原油高で元気があり余っているロシアがウクライナを軍事的に圧迫している。2021年後半から断続的にウクライナとの国境地帯に軍隊を集結させ、ベラルーシも巻き込んで演習を続けてきた。集結した軍隊の数は10万後半と言われており、これは旧ソ連末期の東欧に駐留していない二流非駐師団で言うと40個師団にあたり、第二次世界大戦終結後では最大規模の兵力動員である。そしてウクライナを散々包囲した後、ロシアはウクライナ東部の「ドネツク人民共和国とルガンスク共和国」の独立を承認し、ロシア軍が平和維持の名目で進駐した。一連の危機について基本的に日経新聞のまとめで十分だが、絡まっている問題がノルドストリーム2、ドンバス紛争、ドイツの天然ガス、NATO東方拡大とあまりにも多いので整理しようと試みた。整理しないと落としどころも分からない。
背景① NATOの東方拡大
NATOの東方拡大問題抜きにウクライナ問題を語ることはできない。ソ連の崩壊を受けてNATOは旧東側の衛星国、バルト三国を吸収し、バルト三国以外の旧ソ連の中でもウクライナとジョージアが加盟申請を出している。もしウクライナのNATO加盟を許せばロシアは、南下政策が始まって以来数百年ぶりの狭さまで敵国に恒常的に圧迫されることになる。ウクライナと国境紛争にでもなった日には北大西洋条約第5条に従いNATO全体が集団的自衛権を発動することになる。もちろんそれが嫌なのはロシアの都合にすぎず、加盟希望国から申請する形が続いている以上ロシアの人望のなさが表れているだけの話であるが、それだけロシアの反発の強さとウクライナの加盟阻止への決意の堅さは想像できる。ロシアに限らずいかなる大国も勢力圏を作りたがるし、自国の近くに強大な敵対勢力が出現するのを阻止しようとする。これはべき論とは関係ない現実であり常識である。
フランスのマクロン大統領に対してプーチン大統領がNATO東進への怨嗟を延々と語ったのは後述の恫喝行動の一環ではあるが明らかに本心である。NATO東進に限らず、民主化さえすれば国際社会が味方になるのもソ連の一方的な幻想でしかなく、ソ連を解体して得たものと言えばただ飢餓で寿命が縮んだだけであった。冷戦は終わったのではなく、片方がやり返す力と意志がなくなって一方的に陣地を取られ続けただけなのである。東西ドイツ統一を認めるのと引き換えに「NATOは東方に拡大しない」という約束が東西間であったが反故にされたとロシアはずっと主張しており、言った言わないの泥仕合になっている。
現在分かっていることは、NATOは旧ソ連の支配圏に踏み込むのに際し、新メンバーについて準加盟国を設けようとしたり、ロシアも包摂したPFP(平和のためのパートナーシップ)で代用しようと試みたりと、何かとロシアの勢力圏に配慮を示してきたことである。ロシアに言われなくても欧州は旧ソ連諸国から集団的自衛権を主張されたくない。関わりたいと思う方がおかしい。米国でさえ当初は拡大反対論が強かったが、その後EU拡大への対抗、また反ロシア感情が強い東欧系移民の票のために拡大推進に転換したのが史実である。騙されやすい幼稚なゴルバチョフはともかくエリツィンもどこかで「話が違う」と思ったに違いない。プーチン時代になると、2003年のバラ革命でジョージアの指導者になったサアカシヴィリが2008年に南オセチア紛争を始め、それに対してロシア軍が「必要以上の武力行使」を行ったことをきっかけに、ロシアとNATO及び加盟を希望する隣国の間で相互不信がスパイラル状に増幅するようになる。要するに全てカラー革命が悪い。
なお現実的に新たなNATO加盟はNATO側の全会一致で決まるのでハードルは低くない。少なくとも2021年年末時点で紛争を抱えたウクライナが申請しても断られるだろう。しかし、加盟拒否をNATOからロシアに向かってコミットすることは当然あり得ない。
背景② ガス紛争とノルドストリーム2
