日本銀行は長らく長期金利(10年国債金利)を0%近辺に維持するイールドカーブ・コントロール(YCC)政策を続けてきたが、そのYCCがここもとのグローバル金利上昇の煽りを受けて修正を迫られるのではないかとの観測が盛り上がっている。具体的にYCCは長期金利を±0.25%のレンジ内に誘導するものであり、金利が上限に近付くと+0.25%近辺で国債の買支え(指値オペなど)を行ってきた。
ここに来て日銀が政策変更を迫られるとの声が上がったきっかけは急速な円安と物価上昇への批判が挙げられる。消費者物価の数字を大きく押し下げていた携帯料金引下げの影響が2022年4月に消えると消費者物価は長年目標としていた2%に近付くとされている。為替の方も久々に円安の大相場になった。もっとも米国と違って賃金が上がらない中で持続的にインフレが2%に達するような雰囲気はない。物価目標の2%がどうも痛みを伴うインフレであることがだんだん分かってきたらしいものの、それでも2%の物価目標を破棄するまで、物価だけで言うとYCCの修正は必要ないし、当然政策金利引上げ(マイナス金利政策の撤廃)も必要ない。円安の方も、いざドル売り円買いの為替介入が検討されるレベルに達したなら、「ファンダメンタルズから乖離した値動きである」と宣言するためにも先に金融緩和を止めないと筋が通らないため金融政策の調整も考えられるが、今のところそのような喫緊性はない。そもそもこの数年ぶりの急速な円安のきっかけになったのは3/18に黒田総裁が「円安は日本経済にとってプラス」と発言したことである。ちょうど一ヶ月後には「円安のマイナス面にも考慮が必要」と修正を迫られたものの、(当時円安にしたいがゆえに総裁に採用された経緯を考えても)前者の方が本音に近いことは間違いない。
一方それとは別に、YCC自体の持続可能性も一部では問題視されている。海外の金利上昇を受けて日本でも金利の先高感が強まり、日銀は無制限に国債買入れを行う指値オペをアナウンスし始めたが、最初こそ無限に買う相手に対してあえて売ろうとする人がいなかったので落札0が続いたが、最近になって投資家は指値オペに対して実弾の売りをぶつけ始めており、長期金利は+0.25%に張り付き、その水準も日銀の無制限買支えがあって初めて維持されているのが明らかである。YCCが効かない円金利スワップなどは海外勢主導で既にYCCの修正(0~0.5%などへのレンジの切上げ、±0.5%あたりへのレンジ幅の拡大、10年から5年への短期化など)を織り込む形で+0.25%を大きく超えて上昇している。
元々、YCCは日銀が長期金利の極端なマイナス域への低下を防ぎつつ、円高を招かなさそうな、緩和縮小に見えないような枠組みを必要としたために考案されたものである。アベノミクス開始で黒田日銀はマネタリーベースが毎年60~70兆円増えるように国債買入れを行うと発表し、2014年10月の追加緩和(通称バズーカ第二弾)ではそれを更に80兆円に引上げ、1年後にチャイナショックで景況感が揺らいでくる中で緩和余地(80兆円からの引上げ余地)がなくなって緩和限界が話題になる中、完全サプライズの奇策として2016年にマイナス金利政策を導入した。このサプライズが散々不評であっただけでなく、マイナス金利政策と毎年80兆円の量的緩和の合わせ技は長期金利を著しく押し下げ、それが金融機関の収益性に与える悪影響が大きくなった。ついでにそれまでチャイナショックでも安定していた円相場が急に円高方向に振れた。マイナス金利政策が金融機関の収益性に与える悪影響などであまりにも不評だったため、その悪影響を緩和するため、つまり長期金利の極端な低下を防ぎつつ、一方で何となく緩和っぽく見せかけるものとして2016年9月にYCCが導入されたのである。金融政策に占めるYCCのウェイトが高くなると、マネタリーベースは当然その介入の有無を受けて受動的に動くものになるため80兆円目標がステルス撤廃されても文句は出なかった。YCCが許容する幅はまず0%を挟んで「事実上」±10bpで始まり、次に「国債市場の流動性の低下」を防ぐために2018年7月に±20bpに拡大され、更に「点検」を経て2021年3月に±25bpに拡大されている。
