Ukraine tanks
 すっかり注目度が下がってしまったウクライナ戦争について久々に。セベロドネツク・リシチャンシク戦役の後の情勢は圧倒的にロシア軍優勢、ウクライナ軍劣勢であった。しかしロシア軍と政権の戦争指揮はまたしても本ブログの予想の斜め上を行ったため、前回記事の敗北主義は滑稽なものになった。敗走する敵を追ってスラヴャンスク・クラマトルスク方面へと戦果を拡大するわけでもなく、セベロドネツク・リシチャンシク戦役に参加した部隊を中心にロシア軍は休息(Operational Pause)に入ったのである。

 志願兵の契約期間は3ヶ月であり、2ターム目までは多くの兵士が強制的に契約させられたが、2月の開戦から半年も経つと多くの将兵がロシア国内に引き揚げた。犠牲に敏感すぎるロシア当局はウクライナ戦争のシリア化を画策したようである。つまり攻勢継続をドネツク軍、ルガンスク軍、そしてワグネル軍に委ねてロシア軍はあくまでも支援的な立場に戻る、という戦前の態勢にこっそり戻そうとしたのである。あれほどSNSで目立っていたチェチェン軍はすっかり目撃されなくなった。ドネツク軍とルガンスク軍は大きく消耗しており、そうでなくてもシリア化の流れなら彼らもドネツク、ルガンスク州から出てロシアのために戦うはずがないので、戦争の主力は次第にワグネル軍が担うようになった。しかしワグネル軍もバフムートからマリンカにかけて8年間の内戦の間にウクライナ軍が構築した要塞線に貼り付き、アリバイ作りと言わんばかりに進展のない攻勢に数ヶ月費やした。スラヴャンスク・クラマトルスクこそがドンバス戦線北方のウクライナ軍の本拠地であり――南方の本拠地はマリウポリであった――バフムートはその外郭拠点のうちの一つにすぎず、そこで前進してもイジウムやリマンから後退する方が痛いにも関わらず、である。後に他の戦線がどんなに危機に瀕してもドネツク軍、ルガンスク軍、ワグネル軍は東部戦線から一歩も動こうとしなかった。

反攻・南方戦線

BMP in kherson
 要塞群を擁する防衛側は少数の兵力を貼り付かせるだけで戦線を維持できるので、敵の主力部隊が要塞群にこだわってくれるなら防衛側は一気に余裕が出て来る。総動員でかき集めた新兵は戦力化まで数ヶ月かかる――早々とセベロドネツクに放り込まれた新兵はあまり役に立たなかった――ため、それまでの間にロシア軍が一気呵成の勢いで新たな攻勢を掛けてきていたら詰んでいたのだが、貴重な空白を敵軍が与えてくれたのである。7月、8月と紛争の烈度が下がっていた間に、ウクライナ軍は70万人とも100万人とも言われる陸上兵力を編成することに成功した。リーダーとして新兵の群れに実戦経験を伝授できる熟練兵を一旦失うと部隊の再編成が難しくなるが、ウクライナ軍の主力旅団はよくも悪くも補充されてきた新兵(国土防衛旅団)を塹壕に追い立てて自らの戦力を温存していた。9月にへルソン州などのロシアへの編入を問う住民投票が行われるとの観測が流れると、その実行を許すわけにはいかないため、やや政治的な都合からへルソン反攻作戦は決行された。  8月末に始まったへルソン反攻作戦は悲壮極まる人海戦術の連続となった。地平線まで続く広い畑の向こうから突撃して来る敵をただでさえ狙撃しやすい地形になっている中、数ヶ月の間に曲がりくねった川が作る自然の堤防などを利用しながら三層にわたる陣地が構築されていたポーランドから送られてきたT-72が届いたためある程度の機甲部隊を編成することができたものの、それでも兵員に対して重装備が圧倒的に足りなかったため、戦車と歩兵戦闘車に加えて大勢の新兵が大量のピックアップ・トラックに乗って突撃した。つまりもはや機械化旅団とは言えず自動車化旅団を名乗るべきなのである。装甲にも守られず大平原を人海戦術で突撃してくるウクライナ軍に対し、数の上では劣勢のロシア軍は容赦ない砲火を一方的に浴びせた。たちまち、ムィコラーイウの病院は腕や足をズタズタにされた負傷兵であふれ返った。戦車が歩兵を戦車砲で吹き飛ばした後にコンクリート・シェルターに戻っていく。ドローンはすぐに妨害され、迫撃砲からスマホに至るまで逆探知され砲撃を呼んだ。5倍以上の砲火の格差も縮まらなかった。軍事ブロガー達が大好きなキルレシオをワシントン・ポストのインタビューを受けた兵士は5対1と見積もった。しかしそれでも新兵達の戦意は高く、装備の質や練度が高くても数の上で劣勢のロシア軍の防御線の隙間を、人海戦術を使って見つけては突破を図った。
Antonovsky Bridge
 へルソン市をはじめとするロシア軍占領地の最前線と後方のクリミア方面はドニエプル川によって隔てられており、川に架かるアントニフスキー大橋に対してウクライナ軍は執拗にHIMARSで砲撃を加え、橋面に多数の穴を開けて敵の補給を遅滞した。9/5に至りへルソン州のロシアへの編入を問う住民投票が治安悪化を理由に延期された。「欧米製の質が高い兵器で装備されたウクライナ軍が劣悪な装備と人海戦術に依存するロシア軍に対して優位に立てる」との解説は二重に間違っている。人海戦術に依存したのはウクライナ軍の方であり、また陸戦では人海戦術は士気さえ維持できればそれなりの効果を挙げられるのである

