Bloomberg Japan 10y JGB and swap
 日銀のYCCについての記事はわずか半日で紙くずになった。1/18の金融政策決定会合で日銀はあっさり現状維持を決定した。読売新聞のよく分からない観測記事からはじまり、やはりくだらないゴシップに与してはいけなかったのである。既に後ろ盾を失った後であり恐らく政権の意に沿わないにもかかわらず、黒田日銀は「逆ギレ追加緩和」に出た。最後まで黒田日銀らしかったということである。もっとも幸いマーケットのリアクションに関するオッズの立て方は合っており、「(たとえYCCが撤廃されても)円金利トータルで見れば大したブローアップが起きるとは思われず、むしろYCC絡みの懸念のアク抜けになりやすいと思われる。ドル円にしろ日本株にしろ、ヘッドラインを見て慌てて下を売る必要は全く感じないし、逆にゴシップで政策変更を当てたところでそういうバランスなので、政策変更にベットする意味もあるように見えない。むしろ政策変更がなかった/足りなかった場合の方が、残尿感で安心できないという声が上がりやすそうである」としていた結論は合格点を付けられるだろう。ドル円と日本株は激しいショートカバーが進んだものの、それが一巡すると「結局YCCに限界がある事実には変わりがない」という残尿感でドル円は綺麗な全戻しを演じた。

 今回の決定会合はただの現状維持ではなく、目玉は地味なイメージが強い共通担保資金供給オペの拡充である。共通担保資金供給オペとは、日銀が取引先金融機関(オペ先)に対し、共通担保(日本銀行との間で行われる様々な業態の取引で共通して使える適格担保(具体的には国債や民間債務で、予め日本銀行に差し出しているらしい)の範囲内で資金を供給するオペレーションである。元々オペの中の分類では国債買入れが永続的オペと呼ばれるのに対して共通担保オペは一時的オペと呼ばれていたことからも分かるように、共通担保オペは当座預金量などを短期で調整するツールであり金融政策とは縁が遠く、あくまでもマニアックで地味な存在であった。日銀はあえてこれを長期で行うということである。12/29にはこれを既に短期(2年)で実験的に導入して効果を確認済であった

 海外での類似した先例としてはECBが非伝統的な金融緩和として2011年に始めた最大3年間のLTRO(Longer-Term Refinancing Operations)、2014年9月に始めた最大4年間のT-LTRO(targeted Longer-Term Refinancing Operations)があり、直接大々的に買入れるのが政治的に難しい南欧国債を、長期資金を南欧銀行に貸し付けて買わせようとしたことがある。もちろん建て付けとしてはインセンティブを付けた貸出促進であった。日銀の方が遥かに露骨であるが、概ね似たような枠組みである。

 直近では円の資金量は当然世の中で余っており、足りないのはあくまでも(海外勢が増やしたショートに対抗して)取れるデュレーションリスクの総量である。日銀はYCCの枠組み下で新発10年債3銘柄の無限買支えを中心とした国債買入れを通して金利市場にデュレーションリスクを供給してきたが、硬直的なルールに従ってきた結果、銘柄によって買入れの濃淡が目立ったため金利カーブが歪んできたのは前回の記事で見て来た通りである。共通担保オペのミソは資金だけでなくデュレーションの供給、そして汎用性のあるデュレーションの供給であった。5年や10年にわたって固定金利で借入れを起こして固定金利の国債を購入し、満期まで保有するだけなら、途中で長期金利がどんなに変動しても収益は固定されており、無リスクである。

 汎用性とは、デュレーションの供給を特定銘柄に向かってぶっ放すと他の銘柄や金利スワップとの間の格差が広がって市場機能を損ねるのに対し、銘柄に制限されないデュレーションリスク供給の枠組みを初めて考案できたということである。具体的にどの銘柄やプロダクトに投資するかについては、割安・割高を判断できる金融機関に委ねられた。国債買支えの民主化とでも言うべきである。特定期間のスワップ金利が共通担保オペで落札できるレート対比であまりにも高ければ裁定もできる。ルールベースで硬直的になりがちな国債現物買入れの代わりに、市場参加者の手で裁定させることによって、金利カーブや国債・金利スワップ間の歪みが是正されると期待されている。現に黒田総裁は記者会見でも金利スワップに触れていたし、現物市場「以外」の市場への働きかけを期待できると、かなり金利スワップ市場に照準を合わせているように読める。