ロシアは天然ガスを豊富に産出し、ソ連時代から各加盟共和国に安く供給してきた。ドイツをはじめとする欧州の多くの国もロシアからの天然ガス輸入に大きく依存する。絶対額はともかく、天然ガスへの欧州各国の依存度は概ねロシアからの距離に反比例しており、各国のエネルギー政策は地理ほど決定要因にならない。ロシア産天然ガスの輸入は最近始まったものではなく、欧州向けパイプラインは1970年代に西ドイツの機材で作られたものである。西ベルリンに天然ガスを売るために東ドイツはベルリンの壁にも穴を開けた。それに対してレーガン政権の米国は建機の輸出禁止と制裁を持ち出して妨害した。欧州のソ連へのエネルギー依存に米国が反対する構図は実に50年近い歴史があり、例えばここ10年の流れにすぎないドイツの脱原発などと結び付けて批判するのは浅慮であることがよく分かるだろう。
ロシアと、パイプラインが通過するウクライナとの間で長らくガス紛争が続いた。これはソ連時代から天然ガスの廉価供給を加盟共和国を懐柔する道具にしてきたツケでもあり、政治色の痕跡をウクライナを通過して欧州に繋がる2本のパイプラインのネーミング「兄弟(Bratstvo, Brotherhoood)」「同盟(Soyuz)」に見出すことができる。ウクライナはオレンジ革命を経て脱ロシアを目指しながらも、ロシアからはしっかり欧州向けの半値ほどの「兄弟価格」で天然ガスを買い続け、ロシアが正常化を目指して値上げを言い出すたびに「親欧米になった政権への圧力」と宣伝して回った。大国の勢力圏内に位置する小国によく見られる現象でもあるが、ロシアにことあるごとに反発、ネガキャン、嫌がらせをしつつもロシアからの支援にどっぷりと依存する自身の立場には何ら違和感を持たなかったようである。ガス料金交渉の紛糾に加え、ウクライナ経済が長らく破綻状態だったこともあってガス料金滞納と無断抜き取りも多発し、そのたびに欧州向けのガス供給もストップし欧州が大きな被害を受けてきた。
ウクライナがパイプライン通過国としての信用をすっかり失ったことから、欧州とロシアはウクライナを迂回する新パイプライン、トルコストリームやノルドストリーム1、ノルドストリーム2を建設する。ノルドストリーム2稼働前でもウクライナを通過して西欧に送られる天然ガスは2010年の1,200億㎥から2021年の450億㎥まで落ち込んだ。ウクライナにとってパイプラインの通過料収入は一時年間30億ドルと歳入の7%を占めていたため、自国経由のパイプラインが廃止にでもなった日には大打撃を受けてしまう。従ってウクライナは全力でノルドストリーム2の稼働を阻止しないといけない。一方ロシアは言うまでもなく、大陸欧州も当然ノルドストリーム2をさっさと稼働させたい。
幸い、欧州のロシアへのこれ以上のエネルギー源依存には米国も反対しており、理由さえできれば米国は欧州に対してノルドストリーム2の稼働阻止に動いてくれる。米議会にも親ウクライナの味方がいるし大統領の息子を「雇用」したこともある。ウクライナ・パイプラインを通過する天然ガスが減はすためのノルドストリーム2なら輸入総量は増えないから別にエネルギー依存は高まらないのではないか、などと余計なことを言ってはならない。とにかくキーボードで経済安全保障と打つと「ヨシッ」と元気が出る時代なのである。
背景③ クリミア紛争
天然ガスと同様、ソ連が残したもう一つの禍根はクリミア半島の帰属である。ロシアが露土戦争に勝ってクリミア・ハン国を併合しクリミア半島を獲得したのは1783年であり、それから1954年に至るまでクリミア半島は何の疑念もなくロシアであった。住民の大半は今もロシア語を話す。クリミア半島にはかつて激戦地になった軍港・セヴァストポリもある。それをフルシチョフが全くどうでもいい理由でソ連邦の内部でロシア社会主義共和国からウクライナ社会主義共和国に移譲したのである。ソ連が崩壊するとクリミア住民はウクライナからの独立を目指すようになる。とはいえウクライナ・ロシア関係が悪くない間は大して問題にならず、ロシアはクリミア帰属問題を特段蒸し返さないままセヴァストポリを租借し続けた。
ところが2014年にユーロマイダン運動で再び親露政権が打倒されると、クリミアはついに住民投票を行って独立とロシアへの編入を宣言する。オバマ大統領も認めたように親露政権の打倒には米国当局が関与しており、一方そのリアクションであるクリミア併合は当然ロシア主導であったに違いない。これでロシア・ウクライナ関係は決定的に悪化した。1954年に譲渡してもらっただけとはいえウクライナとしては思い入れがないわけがない。要するに全てカラー革命が悪い。
背景④ ドンバス紛争
