Bloomberg Ueda Kazuo
 最後まで決まらなかった日銀の次期総裁がようやく発表された。元々2/10に発表予定だったものが2/14に延期になり、そして結局2/10午後に「日銀新総裁に植田和男氏を起用へ 初の学者、元審議委員」というヘッドラインでリークが流れた。市場参加者の反応はまず数日前に日経が既に「リーク」した筆頭候補の雨宮氏でなかったところにサプライズを感じて円高が進み、ただ(山口氏のケースと違って)政策変更を直ちに意味する人事ではないと分かったところで全戻しした。
Bloomberg BOJ candidates
 植田教授は直前まで候補には全く上がっておらず、(ダークホースになりそうな予感がしたのか)明らかに関係ない人まで何人も候補を並べた観測記事でさえ触れることがなかったネームだったため、ファーストリアクションは「誰」であった。経済学部出身なら知っているべき学者とされているが、非経済学部出身の本ブログには当然「そういうゼミがどうもあったようである」程度の認識しかなかったし、その後近しい人に聞いても「どうも単位や卒論には優しかったらしい」と「女性従業員が接客するお店で飲むのが大好きらしい」くらいしか出て来なかった。結果的に今回は本ブログがずっと引っかかっていたように妙に雨宮氏に決まらない雰囲気があった割りには雨宮氏の織込みが圧倒的であり、雨宮氏にベットして外すと死ぬ可能性があるのに対して非雨宮にベットして外しても死にはしないので非雨宮にベットする方がオッズがよかったものの、結局マーケットは大して荒れなかったのでそれさえも意味がなかった。これだから総裁人事のゴシップで一喜一憂するのはアホらしいのである。

MITマフィア

MIT Mafia
 知らない人を調べる時はまず学歴から。植田教授はMITでスタンレー・フィッシャーの下で経済学博士号を取得しており、本人もFed副総裁まで務めたフィッシャーの門下からはMITマフィアとも呼ばれるベン・バーナンキ、マリオ・ドラギ、マーヴィン・キングなどポストGFCの金融政策を代表する中銀総裁を輩出している。同窓のラリー・サマーズなどは植田教授のノミネートを受けて「日本のバーナンキ」と紹介しており、植田日銀が「無期限にわたってYCCを維持できるとは思わない」などと余計なコメントを付け加えている。フィッシャーが率いたMITマフィアは複雑な理論の構築よりも現実世界の問題解決を重視し、合理的なマクロ経済政策が市場参加者に予想されてしまうと予想通りに効果を挙げられないなど、市場メカニズムは不完全と考え当局の干渉を厭わない。現にバーナンキもドラギも大規模な資産購入などのアグレッシブな金融政策の実行者として有名である。だからと言って現在の日本の経済環境は大規模な何かを必要としているわけではないが、(黒田日銀と違って)植田教授はグローバルで見てもメインストリームに近い考え方をする中銀総裁になると考えるのが自然である。恩師が市場参加者の予想を重視した影響かは分からないが、フォワード・ガイダンスの原型となる時間軸効果を世界で初めて導入したのも審議委員時代の植田教授であり、最近の言動にもフォワード・ガイダンスへの思い入れが随所で見られる。フォワード・ガイダンスを重視するなら中央銀行のクレディビリティを損なうようなサプライズ政策変更は避けられるだろう。

 速水日銀時代の植田委員の言動も当然市場参加者に掘り返された。曰く、2000年7月会合でゼロ金利政策の解除に際して植田委員は反対票を投じているからダビッシュである。いやいやその時の反対はテイラー・ルールに基づいたものだからテイラー・ルール重視ならむしろ今の経済環境下ならホーキッシュではないか、と反論も上がる。テイラー・ルールは1980年代のFedの金融政策を振り返る形で1993年に提唱され、後にFed副総裁になるリチャード・クラリダが初めて日本のケースに当てはめたのは1998年であり、2000年時点ではまだ新しいもの好きの気持ちで輸入してみたくなった程度の存在である。その後、海外でも日本でもテイラー・ルールのような機械的な政策金利決定は主流にならなかったので、ことさら話題にするのは「自分はちゃんとこの目で原典を調査した」アピール以上の何物でもない。2000年前後の議事録は個別のやり取りレベルまで日銀が公開しているためいくらでも深掘りはできるが、この手の石ころの中から恐竜の歯を探すような訓詁は基本的に雑学にしかならない。2000年当時と今とでは金融政策の常識があまりにも進歩したためである。2005年に書かれた絶版本『ゼロ金利との闘い』などは中古本がメルカリで最高で3万円近くで買われたこともあったが、こちらも定価ならともかく、大枚をはたいて購入するほどの助けにならないと判断している。

