ロシア・ウクライナ紛争は意外な長期化を見せている。戦局自体は前回の記事の延長上で推移している。キエフ~チェルニーヒウ~ハリコフ間について本ブログは早々に「これ以上の戦闘継続はロシアにとって困難かつ無益である」としていた。またキエフ戦線が主戦場でもなくなっており、南部ではロシア軍による占領地拡大が進んでおり、特にマリウポリの攻防が今後の停戦を含めた戦局の鍵を握るとしていた。マリウポリは今でも激戦が続いており、本ブログが懸念していた人道危機は激しくなりつつある。そしてキエフ~ハリコフ間のロシア軍はもう詰んでいるので早期停戦を期待していたのだが、その後半月経っても停戦協議こそ頻繁に開かれたものの停戦とはならず、かと言ってその間何か打開策を講じたわけでもなかったので、キエフ~ハリコフ間で停滞していたロシア軍はただの反撃の目標に落ちぶれている。
前回の記事では「いずれやってくるこのタイミングでの定石は敵より早く強大な予備兵力を投入すること」としていたが、膠着している間に西部に駐屯していたウクライナ軍予備兵力は戦場に到着したようだ。戦前リヴィウに駐屯していた第10山岳強襲旅団がキエフ近郊に投入されたのがSNSで確認できる。同じく戦前リヴィウに駐屯していた第80空中強襲旅団は南部に向かいムィコラーイウ攻防戦に参加している。ポーランド国境にも近いリヴィウに3/13にロシア軍が牽制のミサイル攻撃を加えたが増援の妨害にはなっていない。更に時間が経つにつれて予備役を動員した国土防衛軍の編成も進んでいる。もちろん敵に決定的な反撃を加えられる機甲部隊が湧いて出たわけではないが、各戦場の防御線の強化くらいは造作ない。
ロシア軍の増援は全国の軍事拠点からかき集められている。ノルウェーとフィンランドに近いバレンツ海の原潜基地ムルマンスクを守る3個旅団のうち、第200自動車化狙撃旅団と第61海兵旅団は既にウクライナ戦場に投入され、第80北極自動車化狙撃旅団だけがNATO軍の目と鼻の先で北方艦隊の原潜基地を守っている。
3/16にアリゲーター級戦車揚陸艦などロシア軍艦4隻が津軽海峡を東から西に通過して話題になったが、その積み荷はカムチャツカ半島のペトロパブロフスクから動員された太平洋艦隊第40海兵旅団の車両とされる。ウラジオストクの太平洋艦隊第155海兵旅団も動員され、極東で動員がかかっていないのは択捉・国後に駐屯する第18機関銃砲兵師団を含むサハリンの第68軍くらいである。ポーランドとリトアニアに挟まれた飛び地カリーニングラードからはバルチック艦隊第336親衛海兵旅団の一部が動員されている。リトアニアやポーランドを通ってベラルーシには行けないのでバルチック艦隊海兵隊のBTGは遠くサンクトペテルブルク経由で前線に向かったと思われる。NATO軍と対峙する最前線であるムルマンスクとカリーニングラードの防衛すら極限まで手薄にしているので、今のしょっぱい増援を第2陣として第3陣の候補はもはやどこを探しても見つからない。徴兵を戦場に送り出すのがこんなに難しい中、予備役動員など考えるだけで頭が痛いだろう。
ロシア軍の兵員補充の難しさは前回の記事で徴兵比率の高止まりから既に論じた。何なら第1陣も兵員が足りていない。前回記事で完膚なきまでこき下ろしたBTG(大隊戦術群)についても、国境を跨げない新兵が多い中で志願兵だけで戦えるBTGを組成していくしかなかったのが実態だったようである。21世紀に入ってからロシアの財政体制が極めて健全であったことが知られているがその裏で軍事費にはケチであり、軍事費は海外での大規模な戦争を可能にするものではなかった。防衛戦争ではいざ不利になったら戦術核を使えばよいと恐らく割り切ってきた一方、まさか陸軍が外国に侵攻する必要が出て来るとは思えなかったのである。