クリミアと違ってもはや歴史的な正統性は皆無ながらもロシア語を話す住民が多いドンバス地方でも、クリミアに追随する動きが起きた。ウクライナ東部のドネツク州とルガンスク州を合わせてドンバス地方と呼ぶ。2014年5月に行われた州ごとの住民投票でそれぞれ「独立」賛成が多数だったと言われているが当然ウクライナ政府にも国際社会にも認められず、その後両州の一部をそれぞれドネツク人民共和国とルガンスク人民共和国と自称する分離主義者が支配し、8年近く内戦が続いている。内戦にはロシア軍が隠然と介入し続けた。2015年にはミンスク合意が結ばれ、停戦と両人民共和国の自治権拡大が定められたが、それはややウクライナにとって不利な合意であり内戦を止めるには至らなかった。
ガス紛争はともかく、後半の二つの紛争を背景にウクライナがNATO加盟プロセスを加速させようとするのは自然な流れである。もともとこの試みはウクライナの独立以来ずっと断続的に続いてきたものであり、親ロシアの大統領が当選するたびに非同盟方針(フィンランド化)への方向修正が試みられたが、さすがに2014年以降それもあり得なくなり2019/2/7にウクライナ議会はEUとNATO加盟を目指す憲法修正を行った。更に、2021/3/24にウクライナのゼレンスキー大統領が「クリミア自治共和国とセヴァストポリ市の一時的に占領された領土の占領解除と再統合の戦略」を承認する政令第117/2021号(Ukraine’s National Security and Defense Council Decree No.117/2021)に署名したことが、恐らく2021年の一連の危機の直接的なきっかけになった。これは「外交的、軍事的、経済的など様々な手段を用い、クリミア自治共和国とセヴァストポリ市の解放、再統合を通じてウクライナの主権と領土保全を回復 "the strategy defines a set of diplomatic, military, economic, informational, humanitarian and other measures aimed at restoring the territorial integrity, state sovereignty of Ukraine within its internationally recognized borders through the de-occupation and reintegration of Crimea."」を目指すと規定するものである。既にクリミアを自国領と認識しているロシアからするとこれは侵略の意図を表明するものに見えるだろう。憲法に書き込んだNATO加盟と組み合わせるとロシアにとって恐ろしい脅威になる。
もちろんウクライナがロシア侵略を企てているとまで主張するわけではない。本ブログは常に民族自決と独立のための住民投票を否定する。それはNATOがユーゴスラビア連邦を侵略し解体させた時から続く。現代において民族同士の居住地域はモザイク状に混在しているのが普通であり、例えばユーゴスラビア連邦からボスニア・ヘルツェゴビナが民族自決で独立するのが正当なら、その領域内に含まれたセルビア人がスルプスカ共和国として更に独立するのも当然同じくらい正当であり、更にその領域内の、と考えていくと最終的に全ての多民族国家は村単位まで分解され得る。この民族自決スパイラルを断ち切るためにはフラクタルのどこかで線引きを行う必要があり、当然その役割は(どのような経緯で決定されたにせよ)現在の主権国家の国境線が果たす。ウクライナ憲法73条が「領土変更は国民投票によってのみ議決することができる」としているのを本ブログは擁護する。民族自決が提起されてから100年以上経つが、それは常に列強が気に入らない多民族国家――帝国であったり連邦制の反米国家であったり――を解体するのに恣意的に利用されてきただけであり、列強の植民地には適用されて来なかったし、ヒトラーにも利用された。異民族が固まって住むエリアは民族自決してしまう恐れを常に孕むため民族浄化の原因にもなったし、民族自決で達成した独立をきっかけに残った他民族住民への民族浄化も行われた。近年のロシアによるウクライナ、ジョージアにおける民族自決の利用は痛快な仕返しではあるが、弟分ユーゴスラビアの怨念を晴らした以上の建設的な意義はない。