反攻・北方戦線

Sep Kharkiv counter offensive
 攻勢3倍の法則などと言われているが、実は数が少ない方こそ積極的に攻勢に出続けなければならない。敵より数が少ないのに守勢に回って戦場設定の主導権を敵に委ねたら全ての戦線を同時に維持できるはずがないのである。へルソン方面の消耗を気にせずーー何と言っても敵の5倍に近い70万の将兵を動員できるーーウクライナ軍は二段構えと言わんばかりに北方のハリコフ方面でも反転攻勢を開始した。ロシアにとってクリミアの水源地であるへルソンはハリコフの占領地より遥かに重要であり、慢性的に兵力が不足する中イジウムに第4親衛戦車師団を残して空挺軍など多くの主力部隊をへルソン方面に引き抜いていた。ハリコフからキエフにかけて転戦させられていた第1親衛戦車軍の他の部隊は損耗が激しすぎたのか、大半がロシア領に撤収したまま帰って来ない。その戦力の隙、例えばイジウムに駐屯していた24個BTG、18,000人が半減していたのを、開戦当初からハリコフ方面で健在を誇っていたウクライナ軍は同盟国の偵察能力を借りながら察知して活用した
Ukuraine soldiers in Kupyansk
 へルソン戦線と違って国際的な注目度が低かった分、ハリコフ戦線のウクライナ軍は政治的都合からの干渉を受けず、軍事的な観点から自由に戦場を設定できた。前回の反攻作戦がイジウムの東西に広がる森林地帯で消耗しているうちにグダグダになった戦訓も取り入れ、イジウムを直接攻撃する代わりに、イジウムとロシア領を結ぶ鉄道の中枢となる操車場が位置する、オスキル川の東西両岸に広がるクピヤンスクに向かって突撃した。ウクライナ軍は限られた装備でソ連軍のドクトリンだった縦深作戦を小規模ながら模範的に再現した。戦車大隊を第一陣に集中投入し、敵陣を突破すると残敵掃討や守備隊の配置は第二梯隊に任せ、楔の先端は漸減することなく次の拠点に素早く向かい縦横無尽に暴れることができた。新しい占領地を守備する兵員の捻出は造作なかった。数が少ない有象無象の新兵器よりも圧倒的に、機甲部隊によるソ連軍風の集団突撃の方が効果的だった。特殊部隊は主力部隊がまだ到着していない町に潜入して記念撮影をテレグラムに上げ、ロシア軍の混乱と動揺を誘った。一旦後方の道路網に接続してしまえば、リアルタイム索敵能力の低いロシア軍が車列を捕捉するのは一気に難しくなる。これは中東やアフガンでもピックアップトラックの車列が高い機動性で正規軍を翻弄できた背景でもある。これをロシア軍がやろうとしていた時期は住民が車列をリアルタイムでSNSに晒し続けた。また緒戦のロシア軍の攻勢では兵力が少なすぎたせいで第一梯隊も占領地に薄くばら撒かれることになり自然停止に追い込まれてきた。
Kharkiv counter offensive
 クピヤンスクをハリコフ方面のウクライナ軍から守る前進拠点としてシェフチェンコヴ、バラクレヤがあるが、こちらにはパラミリと少数の特殊部隊、そして開戦後ルガンスク州で徴発した新兵からなる、ヘルメットさえ配られていなかった予備連隊しか配置されておらず、ウクライナ軍機甲部隊の姿を見ると彼らは一目散に逃げ散った。9/6の攻勢開始から数えて翌9/7には第93機械化歩兵旅団がバラクレヤを奪還、9/8にはシェフチェンコヴも陥落、9/10には第92機械化歩兵旅団と第80空挺旅団はクピヤンスクに突入した。赤軍時代の大縦深作戦と異なり、この突撃は敵の制空権の下で敢行されたものなので、都市や集落を絶えず素早く占拠し続けなければならず、敵が市街戦を行う覚悟で死守を決め込めば攻勢はそこで止まるところだった。しかし明らかにロシア軍の留守部隊に市街戦の覚悟がなかったため、攻勢の戦果は雪だるまのように膨れ上がった。この地域のロシア軍の空洞化は関係者全員の想像以上であり、イジウムに詰めていた第4親衛戦車師団などの主力部隊も後方のクピヤンスクが脅威に晒されたと判明すると、迷わず多数の戦車を遺棄しながら撤退した。開戦当初ロシア軍があれだけ時間をかけて攻略したドンバス戦線北部の重鎮イジウムはあっけなく陥落した。9/6の攻勢開始からわずか10日間でウクライナ軍は6,000平方キロメートルの領土を奪還した。
Washington Post abandoned tank in Izyum
 戦争中に前線から兵力を撤退させた挙句にそれを敵に察知されて当たり前のように戦線が崩壊したのはロシア軍事史上に残る大失態である。中央軍管区の司令官ラピン中将と、熟練兵で構成された空挺軍の大半をヘルソン戦線に引き抜かれた西部軍管区のジュラブレフ中将がそれぞれ更迭された。もっともロシア軍があまりにも素早く逃亡したため、奪還した領土の広さの割りには敵にほとんど損害を与えられなかったのはウクライナ軍も認めるところである。本ブログの追撃戦への認識は歩兵主体だった時代の古いものだったようで、撤退する機械化旅団を航空戦力抜きで捕捉殲滅するのは案外難しい。キエフ戦役にしろリシチャンシク戦役にしろ、敵前撤退から一方的な追撃・掃討戦に移行したわけではない。それでもハリコフ戦線の戦闘が一方的だったのは明らかである。ロシア領の目と鼻の先で大規模な反攻作戦が行われたにもかかわらず、陸軍の増援が一切なかっただけでなく、空軍による航空支援さえも限定的だった。ウクライナ軍の反攻作戦は日を追うごとに大胆なものになり、ついにハリコフ州だけでなくドネツク州に入って要衝リマンを郊外から堂々と包囲した。イジウムのロシア軍と違ってリマンを守備する第3スペツナズ旅団、ルガンスク軍とコサック連隊は死守を決め込み、9/10の攻撃開始から数えてウクライナ軍の猛攻に3週間耐え抜いたが、3週間経ってもロシア軍の援軍はついにやって来ず、「死の道」とも呼ばれる敵の砲火に封鎖された一本道を通って撤退することになった

