FT 30y Gilt Yield 
Bloomberg UK 30y Yield daily change 
Bloomberg 30y Gilt Price
 イギリスの30年国債金利が1日で50bp上昇した後に100bp下落と極端な値動きを示した。22日のBOE定例会合(MPC)からの債券の値幅で言うと24%落ちて24%跳ねたことになる。これに世界中の債券市場が巻き込まれて大荒れになった。

 事の発端はイギリスのリズ・トラス新政権がエネルギー価格高騰に財政出動で対応しようとしたことにある。インフレ対策でばら撒きを行うとそれが消費に回るため一層インフレが進みやすく、財政と貿易の双子の赤字の拡大を通して通貨安になりやすいのは新興国でよく見られた現象である。特に交易条件が悪化しても経常黒字を維持している日本、ほぼトントンの欧州と異なり、大規模な経常赤字を抱えるイギリスは元より資本流出による通貨安加速が生じやすい構造となっており、今回の騒ぎでは新興国投資の教科書通り国債と通貨がダブル安になったため、大英帝国が新興国化したとの感想を抱く人は多い。

 まず9/8に家庭の光熱費の上限を10月から年2500ポンドに固定する救済策から始まった。足が出た分は当然財政支出から補填することになり、その規模は最大で1,500億ポンドに達するとも言われる。とはいえエネルギー支出が家計にとって大問題なのは間違いなく、金融引締めでお父さんを失業させれば暖房を焚かなくなってめでたしめでたしという話では明らかにないので、ここまではそんなに筋が悪いわけではない。少なくとももし補助金という形にしていたら他の分野に使う人が出るに決まっているが、必需品価格に上限を付けるだけなら補助金ほどは一般物価を持ち上げないかもしれなかった。
Resolution UK tax policy and fiscal impact
Guardian two thirds of tax cut gains will go to richest
 更に新政権は減税策(mini-budget)まで打ち出しており、これは公的債務を720億ポンド増加させるとされている。この減税が誰の懐に入るかというと、三分の二は上位1/20の富裕層である。トリクルダウンによって社会全体の成長を維持するという論理だろうが、わざわざ社会全体がインフレで苦しむ中で富裕層にお金をばら撒いてトリクルダウンに頼ろうとするのはさすがに筋が悪すぎた。財源も後に11/23の中期財政計画で公表するとされたが宙ぶらりんであった。市場は当然この減税策を嫌い、イギリス国債とポンドは売られた。米国の学生ローン免除もそうだが中央銀行がインフレ退治に努める横で、ポピュリズム的な世論に動かされて政府の方が財政出動でインフレを助長するのがこの局面での最も大きなインフレ高騰リスクでもあり、元より民意を気にする政府はそうなりやすいので中央銀行の独立性が必要だった。市場参加者は財政への信用を取り戻すためにもBOEに一層の利上げを要求した。インフレに対して財政支出を被せ、更にクラウディング・アウトを招く利上げを乗せるとは何とも複雑怪奇なパッケージになるが、財政ファイナンス認定されるとインフレが高騰しそうなので、確かに利上げしかなさそうである。通貨防衛の観点でも市場が織り込んだ通りの利上げをデリバーする必要があり、要求が未達になるとGBPが売られる要因になる。国債市場はいずれにしても犠牲になるが、それはインフレ退治が始まって以来の指定席のようなもので、仕方ないように見えた。緊急会合を開いて利上げを決めればアク抜けになりそうにも思えた。しかし、BOEはなかなか市場の期待通りには動かなかった。
 というわけで国債と通貨は売られ続けた。次に噴出した問題は超長期国債を保有する年金基金の担保不足(マージンコール)であった。イギリスの年金基金の運用資産額はイギリスのGDPや英国債市場全体の2/3の規模に当たる1.5兆ポンドと言われている。年金基金は超長期の負債(将来の払い出し予定)を抱えているため、負債のデュレーションにマッチするように超長期国債に投資する。更に契約者の入金の方はタイミングが分散されており必ずしも現金が払い込まれた後とは限らないため、LDI(Liability Driven Investment)に従って元本がいらない超長期金利スワップの固定受けポジションも建てることになる。2019年の年金規制に関するレポートによるとイギリスの7,000億ポンドを運用するトップ600の年金基金のうちレバレッジがかかった運用元本が4,985億ポンドあり、うち43%が金利スワップ、許容されるレバレッジ上限は1倍から7倍(!)であった。
FT s179 Liabilities and 25y Gild Yields
Bloomberg UK Pension Funding Ratio
 超長期金利が大きく変動すると年金基金が保有するこれらの資産やデリバティブ・ポジションの価値は当然大幅に傷付く。理論的には年金基金の負債の現在価値も減少するため損益はオフセットされており、またそうなるのが最も正しく構築されたポジションである。実際イギリスの多くの年金基金はLDIの優等生であった。しかし、(レバレッジなしで国債現物しか保有していないなら特に問題は発生しないが)大幅な含み損になったデリバティブについては大幅な含み益になった取引相手から担保金の追加を要求される。後から加入すれば予定利率がよくなっていたという理屈で「理論上では損した」年金加入者からまさか担保金を取り立てることはないため、担保管理の観点からは資産側と負債側とでミスマッチが生じる。担保として差し入れていた超長期国債はこれまた金利上昇で価値が下がっているためマージンコールがかかってしまう。年金基金は担保のやり取りを考慮してある程度の流動資産を保有してバッファを作っているものの、それでは対応できないほど大幅な金利上昇に見舞われた場合、担保金の捻出は運用資産の売却によって行われるしかない。直近の金利上昇では年金基金全体で100mm GBPのマージンコールがかかったと言われている。運用資産の売却は更に金利上昇要因となるので、一旦超長期金利を持ち上げてしまえばスパイラル状に金利が上がりやすい構造となっていた。年金のベイルアウトという言い方が流行り始めた。