21世紀にもなって宣戦布告して相手国の首都まで攻め込むのはさすがに珍しくなっており、大半の紛争は偶発的に始まり国境地帯でグダグダと続くものである。まさか衆目環視の下でウクライナほどの大国を併合することはできない。従ってゼレンスキーは積極的に危機を演出することはあっても怖がることはない。紛争になったらなったで弱いウクライナが被害者なのは明らかであり、それを理由に米国がノルドストリーム2を稼働停止に追い込んでくれる。それに対し、ロシア軍がウクライナ国境に大部隊を展開させたのは教科書的な威嚇行為であった。孫子の兵法で言うと不戦屈敵の試みに当たる。SNSや人工衛星を通して世界中から丸見えになっても気にしないのは威嚇だからだし、会談に来た諸外国の指導者に対しても安心感を与えようとする気がまるでないのも威嚇だからである。逆にもし本当に大規模な軍事行動を始めたいのなら電撃的に始めるのが合理的であるし、国際社会を油断させておく方が都合がいいのである。
受けた側は威嚇にどう対抗すべきか。ウクライナとゼレンスキーにとっては踏ん張りどころとなる。ゼレンスキー本人がプーチンを張り子の虎と信じていても、国民が先にパニックに陥ったら一巻の終わりである。幸い、そこで世論が変わるようならポピュリスト・ゼレンスキーは大統領になっていない。先に怖くなった欧州から売り飛ばされることもあり得る。威嚇への最良の、そして唯一の防衛策はとにかく大声を上げ続けてより多くの大国を巻き込むことである。
巻き込まれる側の温度感はバラバラである。ロシアとの戦争を決断できる国は存在しないが、ロシア軍の展開がウクライナへの威嚇にすぎないことを西側諸国は瞬時に見抜けただろう。米国にはロシアの愚行はノルドストリーム2を葬り去る好機にしか見えなったはずだ。米国は遠く離れているので最も自由に紛争を拡大させることができ、経済制裁にしろ難民流入にしろ、被害を被るのは地理的に近い欧州という構図は冷戦終結後の様々な紛争で続いてきた。今回も例外ではない。イギリスはドイツよりロシア産ガスへの依存度が低いので米国と同様、ロシアの威嚇を思う存分政治ショーに利用できる。首相のクリスマスパーティスキャンダルはどうでもよくなった。米国は「2/16にロシアはウクライナに本格侵攻する」と煽り返した。2/16は明らかに適当に設定された日付であり、本当にそのような情報を入手できていたらその能力を公開すること自体が危険である。これでロシアが本当に軍事行動に出れば図星になるし、出なければ「米国の逆威嚇がロシアに思いとどまらせた」と宣伝できる。何も起きないまま2/16をすぎるとただの泥仕合になった。独仏は紛争になったらノルドストリーム2どころではなくなるのでかなり真面目に調停に尽力し、それはウクライナにもNATO加盟での譲歩を迫るものであり、ロシアも一度それに応じて国境地帯から軍隊の撤収を始めたが、そのままウクライナが欧州によって売り飛ばされると困るので米国は「ロシア軍は撤収していない」と発信して緊張状態の維持に努めた。かと言って大がかりに撤収するとウクライナが勢い付いて威嚇が効かなくしまう。振り上げた拳のおろし方は案外難しいのである。そしてプーチンは見事に失敗した。
威嚇、威嚇とは言うものの、敵国ウクライナに不快な思いをさせる以外のロシアの具体的な目標は今ひとつ明瞭ではない。羅列すると①ウクライナのクリミア奪還を諦めさせる ②ウクライナのNATO加盟を阻止する ③ドネツク人民共和国とルガンスク人民共和国への支援 ④米欧間の温度差を利用して亀裂を入れる ⑤資源価格高騰の持続あたりだろうか。①についてクリミア奪還作戦は明らかにいま顕在化したリスクではない。少なくとも②NATO加盟以降の話である。②はロシアにとって最重要であるがこちらも差し迫ってはいない。③をやられながらウクライナが昔のように親ロシアに戻るはずがないので、②を諦めさせるには恫喝が効く必要がある。欧州側の調停もあり一度はNATO加盟を目指すウクライナ側の決心が揺らいだようにも見えたが結局上手くいかなかった。②を目指したいなら③は明らかに余計なのである。④は最初は上手くいったが時間が経ちすぎて失敗した。⑤は明らかに主目的ではないが、どう転んでも最悪⑤は達成できる、のようなものが一つあるととても決断しやすくなる。全ての目的を並べてみてもやはりロシアが今すぐ軍事行動を起こす必要性に迫られているように見えないが、にもかかわらずそうなっているのは恐らくロシアがあくまでもゼレンスキーの煽りに受動的にリアクションする側だからである。