YCCは金融緩和の副作用を緩和するために生まれ、日銀の一層のバランスシート拡大(マネタリーベース拡大)の回避を可能にした。誘導水準がマイナス金利政策と絶妙にバランスよく設計されており、金利低下圧力がかかる場面ではその都度国債買入れオペを減額していけばよいので、2017年を境に日銀の国債保有額が増えるペースは日銀の目論見通り低下した(ステルス・テーパリング)。2019年8月には円高進行と共に長期金利が▲25.5bpまで低下した場面もあり、それを高く誘導するには国債買入れオペを更に減速させる必要があり、しかしさすがに量的引締めになってはいけないので詰んだとの声も聞かれたが、結局その後長期金利は無事にレンジ内に戻った。金利低下耐性については、恐らく米国がマイナス金利を導入するはずがないなどの長期マクロの考察を経た上で設計されたため頗る頑健であり、コロナショックに際してもYCCは破綻しなかった。
逆に2022年に入って米金利が急速に上昇し、日米金利差が招く円安と共に日本の長期金利も上昇してレンジ上限の+25bpに近付くと、今度は逆の問題が発生する。長期金利上昇を食い止めるために国債買入れを加速すると、久々に日銀のバランスシートの膨張が加速するのである。それは理論的には円安要因であり、円安は期待インフレの上昇を通して(日銀BSの膨張自体も期待インフレに働きかけるとする理論もかつてあった)一層の長期金利上昇圧力となるため、買入れ額がスパイラル状に膨らむ可能性がある。この場面こそがYCCが本当の威力を発揮する場面と見ることもできる。当時は円高を食い止めるのが至上命題であったため、たとえスパイラル状の金融緩和と円安に繋がると当時分かったとしてもそれは歓迎すべきものとされていただろう。
しかし2022年になるとインバウンドの不在などもあって日本経済は必ずしも円安の恩恵を受けておらず、「悪い円安」との評価が増えてきた。何よりも円安になっても日本株があまり上がらなくなった。また日銀がこの受動的なスパイラル的なバランスシート拡大を許容するかどうか。これまでYCCで節約された、毎年80兆円のペースで膨らむはずだったバランスシートを改めて消費しているだけと割り切れればスパイラルでも許容できそうに見えるものの、YCC誕生の経緯やこれまでのステルス・テーパリングから、日銀にとって「可能ならこれ以上バランスシートを膨らませたくない」意思が一貫して存在するのではないかという推測も可能である。許容できるなら問題ない。国債買支えが続き、日銀のバランスシートが膨らんでいくだけである。先進国との金融政策の方向性の違いから恐らく円安が加速するだろう。もし日銀が受動的なバランスシート拡大を許容できないとすれば、YCCは持続不可能になる。ここではYCCの持続可能性それ自体が論点であり、物価上昇が持続的に2%を超えるかどうか、円安が経済にとってプラスかどうかといった議論から独立している。
ところで、YCCを支えている「無制限」指値オペについてよく見ていくと、対象になる銘柄は新発10年国債とそれに近い国債銘柄のみであり、例えば2月に3年半ぶりにアナウンスされてから続いている最近のオペではそれが364, 365, 366回債の3銘柄である。発行残高は364が8.1兆円、365が8.3兆円、366が2.7兆円なので、発行額以上の売り手がいないことを考えると無制限指値オペが吸収できるのはせいぜい20兆円弱である。3ヶ月ごとに1銘柄8兆円のペースで新発10年債が発行されることを考慮しても今年中にせいぜい25兆円追加される程度である。この量はかつての年間80兆円目標の半分程度である。つまり無制限というのはレトリックでしかなく、現実的には限界が決まっている。一方この設計は指値オペだけで日銀のバランスシートが過去対比で際限なく膨らんでいくことはないとも示唆しており、これを毎日続けたいかどうかは日銀の気持ち次第ということも分かる。
以前にも長期金利がYCCレンジの端を試したことはあったものの日銀のリアクションを確認すると引っ込んだ。今回だけは長期金利の安定がひとえにYCCの実弾買支えに依存しており、数ヶ月以内に修正に追い込まれることが既に織り込まれている。ということは、以前のように何か月も前から「点検」を前もって発表することはできない。点検の結論はYCCの修正に決まっているので、点検を口にした途端それからの数ヶ月間、将来の修正を見据えた売りに「無限に」耐えなければならない。それが嫌なら、YCCの修正はもしあれば全くのサプライズで出て来るか、よくて数日前に逃げ道を提供した後の発表になるだろう。