税務官僚出身のセルジュコフ元国防相(2007~2012年在任)は大規模戦争の蓋然性の低下を前提に「小規模な地域紛争に対応できるような即応性の高いプロフェッショナルな軍事力の構築」と称して大がかりな軍縮を行いソ連軍時代の師団を旅団に格下げした。浮いた経費でハイテク装備を導入しながら旅団に「即応性の高い師団」の役割を要求し、BTGには旅団や連隊のそれを負わせるつもりだった。後任のショイグ国防相は隣国ウクライナの猛烈な軍拡に対抗する形で旅団を再び師団に格上げし始めたが、クリミア戦争後の原油価格低迷で軍事費が削られ始めると一部の格上げは書類上のものにとどまり徴兵比率も高止まりしたので、徴兵を放置して旅団の中の戦える兵員を数個のBTGに濃縮せざるを得なかった。特に今回は徴兵を海外の実戦に出せないので尚更である。一部の徴兵を演習中に給料で釣って志願させたものの、元々これら新兵は海外での実戦を想定した訓練を物理的にも心理的にも受けていないので、初陣で我々がSNSで見かけるような体たらくになるのは当たり前である。
本ブログはロシア軍の志願兵不足に注目してきたのでロシア軍を旧ソ連軍のイメージから分離し、今回の紛争をあくまでも20万対20万の陸戦として描いてきた。ウクライナ軍による誇張を抜きにしても高級将校の戦死が目立ったのはソビエト軍時代からの指揮官先頭の伝統だけでなく、旅団司令部の将校達がBTGに詰め込まれて大隊を指揮することになったからである。一方、上の経緯から明らかに志願兵が装備より希少なので、国境を越えられなかった徴兵分の装備は国境の向こう側で余っていると思われ、そういう意味で予備車両が部品の横流しで使えなくて困った云々の話は眉唾であり、車両や装備の損失からの回復力はさすがにロシア軍に一日の長があるだろう。「素人は戦略を語り、プロは兵站を語る」とまで言われていた補給の話題も、結局開戦して一ヶ月経ってもロシア軍は敵地で動き回っているのですっかり盛り下がっている。
さて戦況。ロシア軍はキエフ近郊から撤収しつつある。キエフ北西のドニエプル川西岸に展開しているのは相変わらず元64キロ車列、第29, 35, 36諸兵科連合軍の非駐三兄弟である。キエフの真北にあたるドニエプル川沿岸部はウクライナ軍がダムを破壊して水浸しにしたので、ロシア軍はその横のイルピン、ブチャを突破しないとキエフに辿り着けなかった。ブチャは3/14に陥落したもののイルピンは最後まで持ちこたえ、3月最終週に始まった反撃でウクライナ軍が完全に奪還した。ロシア軍はキエフ近郊のウクライナ軍防衛線の外側を南に向かって迂回し、キエフの包囲と突破口探しを試みていたが、北西から反撃を受けつつある中ではそういった試みも限界を迎える。ロシア軍に各戦線を統括する総指揮官が見当たらない(理論的には陸軍総司令官オレグ・サリュコフ上級大将が務めるに決まっているがこの人物はまるで存在感がない)のが話題だが、この方面に限ってはシベリア非駐三兄弟の上司である東部軍管区司令官アレクサンドル・チャイコ中将が指揮しているのが判明している。
キエフ北東部、ドニエプル川東岸戦線は第90親衛戦車師団の一部がキエフ市中心から15キロのブロバルイに進出したのがピークとなった。その攻勢の失敗もって本ブログが早くも「チェルニーヒウ周辺のウクライナ軍が健在であり安全な後方を確保できていない中でのドニエプル川東岸のロシア軍の強引な前進は明らかに限界点に達した」と断言した通り、その後ドニエプル川東岸でも西岸でもロシア軍はキエフ市中心から25キロ圏外に駆逐された。これでキエフ市街は砲撃の射程から離れたことになる。ドニエプル川東岸前線の後方ではチェルニーヒウを包囲していた第41諸兵科連合軍が北に押し戻されはじめ、キエフ近郊からチェルニーヒウへの退路は断たれつつあるため、突出していた先頭部隊はチェルニーヒウ~スムイ間の国境に向けて長い帰路に着くしかない。当然ウクライナ軍はその追撃や分断を試みるだろう。第二次世界大戦後ここまでソビエト・ロシア軍の主力機甲部隊に対して有利な態勢を確保した軍隊は存在しない。スムイの包囲も解かれつつある。ハリコフ~スムイ間で肩書きが長い第4親衛戦車師団と対峙していた第93機械化旅団もまだ健在である。ベラルーシから近いドニエプル川西岸戦線よりも、ドニエプル川東岸前線からロシア国内への撤退の方が遥かに難易度が高い。
