ここ数年米国のGAFAMをはじめとするメガテックの待遇のよさは話題になってきた。製品の競争力が強すぎて一旦入社すれば馬車馬のように働かなくても高給にあり付けるということで憧れの的だったし、2022年にテック株がクラッシュしてもそのカルチャーはしばらく変わらなかった。10月の決算期になると株安でピリピリしているところにMetaの23歳のプロダクトマネージャーがアップした優雅なライフキャリアがSNS上で話題を呼んだ。更にイーロン・マスクがTwitter社を買収して大々的な人員削減を発表するに至り、ようやくこの問題にメスが入ったように見える。
tracking Tech Layoffs in 2022
 社員が大して働いていなかったのが発覚しただけでなく、株価対策のためにも人員削減は大々的に行われており、その勢いは月を追うごとに強くなっている。人の不幸は蜜の味と言わんばかりにテック業界のレイオフを集計する人も増えている。テック業界で働いていたアジア系などは失業が続くとH-1Bビザが切れて滞在資格を失ってしまうため必死な就職活動に迫られた
Employment change by Industry Nov 2022
 しかし百万人の失業もただの数字になるマクロから見た場合、そもそもテック業界の雇用数があまり大きくないこともあり、テック業界の人員削減も華々しいヘッドライン話題性の割りには畢竟、絶対数が多くない。また人員削減に遭っても他社で簡単に職が見つかるようで、例えば11月のテック業界のレイオフは6万人弱が集計されているが、11月のNPFの情報産業は依然プラス1.9万人のネット新規雇用となっている。それでも6万人はNFPの26.3万人と比べて決して少なくはないが、テック業界のレイオフだけではたとえばNFPの符号を変えさせるような勢いはない
Bloomberg Challenger Job Cut Announcements
GS Tech and total layioff 
 テック業界の5~6万人の人員削減はチャレンジャー・グレイ11月人員削減数にもキャプチャされている。それによってチャレンジャー全体も少し持ち上がっているが、テック業界のレイオフは過去もボラティリティが大きく、またテック業界全体の雇用の規模は小さく、更に景気全体との連動性は(特にGFC後は)薄い。従ってテックのリストラのニュース・ヘッドラインを見て、これで雇用も緩んでそのままソフトランディングできる、何ならリストラでテック企業のEPSも戻って一石二鳥、などと考えるのは木を見て森を見ずとの謗りを免れない。
Nordea Challenger job cuts and NFP
 もっともテック業界の議論とは別にチャレンジャーの人員削減そのものもそれなりの規模に達しており、ノルデアのようにそれをNFPの先行指標とする意見もある。真っ先にレイオフに迫られたのが景気云々の前からバリュエーションの変動が直撃したテック業界だっただけで、金融引締めの影響が今後実体経済に及ぶ、特に財インフレが鎮火してマージンの悪化が始まると他の業界もレイオフに迫られるようになるだろう。
MS staffing by sector
BLS hourly earnings by industry
 数が少ないとはいえ、テック業界の時給は各業種の中でもかなり高い方に位置しているので、今後そこがごっそり減ったり時給が伸び悩んだ場合は総所得に人数の倍のインパクトを与える。ここからは雇用全体の議論となるが、パンデミック後の雇用回復の勢いが業界によってムラがあったのは既に常識であり、例えばホスタビリティなどはまだパンデミック前の水準を回復していない。これを捕まえて「人手不足は労働参加率が上がらない結果」と捉えるのは一面的であるし、更にそれは資産効果で労働者がFIREしたからだ、だからS&P 500の水準を金融引締めで下げないと労働者が戻らない、とまで議論を広めるともはや支離滅裂である。なぜよりによって時給が低いホテルやレストランの従業員がもっと時給が高い業界を差し置いて先にFIREしてしまうのか。FIRE人手不足の議論は明らかにパンデミック後に新たに大幅に増えたホワイトカラー高給職の存在を無視している。倉庫の雇用増もECの流行によるものである(パンデミックが収束すると削減も始まった)。