テクニカルには364,365,366回債の3銘柄にだけ無制限指値オペのサポートがあり、政策変更直前まで確実に0.25%近辺で売れる日銀プットを付与されているのはこの3銘柄だけである。その周辺銘柄や金利スワップはオプショナリティがないので、YCCが修正された後の世界を取引しつつある。撤廃疑惑が燻る中でYCCを何ヶ月も続けていると、新発10年債だけがいつまでも0.25%近辺に取り残され、金利カーブはそのあたりをオプショナリティの分だけ割高に放置して無視し始める可能性が高く、そうなるともはや何のためのYCCかということになり、YCCの正体や射程について世の中で広く議論がなされると日銀としては都合がよくないだろう。というわけで運よくグローバルでインフレと金利が反転しない限り、やはりYCCは今年中のどこかには修正されると考えるべきではないか。4/28に結論が発表される4月会合で何も出て来なかったとしても、どうせ7月には、どうせ9月にはと憶測がロールされそうである。
3/28からはただの無制限だけでなく「連続指値オペ」という代物も導入された。無限と無限を足しても無限であり、最終日に無制限に売れるのは変わらないのだから本来最終日だけオペをやれば十分で、その上で連日オペを続ける意味はあくまでも示威である。日銀は会合直前の4/26まで連続指値オペを予告したが、それも「政策変更前に脱出させてくれる箱舟か?」という解釈をされ、4日間で投資家から2兆円もの実弾を買わされる羽目になってしまった。恐らくそれに対して逆切れする形で日銀政策決定会合が開かれる4/27, 28も連続指値オペも発表されたが、さすがにこれは節操がなさすぎるだろう。置物だらけとはいえ一応は9人の審議委員がこれから会合を開くという中で、あたかも結論が決まっているかのように事務方が先に結論発表日にオペレーションを入れるのは僭越すぎるではないか。この日のためにせっせとリフレ派の無名おじさんを押し込んでいたのだと言われたらそれまでだが。
マイナス金利政策の方は修正(利上げ)したら今のYCCを維持できないに決まっているので、金融政策を修正するならあくまでもYCCが先である。異様に不評な政策であることは間違いなく、YCCがいつか(物価や為替ではなく)自らの構造的な問題で修正されるのと同様、マイナス金利政策もいつかマイナス金利政策自体への批判で修正されることになるだろう。もちろんYCCが修正されればマイナス金利政策の撤廃が「早期には絶対ない」からややハードルが下がって来るので、他の先進国と同様な先回り利上げ織込みが進む可能性はあるが、恐らくそれは実現しないので国債投資家にとってはフリーランチになるだろう。
マイナス金利政策導入直前の10年金利は0.25%程度、アベノミクス始動前でも10年金利が1.0%を割り込んでいた。直近で政策金利が0.25%を超えていたのは2008年であり、純粋期待仮説から言っても長期金利の居場所は自然体でもそこまで高くはなく、YCCを修正したところで長期金利は大して上がらないと思われ、むしろアク抜けになる可能性の方が高い。為替の方も、指値オペがアナウンスされても、またそれが空砲でなくなり実際に買入れが始まったと分かっても、更に4/28まで続く連続指値オペの発表を見ても、それをきっかけに大きく円安に動くことはありそうでなかったため、YCC修正でも瞬間的なパニックはあっても中期的には円高トレンドに繋がらなそうである。いつか急にやってくると思われるYCCの修正を見ても焦らないように今のうちに心の準備をしておくに越したことはない。
なお、政策変更をその前の日銀首脳部の行動や発言から読み取るのは無益である。マイナス金利政策の導入に際しても、直前まで黒田総裁はそれを「検討していない」と否定し続けていた。言葉にあまりにも信用がないので嘘発見器と言わんばかりに黒田総裁の表情をAIで解析しようという試みすらあったのに、歴史的に嘘付きだった首脳部の言動からシグナルを読み取ろうとすることほど無益な努力はない。
これより先はプライベートモードに設定されています。閲覧するには許可ユーザーでログインが必要です。
この記事は投資行動を推奨するものではありません。