ハリコフはチェルニーヒウやスムイのように包囲網すら完成されず、ウクライナ側の後方はついに遮断されなかったのでウクライナ本土からの増援や補給はハリコフに届いており、開戦初日からハリコフ防衛の主役だったウクライナ軍第92機械化旅団もいまだ健在である。戦後どう考えてもウクライナに返還することになるハリコフへの攻撃の意図は元々不明瞭であるが、腐った納屋の一蹴りで占領できるに違いないので深く考えていなかったのだろう。ハリコフ東方とルガンスク人民共和国の間を突破して占領地を繋げる試みもなされたが、イジウムでウクライナ軍の抵抗に遭って進展が止まった。ハリコフ戦線は第1親衛戦車軍所属部隊が西に転進した後にノルマンスクから遠路やってきた第200自動化狙撃旅団と第61海兵旅団の増援を得たが、戦況の打開には繋がっていない。
総じてドニエプル川西岸からハリコフにかけての北部戦線は膠着からロシア軍不利に移りつつある。ウクライナ軍は小規模ではあるが各所で着実に反撃に転じ始め、ロシア軍は本国とベラルーシに向けて撤収を始めた。初日のキエフ突入の決め手として激戦区になっていたアントノフ飛行場も放棄されたことはロシア軍がキエフ侵攻を完全に諦めたことを象徴する。一般的に撤退戦は侵攻作戦より更に難しく、総司令部が完全に掌握できる精鋭部隊を最後尾に置いて敵の追撃を遅滞し、その後方で主力を逐次撤退させつつ殿部隊との連絡を絶やさず、最後に殿部隊を一気に撤退させるのが定石であるが、まさに言うは易しである。一旦無秩序な追撃戦に移行した場合は一方的な掃討戦となり、撤退側はたとえ数で勝っていても包囲殲滅以上の打撃を受ける。
それを危惧したのか、ロシア政府は29日に先手を打って「キエフ、チェルニーヒウ付近の軍事行動を大幅に縮小する」と発表した。これは金融市場では停戦に向けた前進として歓迎された。キエフ近郊からの撤退自体は恐らくその前から決まっているにもかかわらず、タス通信は「停戦交渉における相互の信頼を醸成し、今後の対話を促進するための措置」と格好を付けている。要するに戦術的に危険である敵前後退を少しでも安全に行うために緊張緩和という名目を利用したのだろう。キエフやウクライナ西部への空爆を強化したのは陸軍の撤退とバランスを取るためと思われる。この撤退が早期停戦に向けた誠意かドンバス地方への転用かと問われたら明らかに後者に近いが、とにかくロシア軍がキエフ近郊から離れれば紛争の烈度は少し低下する。ただの領土紛争なら21世紀でも特段珍しくないのである。ショイグ国防相が「今後はドンバス地域の解放に集中する」としているのも恐らく嘘ではない。最初からそうすべきだったのだ。
これで一段落したと思われる「作戦の第一段階」について、ロシア国防省は「キエフ周辺などの北部戦線は、作戦の主要方面である東部にウクライナ軍を集結させないための囮であり、その目的は達成された」と言い訳している。滑稽なことに「或いは最初から非武装化要求と北部の親衛師団が実は牽制で、その間オデッサからドンバスにかけての南部沿岸部の占拠が既成事実化されるのがウクライナにとって最も嫌な展開であり、それを最初からの壮大な作戦だったとするのはさすがにロシア軍を過大評価しすぎだろうが、プーチンの思い付きを挿入された五正面作戦は最初は愚かしい兵力分散にしか見えなかったのが、時間が経つにつれてウクライナ軍はどの方面でも失敗できない側面が目立ってきたのは事実である」と本ブログすらそのシナリオを既に議論済であり、しかも無駄に高い評価を与えている。