⑥としてノルドストリーム2の運営開始も挙げられるだろうが、これは威嚇でむしろ遠ざかる。ノルドストリーム2はウクライナの人質なのである。逆境ながらウクライナ側の当面の国家戦略はロシアより遥かに明快であり、①'ノルドストリーム2の稼働開始を妨害する ②'NATOに加盟する ③'ドンバス地方の叛乱軍を平定する ④'クリミア半島の奪還、の4つである。
ところで、前述のように民族紛争の構図はフラクタルである。国際社会を巻き込むのがウクライナの基本戦略になるのが必然であるのと同じように、ウクライナ軍の掃討作戦と対峙するドネツク人民共和国とルガンスク人民共和国にとっても、いかにロシアを完全に内戦に引きずり込むかが基本戦略である。民族問題において海外の注目を集めるのに最も手っ取り早いのは民族浄化の懸念を大声で発信することである。偽旗作戦も頻繁な使われたがそれも叛乱軍の独創ではなく、世界中で常に粗雑なジェノサイド捏造が行われている。「対立の鍵」などと言われているが、元々ロシアにとって両人民共和国には明らかにクリミアほどの重要性はなく、敵国ウクライナを消耗させ不安定化させるカードにすぎなかった。それはロシアが両人民共和国の住民にロシア・パスポートを配る一方、長らく両人民共和国の独立を承認して来なかったことからも分かる。
しかしウクライナが西側の犬でないのと同様、ドネツク人民共和国とルガンスク人民共和国にも立場がある。プーチンとゼレンスキーが盛り上げたウクライナとの対立に乗じて両人民共和国はついに念願だったロシアの独立承認とロシア軍の本格介入を引き出すことに成功した。両人民共和国の承認はロシア議会(Duma)からプーチンに突き付けられた。プーチンは一度は否定したと言われているが結局押し通された。ウクライナ全体を包囲しての威嚇なら何らかの合意に達して撤収ということもあり得たが、どちら側からか分からない砲撃など、2/16を境に舞台がウクライナ北方国境から両人民共和国にシフトした時点からプレーヤーが変わるので不確実性は増していた。
プーチンは実戦にならない程度の軍隊動員を通して芸術的にウクライナと欧米を威圧、翻弄する算段だったに違いないが、両人民共和国そしてドゥーマという自分がコントロールできないプレーヤー達のせいで台無しになった。最大一石五鳥まで皮算用していたところ、最も思い入れが薄かった、というより元々既に手に入れていた③だけが手元に残り(おまけにカードとしても使えなくなった)、芸術的な威圧行動もただの極悪人の侵略行動の前座になったのである。米英とウクライナがどう脅威を煽ろうと、自国内で軍事演習を行うのはその国の自由であるが、軍隊が国外に出ていくとなると性質が変わる。ロシアが両人民共和国の独立を承認し、ロシア軍が平和維持の名目で両人民共和国に進駐したことにより、元々ウクライナが不満気味だったミンスク合意は完全に破棄された。
落としどころとして様々なシナリオが考えられた。マクロン大統領が独仏を代表して匂わせたウクライナの中立化(憲法改正によるNATO加盟取下げ)は最もロシアを満足させられるものであり、まとまれば直ちに今回の一件は解決されるのだが、西側とウクライナから批判と妨害を受けた。それとノルドストリーム2の凍結のバーターは(欧州にとってメリットがあまりないものの)時間を掛ければあり得たかもしれない。逆に結果的に起きた事象、ノルドストリーム2を葬るバーターが両人民共和国の独立だったのなら、ロシアは得しないし米国もわざわざそれを言い出す理由がない。欧州から言い出すはずもない。従って今の状況は何らかの落としどころに到達したわけではない。むしろミンスク合意もなくなったので一から作り直さないといけない。
