パンデミックが明けた中国経済のリオープンは2023年の一大テーマになるとされてきたが、その失速が明らかになってきている。リオープンがインフレを輸出するなどという話もあったが、現実には消費者物価(CPI)は前年比でわずか +0.1%、生産者物価(PPI)は -3.6%と、中国は急速にデフレーションに向かいつつある。パンデミック後の世界の大半でインフレが続いているのとは全く異なる光景である。2020年頃からの本ブログの読者であれば、パンデミック中に主要経済体の中で中国だけがほとんど給付金を大々的に配らなかった(移転所得がなかった)ため、中国だけは余剰貯蓄が少なく消費と物価が戻らずむしろデフレを輸出すると何度も主張してきたのが記憶が残っているだろう。これはリオープンしたところで変わらない。逆に物価変動、特にインフレがいかに給付金(移転所得)のみによって規定されるかも、先進国と中国との比較で答えが出たようなものである。
個人消費
小売売上高も不調が続く。2023年4月は1年前が上海ロックダウンにあたり壊滅していたのでYoYでは跳ねるように見えるのが当然だが、それでも予想に大幅に届かなかったのが話題になった。一般的にはマスク規制が外れて対面の人の集まりや旅行の復活に伴い消費は自然と盛り上がるものと思われていた。実際出張と経費での飲食が真っ先に復活し、その熱気を目撃してリオープンを説いたエコノミストもいたが、彼らは同業者の出張を鏡で見ていただけなのである。GW中に観光地は混雑したのは事実だが、2022年の悪夢を経て旅行自体は人気だったものの財布の紐は堅く、格安旅行が流行った。
正確には余剰貯蓄ができなかったわけではない。移転所得はなかったが、それ以上にハードロックダウンが続いたので貯蓄は増えている。これが株式市場に向かうなどという話もあった。しかし蓋を開けてみると資金が向かった先は金利低下に伴い割高に見えてきた過去の住宅ローンの繰上げ返済である。これは家計の意識的なBS縮小であり金融引締め効果を持つ。
輸入と輸出
消費の不調を裏付けるように中国の輸入は2022年以降横ばいが続く。もちろん原油などの輸入財の価格が下がってきたというのもあるが、少なくとも中国の輸入「リオープン」はグローバルにインフレ圧力を全くかけていないとは言える。むしろ遠からずデフレを輸出するようになるだろう。
輸出の方は2021年はゼロコロナ政策がワークしており、グローバル・サプライチェーンの中で1人だけ無傷だったので無双した。2022年のゼロコロナ政策継続も内需を犠牲にしてでも製造業を守ったと解釈することができる。輸出ブーストは東南アジア等のライバルの復活に伴い一過性で終わるとも思われていたが、2022年、2023年になっても衰えなかった。中身で見ると西側諸国向けが減った代わりに東南アジア向けが増え、更にロシア向けに明らかに戦争特需が来ている。西側諸国向けは景気過熱と財インフレの解消が主因と思われ、サプライチェーンのフレンド・ショアリングはまだ結果を出す時期になっていない。単月のデータなので深読みは禁物だが、ほんのりと東側ブロック化、第三世界ブロック化の匂いは漂う。思えば2022年の財インフレの最中には米中貿易戦争のレガシーである対中関税の引下げを米国側が検討していたが、それを中国側が黙殺するほど習近平政権は対米輸出に期待をかけていない。沿岸部の港湾に向かうトレーラーやコンテナが暇している代わりに中央アジアやロシアに向かう「一帯一路」鉄道が混雑しているのも輸出構造のシフトを想像させる。
輸出の好調は中国のGDPを嵩上げするし、ついGDPのアップサイドを見ると投資したくなるものだが、実は輸出ブーストは中国の投資環境にとって必ずしもポジティブではない。それだけ他の部門の軟調さへの対策が遅れる。そもそもGDP成長目標に対してバッファができるほど輸出がブーストされた2021年は何が起きたのか。バッファを使い潰す覚悟で行なわれたハイテク業界と不動産業界の苛烈な引締めではないか。逆に経済対策が出てきやすく投資環境が改善するのは輸出も含めて全面的に不調な時期である。製造業や不動産、消費の弱さを一通り取り上げた後に反射的に「年後半にかけて金融緩和や経済対策に期待」と書き加えているエコノミストは一昨年や昨年の教訓を全く取り入れていない。
雇用
中国の都市部の若年失業率は史上最高の20.4%となった。これの全年齢版である全国調査失業率は歴史的に「役に立たない」との評価が根強い――パンデミック中でも5~6%の間でほとんど動かなかった――ことを考えると、若年失業率ももっとボラタイルになっている可能性が高い。若年失業率の高さを――目下の景気の悪さを示唆するものではなく――構造的なものとする意見もあるが、それでも2020年以降の高騰は目立っているし、そもそも水準自体が問題視されるべきである。パンデミックで言い訳できる時期は既に終わっている。ゼロコロナ政策で帰郷した人が再び都市に出て職探しを始めたからという解釈もあるが、それにしては職探し期間が長すぎるだろう。若年失業率の高騰の背景は明らかに習近平政権が伝統的に大口雇用主だったハイテク業界を迫害し、更に若者の雇用のバッファになってきたオンライン・チューター職まで丁寧に潰したためである。高等教育を敵視する政権が高学歴化した若者の雇用を心配するはずがなく、高学歴のプライドを捨ててブルーカラー職を探すか起業しろ、としか言わないに決まっている。またせいぜいインセンティブも出さないまま――お金を出さずに号令だけで他人に身銭を切らせようとするのは習近平政権の一貫した発想である――雇用を「守る」よう企業に号令をかけるだけだろう。幸い生活コストも低いため両親が不動産を保有していれば定職に付かなくてもかなりや長く食べていける。ラグジュアリーの需要だけは堅調だったが、これは既に賃金収入に依存していない階層の仕業だろう。
