CS stock 2021 2022
CS historical market cap
 問題が発覚してから秒速で破綻したSIVBに続いて、創業167年の名門投資銀行クレディ・スイスも話題になってからわずか一週間で同業UBSに身売りさせられた。クレディ・スイス(CS)はG-SIBs(Global Systemically Important Banks, グローバルなシステム上重要な銀行)の一角であり破綻させるには巨大すぎると思われていたにもかかわらずである。一連の目まぐるしいニュースフローは世界中の投資家を翻弄した。スイス当局によって進められたCSとUBSの合併(Government-brokered deal)はすんなりと成立したが、欧州時間のリスクオフネタは尽きることがなく、更にドイツ銀行まで巻き込まれている。一体市場参加者は何を見て動いていたのだろうか。

 CSの経営状況がG-SIBsの中でも頭ひとつ抜けて悪いことはここ数年続いた流れである。脱・投資銀行依存に苦労したドイツ銀行などと違って、富裕層ビジネスという手堅いコアビジネスを持っていたのはGFC後あたりには安泰の印だったが、ここ数年になって急速に裏目に出続けた。富裕層とは言っても庶民から見た富裕層のイメージ通り、お金の出所が怪しい人間や、ファミリーオフィスと称してレバレッジを使って巨額のリスクを取るHF崩れのジャンキーが多かった。2021年に破綻したアルケゴスへのレバレッジ供与同じく2021年に破綻したグリーンシルへの投資で大打撃を受けたのに加え、CSは毎年チマチマとマネーロンダリングをはじめとする不正行為で罰金を食らってきた。
CS Annual PnL and AUM
Bloomberg Credit Suisse outflows
 最高幹部同士のスパイ行為まで発展した経営陣のくだらない内紛も本業の不振を加速させた。ウクライナ戦争の勃発でロシア人富豪の顧客も多く失った。SIVBから伝播してもらうまでもなく、クレディ・スイスは2022年から預金が流出していた。2022年10月に経営不安説が流れたのを経て、2022年の最終損益は73億CHFにのぼった
SP Global CET1 ratio G-SIBs
 そうは言ってもCSの問題は収益性にしかなく、米国の中小銀行と違って自己資本も流動性も十分だった。バーゼル3の規制資本比率であるCET1比率(普通株式等ティア1比率、Common Equity Tier1 Ratio)は安定して14%を超え、G-SIBsの中でも上位常連であった。しかしタイミングよくSIVB問題の「次」探しの最中に運悪く3/15に「SNBがCSへの追加出資を拒否」とのヘッドラインが流れ、CSに一気にスポットライトが当たった。SNBとは筆頭株主のサウジ・ナショナル・バンクであり、誰かがスイス中銀(SNB)と取り違えたなどという寒いジョークも飛び交ったのだが、いずれにしろCSが追加投資をサウジ・ナショナルに要求した事実はない。CS株が急落して経営不安が顕在化すると、取引相手がカウンターパーティ・リスクをヘッジするためにCSのCDSを買いはじめスイス中銀(SNB)から50bn CHF (54bn USD)の流動性供与を受けても信用不安は収まらず、他の民間銀行による買収ないしは当局による救済の喫緊性が急速に高まった。市場参加者はまたしても土日の間に「銀行が救済されるか否か」の賭博に参加させられた。

