ICE BofA MOVE Index
 5月FOMCでアナウンスされた「今後数回は50bp利上げ」パスが作った安寧は6月FOMCで破られた。5月分CPIが予想外にピークアウトしなかったこと受け、既に6月FOMC直前の連銀総裁が発言しないブラックアウト期間に入っていたFedは慌ててWSJのNick Timiraos記者に6月利上げ幅を75bpとするリーク記事を書かせ、市場参加者に75bp利上げを織り込ませた後にそのまま6月FOMCで75bpの利上げを行った。7月75bp利上げの織込みが進むにつれて米長期金利は一時3.5%近辺まで上昇した。それまでのガイダンスが「今後数回は50bp利上げ」だったにも関わらずFedが早速ガイダンスを破棄して75bp利上げに踏み切った理由は、パウエル議長の記者会見によると一つがCPIの高さ及び上方サプライズ、もう一つがミシガン大消費者サーベイのインフレ期待(長期・5年~)速報値の上振れであった。Fedが(リーク付きとはいえ)わずか1ヶ月前のガイダンスも破棄してしまったため、5月FOMC後の「Fedの市場織込み追認から主体的なガイダンス発信にシフト」の流れも破棄され、6月以降は「ヘッドラインCPIとミシガン大消費者サーベイ次第」レジームになってしまった。当然MOVEが6月前半と打って変わって高止まりした
Michigan Inflation Expectations 5y before Jun revise
Michigan Inflation Expectations 1y and 5y 
 FOMCの直前に発表された6月ミシガン消費者信頼感指数の期待インフレは「5年以上」が3.3%を付け、上昇トレンドが止まらないチャートとなった(上図)。3月の議事要旨にも5月の議事要旨にもミシガンのインフレ期待は登場しない。にもかかわらずミシガン期待インフレの上振れを理由に、多くの参加者は長期インフレ期待が2%のターゲットから離れて上昇し始めることを懸念した。速報値にすぎないもののミシガンは目立つ(eye-catching)数字であり、大半の数字が正常域にあってもいくつかの数字が気になるなら金融政策はそれらを重視して動く理由がある、という理屈である。挙句の果てにFOMC後に発表されたミシガン大期待インフレも確定値では上振れていなかったことが判明した。「目立つ」も何も、もし後世の大学院生がミシガンのチャートを引っ張ってきたとしても速報値は消されるので上振れは見えず、Fedが何を見て恐怖を感じたのか、当時を知る教授に聞かないと分からない。上図は見づらいが、3.3%の数字が描かれており当時の雰囲気が分かる貴重な史料である。本来ならば唐突にミシガンの議論を挿入したのは前のめりすぎだったと反省しないといけないところだが、一個の特定の数字へのリアクションではなく、あくまでも年初から継続する物価高騰への対応ということにしておけば問題ない。どうも世間も利上げの加速を支持しているようである。
Headline CPI and PCE
Core CPI and PCE 
TDS CPI Inflation breakdown
 2012年にインフレ・ターゲットを言明されて以来、Fedのターゲットは2%のCPIではなく2%のPCEである。後者は家賃のウェイトが小さく伸び率が慢性的に低く、反転まではしていないもののピークアウトと言っても差し支えないチャートとなっている。更にエネルギーなどの影響を除いたコアCPI、コアPCEは両方ピークアウトが明瞭である。しかし話題になるのはあくまでもコアではなく原油価格に大きく依存するヘッドラインCPIである。原油価格は需給や政治的な要素が大きく、それに対してFedの金融政策が影響を及ぼすルートは米ドル高誘導などに限定される。気軽に除いてしまうには原油価格上昇が消費者に与えるインパクトは大きすぎるのも事実であるが、いずれにしろ、いつの間にFedが見なければいけない指標はすり替わっている。バイデン大統領が「物価対策はFedの責任である」とFedに物価コントロールの責任を転嫁したのは全くの欺瞞である。政権の方でロシアからの原油輸入禁止を打ち出しておいて、数ヶ月以内にその影響で上がった物価が全く元に戻るようにFedが何とかしてくれると考えるのは虫がよすぎる。Fedは油田ではない。IMG_8672
Bloomberg Fed policy rate and CPI
 金融政策は万能ではないし、効くにしてもタイムラグがある。原油価格がガソリン価格に伝播するだけでも1ヶ月かかる。しかしFedがなぜそれを声高に主張できないのか。それはやはり昨年、供給制約による物価上昇を「一時的・Transitory」なものと決めつけた原罪のせいである。その後戦争が起きるとは誰も予想できないので必ずしも間違っていたとは言えないのだが、とにかく原罪には自己批判が続く。パウエル議長は議会で「インフレ抑制に無条件でコミットする」と約束し、ECBフォーラムでも「経済成長より物価対策を優先する」と約束させられることになった。そうすると今度は「激しい引締めのせいで経済が景気後退(リセッション)に陥る」との懸念が沸き上がることになった。当然経済のクラッシュを避けながら物価上昇を抑えるのは難しい舵取りとなるが、元財務長官、元連銀総裁といった肩書きの外野が「この程度の金融引締めではインフレを退治できない、リセッションは避けられない」と囃し立ててきた。これは「現役のFed高官が分かっていても口に出せない真実を遠慮なく王様の耳はロバの耳のように言える」というより、後輩の困難なチャレンジに冷笑と「昔はこうだった」を浴びせてやる気を削ごうとする気楽な高齢窓際社員に似ている。リセッションに陥るとすればそういうガヤに耳を貸したせいである。
Misery Index
 金融政策によるインフレ退治がワークするルートは需要サイドを圧迫して需要を低下させることと言われている。端的な表現をすれば消費者が「高くて買えない」から「失業したので買おうとも思わなくなった」への変換を行うにすぎない。失業率とインフレ率からなる「悲惨指数」の考え方からすると、失業率を上げることによっていインフレ率を引き下げる意義はない。なおその悲惨指数は1970年代並みの水準まで上昇しているが、悲惨指数が暗黙のうちに消費者の収入源を「雇用」に置いているのに対し、今回は現金をばら撒いてインフレを招いたのが先なので過去対比で少し割り引いて考える必要がある。いずれにしろ、景気減速を通してインフレを抑えようとしても一般的にCPIは最遅行指標である。まず景況感が動き、設備投資計画、採用計画、雇用者数、賃金が続き、所得が消費になり一般物価が動くという約1年半のサイクルになっており、供給制約より需要が重要だった期間においてはコアCPIは1年半前のISM製造業によって説明される。今サイクルの金融引締めの影響が既にコアCPIに到達したのはむしろ早すぎるサプライズである。物価は最遅行なので、物価の数字を見て金融政策を決めていたらバックミラーを見ながら運転することになってしまう。それがコロナショック前、相当な期間にわたってCPIの数字が全く取り上げられることがなかった理由である。景気は景況感で判断され、インフレの予想は雇用の引締り方を見て立てる。それが文明が進化した後の金融政策の姿である。
Bloomberg 2y 10y spread
 しかし原罪を背負ったせいでFedは退化し、最遅行であるCPIの数字を確認しながら金融政策を決めることになる。「先行指標によるとCPIは遠からずピークアウトする」ような供述は許されない。となるとFedには頭を使う余地すらないのでリセッション回避の努力さえもできない。短期市場において利上げが終わる途端に利下げに転ずるような織込み方が慢性化しているのは、最初は「中立金利を上回る利上げなのでインフレがピークアウトしたらいずれ戻す」というFedのロジックに沿ったものだったが、反転がよりダイナミックになっているのは、まさかインフレ退治の素早い成功への確信がどんどん深まったわけではないだろう。だとすれば短期金利内のインバートは金融政策の効き方にタイムラグがあるため、遅行指標を確認して利上げを終える時には既にボンネットの方は事故っている可能性が高いという論理を表現するものではないか。2 -10年スプレッドのインバートは定着しつつあるが、リセッションリスクを示唆するのはそちらではなく3M -18M3MスプレッドであるとFedは主張してきた。しかし利上げサイクルが進むにつれて3M -18M3Mがインバートするのも時間の問題である。こちらもパウエル総裁がずっと取り上げてきたものなので、半年後まで短期市場が現状のカーブを維持し続ければ、来年再利下げに転ずるかどうかは別として(筆者などは再利下げのロジックは立てづらいのではないかと思っているが)、利上げサイクルが今年12月に終わる織込みはどうやら自己実現するルートを持っているようである。
FRED 5y 10y 5y5y BEI
Bloomberg 2y 5y 10y real yields
 もちろんCPI以外の経済指標を重視するなら違う結論が出ていたと本ブログは主張したいわけではない。米国の雇用もピークアウトしつつも需給は堅調である。デフレーショナルな前兆はまだ景況感あたりまでしか来ていない。マーケットベースの長期インフレ期待(BEI)は概ね景況感に連動しており、Fedは歴史的にそれも参考にしてきた。BEIにアン・アンカリングの兆しがないだけでなく、長期(10年や5年フォワード5年)は既に金融引締めを受けて2%近辺まで低下している。市場参加者の間では長期的にはインフレ率をターゲット付近まで低下させていくだろうというFedの信認は完璧に維持されているのである。その織込みを「甘すぎる」とチャレンジしたいならばTIPが上場されているのでいくらでもポジションを取れる。名目金利が上がってBEIがピークアウトしたので10年、5年に続いて2年の実質金利もプラス域に浮上しており、今後の利上げ期待まで含めると金融政策はしっかり引締め的になっている。しかし6月FOMCにおいてFedは選択的にBEIを無視し、代わりにミシガン大インフレ期待を持ち込んだ。これはインフレ期待の決定者を機関投資家からアンケート回答者にシフトする民主化とも言えるが、ミシガン大インフレ期待のアンケートは結局は現実のインフレ率を体験した感想に規定されるので、先見性の面では退化である。それに伴い、概ね調和が取れている様々な先行・遅行指標を分析しながら景気や金融政策を予想してきた世界中の市場参加者が、一転してそれらへの知見を廃棄してCPIやミシガン大といった巨大なデジタル・リスクを取らされることになった。予め世界中の注目がこれらの指標に集約されているので、当てたところでリワードがあるとも限らないし、何よりも最遅行指標なので当てようと分析する行為の意義がない。まさに退化である。
Bloomberg Implied Policy Rate
 7月になって6月CPIもピークアウトしなかったことが判明すると、市場は7月FOMCにおける100bp利上げを織込み始めたが、金利カーブのインバートが進んだだけで長期金利は反応しなかった。最終的な利上げピークの水準は6月と大して変わっていない上に、ピークアウトと利下げ開始の時期はどんどん前倒しされている。Fedの反応関数はFedの勝手であるが、どうせそれは民意を気にして退化した結果、遅行指標を見て犯した間違いであるに違いないので長期金利はそれを認めないということである。