ポストGFC~アベノミクス時代の発言

 より近い過去の植田教授の言動としては、2016年10月号の証券アナリスト・ジャーナルに寄稿された『マイナス金利政策の採用とその功罪』でアベノミクス(QQE)とマイナス金利政策を整理している。アベノミクスの理論的支柱については「QQEがなぜ期待インフレ率を高め得るのかは当初より判然としなかった」とにべもなく全否定した。株価や為替レートへの波及は「根拠薄弱な予想形成に基づく資産価格反応」と定義した。「長期金利の低下幅に比べて一時50%強に達した為替レート変化幅はいかにも大きい」ため、海外勢の盛大な思い込みを除くとドル高円安は2013年以降の米国の利上げサイクル入りで説明されることになる。新たに導入されたマイナス金利政策(NIRP)については、まず海外のリバーサル・レート論を紹介した上で、既に長期間の低金利時代が続いていたこと、ユーロ圏と違って邦銀がマイナス金利調達できないことを挙げながら「日本におけるNIRPの経済的限界はユーロ圏よりも(マイナスの領域で)浅いところにある可能性」を指摘し、「長期間にわたった非伝統的金融緩和によってギリギリにまで落ち込んだ預貸利鞘に苦しんでいた金融機関には厳しい政策変更となった。低迷する成長期待のため、NIRPは長期国債買いオペとも相まって、債券市場周辺に偏ったリバランス効果を発生させ、長期、超長期債利回りの予想以上の低下をもたらし、長期国債買いオペによるプラスの領域での金融緩和余地は消滅してしまった。また、買い入れ額の一段の引き上げは、ほとんどの年限でより深いマイナス金利での日銀による国債買い入れを意味し、日銀の収益、ひいては自己資本に重大な阻害要因となる」と非常にネガティブな評価を下している。

 その後のYCCなどに対する評価については日本経済新聞「経済教室」への直近の寄稿を日経はまとめているが、年を追うごとにダビッシュというか、丸くなっているようである。最新となる2022年7月の寄稿「日本、拙速な引き締め避けよ 物価上昇局面の金融政策」では表題の通り黒田日銀の金融政策の継続を応援している。自らが反対した2000年をはじめとして「00年、06年の金利引き上げが長続きしなかった」前例には重みがある。理論はきっぱりと否定しつつも、教授は日銀の政策運営そのものについてあからさまな外野感を持って批判的に取り上げてきたわけではない。つまり黒田体制の反対派として、日銀の金融政策を転換させるために送り込まれたわけではないとは判断できるだろう。大事なのは送り込む側の思惑であり、本人の経済思想が必ずしもそのまま金融政策に反映されるわけではない、と考えるのは黒田日銀に染まりすぎだろうか。本ブログは速水日銀時代を全く経験していない。

