前回の記事ではロシア軍のキエフ近郊からの全面的な撤退の開始、マリウポリの攻防そしてドンバス戦線へのシフトを描いた。攻勢でも勝てなかったキエフ近郊からの撤退に際し、もしウクライナ軍が反撃、追撃に出たら無理に突出していたロシア軍が壊滅的な打撃を受ける可能性まで考慮していたが、現実にはドニエプル川両岸のロシア軍は共に素早い撤収に成功したようである。
ドニエプル川西岸では最後尾の第35諸兵科合成軍がベラルーシに帰投する直前にようやく追い付いた第44砲兵旅団の観測砲撃を食らった程度で、この方面のロシア軍はベラルーシまで逃げ切りそのままロシア領内を鉄道で東に移動した。略奪したTVや大量の服を故郷シベリアに郵送するほど余裕があったようで、ベラルーシを出撃した時から言われ続けた兵站機能に欠陥があったわけでも、大損害を受けたわけでもないことが伺える。「第二次世界大戦後ここまでソビエト・ロシア軍の主力機甲部隊に対して有利な態勢を確保した軍隊は存在しない」とまで表現した掃討戦の好機をウクライナ軍があまり活かせなかった背景は「ここまで善戦できたのは8年間のドンバス紛争への輪番参加で鍛えた練度に加え、恐らく市街地に籠って防御に徹し、マンションを含むコンクリート建造物を利用して数と火力の不利を補ってきたからであり、それは防御で発揮した強さが都市の外に討って出る野戦では必ずしも再現されない可能性を示唆する」としていた通りだろう。とはいえキエフ攻防戦がウクライナ軍の大勝利で終わった結論は揺るぎようがない。
チェルニーヒウ正面の第41諸兵科合成軍とドニエプル川東岸で最もキエフに向けて突出していた第90親衛戦車師団は更に損害が大きかったと思われ、総参謀長の親族とも噂される第41軍のゲラシモフ軍参謀長が開戦早々に戦死したのがその傍証となる。これらの部隊はさすがにハリコフ正面のロシア領ベルゴロドでの再編成が少し遅れたが、それでも既に(より少ないBTGとしてだろうが)ハリコフ方面に再投入されている。ハリコフからスムイにかけて酷使された第1親衛戦車軍に至っては、ロシア領に戻ったかどうかも怪しいほど再編に時間をかけずにハリコフ近郊に戻ってきた。キエフ戦線のほぼ全軍がそのままハリコフ方面に再投入されたということである。前回の記事では北部戦線から撤収した部隊の再編成には時間がかかるのでそのままグダグダになると考えていたが、撤退から再編までのプロセスに限ってはロシア軍の手際は本ブログの予想を超えた。
ロシア軍が撤退した後、激戦地となっていたキエフ近郊のブチャやイルピンで一般市民の遺体が多数発見され国際社会で衝撃と非難が広がった。民間人の殺害は明らかに大規模な戦争犯罪であり、妥結まで漕ぎ付けなかったにせよ小康状態が続いていた両国の停戦交渉もさすがに停滞した。結局新たな主戦場になったドンバス戦線で思う存分正面決戦をやり尽くしてからでないと停戦交渉には戻れないか。
改めてドンバス戦線に集中したロシア軍の戦略目標は明らかにドネツク人民共和国(DPR)とルガンスク人民共和国(LPR)の正面に展開するウクライナ軍旅団を殲滅することであり、DPR, LPRの方角から出撃してウクライナ軍を正面から西に追いやるというより、ハリコフ近郊とマリウポリの南北から挟撃しようとした形跡がある。本ブログなどは当初からキエフ攻撃などよりも「ドンバス戦線に並んでいるウクライナ軍旅団の後方を遮断して一気に殲滅し、ウクライナ政府の継戦意欲を喪失させるのが定石」としていたが、一ヶ月以上経ってようやく「採用」された形となる。しかしさすがに既に時機を逸したので、大縦深作戦は限定的なウクライナ軍陣地の半包囲を試みる小縦深作戦になった。最南端のマリウポリ第36海兵旅団はさすがに東西から包囲された形になったものの、この南北に連なる戦前でも7個数えられる主力旅団、及び加勢する国家防衛隊や予備旅団、更に西部からやってきた援軍を丸ごと包囲するのは今からでは無理がある。