 T-LTROは2022年になってECBが大幅な利上げに転ずると低金利で取り残されてしまい、銀行はT-LTROから借りて余った資金をECBに預け直すだけで利益をあげられるようになり、ECBに理論的には経済的に損失をもたらした。しかし日銀に限って言うと21世紀に入ってからの政策金利の天井が0.5%なので政策金利の大幅な引上げは相当遠く、国債金利の大きな割合、1%に近付いたスワップ金利に至っては金利のほとんどをタームプレミアムが構成していると見なしてよい。であればそれなりに長い期間のターム貸出でも日銀自身の利上げで逆鞘になる可能性は限られる。タームプレミアムを「利上げは遠い」というフォワードガイダンスで潰すことも可能であったが、日銀にはそこまでの信用がなく、そういう意味で共通担保オペは実弾付きフォワードガイダンスと解釈することも可能である。

 2年の共通担保オペは0%固定で行われたが、拡充された長期の共通担保オペのレートは競争入札によって行われる。その際のレートについて、記者会見で黒田総裁は「マイナス利回りでの貸付も排除しない」としている。現実的には、無リスクとはいえ両建てでキャリー取引を行うと、金融機関にとってはバランスシートが膨らみ資本を食うため、5年や10年間にわたって動かせない10bpや20bpを拾うような裁定が大掛かりに行われるとは思われない。参加するのは一部の資本も資金も人手も余っている金融機関に限られるだろう。従ってこれは実弾が大掛かりに撃ち込まれるというより、象徴的な意味合いの方が大きい。しかしとにかく民主化によって「買入れを増やせば増やすほど金利カーブが歪んでYCC再修正に追い込まれ金利が上昇する期待が高まる」という意味不明な詰み手から脱出することができた。意味不明な詰み手というのはカーブの歪みと、少なくとも金利上昇との間では全く論理が繋がっていないにもかかわらず、「カーブが歪むと金利が上がる」と信じてあたり一面を踏み荒らした羊の群れが居たということである。前回の記事では「安直な論理」と表現したがそれも褒めすぎだった。論理ですらないからである。マクロでもミクロでも、実務家の不平不満を聞いてデルタで表現してはいけないのである。

 ショートする側も金利スワップ、国債先物、割高に取引されていた10年国債など様々なプロダクトを用いている。持っていない現物をショートするには借りて来る必要があり、発行額のほぼ全額を日銀が保有する現状では借りるコストも嵩む。国債先物は現物の場合のレポコストがインプライド・レポコストに変わるだけである。金利スワップは借り入れコストがない分、既にYCCが完全撤廃されても大して儲からない1%まで先走った。元々タームプレミアムしか取引されていない中、ただのYCC現状維持なら2ヶ月後での修正に期待をロールできるものの、目の前で金利カーブの歪みが直っていくとなると、更なる長期戦を覚悟せざるを得なくなる。その間もFed Pivotは近付きつつある。城攻めというのは、一見すると城の方が機動力が皆無で心理的にも追い詰められているが、攻める側は平原の向こうから兵站を繋げ続けないといけないので、長期戦になればなるほど見かけほどは有利ではなく、結局は城の中でパニックになったり裏切者が出るのに頼ることになる。逆に城側は体力を誇示するために生きた魚を外に放り出したりする。兵站が危うくなるとパニックに陥るのは攻撃勢の方になる。