 それに急いで対応する形で9/28にBOEは利上げの代わりに超長期国債の一時的な買入れを発表し、超長期金利を一気に100bp押し下げた。形だけ見れば市場から利上げを催促されている中の、宿題の回答としての買支え策発表は黒田日銀を彷彿とさせるサプライズ逆切れにも見える。インフレ退治はどうなったのか。しかし年金のベイルアウトは金融システムの機能破壊の問題(Were dysfunction in this market to continue or worsen, there would be a material risk to UK financial stability)であり、本ブログが常々強調してきたように、決済不能など金融システムのリスクに直面した中央銀行の行動は、区々たるファンダメンタルズの変化への対応より遥かに優先度が高く素早い。金融システムのためにはファンダメンタルズの方から導き出される「然るべき施策」と逆行することも厭わないだろうし、逆にそれを筋悪と感じるようでは中央銀行制度への理解度が足りない。「中央銀行はインフレ退治のためには経済を、株価を犠牲にする」という言い方が増えてきたが、中央銀行がインフレ退治のために金融システムを犠牲にすることはない。中央銀行の最後の貸し手としての責務は物価目標という政策より3世代も歴史が古いのである。

 とはいえBOEはこの救済策が金融緩和継続、インフレ期待の復活に結び付かないように工夫を凝らした。買支えの規模は最大で毎日5bnに達するものの、期間は即日から10/14にかけてと厳格に制限されている。2019年のレポショックを受けたnot QEの導入における「Billは放っておけばすぐ償還されるのでBill買入れに伴うBS拡大はいつでも元に戻せる、従ってQEではない」と同じ理屈で、これは一時的な、指向性を持つ金融安定操作( temporary and targeted financial stability operations)であり、決してQEではない。予定されていたQTの開始は10/31まで遅らせたものの、毎年80bnのQTペース自体も変更がない。10/14を過ぎると買入れが消滅してしまうが、元よりこの買い支えは特定の金利水準を防衛するためのものでも、チャートのトレンドを曲げるためのものでもない。あくまでも限られた期間にわたり、いわばノアの箱舟を用意することにより年金基金に2週間ほどの猶予を与え、箱舟の上でポジションを整理して十分な担保金を用意させる計らいである。箱舟が全て出航してしまった後はどうなるか。もし洪水が自然現象なら動物達が居なくなった大陸が予定通り洗い流される。もし造物主が動物達を粛清する目的をもって作ったものなら、その洪水はもはや無駄遣いである。つまりスパイラル状の構造はもはや存在しない以上、スパイラル狙いの売りは盛り上がりづらくなるはずであり、そうなると超長期金利の居場所はよりファンダメンタルズを反映したものとなる。少なくとも売らなければならなかったのが誰かは既に分かったのでだいぶ透明感は出て来た。ファンダメンタルズの見通しとして、ベストなのはもちろん減税の撤廃だが、政権の方がそれを断固として拒否するならせめて財源の不透明性が時間とともに11月後半の秋季予算発表までに剥落するのをひたすら祈ることになる。BOEは文字通り時間を稼いでいるだけであるが、(年金基金はともかく)それを政権の方が生かすとは限らない。
Bloomberg GBP and Gilts 
Bloomberg GBP Chart
 中央銀行が一時的とはいえ金利を押し下げる行為は素直に考えればポンド高要因にはなり得ないものの、元々債券と通貨のダブル安を見込むトレードが集中していたため、それが片方で大失敗して畳まれるとなればダブル高になりやすかった。為替レートが金利差に従って動かないのは新興国ではよくあることなのでそれ自体もイギリスの新興国化を印象付けた。だから為替は金利差ではないのだ、とニヒリズムを決め込むのもよくないが、為替市場は想像以上に「筋のよさ」を重視して動くということだろう。そういう意味では減税案を葬らないことにはショートカバーによる全戻しも持続可能ではないように見える。

 いつもにも増して鉄火場になったポンド相場より大事なこととして、英国債に振らされてきた無関係の国々の金利は落ち着きやすくなりそうである。かつてnot QEがそうであったように、この一時的な買い支えがあたかもQEとして、或いはQEへの転換点の象徴として誤解されることもあるかもしれない。インフレ退治のためにいくらでも金利を素早く持ち上げてもよい、その結果多少のリスクオフを招いたとしてもそれは快適である、何なら市場参加者に安心感を持たせないこと自体が目的化した風潮すらあるが、その風潮に対して今回の事件は警鐘を鳴らすことになる。Fedなどはnot QEに再びなだれ込まずに済むように、引締めに伴う準備預金不足に対応するスキームとして満を持してSRFを導入してある。それでも火遊び感覚で金利を大幅に変動させると、どこから金融安定性を損なうような課題が飛んで来るか分かったものではないことが今回の件で明らかになった。従って各国中銀の金融引締めも、より野放図なものになっていくというよりは変曲点に近付きつつあると期待できる。そもそも、金融引締めが実体経済に波及するまで2Q~4Qかかることが分かっているにもかかわらず、遅れて出て来るであろう影響を確認することもなくここまで引締めてきたのが異常である。もちろんイギリス以外でも金融システムの危機が差し迫ったわけではないため、たとえば米国版のnot QEの発生を当てに行くとなると1年以上待たされるかもしれず割りに合わない。それでもとにかくインフレ退治の上位に何者かが存在することを再確認したこと自体には意味があるだろう。

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この記事は投資行動を推奨するものではありません。