 こうしてハリコフ反攻作戦は期待以上の大勝利で終わった。不調だったヘルソン反攻作戦もロシア軍をハリコフ方面から引き離す陽動作戦だったとする声さえ上がったが、もちろんそれは三国志、それも演義の方の読みすぎである。もしそのような陽動作戦を考えていたならハリコフ戦線を陽動としてへルソン戦線を真打ちに選ぶだろう。ハリコフ方面よりへルソンの方が遥かに政治的意味が大きく、また一旦奪還に成功した後も守りやすいからである。たまたま上手く行かなかったからと言って、現地の部隊が忠実に攻勢を決行して甚大な被害を出したへルソン戦線を陽動として片付けるのはあまりにもアンフェアな話である

4州のロシア連邦への併合

Staged referendum in occupied regions of Ukraine
 ロシア軍がいとも簡単にハリコフ方面の占領地とそこの協力者を見捨てたのは政治的に大きな衝撃を呼んだ。クピヤンスクを奪還した後に親ロシア協力者の粛清が行われ、協力者と思われる民間人の男女の手足を縛って谷底に蹴落とす動画をアゾフ大隊のマキシム・ゾリンが公表した。他の州の傀儡政権の関係者は震え上がったに違いない。恐らくは協力者の不安と不信感を鎮めるために、プーチン政権は占領地が広がるドネツク、ルガンスク、ヘルソン、ザポリージャ四州のロシア連邦への併合を宣言せざるを得なかった。ロシア併合のための住民投票を言い出したのは4州の軍政権の指導者ということになっているがあながち嘘ではないだろう。プーチンの性格の最大の特徴は「猜疑深く優柔不断」である。優柔不断な人間ほど自分で決められない分、目の前に都合のよい「決め手」が提示された時、そして自分の思考回路にマッチした流れが作られている時に飛び付きやすい。住民投票は親ウクライナ住民の多くが難民になった後、文字通り銃口の下で行われた。そうでなくても住民投票による国境の変更は許されるべきではない。そもそも住民投票の後も4州の国境自体がきちんと定義されたわけではない。
Russian conscription
 そして占領地が一旦ロシア領に編入されると、奪還された時の恥のかき方はそれまでの比ではないので、ロシアは最後まで嫌がっていた兵士の追加動員にもつれ込むことになった。プーチン政権はこれを「部分動員」と呼んで総動員ではないとの印象付けようとした。いずれにしろ、経緯からして30万人の総動員は新たな攻勢のためではなく、占領地を敵の奪還作戦から防衛するための守りの総動員である。ウクライナ軍さえも開戦と同時に行われた素早い総動員から戦力化まで4、5ヶ月かかっている。ロシア軍も総動員から戦力化までの最も苦しい期間を、従来の少ない兵力で耐え抜かねばならなかった。陸戦では打開策がないのでドローンと巡航ミサイルでウクライナ国内の送電網に大規模な空襲を仕掛けたものの、結局2022年が暖冬で終わったこともあり、敵の後方で人道危機を作り出そうとする試みは惨めに失敗した。