今後について。両共和国が支配していない両州領域までは不安が残るものの、キエフをはじめとするウクライナ本土は常に安全であったが引続き安全と思われ、更にウクライナはしばらくノルドストリーム2から守られる。奪還できそうにないクリミアと既に支配していない両人民共和国に対してウクライナがどれだけ思い入れを持っているのか不明であるが、もし「肉を切らせて骨を断ってやった」と割り切れれば今回の展開はウクライナの大勝利である。ノルドストリーム2紛争をガス紛争の延長のようなものだったと解釈すれば一方の目的は既に達せられた。残りの展開は誰から見ても極悪人になったロシアを米国がどこまで罰したいかの気分次第である。軍事介入で兵士を失わない、また原油価格高騰を招かない範囲内でどう行動すれば中間選挙で有利になるか。
いずれにしろ西側とロシアの大規模な軍事衝突の可能性は引続き低いものの、ロシアに対する西側の経済制裁の強弱に一喜一憂する時間帯が続きそうである。ロシアは2014年のクリミア併合以来西側から経済制裁を受けており、外貨建て債務の割合は抑制されている。今は原油高のおかげで外貨準備も積み増しており多少の追加制裁では破綻しなさそうなので、追加制裁の影響は主に貿易相手国が受けることになりそうである。追加制裁の一環としてロシアをSWIFT決済網から排除する議論も出ており、「SWIFTから排除すればロシア経済が即死する」とこれまた発声するだけでアドレナリンが出るものだが、資源を輸入する側から米ドル決済を遮断したらどうなるか興味深い。
もちろんウクライナがロシア侵略を企てているとまで主張するわけではない。本ブログは常に民族自決と独立のための住民投票を否定する。それはNATOがユーゴスラビア連邦を侵略し解体させた時から続く。現代において民族同士の居住地域はモザイク状に混在しているのが普通であり、例えばユーゴスラビア連邦からボスニア・ヘルツェゴビナが民族自決で独立するのが正当なら、その領域内に含まれたセルビア人がスルプスカ共和国として更に独立するのも当然同じくらい正当であり、更にその領域内の、と考えていくと最終的に全ての多民族国家は村単位まで分解され得る。この民族自決スパイラルを断ち切るためにはフラクタルのどこかで線引きを行う必要があり、当然その役割は(どのような経緯で決定されたにせよ)現在の主権国家の国境線が果たす。ウクライナ憲法73条が「領土変更は国民投票によってのみ議決することができる」としているのを本ブログは擁護する。民族自決が提起されてから100年以上経つが、それは常に列強が気に入らない多民族国家――帝国であったり連邦制の反米国家であったり――を解体するのに恣意的に利用されてきただけであり、列強の植民地には適用されて来なかったし、ヒトラーにも利用された。異民族が固まって住むエリアは民族自決してしまう恐れを常に孕むため民族浄化の原因にもなったし、民族自決で達成した独立をきっかけに残った他民族住民への民族浄化も行われた。近年のロシアによるウクライナ、ジョージアにおける民族自決の利用は痛快な仕返しではあるが、弟分ユーゴスラビアの怨念を晴らした以上の建設的な意義はない。
21世紀にもなって宣戦布告して相手国の首都まで攻め込むのはさすがに珍しくなっており、大半の紛争は偶発的に始まり国境地帯でグダグダと続くものである。まさか衆目環視の下でウクライナほどの大国を併合することはできない。従ってゼレンスキーは積極的に危機を演出することはあっても怖がることはない。紛争になったらなったで弱いウクライナが被害者なのは明らかであり、それを理由に米国がノルドストリーム2を稼働停止に追い込んでくれる。それに対し、ロシア軍がウクライナ国境に大部隊を展開させたのは教科書的な威嚇行為であった。孫子の兵法で言うと不戦屈敵の試みに当たる。SNSや人工衛星を通して世界中から丸見えになっても気にしないのは威嚇だからだし、会談に来た諸外国の指導者に対しても安心感を与えようとする気がまるでないのも威嚇だからである。逆にもし本当に大規模な軍事行動を始めたいのなら電撃的に始めるのが合理的であるし、国際社会を油断させておく方が都合がいいのである。
受けた側は威嚇にどう対抗すべきか。ウクライナとゼレンスキーにとっては踏ん張りどころとなる。ゼレンスキー本人がプーチンを張り子の虎と信じていても、国民が先にパニックに陥ったら一巻の終わりである。幸い、そこで世論が変わるようならポピュリスト・ゼレンスキーは大統領になっていない。先に怖くなった欧州から売り飛ばされることもあり得る。威嚇への最良の、そして唯一の防衛策はとにかく大声を上げ続けてより多くの大国を巻き込むことである。