 共通担保オペの導入後もYCCの撤廃は各会合でライブであり続ける。ただ、これは「修正を迫られる」ことを意味するわけではない。数ヶ月も経てば海外勢のショートが退散し、無限指値オペがなくても10年国債金利が0.5%に貼り付かなくなったタイミングを見つかれば、その時点で素早く撤廃することが可能になる。その後は共通担保オペとQEの拡張で秩序を維持できるだろう。これは次期総裁が誰であっても実行可能である。というより、この枠組みの具体的な設計には黒田総裁もあまり参画していないはずだ。記者会見の動画を眺めていても共通担保オペの下りは明らかに棒読みであり、今回の記者会見の最大のハイライトであったにもかかわらず「共通担保資金供給オペ」で噛んだほどである
Bloomberg Japan Corporate bond spread
 残っている「歪みが修正されていないではないか」と言われそうなセクターは、前回方便として持ち出された社債市場である。国債金利が常に25bp刻みジャンプの可能性を秘め、国債金利と円スワップ金利が大幅に乖離していると、どこに無リスク金利を置けるか分からなくなる。そのあたりが社債起債を投資家コミュニティが延期に追い込んできた論理である。USIGでも起きたサイクルであるが、金利の方の不確実性が高まると社債投資家は金利の方で損失を出したくないので債券投資を手控えるようになる。そうすると社債スプレッドが拡大するので、今度は債券指数対比でアルファを計測されるアクティブファンドの投資家が(どうせ大半がクレジットリスクをオーバーウェイトしているので)パフォーマンス悪化に苦しむ。とはいえ、自由に取引できる金利スワップを使って計測してもスプレッドが残る水準まで利回りが上昇しても買えないのは非理性的な恐怖とショートターミズムであり、放置して時間をかければ修復するだろう。
BOJ Economic outlook
 怨嗟に晒されていない限り、マクロ見通しは戦略が決まった後に辻褄を合わせて適当に出せばよい。展望レポートにおける物価見通しは事前観測通り少し引き上げられたものの、金融政策の変更を強制するほどの修正はなかった。注目すべきは、前回の記事でも取り上げたように、物価上昇を単に輸入物価のコストプッシュ要因(当然一時的)ではなく、「需給ギャップがまもなく解消しプラスになっていく」点を取り上げつつ、それが現れるのはあくまでも2024年度(10月時点の予想対比でコア物価1.6%→1.8%に上方修正)であり、その前にまず2023年度(コア物価1.6%→1.6%に据置き)は輸入物価による押上げ効果の減衰がやってくるとし、それを金融緩和継続の根拠にしたことである。これは米国でも2023年に観測される予定の物価動向であり、「2024年以降には戻る可能性があるかもしれないが、とにかく2023年は一時的にヘッドラインCPIの前年比が急低下する」のが2023年利下げ織込みの根拠であり、一方で早急な利下げがないとする陣営は(急低下する事実に無知なだけでないとすれば)更に長期的な、構造的なインフレの持続性に着目する。この一時的な急低下と構造的な物価上昇は黒田総裁がジェスチャーを交えて述べた通り、2023年に交差する。2023年の一時的な(Transitory)物価上昇減速の取り扱い方についてFedはまだまともな答えを出すのには至っていない(だからTeam pivotに無視されている)のに対し、黒田日銀は正面から躊躇いもなく金融緩和継続の理由にしており、諸外国に対して中央銀行としての2023年の一時的な(Transitory)物価減速の取り上げ方の先例をあっさり確立してしまったのである。もっとも個人的には日本の物価サイクルは上昇局面が米国よりも遅く、緩やかにやってきた以上、米国とシンクロして2023年に一時的な急低下がやってくるとはあまり思えず、いずれ物価見通しは新総裁の下で再改訂を迫られるものと思っている。しかし、細かい数字よりも尊ばれるのは枠組みの提示である。

 というわけで時間稼ぎにしかならないものの、元々「暁の直前」なのだからこれで一気に日銀の逃げ切りが見えて来た。既に10年新発国債の利回りは0.5%から下方に離れてしまっており、今後も海外勢のショートが重いセクターについてはショートカバーが控えていると思われる。長期的には物価上昇は引続き円金利に上方圧力をかけるが、それはどちらかというと緩やかなものに留まるだろう。前回の記事では今この場でYCCを撤廃しても10年国債金利の1%は麒麟並みに珍しいとしていたが、米金利が正常化するにつれて、YCCをいつ撤廃しようがやはり1%は遠く見える。少なくとも海外勢が作った兆単位の円金利ショートをまともに利食えるとは思われない。ドル円の水準も逃げ切りを助長している。というより、12月の国債買入れ増額もそうだが、共通担保オペも日銀のBS拡大に繋がるわけで、いわば赤裸々なT-LTROが始まるにもかかわらず、ドル円がいまだに130円割れの円高気味に推移しているとは、黒田日銀の「苦慮して時間稼ぎをしているフリ」は魔術にしか見えない。

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