兵力が増えたとはいえハリコフの市街戦で消耗している場合ではないので、ロシア軍はハリコフの東方を迂回しながら南下した。ルガンスク軍は既にルガンスク州の9割以上を支配しており、残ったルガンスク州とドネツク州に跨る突出部にウクライナ軍の旅団が集結している。ロシア軍はイジウムを占領し、ウクライナ軍を側背から圧迫しようと試みるものの、イジウム周辺のロシア軍もまた突出部となり、側背をハリコフ方面で健在なウクライナ軍に狙われることになる。奇しくも1942年の第二次ハリコフ攻防戦でも方角こそ90度異なるもののイジウムはソ連軍の突出部となり、その楔の先端をドイツ軍が挫いて戦役に勝利している。結局ロシア軍はイジウムからの電撃的に南下するわけでもなく、イジウムとLPRの間を埋めながら慎重に並進することにしたようである。
再び芸のない攻防に落ち着いた背景は、一つには相変わらず兵力に圧倒的な差が付いていないからである。ロシア軍がキエフ近郊から撤退すると同時に、ウクライナ軍の増援も新戦場になるに決まっているドンバス戦線に向かって移動した。相手が米軍だったら「死のハイウェイ」の再現になりかねなかったが、移動中の敵部隊の位置を捕捉してリアルタイムで攻撃機に連携し空襲を仕掛ける能力はロシア軍には明らかに欠けていた。せいぜい鉄道で到着した増援部隊が集結しそうと思われたドネツク州クラマトルスクの駅に短距離弾道ミサイル「トーチカU」を撃ち込んで再び民間人に被害をもたらして国際社会の顰蹙を買った程度である。同じく静的目標である燃料貯蔵庫も攻撃されたが、これに対してウクライナ軍も早速温存していたヘリを投入してロシア軍が集結するベルゴロド州の燃料貯蔵庫に空襲を敢行した。
Intense battle footage captured by a Russian drone (DNR unit) at the Illich Metallurgical Plant in Mariupol. Wounded Ukrainian soldiers can be seen taking cover as Russian forces spear through Ukrainian positions. At 1:25, three Ukrainian soldiers are almost hit by bullets… pic.twitter.com/PeNwLSmOqf
— CaucasusWarReport (@Caucasuswar) April 16, 2022
もう一つは南方のマリウポリ守備軍がいまだ健在であり、ロシア軍の南北からの挟撃作戦の歯が片方欠けたからである。ロシア軍の重囲に陥ったマリウポリでは長く激しい市街戦を経てさすがに市街地の全域が陥落したが、アゾフ大隊はなお健在であり郊外のアゾフスタリ製鉄所に立て籠もっている。ドネツク軍が当初から見立てていた通り、ソ連が戦争を意識しながら設計したアゾフスタリ製鉄所は地上に設備が並んでいるだけでなく地下にもシェルターが設けられており、歩兵が圧倒的に足りないロシア軍はバンカーバスターを含む砲撃や空爆を繰り返したものの、制圧は困難を極めた。
第56機械化旅団、第36海兵旅団とアゾフ大隊などからなるマリウポリ守備軍をウクライナ軍首脳部は決して見捨てようとはせず、度々ヘリで補給や幹部の救出を試みたが、ヘリの飛行ルートを割り出されドネツク軍によって複数のヘリを撃墜されるとそれも頓挫した。隣のイリイチ製鉄所を守備していた第36海兵旅団が4/11にFacebookで述べたように、47日間の激戦の中でマリウポリが受け取った補給は一度きりであった。マリウポリはドンバス紛争の頃からウクライナ軍の物資集積地であったため弾薬は豊富に備蓄されていたものの、さすがにそれも尽きてきたようであり、その日の夜、「ウクライナ英雄」に叙されたばかりの第36海兵旅団長Vladimir Baranyuk中佐は100人程度の小部隊を率いて夜に紛れて包囲網の突破を図ったが、暗視装置を装備したドネツク軍に捕捉され戦死してしまう。翌日、ロシア軍の発表によると「士官162人を含む1026人のウクライナ軍海兵」が部隊ごと投降しており、これは明らかに少数精鋭で脱出しようとした旅団長の戦死によって士気を挫かれた第36海兵旅団の一部である。