 ここに来てFedはさすがに再び雑音に抗うことにしたようである。CPIを受けて7月FOMCまでのブラックアウト期間入り前にウォラー、ボスティック、ブラードの3名が講演予定を入れており、その後に再びブラックアウト期間直前にミシガン大消費者信頼感の速報値が予定されていた。そのスケジュールなら、ボスティックはともかく他の2名は前回のトラウマで100bpを少なくとも否定はしないだろうと思われていたが、初っ端からウォラー理事があっさり「過度に金利を引き上げることはしたくない」「利上げ幅は75bpでもすでに大きい」「100bpの利上げをしなかったからと言って、FRBは仕事をしていないと見なさないでほしい」と100bp利上げ観測をプッシュバックした。最タカ派と警戒されたブラード総裁も「現時点で100bpの利上げを実施し、別の3回の会合でこれよりも小幅な利上げを行うことと、現時点で75bpの利上げを行い、別の3回でこれをやや超える幅での利上げを実施することの間に大きな違いはない」とCPI後の議論が朝三暮四であると指摘した(コンテクストを無視して「75bpと100bpには違いがない」と解釈するのは間違いである)。結論が明瞭なのでミシガン大の期待インフレを待つ価値がもうないということである。ターゲットを超えるインフレ下ではブラード総裁の意見は織込み方の上限を規定するが、その天井は年末3.75 -4.0%に設定されており、現状の織込みより25bpほど高い。
Bloomberg national Gas price 
Zerohedge Umich Inflation Expectations
IMG_8639
 皮肉なことにミシガン大期待インフレ速報値の方がCPIより先行性を見せた。6月CPIは原油価格と全米ガソリンのピークにちょうど当たっており、CPIでは上ブレ要因となったが、その後の反落にはミシガン大の方により大きなリアクションを見せた。もっとも下落幅があまりにも大きいし、1970年代を経験したかどうかでインフレ期待の分断が進んでいると思われるので速報値はブレやすくなっていると考えられ、従って額面通り「トレンドから外れるほど大幅な改善」と受け止めるのもまた憚られるが、いずれにしてもミシガン大は今後不確定要素としてはスコープから外れそうである。

