Bloomberg US NFP
 米国の8月分雇用統計では雇用者数が市場予想を若干上回る伸びとなり、一方で賃金の伸びが鈍化し、失業率が上昇した。素直に見るとちぐはぐなデータだが、雇用統計の読み方は前回の記事の枠組みから外れていない。
FRED JOLTS and Unemployment
 雇用者数については「求人は多いに決まっており供給の方がボトルネックなので、NFPが増えたり減ったりするのがインフレ―ショナリーかデフレーショナリーかは直ちには分からない」としていた。需要側の求人の方が(失業者数より)ずっと多いのが一朝一夕では変わらない。とすれば雇用者数増は供給側の労働参加率の上昇の方に牽引されたものと見るべきである。
FRED Labor Force Participation Rate
FRED Labor Force Participation Rate Women
 労働参加率はいまだにパンデミック・クライシス前の水準を回復していない。55歳以上の引退間近の人達が労働市場に戻って来ないのはもブログの読者ならもはや常識であるが、こちらは依然動きようがない。一方、Prime Age Worker(25 -54歳)の労働参加率は一旦頭打ちになったように見えたのが再び大幅に改善した。つまり待ちに待った「米国民が労働に戻り始める」状態にようやく向かいつつあるものが示唆されている。

Bloomberg Hourly Earnings
 前回の記事では「平均時給の方のメッセージはもう少し明快であり、時給の伸び加速はインフレ―ショナリーに決まっている」とのことなので、平均時給が伸び悩むのはデフレーショナリーに決まっている。もっとも求人数の多さを反映して絶対値は依然高いのでデフレは言いすぎである。賃金については人手不足である限り、CPIと見比べながら賃上げを要求できる風潮もあると言われており、それは日本に住んでいる(非駐)ととても想像できるものではないが、とにかく本ブログがこれまで賃金の伸びが物価高騰の持続を支える構図を十分に想像できなかったのは反省点である。
Atlanta Fed Wage Growth Tracker
 アトランタ連銀の賃金トラッカーは雇用統計の平均時給よりも伸び率が高く6.7%となっている。この数字が恐らくは最も頻繁に「本当に3.5%程度の政策金利でインフレを引締められるのか」懸念の根拠として引用されてきた。もっとも直近では頭打ちになっている。
Atlanta Fed Wage Tracker by Wage Level
Atlanta Fed Wage Tracker by Education 
 アトランタ連銀によると低賃金層の伸び率は高賃金層の伸び率より遥かに高い。同じように学歴別では高卒が大卒より伸び率が高い。
Atlanta Fed Wage Tracker Switcher vs Stayer
 賃上げの多くは転職によって実現しており、これはJOLTSが失業者より遥かに多い限り当然である。一方、転職しない限り現雇用主に対する交渉力は必ずしも強いわけではなく、直近ではむしろステイ組の賃金上昇率は低下している。転職さえすればCPI並みの昇給を入手できるかどうかも市況次第なので、CPIが伸びたからと言って賃金がキャッチアップできるかどうかのは必ずしも自明ではない。賃金・インフレサイクルが進むかどうかはあくまでも慢性的な人手不足と景気の兼ね合いとなる。そういう意味で少なくとも株価対策でリストラを打ち出すのが基本動作である上場企業に関しては「引締めで景気が悪化、株価が下落しても賃金インフレが止まらない(ので株価が下がってもFedは引締め続ける)」という局面は存在しないと考えるべきだろう。
FRED JOLTS Quits and Layoffs
 その肝心な転職ブームも離職率を見るとピークアウトしつつある。
FRED JOLTS and Indeed
 JOLTS自体もピークアウトしたように見えるが、近い将来に失業者数並みの水準まで落ち込みそうには見えない。おまけに直近の7月分JOLTSは反発しており、市場参加者に雇用の強さについて驚嘆させたものの、反発幅を見ても先行指標とされているIndeed求人数と比較してもピークアウト自体を否定するものではないだろう。
NFIB Hiring Plans
 全米独立事業者協会による中小企業採用計画は失速し始めている。もっとも採用が減っても労働者の供給も減っているなら見かけほど雇用情勢は悪化しない。
Bloomberg Multiple Jobholders
 交渉力が限定される中で(物価上昇を受けて)収入を増やす必要があったのか、複数の仕事を持つ人も2019年を超えるほどではないにしろ増えてきた。
Bloomberg US Unemployment Rate
Bloomberg US Temporary Layoff
 失業率は上昇した。これは労働参加率が上がったのを受けたものなので「よい失業率上昇」と言われている。求人数は多いのでよほどミスマッチが続かなければ問題視されるほどの急上昇にはならないだろう。失業者の中で「解雇された」とする人数も底値圏で横ばいである。
Bloomberg Challenger Job Cut
 もっともそれは解雇されても次の職が見つかるだけで、チャレンジャー・グレイ&クリスマス社によると解雇数(企業発表)自体は昨年対比で30%増えている。

 まとめると55歳以上の労働市場からの大量退出に伴い人手不足は慢性化しており、雇用の逼迫を受けて賃金も高止まりしているが、直近では金融政策がきちんと景気悪化方向に効いており頭打ち感も出てきている。また54歳以下のプライム・エイジに関しては労働復帰が一段と進んでおり、ある程度の雇用の拡大と逼迫感の剥落は期待できそうである
Brookings Long Covid Number
 なお55歳以上が復帰しない理由は株高で資産形成に成功したしどの道リタイアが近いからというのが定説だが、大規模なコロナ後遺症の影響も取り沙汰されている。ブルッキングス研究所の研究によると米国の生産年齢人口(18~65歳)のうち約1600万人が新型コロナの後遺症(Long Covid)を抱えており、その影響で働いていない人が180万~400万人存在する。フルタイム換算で300万人の労働者は米国の民間労働力全体の1.8%に相当する。米国の労働参加率はパンデミック前と比べると1%程度低い水準まで戻って来たため、FIREブームどころか、Long Covidを除くとインフレでパンデミック前よりも働きに出た人が多いという計算となり、労働参加率の壁はいよいよ近づいているのではないかと懸念される。
Census Bureau reason for not working
 国勢調査局のサーベイでも、コロナ感染への懸念で働かない人数はだいぶ減って来たものの、看病やコロナ症状で働いていない人数は依然300万人程度存在する。これと「Long Covid」の集団が完全に被るわけではないが、だいたい似たような規模感である。
BofA NBER Recession variables
 米国景気のリセッション判定は簡易法では2期連続の実質GDPマイナス化だが、正式には全米経済研究所(NBER)が様々なファクターを元に今後総合的に判断する。「2期連続の実質GDPマイナス化でも雇用が堅調なのでリセッションらしくない」との声も多いが、その雇用の逼迫感も総労働需要の多さではなく、Long Covidなどによる(総賃金の減少を伴う)労働力供給の減少に由来するものなら、やはり素直にリセッションと呼称した方がよい気もするが、これは余談である。

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この記事は投資行動を推奨するものではありません。