一方、他の数百人の集団はイリイチ製鉄所を逆に南に脱出してアゾフスタリ製鉄所に辿り着き、アゾフ大隊との合流を果たした。合流後にアゾフ大隊の司令官Denys Prokopenko中佐と並んで動画で第36海兵旅団の健在をアピールしたのは代理旅団長Serhiy Volyna少佐であった。ロシアがキエフ近郊からの撤退の安全確保のために停戦交渉を利用したのと同様、ウクライナ政府も「マリウポリ守備軍が全滅したら停戦交渉を打ち切る」と停戦交渉を利用し、どうやらアゾフスタリ製鉄所はプーチンが早期制圧を諦めるまで持ちこたえたようである。前回の記事でも「疲弊するであろうマリウポリ攻囲軍をその後余所に転用できそうにない」としていたが、50日以上にわたる攻囲戦の後に降伏した部隊が出たとしても、それはマリウポリを守って南部戦線の大量のロシア軍を牽制し続けるという、不可能でないとしても極めて困難だった任務の完遂であり、不名誉な敗北や失敗を意味するものでは決してない。
プーチンは長らく空席だったウクライナ侵攻の総司令官に南部軍管区司令官アレクサンドル・ドヴォルニコフ上級大将を任命した。これは南部戦線が唯一上手く行っていたことに対する評価の現れでもある。ドヴォルニコフはソ連時代の名門であるフルンゼ軍事アカデミーを卒業しており、海外駐在歴としてシリア内戦への軍事介入で司令官職を務め、ロシア空軍とシリア政府軍を率いて西側が育てた反政府軍やISを圧倒した。今回ロシア軍の苦手さが目立った市街戦の経験も豊富であるが、その指揮スタイルは一貫して民間人の被害を顧みないものであり、空爆と砲撃によってアレッポをほとんど平地にしてしまったため、戦後ロシア連邦英雄の称号と共に"Butcher of Syria"の肩書きも受け取ることになった。アルジャジーラによるとドヴォルニコフの「人殺し」の称号自体はもっと歴史が古く、第二次チェチェン紛争でチェチェン共和国の首都グロズヌイがロケット砲と絨毯爆撃で破壊された時も師団長として参加している。もっとも市街戦には正解がなく、その中でドヴォルニコフ個人というより歴代のロシア軍が出した解は建物を破壊し尽くすことであるようだ。惨劇を避けたいなら本ブログが一貫して主張するように戦場選択の時点で市街地を回避するしかない。
Donetsk People's Militia artillery firing at Ukrainian positions in Donbass last night pic.twitter.com/9X2HSNRzaS
— Russians With Attitude (@RWApodcast) April 19, 2022
幸い、戦場は人口密度が高い大都会から離れてドンバス地方の荒野に限定されつつある。ドンバス前線は8年にわたる紛争の間にウクライナ軍によって野戦陣地が至る場所に築城され、要塞化された村とそれらを繋げる塹壕の集合体となっている。その極端な例が巨大な要塞として強化されたマリウポリである。戦場と司令官を取り換えたロシア軍にとってはキエフやハリコフのコンクリート建物群がトーチカ群に変わっただけであるが、そこに恐らく正面の敵と大して変わらない兵員数で総攻撃を仕掛ける形となる。ロシア軍が「特別軍事作戦」に投入したBTGは120個と言われているが、北部戦線での激しい損耗を経てもペンタゴンによるとなお78個のBTGがウクライナ国内、主に南部と東部戦線に投入されている。残りはなおも再編中か、ウクライナ軍の攻撃によって戦闘能力を喪失したと思われる。ゼレンスキーは「ロシア軍が長い時間をかけて準備したドンバスの戦いに乗り出した」と表現している。どこまでがドヴォルニコフの統率が行き届いた結果か判然としないが、とにかくBTG単位で走り回る今までのグダグダ展開と打って変わり、朝鮮戦争以来とも言われる激しい、整然とした準備砲撃がドンバス前線のウクライナ軍陣地の1000ヶ所以上に浴びせられた。