 GFC前と異なり、今の巨大銀行(G-SIBs)は破綻時に税金を投入せずに預金を守れるように、バッファとなる資本を分厚く積まされている。それと収益性の悪さは表裏一体でもあり、ポストGFCレジームではG-SIBsがその分厚い資本の投資家が満足するようなROEを上げて株価を上げるのと潰れるのは同じくらい困難である。デリバティブ取引も大半は担保付きになっており、たとえCSが破綻しても決済不履行でCSにへの債権を取りそびれたりする可能性は限定的になっている。従って他の金融機関にも損失が連鎖するのではないかという疑心暗鬼で金融システム全体が危機に陥る、いわゆるリーマン・モーメントは、たとえCSが放置されて破綻したところであり得なかった。これは大前提である。文明は進歩しているので、何かあるとすぐGFCを思い出すのは合理的ではない。結果的にスイス系の同業UBSがスイス当局の圧力もあってCSを即決で買収した金曜1.86CHFあったCS株の株主はCS株1株あたり0.75CHF相当のUBS株を受け取った。これでリーマン・モーメントは完全に防止された。たとえ破綻してもG-SIBsの預金が安全であるとの神話が初めて実証されたとさえ言ってよい。CSは債務超過でなかっただけでなく証券運用も限定的であり、これまでもチマチマと続いてきた訴訟リスクを除いて何かトキシックな爆弾を抱えているとは思えなかったため、買収の条件を見ても当局からUBSへのプレゼントだったと見なして差し支えない。にもかかわらずその後火を噴いてリスクオフ再来のきっかけとなったのは、救済買収に伴い全額が毀損したAT1債というもっとニッチな資産である。

全損したAT1債と金融機関の規制資本

Nikkei Basel3 bank capital
 ニッチとはいえ、AT1はこれまでも度々話題になってきた。GFC後に分厚く積まされてきた資本は全てが普通株等(CET1)から成り立っているわけではない。「成長するわけでもない銀行の損失吸収用」と分かり切っている普通株の増資を繰り返すよりも、クーポン一定の劣後債の形式で発行した方が調達コストは低いと考えられる。米国では優先株がそれにあたり劣後債はAT1に算入されないため、ここでは主に欧州銀の劣後債を取り上げる。

 AT1債で調達される資本をAT1(Additional Tier1)と呼び、CET1の上に載せてTier1資本が出来上がる。資本とは燃やしてもよい他人のお金なので、財務が悪化した時に負債と違って返さないのが要件(資本性)であり、従ってAT1債は償還期限のない永久債などの形式を取ることが多い。しかし本当に永久劣後債と言ってしまうと要求される利回りが高くなってしまうため、期限前償還(コール)できるオプションを発行体が持ち、期限前償還できるタイミング(ファースト・コール)が来たら償還再発行(リファイナンス)を繰り返すことになる。投資家側から見るとAT1債は、ファースト・コールのタイミングで銀行の財務が著しく悪化していない限り、そこで償還される債券と見なすことができる。悪化していたら後日まで償還を見送ることになる(コール・スキップ)。
Basel3 Bank Capital
 必要となるT1比率は管轄する規制当局の裁量次第であり、銀行が保有するリスクアセットに対してCET1比率4.5% +AT1比率1.5%がバーゼル3自体が定めるミニマムであり、その上に資本保全バッファ、G-SIBsバッファ、カウンター・シクリカル・バッファ等が足されていく。CET1比率が資本保全バッファを割り込むと、資金流出を防ぐために普通株配当とAT1債の利払いが停止される。そしてCET1比率が国際基準の5.125%(或いはローカル規制当局が定める別の水準、イギリスやスイスは7%)を割り込むとAT1債の元本削減が始める。その時には株価も激下がりしていると思われるため株式対比でまだAT1債の方がリスクが低い。しかし「税金投入前に損失を吸収する」のが役割である以上、もし銀行が国有化されたり公的資金注入を受け入れた場合、税金が傷付くのを防ぐためにAT1債は毀損することになる(Bail in)。
Bloomberg CS AT1
 従ってCSがUBSに買収されるのか、それとも買収が決裂して国有化されるのかは、AT1投資家にとって文字通り100か0かの死活問題であった。土曜にUBSによる時価総額1bn CHFの買い興味が示された後、金曜に額面の30%程度で取引されていたCS AT1は週末も出社していた人達の相対取引市場で一時的に気配が値上がりしたとも言われる。純粋な民間企業による破綻前の買収であれば元本毀損がトリガーされず、UBSまで経営危機を起こしさえしなければ100%までラリーしてもおかしくなかったからである。しかし週が明けてみると、買収金額が3bn CHFに引き上げられて成立した代わりに16bn CHF(17bn USD)のCS AT1は消滅した。公的資金は直接入らなかったものの、「買収に伴ってUBSに一定額以上の損失が発生した場合には9bn CHFまで保証」と連邦政府がUBSに提供した保証とSNBからの流動性供給は「特別な政府支援(Extraordinary Government Support)」にあたるという理屈であった。株式は前週の引け値対比で半分以上が吹っ飛んだものの全損にはなっておらず、それを飛び越える形でAT1が全損になったのは、債券と株式の通常の優先劣後順位から考えると非常識であった。ナイーブな投資家はその時点でパニックになった。