Atlanta Fed Job Switcher and Stayer wage growth
 である以上、労働者はFIREなどで消滅したのではなく、単により好待遇の業界に少しずつ縦移動して時給分布を駆け上って行ったと解釈する方が自然ではないか。分布の一番上にInformationが鎮座し、次にここ10年間で大規模な規模拡大と賃金増が続いたProfessional and Business surviceが続く。パンデミック前を始点に業種分布が直近のものにシフトするとそれだけでも全体の時給が上がる。これはアトランタ連銀の賃金トラッカーでJob changerがJob stayerより遥かに伸びが高い現象とも合致する。Job changerは単なる横移動の転職でCPIを挙げながら新職場と強気に交渉したというより、求人増に伴い業界を変えることによって時給を上げたのではないか。賃金インフレ・スパイラルが何年も続くのではないかとの懸念も、雇用主に対して賃上げをCPIに追い付かせるほどの交渉力が今でも労働者側に存在しないことがJob stayerの賃金伸び率から分かる以上、CPIに追い付くように大半の労働者が業界を変え続ける(最終的には全員テック業界に辿り着くとでも言うのか?)構図を想定することになり、論ずるに足らない。
Atlanta Fed wage growth by Wage Level
 賃金増がキャリアアップに伴うものだとすれば、それは今の雇用逼迫が構造的な労働者不足というよりも、シクリカルに景気が良すぎて高給職が多く生まれたという構図に近いことを示唆する。株高の資産効果で労働者がFIREした云々の話は定年間近の一部の人に限られた話であり、対処もできない(現にS&P 500が大幅に下落した場面でも対応して労働に戻る動きがほとんど見られなかったことは命題が間違っていたことを示唆する)のでいつまでもその話を引っ張り続けるのは非建設的であるが、一周回って金融緩和と成長株バブルのせいで会社設立が相次ぎホワイトカラーの雇用が増えたという主張は説得力を持つ。金融緩和によって生まれた莫大な時価総額をかなりのホワイトカラーが「大して働かずに高給をもらう」ことで換金し、更に消費に回した。もちろんLong Covidや移民の枯渇などの構造的な要因は重要であり、それらの問題の存在を否定するつもりは全くない。ホワイトカラー同士なら簡単に調整できそうだが、中でも大変な肉体労働は多少賃金が上がっても追い抜かれたホワイトカラーは参入して来ないなど、局地的に参入障壁ができることもある。しかし事実として、時給の第1四分位が真っ先に伸び始め、やや間を置いて他の四分位に順に波及したように見えるのも、どちらかというと標準的な景気過熱であったことを裏付ける。低賃金労働者の頭数が足りないのが先なら下の方の四分位の方の伸び幅の方が大きいはずだ。なお真っ先に反発した第1四分位の賃金の伸びは直近で急速に頭打ちになっているのを確認できる。第2四分位が第1四分位を追い越すことがない(第1四分位の人が移ってくる)と考えれば賃金全体も頭を抑えられそうだが、果たして。
FRED Labor Force Participation Rate by age
Atlanta Fed Wage Growth Tracker by Age
 本ブログがずっと前から取り上げて来たように、労働参加率で見ると55歳以上の定年間近の人々のFIREが目立っており、若い人の労働参加率は既にパンデミック前の天井にぶつかっている。しかし、ここからが以前の記事から見方を変えるところだが、賃金で見ると最も希少性が高まったはずの55歳以上の残留組が受けた恩恵が最も薄い。賃金が上がっているのは圧倒的に新卒の年齢層である。「FIREのせいで人手不足になった仕事」とやらはどうも10代でも務まるらしい。また肝心の労働参加率も話題性の割りにはパンデミック前の63%から62%に下がった程度であり、非常に雑に言って失業率の分母が1.5%程度減ったにすぎない。誰もがすぐ説いて来る割りにはあまりにも僅かな変化ではないか。
Atlanta Fed Wage Growth Tracker by Education