マリウポリにしろハリコフやチェルニーヒウにしろ、守備するウクライナ軍はせいぜい2、3個旅団程度であり、その程度の兵力でも市街地で構築した陣地の防衛に徹することで、ロシア軍の肩書きだけは師団や軍と称するBTG群の攻撃を1ヶ月以上耐えることができた。ドンバス戦線に集結したウクライナ軍の兵力はそれらの拠点より遥かに多く、一方ロシア軍メンツが大して変わっていないとすると、素直に考えてその陣地の突破は更に困難になる。ウクライナ軍の強みは本ブログが最初からベタ褒めし続けた、8年間のドンバス紛争への輪番参加で積んだ戦闘経験である。少人数の戦闘が多かったドンバス紛争では意識決定の経験を積んだ士官や下士官が大勢育ち、それと堅牢な通信システムの組合せが部隊の分散型の運用を可能にした。具体的には旅団のヘッドクォーターを巡航ミサイルなどで破壊されても各大隊は戦闘を継続できるということである。当面の敵将より10歳以上若いウクライナ軍総司令官ヴァレリー・ザルジニー大将が述べたように、若い士官達は勉強熱心で外国語やガジェットに明るい。またたとえ数で劣勢に立っても決して攻撃精神を喪失しなかった。春に入ってマリウポリ攻囲戦の趨勢が見えた後になおも単独で出撃したウクライナ軍の兵員輸送車が敵の2両のT-72に向かって30mm砲を猛射する動画がウクライナ軍の勇気を世界中に示した。これはナポレオンが士気の高い兵士を裏切る心配がない将校に任せ、相互監視も兼ねる密集隊形から解放して分散配置したのと同様、敵軍がその強さの正体を理解したところで真似できない。一方で弱点は装甲と火力であり、それを通信や索敵で補って効果的に運用してきたものの限界がある。それを関係者全員が認識しているため東欧諸国からT-72をはじめとする旧東側の装備が続々と送られて来ているが、ドンバス戦線でのロシア軍の素早い攻勢再開に間に合ったかどうかは微妙である。#Ukraine: Footage from #Mariupol showing a Ukrainian BTR-4E APC attacking two Russian T-72 tanks from the rear with a 30mm cannon. Apparently, both tanks received serious damage. pic.twitter.com/7ecGv5AwkK
— 🇺🇦 Ukraine Weapons Tracker (@UAWeapons) April 7, 2022
陣地防御への依存は諸刃の剣になり得る。第一次世界大戦ならともかく、第ニ次世界大戦で陸軍の機械化と航空隊の運用が普及して以来、動けないトーチカや要塞が動ける敵軍に対して必ずしも優勢に立てたわけではない。陣地は装甲の不足を確実に補ってくれるが、塹壕やトーチカに籠って撃ち合うだけなら、これまでの善戦の背景にあったウクライナ軍の長所を必ずしも活かせるわけではない。「近付いてきた敵に一撃与える→反撃を呼ぶ→トーチカ破壊」の繰り返しではどんな優秀な将兵も消耗してしまう。しかしそれでもウクライナ軍にとってドンバス前線の陣地を放棄する選択肢は取れない。並進を続ける敵を食い止めるためにいずれどこかで陣地戦を強いられる以上、今せっかく構築した陣地を放棄して戦場を再設定しても更に不利になるのが目に見えているからである。
ロシア軍の方は、待ち伏せや観測砲撃を受けやすかったBTGでの突出をやめてとにかく慎重に兵力を集中し、突破口作りを装甲車の代わりに十分な準備砲撃に任せるなら、前回の記事で「危険を冒したり致命的な凡ミスを犯す蓋然性は大きく低下する」と表現したように、BTGを各個撃破されたり敵中に車両を遺棄するような醜態も回避できる。たとえ一部のウクライナ軍陣地を包囲したところで囲まれた方の士気が崩壊したりしそうになく、むしろ細長く伸びた第一梯隊の側背にウクライナ軍が群がって来るに決まっているので、奇を衒わず面で前進するのは合理的である。細い一本道を通って補給していたキエフ戦線と比べ、ドンバス戦線は遥かにロシア本土から近い。