巻き込まれる側の温度感はバラバラである。ロシアとの戦争を決断できる国は存在しないが、ロシア軍の展開がウクライナへの威嚇にすぎないことを西側諸国は瞬時に見抜けただろう。米国にはロシアの愚行はノルドストリーム2を葬り去る好機にしか見えなったはずだ。米国は遠く離れているので最も自由に紛争を拡大させることができ、経済制裁にしろ難民流入にしろ、被害を被るのは地理的に近い欧州という構図は冷戦終結後の様々な紛争で続いてきた。今回も例外ではない。イギリスはドイツよりロシア産ガスへの依存度が低いので米国と同様、ロシアの威嚇を思う存分政治ショーに利用できる。首相のクリスマスパーティスキャンダルはどうでもよくなった。米国は「2/16にロシアはウクライナに本格侵攻する」と煽り返した。2/16は明らかに適当に設定された日付であり、本当にそのような情報を入手できていたらその能力を公開すること自体が危険である。これでロシアが本当に軍事行動に出れば図星になるし、出なければ「米国の逆威嚇がロシアに思いとどまらせた」と宣伝できる。何も起きないまま2/16をすぎるとただの泥仕合になった。独仏は紛争になったらノルドストリーム2どころではなくなるのでかなり真面目に調停に尽力し、それはウクライナにもNATO加盟での譲歩を迫るものであり、ロシアも一度それに応じて国境地帯から軍隊の撤収を始めたが、そのままウクライナが欧州によって売り飛ばされると困るので米国は「ロシア軍は撤収していない」と発信して緊張状態の維持に努めた。かと言って大がかりに撤収するとウクライナが勢い付いて威嚇が効かなくしまう。振り上げた拳のおろし方は案外難しいのである。そしてプーチンは見事に失敗した。
威嚇、威嚇とは言うものの、敵国ウクライナに不快な思いをさせる以外のロシアの具体的な目標は今ひとつ明瞭ではない。羅列すると①ウクライナのクリミア奪還を諦めさせる ②ウクライナのNATO加盟を阻止する ③ドネツク人民共和国とルガンスク人民共和国への支援 ④米欧間の温度差を利用して亀裂を入れる ⑤資源価格高騰の持続あたりだろうか。①についてクリミア奪還作戦は明らかにいま顕在化したリスクではない。少なくとも②NATO加盟以降の話である。②はロシアにとって最重要であるがこちらも差し迫ってはいない。③をやられながらウクライナが昔のように親ロシアに戻るはずがないので、②を諦めさせるには恫喝が効く必要がある。欧州側の調停もあり一度はNATO加盟を目指すウクライナ側の決心が揺らいだようにも見えたが結局上手くいかなかった。②を目指したいなら③は明らかに余計なのである。④は最初は上手くいったが時間が経ちすぎて失敗した。⑤は明らかに主目的ではないが、どう転んでも最悪⑤は達成できる、のようなものが一つあるととても決断しやすくなる。全ての目的を並べてみてもやはりロシアが今すぐ軍事行動を起こす必要性に迫られているように見えないが、にもかかわらずそうなっているのは恐らくロシアがあくまでもゼレンスキーの煽りに受動的にリアクションする側だからである。
⑥としてノルドストリーム2の運営開始も挙げられるだろうが、これは威嚇でむしろ遠ざかる。ノルドストリーム2はウクライナの人質なのである。逆境ながらウクライナ側の当面の国家戦略はロシアより遥かに明快であり、①'ノルドストリーム2の稼働開始を妨害する ②'NATOに加盟する ③'ドンバス地方の叛乱軍を平定する ④'クリミア半島の奪還、の4つである。
ところで、前述のように民族紛争の構図はフラクタルである。国際社会を巻き込むのがウクライナの基本戦略になるのが必然であるのと同じように、ウクライナ軍の掃討作戦と対峙するドネツク人民共和国とルガンスク人民共和国にとっても、いかにロシアを完全に内戦に引きずり込むかが基本戦略である。民族問題において海外の注目を集めるのに最も手っ取り早いのは民族浄化の懸念を大声で発信することである。偽旗作戦も頻繁な使われたがそれも叛乱軍の独創ではなく、世界中で常に粗雑なジェノサイド捏造が行われている。「対立の鍵」などと言われているが、元々ロシアにとって両人民共和国には明らかにクリミアほどの重要性はなく、敵国ウクライナを消耗させ不安定化させるカードにすぎなかった。それはロシアが両人民共和国の住民にロシア・パスポートを配る一方、長らく両人民共和国の独立を承認して来なかったことからも分かる。