 マイナス金利批判は「拙速な利上げに反対」を唱えたくらいだから有耶無耶になったとして、YCCは扱いづらいものという認識は続いているようだ。2018年の「日銀 出口への難路 緩和効果・副作用の相反」では「債券市場の価格発見機能は大きく低下するとともに、利ざやの薄くなった銀行、運用対象が限定的となった機関投資家などによる金融仲介機能には無視できない負の影響が及んでいる」とまるで金融機関エコノミストのような口調になっている。昨年7月の寄稿でも2%インフレ達成後を前提としつつも「今後、持続的な2%インフレの可能性が一段と高まってくれば、今回のような投機はより大規模に何度も発生すると予想される。難しいのは、長期金利コントロールは微調整に向かない仕組みだという点である。金利上限を小幅に引き上げれば、次の引き上げが予想されて一段と大量の国債売りを招く可能性がある。10年物金利コントロールを7年、5年と短期方向へ動かしていく案も同様の問題を抱えている」「日銀は出口に向けた戦略を立てておく必要がある。これまで1950年代に米連邦準備理事会(FRB)、21年にオーストラリア中銀が中長期金利コントロールから抜け出した例があるが、いずれも一回限りの調整で済ませている」としている。本ブログもYCCについてかねてから「修正するなら突然しかない」「0.75%への再拡大はない、次の修正があれば完全撤廃」としてきたのと合わせて読むと非常にすっきりする議論である。YCCの撤廃に向けたパスの中で「0.75%へのレンジ再拡大」を経過することだけはない、とする本ブログの観測への確信は一層高まったと考えてよい。5年などへのYCCの短期化という方向性は一部で妙に人気があるようだが、これもないと考えて問題なかろう。YCCの出口だけはフォワードガイダンスやクレディビリティ以前の問題である。たとえ黒田日銀が長く続いたとしてもそうなので、YCCの余命が長くないことだけは確実である。というより、まともなセントラルバンカーであれば、わざわざ機動性の低い機械的な政策で自らの行動を制限した後に、局所局所にせこい戦術を導入して抵抗していくパッケージを選好するはずがない。本ブログが唱える「YCCからピュアQEへのシフト」に向かっての前進が加速することはあっても後退することはないだろう。

 一方、大局である経済環境については、日本の直近のインフレはコスト・プッシュであり、一般物価が持続的に上昇する局面には至っていないという建前認識は黒田日銀も植田日銀も共有するだろう。であればYCCのようなテクニカルな分野以外の金融政策は連続的になると考えるべきであり、たとえYCCが撤廃されたとしてもプラス域での利上げサイクル入りは相当遠いと考えて構わない。QQEについてもリフレーションには意味がないと断じつつも、大幅な市場変動を招いてもすぐ縮小に着手したいほどのアレルギーがあるようにも見えなかった。日銀BSの規模への許容度は、インフレ期待とは関係ないので、出口での金利上昇による債務超過をその先の通貨発行益でカバーできるかどうかというオーソドックスな発想から考えることになる。

YCC

 極論さえ排除できればタカ・ハトの傾向を古文書から読み取る労力はこれ以上必要ない。性格面では、教授が日本の金融政策について思考する際、多少なりとも「海外から前例を引っ張って来る」「海外の概念に当てはめる」ことを重視しがちな傾向が読み取れないだろうか。より乱暴に言えば、「メインストリームに回帰した」植田日銀が黒田日銀から大きく変わるところがあるとすれば、それは素朴な攘夷思想の濃さではなかろうか。つまり、海外勢が正しい道を提示しており、代わりに彼らがそこで儲かるようなポジションを取っている時、「海外勢に儲けさせない」ためだけに毅然として正しい道を拒絶する選択ができるかどうかである。

 もちろんこれは目下の喫緊の課題であり、かつ教授も嫌いなYCCがスペシフィックに4月になった途端に撤廃されやすくなると言っているわけではない。しかし4月以降は海外勢のYCC撤廃にベットするポジションがせこい嫌がらせでバックファイヤーする可能性は黒田日銀時代より小さくなるとは言えるのではないか。だとすればYCC撤廃狙いの海外勢は退散するというよりは一層集まって来やすくなると思われる。日銀にとって最も嫌な展開は新体制になってYCC撤廃の方向性は世界中にバレバレなのに実際の撤廃が遅れるケースである。実際、黒田体制ほど方針転換ありきで鳴り物入りでノミネートされたわけでないなら、最初の会合で劇的な方針転換を打ち出すのは難しい。バックファイヤーしづらいにもかかわらず決定まで時間がかかるのは最悪なので、論理的な帰結として黒田日銀の間に3月にYCCをさっさと撤廃した方が合理的という議論が出て来る。