そういう作戦は戦争を始める前に考えるものだ。多正面作戦に利点があるとすればそれはまさに戦況の推移を見てから後から主戦場を設定できることであり、それは雑に表現すれば後出し囮宣言そのものであるが、現実にはどの戦線でもロシア軍は敵より少数の兵力で多数のウクライナ軍を牽制できていない。一般的に練度、情報通信、士気(忠誠心)、そして兵站のどれか一つでも心配があれば変に複雑な作戦を立ててはならない。それだけ途中で火を噴いた時に複雑骨折しやすくなるからである。
一方、南部戦線におけるロシア軍の優位は動きそうにない。さすがにオデッサ侵攻まで見据えたロシア軍の南西部への進撃は無理があり、その足掛かりになっていたムィコラーイウもウクライナ軍の反撃で奪還されたことにより完全に頓挫することになった。とはいえクリミアから近く大兵力が詰まっているへルソンをウクライナ軍が奪還するのは容易ではない。本ブログでも「吸い出された」と表現したように、元々へルソンは駐屯していた第4戦車旅団が開戦直前にハリコフに再配置され、その隙を突く形でロシア軍が最初に奪取した大都市になったのであり、複数の川が流れるこのあたりは本来それほど攻めやすい地形ではない。
足元の主戦場はやはり不運なマリウポリである。ここはドネツク州の端っこにありウクライナ軍ドンバス前線の補給基地でもある。本ブログは前回の記事でも「(ドネツク、ルガンスク)両州の両国への併合を現実的なものにするためにもロシア軍はどうしてもドネツク州西端に位置するマウリポリを占領する必要があった」「ロシアはマリウポリを占領するまで何かと難癖を付けて戦争を長引かせるインセンティブがあった」と注目していた。マリウポリではロシア軍、分離主義者軍、チェチェン軍、ウクライナ軍そして分離主義者が不倶戴天の敵と見なすアゾフ大隊が入り乱れておりアルマゲドン感が漂う。市内にはウクライナ軍の第56機械化旅団、第36海兵旅団とアゾフ大隊が陣取っており、それをクリミア方面の第58諸兵科連合軍、ドネツク方面の第8諸兵科連合軍が包囲している。開戦以来ウクライナ軍のどの旅団も捕捉、撃破したことがないロシア軍にとってもし2個旅団を一気に包囲殲滅できたら初の本格的な勝利となるものの、市街地でマンションを含むコンクリート建造物を利用して陣地を構築できる2個旅団を撃破するのは容易ではなく、マリウポリ市中心部にロシア軍が突入したとされてから10日間以上も戦闘が長引いている。下手に親露地域とされているだけあってアゾフ大隊などは市民を楯にするのに躊躇しなさそうである。とはいえ大勢は逆転しようがなく数週間以内にマリウポリは陥落するのが一般的な見方である。疲弊するであろうマリウポリ攻囲軍をその後余所に転用できそうにないので、マリウポリが陥落したら一気に全戦線が膠着するだろう。
さて、ここで思い出されるのは1979年の中越戦争である。こちらでも侵攻側の中華人民共和国が理解しづらい政治的な目標を掲げてベトナム社会主義共和国に殴り込み、激しい戦闘の中で戦術や装備など様々な欠点を露呈しながらもベトナム領の山岳地帯を機甲部隊で走破して首都ハノイに迫ったが、ハノイ周辺の防御が堅く泥沼化しそうと見ると勝手に戦争目標の達成を宣言して素早く撤退した。ただ完全には撤退せず、その後10年間国境紛争が続いた。ロシアの「特別軍事行動」はここまで中越戦争のやや決断が遅いバージョンである。とすればここからは長く退屈な消化試合となる。前回の記事で考えた冬戦争との相似については、無理してでもとにかくキエフ近郊に迫った勢いを利用して停戦に持ち込めなかったので時間切れになった。