固定資産投資
民間企業の設備投資意欲が死んでいるため、中間財が多い韓国の輸出のボトムアウトなど、至るところで「中国がリオープンするから」と皮算用してきたものの歯車が外れ始めている。そもそも製造業はゼロコロナ中も止まってはいなかったので、製造業のリオープンなどというものは最初から存在しなかったはずだ。ただでさえ景気回復が弱い中で更にそれが「サービス業に偏在している」ため貿易相手国には恩恵が来ない。貿易相手国の精神衛生のために付け加えておくと、サービス業に偏在している分も大したことない。
経済対策期待
中国のM2は潤沢であり、落ちているのは流通速度(Velocity)である。従って市場が期待しているほど金融緩和の喫緊性は高くないし、実際あまり効かないだろう。悪いのはあくまでもセンチメントである。当局は物価下落を「一時的なもの」としておりデフレ転落リスクを認めていない。
米中金利差が開いており輸出業者も米ドル運用を選好するため、貿易黒字が続いているにも関わらず人民元の対ドルレートは7.0を割り込んでおり、当局が一層の人民元安を容認しない限り金融緩和に自ずと制約が加えられることになる。
財政刺激に関しては2021年に不動産企業を迫害した結果、地方政府の土地売却収入(政府性基金収入)が細っており、むしろ自然体では公共サービス削減や公務員解雇など財政引締め圧力がかかりやすい。それでも土地売却収入の穴を埋められないなら地方政府の債務危機に発展する可能性さえある。不動産企業迫害の時に当てにしていた不動産税の導入もまた既得権益層の抵抗に遭って挫折したので全てが当たり前である。「成長目標を達成するために刺激策が打ち出されるだろう」とすぐ脊椎で書くエコノミストにはしばしば軽視されるが、東側諸国には財政赤字や公的債務積み増しによる成長ブーストへの強い拒否感がある。習近平政権では特にその傾向が強く財政刺激期待などもってのほかである。何なら賃下げしてお金を節約しようと言い出しかねない勢いである。百歩譲って財政支援をするにしても幅広いばらまきではなく、あくまでも習近平政権が国策に資すると認める分野、具体的にはEV関連や半導体関連に集中され、特に後者は無駄遣いされて終わるだろう。
もちろん自国経済の弱さを当局が認識する能力がないわけではない。習近平政権3期目に入って新たに首相になった李強は学歴が低く(農業大学卒)上司との個人的な繋がりの強さだけで出世したと幅広く思われており、特にハイスぺだった先代の李克強と比べられがちであるが、学歴だけを見て経済オンチと決め付けるのはフェアではない。テスラの上海工場を誘致して主力工場になるまでサポートしたのも李強であり、一般的にビジネスフレンドリーと目されている。ゼロコロナ政策からの素早い転換を主導したのも李強である。子分色が強いからこそ、先代と違って習近平の猜疑や干渉をいちいち受けずに自らの政策を展開できる。しかし、いくら首相がビジネスフレンドリーでも、ボトルネックはあくまでも最高指導者自身なのである。お金は出さないと決め込んでいるため、経済対策はあくまでも人に足を使わせるオールドタイプな外資誘致に集中する。これは地方政府に自力で資金を調達しろという号令でもある。
その外資誘致は更に国際関係の制約を受ける。これまでは西側諸国に所属していても「市場に近い」「インフラが使いやすい」のを理由にフレンドショアリングの圧力に抗って中国ビジネスを拡大してきた企業も大勢あったが、ゼロコロナ政策を経て市場もインフラも信頼できないとなるとさすがにいいところがない。では外交環境の改善に動くかというと、習近平政権は明らかにかなり長期的な視点で米国との関係修復を諦め、西側以上のペースで西側から離れようとしている。パンデミックが明けて「リベンジ外交」と呼ばれた動きがあったのは事実で、イランとサウジアラビアの国交正常化を仲介して国際社会を驚かせたが、それはあくまでも「対西側以外で活路を見出す外交」の一環にすぎない。外交と貿易の第三世界向け化、EVシフトと半導体国産化へのこだわりにはある種の戦時経済への憧れと冷戦状態の居心地のよさが見え隠れする。居心地がいいだけで、具体的に何か地政学リスクが顕在化するかというとそのような器がある政権ではないが、積極的に誤解を解く行為も潔しとしないため、海外の事業会社と金融機関としては地政学リスクが顕在化する前提で動くしかない。
従って2017年や2021年前半のような、先進国で株高がいい加減進んだ後に金余りで中国株に資金が流れ込んでくるケースはまず想定しなくて済む。むしろリオープン・テーマのあてが外れていよいよ保有する理由がなくなった中国株から先進国株への逃避が進んでいるように見える。これまではインフレのピークアウトと先進国の引締め終了期待と共に米ドル安と株高が並行してきたが、それがややドル高株高に転じているのは人民元安が軸ではないだろうか。中国の景気悪化の海外市場への影響の与え方は歴史的に非連続的であり、具体的には2015年の人民元切り下げのようなもっと分かりやすいイベントがきっかけになるだろう。逆に中国株がアウトパフォームするとすればそれは西側諸国のリセッション入りが外需の縮小に繋がっていよいよ経済対策が必要となる時期であり、それまで先進国株で全て代替して何ら差し支えないだろう。
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この記事は投資行動を推奨するものではありません。