AT1債市場参加者の憤り

 株式より先に債券を全損させたスイス連邦金融市場監督機構(FINMA)の判断は果たして超法規的なのか。一般論としてはAT1債が常に普通株より優先されるとは限らない。銀行が実質的に破綻した(PONV, Point Of Non-Viability)後の弁済順位では確かにAT1債は普通株より上である。しかし劣後債の損失吸収機能は、銀行がPONVに到達した後の弁済プロセスの中で預金を守るために発動される(Gone Concern Capital)だけでなく、銀行の存続を保証するために破綻前から予防的にも発動される(Going Concern Capital)。戦車で喩えるならAT1は爆発反応装甲であり、砲弾が当たった時に真っ先に自分が爆発することによって着弾の衝撃を緩和して戦車を守るのである。普通株は発行体が破綻したら無価値になるが、予防的に自爆する機能はない。
Credit Suisse Capital Ratio 20224Q Annual report
 しかし、CSが規制の要求を大きく超えるCET1比率14.1%(2022年年末時点)を残したままAT1が全損したことは、AT1市場全体のプライシング体系を動揺させた。AT1の投資家は財務分析を通して各トリガーが発動されるまでの生存確率を見積もり、それに見合うリスクプレミアムを要求する。AT1がただの社債だけでなく、社債にいわば普通株のプットオプション売りを組み込んだ商品であること、つまり戦車の生存(G-SIBsの銀行の存続)に投資しているのではなく、「戦車の外に立っていて」爆発反応装甲が爆発しないことに賭けていることなど最初から百も承知している。しかし今回のケース、戦車は前線に到達さえしていないはずだった。財務が健全である銀行に対する押し付けがましい「特別な政府支援」に伴うベイルイン発動の可能性を事前に合理的に予想することは困難である。今後AT1投資に際して通常の財務リスク分析に加えて当局の恣意的な介入を新たなリスク・ファクターとして織り込む必要が出てくる。そもそもCET1比率ランキングでCSよりも下にいた銀行のAT1債はどう評価すればよいのか?

ECBによる火消し解釈

Bloomberg European Bank AT1s
 3/20の週にわたってAT1債市場全体で壮大なリプライシングが行われたのは必然である。CSの救済成功は不確実性剥落イベントだったにもかかわらず、アジア時間からHSBCのAT1債が売られ始めたことがリスクオンの雰囲気を台無しにした。月曜のうちにECBは火消しのために声明を発表せざるを得なくなった。曰く、ECB監督下の欧州銀行に関しては「最初の損失吸収商品はあくまでも普通株であり、普通株を燃やし終えた後でないとAT1債が損失を要求されることはない」。「AT1債は引続き欧州銀の資本構造の中で重要な役割を持つ」ので、マーケットを壊してしまうわけにはいかないのである。
GS EUR and USD AT1 market outstanding
 AT1債市場はユーロ建てが額面でEUR 77.6bn、米ドル建てが額面でUSD 173.6bn存在するとされている。これは十分大きなマーケットであり、それだけ欧州銀は規制資本の調達をAT1債に依存していたことを示す。
Cinstancio tweet
 コンスタンシオ元ECB副総裁はTwitter上で「スイス当局は間違いを犯した」とまで指摘した。ECB関係者が声を上げたのは「引続きAT1マーケットに依存するから」という実用主義だけではなく、EUの規制に沿ったものである。EUのBRRD(Bank Recovery and Resolution Directive, 銀行再建破綻処理指令)ではベイルイン原則が適用されるのは金融機関が「破綻(is failing)またはその恐れがある(is likely to fail)」ケースに限定されている。破綻(等)の定義はBRRD Article 32において