全面戦争がドンバス方面の地域紛争にスケールダウンすると何が起きるか。キエフ近郊ではロシア軍がかなり無理がある機動を見せたが、相対的に狭いドンバス戦線に部隊を並べるだけなら、さすがのロシア軍も危険を冒したり致命的な凡ミスを犯す蓋然性は大きく低下する。戦局の行き詰まりからプーチンが化学兵器や核兵器に手を出す可能性は劇的に低下する。それだけロシア軍が南部と東部に集中するという「正解」に辿り着いた後はウクライナ軍は不利になる。西側から見ても情報が不足しがちな若いウクライナ軍だが、ここまで善戦できたのは8年間のドンバス紛争への輪番参加で鍛えた練度に加え、恐らく市街地に籠って防御に徹し、マンションを含むコンクリート建造物を利用して数と火力の不利を補ってきたからであり、それは防御で発揮した強さが都市の外に討って出る野戦では必ずしも再現されない可能性を示唆する。対戦車兵器を装備した歩兵は防御戦では陣地に向かってくる戦車を攻撃できるし、偵察能力が高い友軍から移動中のロシア軍車列の動向を入手して自動車で脇道から先回りして待ち伏せることもできるが、それを100台の自動車でやるわけにはいかないし、まさか敵の機甲部隊の陣地に向かってバズーカを背負って突撃するわけにはいかない。それが、ウクライナ軍が3月後半になって北部戦線で優勢に転じつつある中でも反撃に慎重であった背景と思われる。ドンバス戦線はキエフ近郊以上に膠着状態がデフォルトになりそうである。キエフ近郊から撤収した満身創痍の旅団を再編成してドンバス戦線に再投入するには時間がかかる。それは夏になるかもしれないし、そのままやる気をなくす可能性もある。(ルガンスク州は既に9割以上をロシア軍と分離主義者が支配したので)そもそもドネツク州の残りの面積を巡ってそこまで戦車砲を撃ち合いたいのか。ドンバス紛争のこれまでの8年間も絶え間なく戦闘が続いたわけではない。
ロシア軍の戦費は毎日兆円単位掛かっていると様々な場面で言われており、それでは年間の国防予算を1週間で使い切ってしまうので眉唾であるが、限界が遠くないという結論は合っているだろう。しかしロシアがそれに気付いてドンバス紛争にスケールダウンしたらそういう議論もできなくなってしまう。次は5/9の大祖国戦争勝利記念日までには停戦して勝利宣言したいだろうとの観測が続く。なお(肩書きが偉いので)毎年の赤い広場軍事パレードの常連であり、毎年2月から5月までパレードの訓練に明け暮れて通常の訓練を疎かにしてきたらしい第1親衛戦車軍は、壊滅は誇張としても本ブログが早くも名指ししたように北部戦線でこき使われて深刻な被害を受けたことは間違いなく、今年のパレードに出て来られるかどうかに意地悪い注目を向けざるを得ない。ロシア軍が繰り出した戦略の中の
停戦交渉は基本的に前回の記事の延長上で進んでいる。中国が存在感を消しているのは前回の記事の見立て通りであり、停戦交渉を仲介して株を上げたのはトルコのエルドアン大統領である。NATOがあまりにも使えなかったこともあってゼレンスキーはNATO加盟を既に諦めたと思われ、「軍事・政治同盟には加わらず、外国の軍隊をウクライナに駐留させない」と思い切った提案を表明している。一方でかつてウクライナがソ連の遺留核兵器を放棄して核不拡散条約に加入した時に諸外国と結んだブダペスト覚書があまりにも使えなかったので、侵略された側としてNATO非加盟と引き換えに新たな確実な安全保障体制を要求するのは当然であるが、これにはロシアが反対したというより西側が尻込みしている。人に火中の栗を拾わせるだけ拾わせてどこまでも使えない西側である。「非軍事化と非ナチ化」は戦場で達成できなかったのに交渉の席に持ち出すだけ恥である。流動的なのはやはりクリミアとドンバスであり、そもそもマリウポリではまだ決着が付いていない。ウクライナは先に停戦してからそれらの地域について別途交渉すると提案しているが、ロシアは戦争状態の間に主張を押し込みたいところだろう。キエフ戦線という人質が本国に逃げたとなるとロシア軍が停戦に向けて妥協を加速するモチベーションがそれこそ5/9の勝利記念日くらいしかなくなる。これがロシアとウクライナの組合せでないならば「ロシアが戦場で獲得したへルソンを返還する代わりにウクライナがドンバス地方とクリミアの放棄に応じる」でまとまりそうなところであるが、国土には未練が、一旦獲得した土地には欲がそれぞれ残るものである。