 今から7月FOMCにかけてはブラックアウト期間に入るため、再び100bp利上げにシフトしたかったらNickを使ってリークさせることになるが、ここまで来て再転換するきっかけはあまり思い付かない。戦争の混乱が収まった後、Fedは5月は50bp利上げとそれに続く50bp利上げアナウンスで主体性を取り戻し、6月は慌ててそれを破棄して75bpに雪崩れ込み、更に7月に再び主体性を取り戻すなら、5月に下がって6月に上がった金利発のボラティリティは再び後退すると期待できるか。リセッション懸念はFedのバックミラー運転化が人為的に産み出したものなので、Fedのバックミラー運転度が低下するとそちらの確度も下がってくるだろう。インフレとの共存とまでは言わないものの、金融政策が効き出すまで時間がかかることが広く受け入れられれば、ソフトランディングへの狭い道は少しは広がる。

関連記事

Transcript of Chair Powell’s Press Conference June 15, 2022 
Minutes of the Federal Open Market Committee June 14–15, 2022  


Monetary Policy in a World of Conflicting Data -Governor Christopher J. Waller 
Bullard Discusses Policy Rate Increases and His Views of U.S. Recession Predictions

これより先はプライベートモードに設定されています。閲覧するには許可ユーザーでログインが必要です。


この記事は投資行動を推奨するものではありません。