 (a) 自己資本比率の規制水準以下への低下
 (b) 債務超過
 (c) 債務不履行
 (d) 特別な公的資金支援(extraordinary public financial support)の要請

の1個以上に当てはまる場合であるが、CSは明らかに(a)(b)(c)に該当せず、(d)はCSのケースと似ているが、中では更に資産超過である(solvent)金融機関に対する予防的な

 (i) 中央銀行による資金供給への政府の債務保証
 (ii) 新規発行債務への政府保証
 (iii) 市場ベースの価格・条件による公的資金の注入

は例外でありベイルイン実施の義務を課されない。CSがもしスイスではなくEU加盟国銀行であったならば、たとえ今回のような間接的な政府支援付きで買収されたとしても、債務超過ではないためAT1が全損にはならなかった可能性が高いとECBは示唆している。加えてEU加盟国銀行についてはベイルインの発動条件は明確に定義されており、少なくともECBはそれを恣意的に覆すことはないことが判明したため、少なくともEU加盟国銀行のAT1については新たなリスクが当局から追加されたわけではないと言える。ECBの火消しを受けてAT1市場は週半ばにかけて一時的にラリーした。BOEも似たような火消し声明を行った。スイス当局とは一緒にするなと言わんばかりである。

FINMA判断の擁護のしづらさ

CS prospectus
 ECBの規制体系を整理した上でFINMAの解釈に戻ると更に正当化が難しい。AT1債発行当時の目論見書で投資家も同意した—―多くの投資家は見落としただろうが—―毀損に繋がる条件はContingency Event(偶発的事象による条件抵触)とViability Event(企業の存続にかかわる事由)の2つである。Contingency EventとはCET1が7%を割り込んたケースであり、Going Concern Capitalとしての元本毀損トリガーである。Viability Eventは今回FINMAがAT1債を全損させた根拠であり、(i)銀行が実質的に破綻しているか、(ii)当局から特別な支援を受け取った場合にトリガーを引く。目論見書ではViability Eventの(i) (ii)どちらもPONVを構成するとされているが、14%のCET1を誇る銀行を当局がPONV認定できることには違和感が残る。
FINMAとしては救済がそれだけ喫緊だったとアピールすることになるだろう。

 FINMAのリリースはトリガーをあくまでも「当局からの特別な支援」(Viability Event (ii)) としている。Viability Event (ii)の定義を目論見書でもう一度見直すと「CSの資本充足に繋がり、かつそれがないとCSは支払い不能・破産・債務の返済不能或いはビジネス継続が不可能になるとFINMAが判断した」場合である。政府支援の定義は述べられていないわけではないものの、CSのケースが本当に「(恐らく発動しない潜在的な)政府保証のおかげで、資本が充足し、そこで初めてデフォルトから脱した」と言えるかどうかはまだ議論の余地がある。解釈権がFINMAにあるのを重々承知の上で、本ブログには一つも当てはまっているように見えなかった。
PONVなら「AT1だけが先に偶発削減」とはならず残余価値請求権の優先順位は常識通りになるので、どうして普通株はPONV下で一部の価値を維持できたのか。後に提起されるであろう訴訟ではこのあたりが争点になると思われるまたPONV認定が下ったならば他のGone Concern Capitalの損失吸収も発動されるが、シニア債や2.5bn存在するT2債の損失吸収が議題にさえ上がらなかったことをどう解釈すべきか。AT1の100%毀損で必ず吸収し切れると判断したので必要がなかったのか、それともFINMAが単純に忘れただけか。そこまで仕事が雑でない人達なら、やはりFINMAが最初からAT1にターゲットを絞ってスケープゴートにしたと考える方が自然である。