となると火力の格差通りにウクライナ軍がじりじりと後退を迫られる可能性が最も高そうである。火力の差は明白なので西側は戦車と自走榴弾砲をウクライナ軍に供給しようとしているが、すぐには逆転できそうにない。忌々しい長距離機動されなければ、旧式の牽引式榴弾砲と砲弾をロシア国内からいくらでも持って来られる。ロシア軍は5/9の「勝利記念日」までにドネツク州、ルガンスク州全域の制圧を目標としており、それは都市以外の地域に関しては不可能ではないように見えるが、セベロドネツク、クラマトルスク、スラビャンスクといった10万人都市の制圧にはこれまで通り苦労するだろう。徴兵を国外に出せないのは相変わらずなので歩兵の不足だけは変わらない。傭兵会社「ワグネル・グループ」などがシリア等からリクルートしたらしい傭兵の存在がドンバス戦線で報告されているが、劇的な歩兵強化には繋がらない。プーチンが改めて宣戦布告を出して動員力が高めるとの観測もあったものの、理論的には「特別軍事行動」が「戦争」になったところで、徴兵を一層動員しづらくなることはあっても逆はなさそうに見える。「志願」して国境を越えた新兵の動きの悪さはこれまで旅団長や師団長を散々(戦死を含む)苦労させたものの、ドヴォルニコフにとってはさすがにかつて統率したシリア政府軍の兵士よりは扱いやすいだろう。
戦争が最も長引きそうなパターンは、ウクライナ軍がロシア軍を国内奥深くに引きずり込んで持久戦とゲリラ戦でその戦力を削いでいくやり方を決意した場合であるが、現にそうとはならず、ウクライナ軍は健在な旅団を次々と東部戦線に増援に送り込む判断を下した。これはキエフ攻防戦の大勝利で同数程度の敵と互角に戦える自信を付けたからか、それともキエフ近郊の惨劇を目にして政治的にも敵軍のこれ以上の侵入を許してはならないと決意したからか、或いはロシア軍が予告通りドネツク州、ルガンスク州の全域を攻略したところでそれらの地域の切り離しに専念し、それ以上の侵攻を見送るという「正解」を選んでしまう可能性が高いと判断したためか。三つ目だとすればドンバス会戦はどんなに烈度が高くてももはや全面戦争ではなくなっており、領土画定を見据えた「戦後」に入りつつあるということになる。前回の記事では「キエフ戦線という人質が本国に逃げたとなるとロシア軍が停戦に向けて妥協を加速するモチベーションがそれこそ5/9の勝利記念日くらいしかなくなる」と停戦が遠ざかったとしていたが、交渉材料になり得る新たな人質に誰がなるか。膠着したらしたで、これまでよりも弾薬消費や兵員の損耗が激しいと思われる分、逆に5/9あたりに決着が付く希望が少しだけ見えて来る。ドヴォルニコフはプーチンに気に入られて抜擢されたので手腕はともかく、さすがに再び膠着したり目標達成が難しくなった場合にそれをプーチンに正しく伝えることはくらいはできるのではないか。プーチンが最も欲しているのはとにかく「勝利宣言」であり、当然ウクライナ軍としてはそれをお膳立てする義理はないが、5/9までにたとえ進捗がなくても何らかの勝利宣言をひねり出せれば、それ以降は戦闘での一層の損耗に対してケチになる可能性がある。
募金先
UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)寄付金の税制上の優遇措置 -UNHCR
災害時などの国内自治体への義援金と違って特例控除(ふるさと納税枠)にはならないものの、認定NPO法人なので募金額から2000円を引いた額の40%の税額控除が確定申告で戻ってくる。
【ふるさと納税】ウクライナ人道危機支援 ※返礼品はありません※
こちらはふるさと納税枠(記念品のないふるさと納税と同じ)なので税金上はUNHCRや普通の募金より有利になる。日本赤十字社が開設する「ウクライナ人道危機救援金」に振り込まれる。
*本ブログの理解を記しているだけであり、正確な税務アドバイスは税理士等までお願いします。
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