はこの政権にもったいない。
さて肝心なTSFの評価であるが、Bloombergのブレイクダウンを見ると銀行融資の増加が大半となっているが、これは開門紅アノマリーが銀行融資にしかないので当たり前である。
更に銀行貸出の内訳を見ると、住民向け貸出(上図左1)が大きく減少し、企業向け貸出(同左4)が大きく増加している形となる。住民向けは明らかに住宅ローンであり、激減しているのは不動産引締めの結果である。もっとも、これは2021年があまりにもブーストしたからであって、2020年までの伸びに戻ったと考えればそれまでである。企業向けの方は更に内訳が手形融資(左5)、短期融資(左6)、中長期融資(左7)に分けられており、明らかに短期の二項目の伸びが企業向け融資の伸びの大半を構成しており、中長期企業向け融資はむしろ足を引っ張っていることが分かる。これは銀行の貸出意欲の慎重さと企業側の融資需要の低さの双方を示唆する。不動産関連は総崩れになっており、銀行の与信リスク管理体制の担保信仰、不動産信仰、too big to fail信仰を考えると代替先がすぐに見つかるわけがないし、サプライヤーの借入れ需要も減速するに決まっている。もっとも、緩和サイクルの最初に慎重さが目立つのは当たり前であり、量さえ出ていればあえてケチを付けるほどでもない。中長期融資が戻ってきた後には金融政策の引締め方向への再転換が取り沙汰されるようになるが、今は政権の火遊びが開けた穴があまりも大きいので再転換は遠いだろう。
金融機関の融資利回り加重平均は総量規制が続いてきた個人向け住宅ローンだけが高止まりしており、他の融資利回りは低下が加速している。これは企業の借入れコストが低下したとも言える一方、銀行の金余り度合いと対比して借入れ需要が低迷していることを示唆する。中でも、クレジットリスクも限定される短期手形利回りの利回り低下が最も激しい。むしろ社債調達の堅調さが最もまともなグッドニュースである。
中身はともかく、TSFの数字を受けて海外勢が重視するクレジットインパルスも反発を始めた。これは中国発グローバルショックの可能性を低下させるものである。
一方、企業普通預金(活きた資金)を表現する指標として同じく海外勢に重視されるM1伸び率は恐らく史上初の前年比マイナスになった(上図)。もちろんこれは春節(2/1)前のボーナス払い出しが前年と異なり1月に起きたからであり、M1は例年1月~2月に山を作ったり谷を作ったりする。中国において個人貯蓄はM1に含まれないM2であり、ボーナス受け払いはM2内の異動でしかないためこのシーズナリティはM1特有である。しかし、シーズナリティのせいとはいえM1が史上初マイナスを付けたというのはベースラインの低さも示唆する。
歴史的にM1は居住用不動産の販売額と連動することが知られており、これは頭金の個人貯蓄(非M1・M2)から企業預金(M1)への移動が行われるからである。不動産販売は依然低調であり、M1は主に不動産企業の資金繰りが依然逼迫していることを示唆する。また企業は設備投資が近くなって初めて預金を仕組預金や定期預金(非M1・M2)から決済用資金口座(M1)に移動するので、M1の低迷は設備投資計画の低迷も反映する。もっとも、TSFに逆行するM1の低迷は金融緩和が必ずしも企業に行き届いていないことを示唆するのではないかという議論が、2015年や2018年年末など過去の似たような場面でも度々繰り返されてきたが、少なくとも過去の例ではM1は先行指標としてインプリケーションを持ったわけではない。むしろ、2017年あたりを最後に不動産緩和によって景気をブーストする手法が使われなくなるにつれて、今後もより一層M1は緩和局面でパッとしなくなると思われる。
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この記事は投資行動を推奨するものではありません。