 とにかく、FINMAの規制に沿って書かれたCSの目論見書によると
Contingency Eventは明らかに当てはまらず、Viability Eventの2個は共にPONVであり、PONVでなければ元本削減は起きない。従ってFINMAを信用するなら、CSのAT1債はあくまでもPONV認定後にGone Concern Capitalとして毀損したと見なすべきだ。「今回CS AT1が株式より先に毀損したのはAT1がGoing Concern Capitalだから何ら不思議はない」と間違った知識を披露する人を見たら訂正すべきである。

 FINMAの処置にチャレンジする他の論法として、リストラクチャリングに際して債権者は銀行を本当に解体した場合よりも不利な条件を押し付けられることはない、"No Creditor Worse Off (NCWO) principle"という債権者の権利を保護する原則があるが、FINMAはG-SIBsの処理に際しては金融システムの安定を優先するため債権者が再建計画を否決して破産を選択する権利は剥奪されていると解釈しているし、ECBでさえAT1発行時に投資家も同意した条項に伴う元本削減はNCWOの例外になると解釈しているため、NCWOに限っては今回の処置を否定するものではない。G-SIBsの債権者になることは常に超法規的措置の犠牲になる覚悟を必要とする。

過去のAT1処理の前例

 とにかくスイスのG-SIBsはこれでUBSだけになったので、我々は今後FINMAの特殊性を気にせずECBの定義と整理を準拠すべきだ。過去の例ではイタリアのモンテ・パスキ銀行救済(2016年)のケースは公的資金が注入されたにもかかわらず、BRRDの例外措置(予防的資本増強)に当てはまりベイルインは発動されなかった。ベイルインの代わりに欧州委員会のBanking Communication 2013第43条、第44条に基づく損失共有(Burden Sharing)の発動に基づき普通株と劣後債が毀損した。これはイタリアでは銀行債を一般国民が広く預金感覚で保有していた状況に配慮していたもので、シニア債は守られ、劣後債は毀損させつつもイタリア政府が別途個人投資家に補償を行った。スペインのバンコ・ポプラールがサンタンデールに救済買収された(2017年)ケースはPONV(破綻)認定されたため、公的資金が注入されない民間買収だったにもかかわらずAT1も普通株も全損した。普通株が生き残ったにもかかわらずAT1が全損したのは今回が初めてとなる。

AT1のネガティブ・コンベクシティ

Bloomberg AT1 Refinancing cost
 さて、火消しが来たから再び何も考えずにAT1債を買えるようになったかと言うと、そう問屋は卸さない。スイス当局の決定がAT1債を巡る規制変更を意味するものではなかったにしろ、一般的に当局はシステミックリスクに対してなりふり構わぬ手を打ってくるものであり、その場合AT1債の毀損は重いものになることが改めて実感させられた。セカンダリー市場の投資家は過度な悲観からの回帰そのものを収益化しようとするが、より長期的な視点でリスクを点検して意思決定するプライマリー市場(発行市場)で新たにまとまった額のAT1の発行を投資家に打診するとなると、すぐには投資家センチメントが回復しそうにない。そこで問題になってくるのは先ほど触れたコール・スキップである。つまり既存のAT1を発行時に投資家に匂わせた(約束はしていない)通りにコール(期限前償還)し、新たに発行したAT1でリプレイスするサイクルが止まってしまうのである。