第二次反攻作戦の総仕上げ・ヘルソン市奪還

Kherson counter offensive
 ウクライナ軍の士気は最高潮に達した。敵の動員兵の戦力化が完成するまでの期間が最後の大攻勢のウィンドウであり、立て続けに攻勢に出続ける以外の選択肢はない。ロシア軍は損害の拡大を嫌ってそのウィンドウを無駄にしたがウクライナ軍は敵の失敗を繰り返さず、前線にほとんど全軍を投入した。ヘルソン反攻作戦は目を覆いたくなるような損害を受けて一旦は停滞していたが、ハリコフ戦線の大勝利に鼓舞される形で再開され、20個旅団以上のウクライナ軍は損害をものともせず敵の防衛線を兵力の薄い上流方面から着実に削り取っていった。外郭陣地を失ってもヘルソン市内で市街戦を決め込めば相当長い期間にわたって消耗戦に持ち込むことができるが、ロシア軍には市街戦で使い捨てにできる歩兵がなかった。元よりヘルソン市はドニエプル川の西岸で他の占領地から川を隔てて孤立しており、貴重な空挺軍を敵の半包囲下で一方的な砲撃に晒すわけにはいかなかった。ロシア軍はヘルソン市からの撤退をあっさり決定し、ドニエプル川西岸を全て放棄した。ウクライナ軍が先立ってロケット弾で穴を開けたアントノフスキー大橋もロシア軍によって爆破された。ここに至りロシアにとってのウクライナ戦争の戦果はヘルソン市を含まないヘルソン州の一部、ザポリージャ市を含まないザポリージャ州の一部のみになったヘルソン市を奪還したウクライナ軍はマリウポリ、更にクリミアの奪還にまで希望を持ち始めた。実際南北の両戦線が河川などにぶつかって概ね安定した後、ザポリージャ州を中央突破してロシア軍占領地を東西に再び分断する準備までは行ったに違いない。

戦局を逆転させたワグネル軍の一点突破

Bakhmut trench
 しかし、ここで戦局は再び韻を踏む。地の利を生かして敵の最精鋭であるワグネル軍を牽制し続け、南北両翼の反攻作戦の勝利を支えてきたバフムート戦線を、いよいよ正面の敵が本格的に突破し始めたのである。ウクライナ軍は続々と主力旅団を増援としてバフムート戦線に送り込まざるを得ず、第一次世界大戦の映画でしか見たことがないような泥まみれの塹壕戦が長く寒い冬にわたって続いた。陸戦における塹壕の重要さと有効さは100年前からあまり変わっていないし、塹壕戦が兵士に要求する忍耐と消耗も減っていない。ロシア軍兵士が寒い塹壕に耐えられず、弾薬蓄積所にもなっている学校の建物の中で数百人で固まっていたところにロケット弾の直撃を受けて盛大に誘爆した不祥事も話題になった。