西側の経済制裁はロシア経済と欧州経済へのハラスメントにはなったが、ロシアの継戦能力の破壊にもプーチン政権の転覆にも役に立たなかった。いずれにしてもロシア軍はキエフ近郊からの撤退に追い込まれたので、停戦かドンバス紛争へのスケールダウンかは当事者以外にとってはもはやあまり重要ではなくなっているが、一応前者の方が西側の経済制裁の一部解除に繋がりやすいか。後者が長く続いたとしても、今でもロシア制裁に協力してくれない新興国は更に協力してくれないだろうから、延々と「ロシアがいない世界」を生き続けるのは米国と欧州だけになる。最初から特別に西側に目を付けられている中国はともかく、他の新興国にとっては皆で一斉に米国の経済制裁を受けることになっても、自国だけロシアから原油や食糧を買えなくなることほどは怖くない。
ロシア軍の再建には時間がかかりそうである。戦場であまりにも醜態を晒すとロシアが力で押さえ込んでいた周辺地域が一気に不安定化する可能性があり、現に明らかにその流れでアゼルバイジャン・アルメニアの停戦合意が破られているが、戦闘で勝てなくてもとにかく見境なく都市を破壊して回ったので辛うじて恐怖による抑制力は維持されたと見るべきか。ポスト・プーチンについて考える必要もなくなった。
最後にこの戦争の教訓。戦車が撃破されるシーンのSNS投稿が多かったため戦車不要論が盛り上がっても不思議ではないが、現実は逆でありむしろ旅団以上の規模で行動できる機甲部隊の重要さが再確認されたと本ブログは考える。もしウクライナ軍がキエフ近郊に機甲部隊を配置していなかったら空挺軍に速攻でアントノフ飛行場を占拠され、キエフも一、二日で制圧されていた可能性が高い。ロシア空挺軍は陸軍より遥かに志願兵比率が高く練度も高かったが、少数精鋭で敵の拠点を奇襲して制圧に成功したとしても、装甲が厚い陸軍と連携しないと戦果を拡大できない。今回は明らかに士気や練度の格差からその連携が上手くいかず、士気が高い空挺軍は大きな損害を出した。また前回の記事でも「予算がない軍隊にとってあまりショートカットがない」としていたように、誘導兵器と戦費を湯水のように使わずに大規模な戦争を始めて安上がりに勝つのは不可能である。士気と練度が高い志願兵を揃えられるかどうかも予算次第である。
募金先
UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)寄付金の税制上の優遇措置 -UNHCR
災害時などの国内自治体への義援金と違って特例控除(ふるさと納税枠)にはならないものの、認定NPO法人なので募金額から2000円を引いた額の40%の税額控除が確定申告で戻ってくる。
【ふるさと納税】ウクライナ人道危機支援 ※返礼品はありません※
こちらはふるさと納税枠(記念品のないふるさと納税と同じ)なので税金上はUNHCRや普通の募金より有利になる。日本赤十字社が開設する「ウクライナ人道危機救援金」に振り込まれる。
*本ブログの理解を記しているだけであり、正確な税務アドバイスは税理士等までお願いします。
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この記事は投資行動を推奨するものではありません。