 年が明けて共同担保オペで逆撃を加えられたショート勢が大規模なショートカバーに迫られ、米金利も3%前半まで低下した1月は、今にしてみれば臨時会合を開いても価値があるYCC撤廃の好機であった。しかし大半の海外勢は日本国債ショートへの興味を失っておらず、米金利の再上昇に伴い日本の長期金利は再び0.5%近辺まで追い詰められている。カレント3銘柄については発行残高以上まで買ったりして需給を締め上げたものの、4月月初になると新しい回号が発行される予定になっており、その銘柄で同じサイクルを一から回すのは相当だるい作業になるので、その意味でも3月会合は心理的に大きな区切りになることは間違いない。しかし、逃げ切りのウィンドウを一度逸した感もあるものの、日銀はまだ全てのせこい戦術を使い切っておらず、3月会合で負けを認めるのは悔しさが残る。現実問題、国債市場を暴落させた状態で次期総裁にバトンタッチするのもまた好ましくないに決まっている。3月会合で何か政策変更があるとしてもそれは再び共担オペと似たようなカテゴリーのせこい戦術とのセットになるはずで、いわゆるYCC修正トレードにとって3月会合は最後の関門になる。暁の直前に倒れるのはどちらになるか。

 YCCが撤廃された後。マイナス金利政策さえも2016年論文の精神に立ち戻って撤廃してくれるかどうかは怪しく、「2000年、2006年に続く3度目の正直となるプラス域での利上げ」は相当遠いため、純粋期待仮説では長期金利の上昇余地もたかが知れており、0.5%から1.0%にかけての水準は将来の需給、つまりタームプレミアムを取引していることに他ならない。従ってYCC撤廃でこれまでYCCを守るための強力な買支えが入っていた一部の国債現物にはもう少し売られる余地があるものの、たとえば金利スワップの10年1%近辺などはかなりフェアに見える。YCC撤廃トレードの狙いは国債金利のスワップレートに向けてのサヤ寄せなどというミクロなものになっており、中銀に打ち勝ってエクスポネンシャルに儲かるようなイベントではなくなっている。であれば国債村の中はともかく、マクロ的にはYCCの撤廃は大したイベントにならないとの本ブログの従来の考え方は維持する。植田教授指名時と似たような値動きになるだろう。

ゴシップ

 植田教授の指名は従来筆頭候補とされてきた雨宮副総裁の辞退に伴うものである。妙に雨宮氏で決定しないとは本ブログも感じていたところであったが、結局本当に辞退してしまったのである。政権に植田教授を推挙したのも雨宮氏本人とも言われており、これは日銀内における植田教授の信頼の厚さを意味する。辞退した理由も美談のような記事にもなっているが、どうも裏があるような気はしている。日銀関係者から「進駐軍として乗り込んできたアンチ日銀の黒田・岩規久に阿った裏切者」と思われているとも言われるが、日銀OBはともかく行内での人望に不安でもあったのか、それとも更に他の弱みがあったのか。そもそも黒田・岩規久に阿ったというのは雨宮氏を過小評価している。企画課調査役だった雨宮氏が量的緩和ペーパーを提出して話題を呼んだのは1990年代なので、むしろ雨宮氏こそが大胆な量的緩和の始祖なのである。その割りに雨宮氏がリフレ派の中であまり崇められていないのは彼らがその間ただの外野だったからである。一方、巷で言われているように雨宮氏がダビッシュで中曾氏がニュートラル、山口氏がホーキッシュという見方もイメージ先行である。むしろYCCを設計したからこそYCCの欠点を最も理解し、従ってプラグマティックな観点から早期撤廃に最も積極的だったのは雨宮氏ではなかろうか。YCC撤廃まで面倒を見てほしかった気持ちは山々であるが、ご本人を含めて誰もが「これで円満な布陣に落ち着いた」と言っているので辞退の謎をこれ以上追う必要はない。

 もう一つのゴシップの答え合わせとして、共同声明の改訂やら副作用点検やらのヘッドラインが飛び交ったのを本ブログが「背後から迫る政権によるアベノミクス総括の包囲網」と形容していた雰囲気の正体も判明した。総裁人事の少し前にお披露目の演説を行った「令和臨調」なるアンチ・アベノミクス組織が恐らく全ての出所であり、今後どこまで伏線を張ってあるのか分からないが、今のところ大山鳴動して鼠一匹の感が否めない。植田教授の論説で感じなかった「あからさまな外野感」とはこちらのために用意してあった表現である。

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この記事は投資行動を推奨するものではありません。