 戦前5,000人程度の部隊だったワグネル軍は囚人の募集などを通して5万人まで膨れ上がっていた。米国の情報機関によると内訳は10,000人の志願兵と40,000人の囚人ということになっている。これはロシア軍の充足率スカスカの諸兵科合成軍5個分に当たる。しかも大半が貴重な歩兵であり、市街戦や塹壕戦で発揮される戦闘力は車から降りられないロシア軍部隊と比較にならない。以前の記事でも触れたようにロシア軍より待遇がよかったので、どのみち招集がかかりそうなベテラン退役軍人の多くはワグネルに応募した。ロシア軍の無能で硬直した上意下達型の指揮系統を回避することもできた。では完全にトップダウンかというと、現場の部隊がしばしばテレグラムで軍隊組織の外に向かって不満を公表するのも止められない、もはや全てがグダグダなロシア軍と比べ、ワグネル軍の方が必要な犠牲を許容しても攻撃精神を重要視していたことも間違いない。だからと言って、戦術やテクノロジーでは敵を圧倒していたウクライナ軍が、犠牲を顧みない囚人の人海戦術に押されてついに仕方なく後退したという構図で解説されているがこれは抗日ドラマ並みの虚構、戦争ポルノである。8年間かけて築かれた要塞群に向かって歩兵が人海戦術で突撃したら5万人などあっという間に壊滅してしまう。
Jomini Bakhmut bridgates
 12月時点でバフムート戦線に参加していた主力旅団は第60、71海兵旅団、第24、57、58機械化歩兵旅団、第4戦車旅団、第46空中強襲旅団、第128山岳旅団等になっており、3月時点では更に第28機械化歩兵旅団、第3突撃旅団第17戦車旅団、第93機械化歩兵旅団など錚々たる面々が確認されている。更にこれらの主力旅団には動員兵が詰め込まれた12個以上の国土防衛旅団が付き従っており、主力旅団の兵力が損耗すると国土防衛旅団から動員兵が補充されてくる。合わせるとウクライナ軍はこの方面に実に25~30個旅団という信じがたい大兵力を投入している。ドニエプル川の自然国境化がヘルソン~オデッサに配備していた部隊の大半の転進を可能にした。数の上で優勢であるウクライナ軍は数の上で劣勢なワグネル軍に、半年経ってもまだ人海戦術に押され続けているというのか?
 ワグネル軍が用いているのはもっと平凡でオーソドックスな浸透戦術である。少数の兵士を突出させて敵の火力をおびき出し、居場所が分かったところに改めて砲撃を行う。これをただ地道に繰り返すのである。練度の低い新兵は敵兵の姿を見ただけで「銃身が灼熱するまで」乱射を続ける。射撃を受けて地面に伏せた敵兵は「人海戦術の犠牲者」にカウントされていくが、肝心なウクライナ軍の陣地は次々と失われた。1月中旬にバフムートの左翼を守る塩鉱の街ソレダルが陥落し、バフムート戦線での攻勢がまだ続いていたことを我々に教えた。ソレダルを守備していた旅団の一つである第46空中強襲旅団は「部隊の半分以上が補充兵となり、互いのコールサインを覚える暇もない」と表現していたが――それは半数以上の将兵が死傷したことを意味する――それほどの激戦の末にバフムートへの撤退を余儀なくされた。こうしてバフムートは南北両翼から圧迫され始め、塹壕戦から市街戦に移行していく。歩兵が少ないロシア軍は常に市街戦を嫌がり、敵を半包囲して砲撃を送り込み、補給線を圧迫することで撤退に追い込もうとしてきた。しかし、よくも悪くもロシア軍と違ってウクライナ軍は半包囲されただけで撤退するような敗北主義とは無縁であり、どの都市でも戦況がかなり悪化するまで粘り続けてきた。
Bakhmut supply route
 それからのワグネル軍の前進は緩慢であった。高層ビルが多い市街地に近付くにつれて進展が遅くなるのは当たり前である。南北両翼の高地を次々と占領されると市街地だけを死守しても意味がないのでウクライナ軍は一度はバフムートからの逐次撤退を検討したが、恐らくは政治的な理由から再び死守を命じられ半包囲ポケットの中で背水の陣を敷いた。ザルジニー大将をはじめとする軍の首脳部が「バフムート防衛の強化に同意した」とことさらウクライナ政府が発表したのはそういうことである。後方のスラヴャンスクとコンスタンチノフカから伸びる南北二本の国道が守備部隊の補給線であったが、その補給線を両翼のロシア軍は徐々に射程距離に収め始めた。走行中のトラックを狙撃するのはさすがに難しいが、補給線を切断されないようにウクライナ軍は後方の国道沿いにも大兵力を展開せざるを得なかった。国道沿いに並べられた旅団群に対してロシア軍は両翼の高地から一方的に砲撃を送り込んでくる。
Ukraine soldiers in Bakhmut
 ここまで態勢が出来上がってしまうと、バフムート自体がどれほど長く持ちこたえられるかはもはや重要でなくなる。より長く粘ったところでウクライナ軍の損害が増すだけだからである。強いて言えばキルレシオが火力や練度の格差ほど広がらない市街戦なら人海戦術で憎きワグネル軍を漸減させることができる。しかしそのために補充兵は市街地に残っている陣地に辿り着くまでに敵の十字砲火に晒されながら回廊を通らなければならない。人海戦術には2週間しか訓練を積んでいない新兵も容赦なく投入された米国人義勇兵は市街戦でのウクライナ兵は平均で4時間しか生存できないと表現した。負傷した将兵も同じ回廊を通って後送される。舗装道路を使えない車両は春の泥濘の中でもがき回った。バフムートの死守にウクライナ軍がこだわったのはまたしても政治判断であるが、バフムートがいつまで持ち堪えられるかはもはやロシア軍とワグネル軍が、続々とポケットに送り込まれてくるウクライナ軍の殲滅と、5/9の勝利記念日に合わせた陥落宣言のどちらを優先するかで決まるのが現実である。バフムートと共に8年間のウクライナ内戦で元ドネツク人民共和国の正面を抑えてきたマリンカとアヴディフカも概ね同じ構図になっている。