しかしウクライナが西側の犬でないのと同様、ドネツク人民共和国とルガンスク人民共和国にも立場がある。プーチンとゼレンスキーが盛り上げたウクライナとの対立に乗じて両人民共和国はついに念願だったロシアの独立承認とロシア軍の本格介入を引き出すことに成功した。両人民共和国の承認はロシア議会(Duma)からプーチンに突き付けられた。プーチンは一度は否定したと言われているが結局押し通された。ウクライナ全体を包囲しての威嚇なら何らかの合意に達して撤収ということもあり得たが、どちら側からか分からない砲撃など、2/16を境に舞台がウクライナ北方国境から両人民共和国にシフトした時点からプレーヤーが変わるので不確実性は増していた。
プーチンは実戦にならない程度の軍隊動員を通して芸術的にウクライナと欧米を威圧、翻弄する算段だったに違いないが、両人民共和国そしてドゥーマという自分がコントロールできないプレーヤー達のせいで台無しになった。最大一石五鳥まで皮算用していたところ、最も思い入れが薄かった、というより元々既に手に入れていた③だけが手元に残り(おまけにカードとしても使えなくなった)、芸術的な威圧行動もただの極悪人の侵略行動の前座になったのである。米英とウクライナがどう脅威を煽ろうと、自国内で軍事演習を行うのはその国の自由であるが、軍隊が国外に出ていくとなると性質が変わる。ロシアが両人民共和国の独立を承認し、ロシア軍が平和維持の名目で両人民共和国に進駐したことにより、元々ウクライナが不満気味だったミンスク合意は完全に破棄された。
落としどころとして様々なシナリオが考えられた。マクロン大統領が独仏を代表して匂わせたウクライナの中立化(憲法改正によるNATO加盟取下げ)は最もロシアを満足させられるものであり、まとまれば直ちに今回の一件は解決されるのだが、西側とウクライナから批判と妨害を受けた。それとノルドストリーム2の凍結のバーターは(欧州にとってメリットがあまりないものの)時間を掛ければあり得たかもしれない。逆に結果的に起きた事象、ノルドストリーム2を葬るバーターが両人民共和国の独立だったのなら、ロシアは得しないし米国もわざわざそれを言い出す理由がない。欧州から言い出すはずもない。従って今の状況は何らかの落としどころに到達したわけではない。むしろミンスク合意もなくなったので一から作り直さないといけない。
今後について。両共和国が支配していない両州領域までは不安が残るものの、キエフをはじめとするウクライナ本土は常に安全であったが引続き安全と思われ、更にウクライナはしばらくノルドストリーム2から守られる。奪還できそうにないクリミアと既に支配していない両人民共和国に対してウクライナがどれだけ思い入れを持っているのか不明であるが、もし「肉を切らせて骨を断ってやった」と割り切れれば今回の展開はウクライナの大勝利である。ノルドストリーム2紛争をガス紛争の延長のようなものだったと解釈すれば一方の目的は既に達せられた。残りの展開は誰から見ても極悪人になったロシアを米国がどこまで罰したいかの気分次第である。軍事介入で兵士を失わない、また原油価格高騰を招かない範囲内でどう行動すれば中間選挙で有利になるか。
いずれにしろ西側とロシアの大規模な軍事衝突の可能性は引続き低いものの、ロシアに対する西側の経済制裁の強弱に一喜一憂する時間帯が続きそうである。ロシアは2014年のクリミア併合以来西側から経済制裁を受けており、外貨建て債務の割合は抑制されている。今は原油高のおかげで外貨準備も積み増しており多少の追加制裁では破綻しなさそうなので、追加制裁の影響は主に貿易相手国が受けることになりそうである。追加制裁の一環としてロシアをSWIFT決済網から排除する議論も出ており、「SWIFTから排除すればロシア経済が即死する」とこれまた発声するだけでアドレナリンが出るものだが、資源を輸入する側から米ドル決済を遮断したらどうなるか興味深い。
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