 発行が止まるか、発行できるとしても既存のAT1より遥かに条件が悪い(クレジット・スプレッド拡大)ならば、既存のAT1をわざわざコールせず、発行も取りやめて拡大前のスプレッドのコストを払い続けた方が発行体側にとっては合理的である。AT1債はスプレッドが大幅に拡大すると発行体によるコールの蓋然性が低下し、スプレッド・デュレーションが伸びるネガティブ・コンベクシティを持つ。匂わせた通りにコールするモチベーションは、今後も継続的に発行が続く予定があるならコールの規律性を失ったと見られると長期的には損するため(仁義)であるが、現実の調達コスト悪化を選択する意思決定を将来のための仁義だけで株主に説明するのは難しい。
Plurimi UBS DB and CS CDS
Bloomberg CS Senior Bond
 投資家側から見ると、残り1年で返って来て逃げ切れると思っていた債券が、ヤバくなった場合に限って、最悪5年債や10年債になってしまうわけである。スプレッド・デュレーションの長期化をヘッジするツールは基本的にない。CDSは一般的にシニア債の保険である。CSのケースでは早々にAT1債が爆発してくれたお陰でシニア債はむしろ守られ、CDSは最終的に無価値になった。理論的にはAT1とシニア債のスプレッド相関は高くないはずだが、現実的にはシニア債まで直撃するような倒産リスク(かなり低い)だけでもCDS(従って本質的にはあまり意味がない)でプロキシ・ヘッジを追加するしかなく、CDSのブローアップは更にシニア債に波及する。銀行株のショートもプロキシ・ヘッジになる。このままAT1の利回りが高止まりすれば一連のAT1のネガティブ・コンベクシティ・ショックは次の誰かの借り換え予定をきっかけに炸裂する予定であった市場参加者はそれを(やや無理やりに)借り換えが近いドイツの2つの無名銀行に求めた

ドイツ銀行への波及

Bloomberg DB CDS
Bloomberg DB T2 call
 ただでさえ名前で取り違われそうなところに、ドイツ銀行(DB)は大幅な額面割れで取引されていたT2債の早期償還を発表したところ、非合理的にT2資本を削ったと株主に判断され株価が急落した。当該T2債だけが値上がりした一方でDBのCDSスプレッドも急拡大した。DBには2016年にもAT1債の利払い停止懸念がグローバルで壮絶なリスクオフを招いた前科があるものの、2023年現在の経営状況は同業他社と比べても悪くなく、「次のCS」懸念のターゲットになったのは完全にもらい事故である。CSはG-SIBsの中でも特殊例なのでDBが「次のCS」になるとは思えないし、DBに限らず「次のCS」はしばらく思い付かない。CSのAT1全損に端を発するAT1債ショックの第2波は、ネガティブ・コンベクシティを解放する儀式のようなものである。従ってECBによる火消し後のラリーは短慮だったとは恐らく言えるものの、スプレッド・デュレーションが伸びた後になおも非理性的な売りが続くようなら、欧州銀AT1債は十分なキャリーを提供するアセットクラスとして買い場を迎える。

 AT1債の大半は年金やファンド、個人投資家が保有している。AT1債の損失吸収用の役割から考えても、金融機関が互いに持ち合っていた(ダブルギアリング)場合、結局どの他の金融機関が「損失を吸収」したのか疑心暗鬼になってしまうので意味がなく、ダブルギアリングが不利になるように規制が設けられている。従って金融機関の間での破綻リスクの伝播(contagion)を懸念する必要性は基本的に感じられない。一方、金融機関の規制資本調達コスト上昇は今回の一連の騒動の確実な帰結であり、一朝一夕では解決されそうになく、その影響は今後もじわじわと経済全体に広がる。調達環境の悪化を緩和するためには中央銀行が無リスク金利を低下させるしかない。

 なお、邦銀もAT1を発行しているが、本邦では社債の契約によってベイルインの発動条件が明文化されており(Contractual Bail-in)、行政の裁量で発動される欧州(Statutory Bail-in)とは異なるためCSのように当局によって恣意的にAT1債が毀損させられることはあり得ない。具体的な発動条件は預金保険法第102条の第二号措置(破綻または債務超過時の公的資金注入・預金保護)、第三号措置(国有化)と定められており、第一号措置(過小資本時の資本増強、りそな銀行がかつて適用)ではベイルインが発動されない。本邦において銀行危機救済のための税金投入への拒絶反応が欧州より小さいため、資本不足が見えた段階で公的資金が投入されるだろう。邦銀AT1はCS AT1と異なるだけでなく、そもそも毀損するケース自体があり得るのかという次元である。従って邦銀まで規制資本の調達コストが大幅に上昇するとは思われない。コールについても邦銀は欧州銀と違って株主の目よりも仁義を重視するだろう。

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この記事は投資行動を推奨するものではありません。