ロシア側連合軍の攻撃精神の限界

Russian trench in south ukraine
War mapper Russian defensive fortifications
 ここまでの攻勢はあくまでもワグネル軍が主力であり、ロシア軍は基本的に火力支援を提供したにすぎない。大々的な「部分動員」で揃えた30万人はどこに行ったのか。この30万人を用いて冬季攻勢、それも第二次キエフ攻撃が行われるのではないかとの噂も囁かれたが、それは恐らくロシア軍の欺瞞に引っかかっており、冬季攻勢など最初から存在しなかったと考えるべきだ30万人が数ヶ月かけた傑作は1,000キロ以上にわたる戦線全域での野戦築城、つまり塹壕である。筆者は既に30万人動員の経緯は攻勢ではなく占領地防衛のためと述べたが、この長い塹壕の存在もそれを裏付けている。同時に裏付けられたのはロシア軍首脳部の相変わらずの攻撃精神の欠如である。バフムートの戦略的意義は度々疑念を持たれてきた――陥落するたびにウクライナ軍が「そこは要衝ではなかった」と言い訳するのは今に始まったことではなく、マリウポリでも同様であった――が、現実的にバフムート攻略の目的はそこを通って前進するというより、むしろ周辺の高地を抑えることで将来のウクライナ軍の反攻作戦を阻止しやすくするためと見るべきではないか。更に、幸運にもウクライナ軍は主力旅団群をわざわざ不利なポケットの中に滞在させているので、それを効率よく殲滅することもでき一石二鳥であった。確かにバフムートが陥落すればスラヴャンスクが再び(高地から物理的にも)視野に入ってくるが、これほどまでに攻撃精神が欠如しているロシア軍がスラヴャンスク戦役まで一気呵成するイメージはあまり付かない。既にソレダル戦役の終盤からロシア軍はワグネル軍への砲弾供給を断続的に妨害し始めた。戦争を通してワグネル軍があまりにも巨大化すると軍閥化が目に見えているからである。もちろんワグネル軍とロシア軍が反目しているとまで言い切る人がいたらそれはまた三国志演義の読みすぎであり、ワグネル軍はそれでもバフムート戦線で前進を続けたが、戦役が終わる前からこの体たらくなのでスラヴャンスク戦役どころではない。一度はロシア軍もワグネル軍の真似をしようとドネツク州南部の拠点ウグレダルの攻略を試みたが大火傷を負って失敗しており、ワグネル軍の代わりがいないことが判明している。ウクライナ軍にとって(部隊の喪失はともかく)バフムートの喪失そのものはセベロドネツク、リシチャンシクに続く縦深防御の一環として割り切れれば別に致命傷ではない