 学歴別で見ると、確かに珍しく高卒の方が大卒よりも上昇幅が大きいがその差はわずかであり、年齢別の違いより遥かに小さい。高卒が多い職場だけが人手不足になったというよりは、全体的に好景気なので高卒の選択肢が広がったと見る方が素直ではないか。
Indeed wage tracker
 求人サイトIndeedのエコノミストによると彼らの賃金データはアトランタ連銀賃金トラッカーのJob switcherに約3ヶ月ほど先行するという。それが正しいとすればもうすぐキャリアアップによってCPIに追い付くのが難しくなる。
Bloomberg immigrants population
 Long Covidは時間が経てば治るとして、ここ数年で移民が減った分労働者の総数が慢性的に足りないのは恐らく事実なので、人手不足の影響が現れるとすればむしろホスピタリティなどの需要が完全に回復した後である。この夏がピークだったと思われるが、収入が増えたホワイトカラーはリオープンでサービス消費を増やし、航空機や宿泊を値上がりをも気にせず利用した。それは賃金インフレの1サイクル目とも言うべきものだったが、やはりあくまでも標準的な景気過熱からのトリクルダウンの範疇の出来事であり、金融引締めで賃金ピラミッドの一番上を破壊することによって減速を浸透させることはできる。貴重な人手を更に上から吸い上げる動きを阻止することもできるだろう。なお移民が減った分の人手不足は「移民受け入れか、金融引締めか、インフレとの共生か」を問うべき政治マターであり、本来金融政策を使って解決すべき問題ではない。

 ここまでが金融緩和バブルが作った標準的な景気過熱であったとすれば、金融引締めも素直に効きやすいはずであり、二律背反には追い込まれていないので金融引締めを「正しく行えば理論的には」リセッションに陥る手前でソフトランディングさせることが可能なはずである。雇用の逼迫も景気が減速するにつれて減速してくる類いのものであり、リセッションになっても賃金インフレ・スパイラルが止まらない事態を本気で懸念する必要があるようには見えない。なぜかスタグフレーションという言葉を聞かなくなったが、インフレとリセッションが共存するのは生産能力が根本的に喪われている場合であり、その時は実質GDPとインフレのどちらかで辻褄を合わせるのかを選ばなければいけない。生産能力への懸念については、たかが賃金インフレごときよりも、過去のサプライチェーン制約や原油高騰の方が遥かにそれらしかったではないか。もし米国経済が今後インフレ退治のためにリセッションに陥るとすればそれは構造的に不可避だったためではなく、あくまでも近視眼に退化したFedが金融引締めを必要以上に行ったポリシー・エラーに責を帰すべきである。
zerohedge Household vs Establishment employment survey
 余談となるが、NFPが雇用情勢を過大評価しているとの疑惑が一部で持ち上がっている。曰く、2022年3月以来NFPでは200万人もの雇用増を記録しているが、家計調査では全然増えていないということである。事業所のサンプリング調査の方が速報性が高いが、それとは別に労働省がQuarterly Census of Employment and Wages (QCEW)というより遅くて(12月に入ってようやく4-6月期のデータが揃った)正確な統計プログラムを持っており、フィラデルフィア連銀によるとそちらもあまり増えておらず、どちらかというと家計調査に近い。この乖離は1月分の雇用統計に際して過去の速報値をQCEWに修正することによって埋められることになっており、2月に大規模な下方修正が見られる可能性がある。事業所と家計の乖離と言えばまず思い付くのがこれまたホワイトカラーがリモートワークで複数の企業のために働くスタイルであるが、事業所調査同士すら食い違うなら世話がない。なお金融政策に影響を及ぼすのはあくまでも失業率や、求人数と失業者数の比率なので、雇用者数が下方修正されても単に景気の悪さが目立つだけだろう。

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この記事は投資行動を推奨するものではありません。