オープンリーチの第三次反攻作戦へ

41st Brigade training
Ukraine brigades for counterattack
 とはいえ30万人の動員兵と塹壕は揃ったので、前回の第二次反攻作戦の時のようにロシア軍の兵力が薄すぎる箇所を見つけて電撃的に突破するのは困難になっている。ウクライナ軍の観測によると国内に滞在するロシア軍の兵力は48個旅団と112個連隊、合わせて将兵約37万人である。それでも春季攻勢とも言われるウクライナ軍の三度目の反攻作戦に向けられた期待は大きい。ウクライナ軍は後方で西側の装備で編成された12個旅団、5万人とも言われる反攻作戦用の予備部隊を――歯を食いしばりながら――主力部隊が苦戦するバフムート戦線に送らずに温存した。しかし米軍が漏洩した内部文書から予備旅団の編成を確認した軍事ブロガー達が愕然としたように、相変わらず戦車が圧倒的に不足している。T-72は既にほとんど前線に投入されており、反攻部隊は主力旅団でも多くの戦車大隊はT-55やT-64に先祖帰りしている。ロシア軍の動員と要塞線の構築が進む中、ウクライナ軍の春季攻勢が上手くいくとは一般的には思われていない前回の反攻作戦は正面の敵情を緻密に分析した上で電撃的に行われたが、政治的に反攻作戦ありきと決められ、更にタイミングにまであれこれ口を出されては前回の再現は難しい。ヘルソン戦線は広いドニエプル川の渡河作戦になる。ハリコフ方面も政治的に意味のある戦果を上げづらい上にロシア領に側面を晒すことになるので、やはり前回実行に移せなかったザポリージャ州の北から海岸線に向かっての中央突破の再現を目指すだろう。これに成功すればロシア軍の支配地域は東西に分断される形になり、この戦争で新たに獲得した占領地は取るに足らない面積になる。
Mainichi Leopard 2 in Ukraine
 主にT-72をはじめとするソ連時代の車両で行われた前回の反攻作戦と比べると、レオパルド2やM2ブラッドレーをはじめとする欧米諸国製の装備も届き始めている。しかし大事なのはやはり数である。両軍とも「牽引砲よりはマシ」と倉庫の中で眠っていたT-54/55シリーズにまで手を出したのがその証拠である。そもそも戦車大隊同士の正面決戦など誰も想定していないので、西側の新型戦車ならソ連製戦車を相手に一騎当千できるので少数精鋭でも十分、と考えていた人がいたなら失望させられるだろう。予備兵力が12個旅団なら、同数の兵員補充用の国土防衛旅団を足したところでバフムート戦線に張り付いている25個旅団と同程度の規模しかない。しかもバフムート戦線の旅団群とは実戦経験がまるで違う。昨年夏と違って東部戦線で間断ない戦闘が続いているため再び熟練兵の消耗が問題になってきた。いや訓練の方が下手な実戦経験より効果的である、という声もあるだろうが、そもそも訓練を担うNATO軍自身も今の戦局にフィットするような、制空権がなく火力でも圧倒的に劣勢の状況下で粘り強く抵抗し続ける経験を持っているのか。これまで供与された西側の装備のうち、M-777はハイテクも軽量さも全く役に立っていないが、とにかく数が多かったのでNATO軍規格の155mm砲弾――在庫が尽きそうなソ連規格の152mm砲弾ではなく――を使える前線の牽引砲として大がかりに活躍している。HIMARSは登場当初こそ主に橋梁や弾薬集積所などの固定目標に対するアウトレンジ砲撃で活躍してロシア軍の兵站に負担をかけたが、半年も経つとすっかり対策されて目立たなくなっている。ロボットアニメと違って陸戦では少数の新兵器が戦況を大きく変えることはないのである。反攻作戦の成否は前回と同じく、ロシア軍がどれだけ愚かしいオウンゴールを見せてくれるかにかかっている。

停戦への険しい道

Ukrainian soldiers in trenches
 まとめると、今後の戦局としてはどちら側の攻勢も効果を挙げづらく、合計100万人以上が1000キロにわたってばら撒かれた戦線で長い消耗戦に陥ると思われる。前線の兵力が多ければ多いほど、凡ミスを挽回する機会が増えて膠着に陥りやすいのである。普通ならそうやって千日手になったところで両軍にとって戦闘を続ける意義がなくなるので停戦交渉が始まり、それがまとまるまでの間、実効支配線を動かして交渉を有利に運ぶための局地的な戦闘が更にダラダラと続くパターンが定石である。しかしロシア軍の勝ち逃げは許せないので、ウクライナ軍が西側の現代的な装備を使って反攻作戦で勝利を収めて国土を回復するまで「停戦」の話をしてはならないのがポリティカル・コレクトになっている。もはや停戦という言葉を発すること自体がスティグマになっているが本来停戦とはそういうものではない。安保理がこれまでに決議した停戦命令でも、戦闘行為の停止と共に両軍とも国際的に認められた国境までの後退が前提となる。「国際的に認められた国境」とは当然2022年2月の開戦前の国境であり――ウクライナ側はクリミアも含む1991年時点の国境線を主張する――たとえ銃口の下で住民投票を行っていようと、停戦は占領地の追認を決して意味しない。停戦(ceasefire)と国境画定などを含む平和条約締結を伴う終戦は別物であり、和平交渉が決裂すれば戦闘を再開しても責められることはない。
Ukraine invade meme
 プーチン政権の戦争決意に至るロジックが最後まで不明だったことが停戦時期の予想を難しくしている。本ブログのこれまでの史観では、2つの人民共和国をウクライナの不安定化のためのカードにしながら2014年の忌々しいユーロマイダン革命前まで現状復帰したかった、というものだが、内戦でウクライナ軍に押されはじめた2つの人民共和国はカードたる地位に甘んじず、ついにロシアを全面戦争に引きずり込むことに成功しただけでなく、ロシア連邦への併合によって停戦交渉をも極めて困難なものにしてしまった。当初は何であったとしても、今のプーチン政権の気持ちは、資金も人命も消耗する戦争は今すぐにも終わらせたいが一旦併合した領土は手放すのは悔しい、という子供じみたものになっているはずだ
Ukraine soldiers
 ウクライナ側は予備兵力による第三次反攻作戦が成功する希望が残っている限り停戦に応じることはない。もし幸運にも第三次反攻作戦が再びロシア軍の愚行に当たって順調に進んだらプーチン政権の戦意を喪失させるのは難しくないが、停戦の話をしてはいけないので次の均衡点で消耗戦に転ずるだろう。もし第三次反攻作戦で大損害を受けて挫折すると、ウクライナ側はかなり厳しい決断を迫られる。逆に早期停戦シナリオはそれしかない。米国からの武器支援も反攻作戦の成否によって決まる。それだけ予備兵力の喪失は耐えがたいので、万全を期せない限り第三次反攻作戦はいつまで経っても開始されないかもしれない。その場合はやはり消耗戦に両者が耐えられなくなるまで続いた後、停戦に向かうと思われる。消耗戦はバイデン政権とプーチン政権のどちらが先に居なくなるかの競走でもある。今やロシア軍の方がバフムート戦線に投入する戦力を絞っており、主力部隊はあくまでも第三次反攻作戦に備えているので、反攻作戦をバフムート陥落前に間に合わせる意味もない。作戦を開始するタイミングと戦場の選択の自由度をもっと前線司令官に与えるべきである。停戦に向かう図も今ひとつ想像が付かないものの、では何年も続く持久戦になるかと言うと、始まる前からまるで痺れを切らしたように反攻作戦が叫ばれているようでは、少なくともウクライナ側はあまり持久戦を想定していないと見なされても仕方ない。
S-300 hit Poland
 NATO軍などを巻き込んだ戦争のエスカレートの可能性は、昨年11月にウクライナ軍がNATO加盟国のポーランドの村にS-300を誤って墜落させた後、NATOも米国政府もウクライナの主張を無視して「ロシア軍の仕業ではないように見える」と早々と発表した時点でなくなっている。逆にロシア軍が押され続けた挙句に核兵器をに手を出す可能性も低くなっている。この戦争が多少長引いても世界に新たな不確実性をもたらすことはなさそうだ

兵器と人員

152mm artillery shells
 ロシアは経済制裁を受けながらも戦時体制で砲弾や戦車の量産を続けている。巡航ミサイルなどはもうすぐ在庫が尽きると言われて1年経った。逆にこれだけ在庫が続くにもかかわらず開戦当初の空爆への投入をケチったのは愚かしい判断だった。半導体をはじめとするハイテク部品の輸入は制裁で止まっているが民用品を流用しているようである同じく経済制裁を受けている仲間のイランから供給されたドローンも同様である今でもロシア軍は毎日2万発ウクライナ軍は毎日7,700発の砲弾を消費している。西側の武器弾薬の生産と供給はウクライナ軍の需要に全く追いついていない。中でも欧州諸国の空洞化がひどく目立っており弾薬供給の韓国への依存が目立ってきた。常在戦場の東アジア諸国が欧州と比較にならないほど重武装国家揃いであるのでこれは必然である。今回の陸戦は規模こそ大きいものの、東アジア諸国の軍隊にとってはあまり参考にならないくらい、両軍の物量面でもテクノロジー面でも厳しい制約を受けている

 ドローンを見ても、安価なカミカゼ・ドローンは巡航ミサイルを代替するポテンシャルを見せており、また「徘徊弾薬」として――対空砲火を恐れて今ひとつ活躍できない攻撃機の代わりに――車両に対しても高い攻撃能力を見せているが、プレデター級の機体の投入が禁じられている以上戦争ごっこのようなものである。迫撃砲弾を空からフラフラと落とすタイプのドローンに至っては戦争ポルノムービーを量産しただけで戦局に全く影響を及ぼさなかった。
Russia death toll by branch
 両軍のこれまでの損害。ロシア軍の戦死者数統計はBBCのロシア語チャンネルが最も確実である。今月までにBBCは20,451名のロシア軍兵士の戦死を名前付きで確認している。うち空挺軍が1,674名と1割弱を占める。SNS等に名前が登場せず葬式も挙げられなかった天涯孤独な兵士もいるだろうから、実際の戦死者はその倍に達すると予想されている。更に主に戦争前半に消耗したドネツク軍、ルガンスク軍が加わる。ワグネル軍の戦死者は3,080人が確認されている。合わせるとロシア側連合軍の死者は5万人を超える可能性が高い。米国政府は昨年12月以降の戦死者数が2万、うち半分がワグネル軍が占めるとしているが、戦死者には数倍の負傷者が伴うのが普通なので、1万人も戦死していたらワグネル軍は今頃存在していない。ウクライナ側は最初から戦果を過大に発表していたのを途中でやめられなくなり、直近では敵の戦死者が実に18.8万人まで膨れ上がっている。ウクライナ軍の戦死者数はオフィシャルには隠蔽されているだけではなく、話題にするのもタブーである。昨年11月にフォン・デア・ライエン欧州委員長がうっかり「ウクライナ軍10万人が戦死した」と喋ってしまったところ、ウクライナ政府が激怒し1万3千人に訂正している。だがどちらの数字が正しいか、これまでの戦況の推移から概ね察することはできるだろう。陸戦は地獄である。

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