Bloomberg JGB 10y yield after Mar MPC
 前回の記事で植田新総裁を紹介した後、3/10に黒田総裁の下で最後となる金融政策決定会合が行われた。前回の記事では「黒田体制ほど方針転換ありきで鳴り物入りでノミネートされたわけでないなら、最初の会合で劇的な方針転換を打ち出すのは難しい。バックファイヤーしづらいにもかかわらず決定まで時間がかかるのは最悪なので、論理的な帰結として黒田日銀の間に3月にYCCをさっさと撤廃した方が合理的」とべき論を述べつつも、「日銀はまだ全てのせこい戦術を使い切っておらず、3月会合で負けを認めるのは悔しさが残る。現実問題、国債市場を暴落させた状態で次期総裁にバトンタッチするのもまた好ましくないに決まっている。3月会合で何か政策変更があるとしてもそれは再び共担オペと似たようなカテゴリーのせこい戦術とのセットになるはずで、いわゆるYCC修正トレードにとって3月会合は最後の関門になる。暁の直前に倒れるのはどちらになるか」と3月会合でYCC修正にベットするオッズは良くないと指摘した。実際3月会合は取り付く島もないという様子で早々と現状維持を決定し、海外投資家の日本国債ショートポジションは再び吹き飛ばされた。更に間を置かずSVBが破綻して米金利まで大幅に低下するとYCC維持に一気に余裕が出てきて、残ったショートポジションは押すな押すなになった暁の直前どころか、まだまだ真夜中だったようである
Bloomberg oversea JGB net purchase
 多くの海外勢はこれでYCCチャレンジのやる気をなくしたようである。本社も本国の金利上昇ベットでフィーバーしているならリスク許容度も高まろうというものだが、本国が中小銀行危機だのクレディ・スイス・ショックだのに振り回されているとなると、言葉も通じない極東の一角で中央銀行に逆らって大きなリスクを取っている場合ではなくなるのである。更に日銀が「せこい戦術」として国債貸出しを絞り始めたため、発行額以上の国債を借りてショートしていた投資家は散々な目にあった

ベアファンドという勝負が終わった後のドブ金

Bloomberg JGB Fut volume by Investment Trusts
 一方、遅れてYCC撤廃ヘッジを大々的に入れ始めたのはむしろ国内金融機関である。海外勢がまずタッチしないであろう「投資信託」による国債先物ショート構築ペースは2023年1月にクライマックスを迎え、その後もペースダウンはしたものの3月会合までは漫然と続いた。3月会合を受けてもしばらくアンワインドされなかった。これは明らかに国内金融機関が今保有している債券ポートフォリオに両建てで被せる形で購入した日本国債ベアファンドの仕業である。わざわざそんな面倒で、エコノミカルには損する気しかしない両建てをしなくても、とは外から見ると思うものの、昔から育ててきた債券ポートフォリオを崩したくない理由があるのだろう。

 本ブログなどはYCC撤廃に伴う金利の大幅上昇に備える価値はないと繰り返してきたが、機関投資家にとってそのような選択肢はない。何やらインナーサークルで崇めたてられているらしいオピニオン・リーダーとやらが極めて近いYCC撤廃をこれほど煽り散らかしており、担当役員も影響されて懸念を持っているとなると、現場の担当者としてはベアファンド購入を拒否してFed pivotまで耐え抜いた場合のリターンと、無防備のままYCC撤廃に突っ込んで損した場合のリスクがあまりにもアンバランスになる。シナリオ別に考えてみよう。ベアファンドを買わないままYCCが撤廃されて金利が上昇したら一発アウトで僻地左遷が待っている。ベアファンドを買わないまま金利低下で儲けても「今回たまたま助かったが危なかったぞ」と言われるだけで収益を褒められることはあり得ない。ベアファンドを買ってYCCが撤廃されて金利が上昇したら「正しい運用」をしたと激賞される。ベアファンドを買って金利低下で損しても「値動きまでは当てられない、しょうがない」で許される。当初からリスクが見えていた証拠を運用担当者は行動で残す必要がある。損益やその後の運用難に苦しむのはあくまでも組織であり、運用担当者個人とは全く関係がないのである。こうして日本国債ベアファンドは日本の金融機関の間で流行ったし、彼らは3月会合を通過しても一心不乱に両建てを持ち続けた。

1年~1年半という催眠

Bloomberg Yen drops as BOJ sticks with stimulus
 さて植田体制になった4月会合。繰り返すようだが、植田体制は黒田体制ほど方針転換ありきで鳴り物入りでノミネートされたわけでないので、最初の会合で劇的な方向転換を打ち出すはずがなかった。とはいえ本ブログでさえも黒田日銀時代のようにせこい嫌がらせでバックファイヤーする可能性はさすがに少なくなるだろうと考えていたのだが、植田日銀の黒田日銀からの連続性は本ブログの想像をさえ超えた。国債金利が大きく反応したのが3月会合だったのに対し、4月会合で改めて金融緩和縮小の遠さを実感したのは為替市場であり、4月会合を起点に円安が進んだ

 特に声明文の末尾に付け加えられた「わが国経済がデフレに陥った1990年代後半以降、25 年間という長きにわたって、"物価の安定"の実現が課題となってきた。その間、様々な金融緩和策が実施されてきた。こうした金融緩和策は、わが国の経済・物価・金融の幅広い分野と、相互に関連し、影響を及ぼしてきた。このことを踏まえ、金融政策運営について、1年から1年半程度の時間をかけて、多角的にレビューを行うこととした」という、学者らしくやたらと視座が高い一文が聴衆を騒然とさせた。「レビュー」とは何か。当然のように会見の後に記者はその点を質問攻めしたものの、結局フワッとした回答しか返ってこなかった。であるにもかかわらず、というより本人が「近い将来の政策運営、政策変更について何か分析をするということですと、1 年半もかけていたのでは間に合わない」「その間に出口、正常化と申し上げましょうか、を全くしないというか、正常化を始めるという可能性もゼロではない」とわざわざ言明しているにもかかわらず、1年〜1年半という目線の長さだけが独り歩きした。黒田日銀のように実弾を投入せず、更に後々自らの行動を縛り得るような強い言葉さえ用いないまま、植田総裁はYCC早期撤廃期待をボロボロに剥落させることに成功したのである。まさにフォワードガイダンス専門家の面目躍如、魔術師と言っても過言ではない。

 その後の取材を含めて植田総裁の答弁は前任者ほどは一貫しておらず、解読する者を困惑させがちである。その中でも間違いないのは、かつて黒田総裁がFed pivotを待ちながらteam pivotの理論的支柱を記者会見でぶち上げたように、植田総裁もまたFed pivotを待ちながらteam pivotの世界観に従って議論していたことである。team pivotはインフレの数字は前年比であるため一時的な(transitory)高騰の翌年には反動低下がやってくる仕組みに注目してきた。黒田総裁は「2024年以降には戻るかもしれないが、とにかく2023年は輸入物価のベース効果で一時的にCPIの前年比が急低下する」を緩和継続の根拠としていたが、植田総裁は更に「2023年は一時的にCPIの前年比が"はっきりと"急低下するし、その後でさえ2%に戻るとも確信できない」と述べている。直近で前年比3.4%のコアCPIを横目に、ベース効果による一時的な前年比2%割れの後、再び2%に戻るかどうか、この目で見てみないと分からないというのである。これではベース効果でコアCPIの前年比の数字が一時的に下がった間は「一時的とは確信できないため」金融引締めが来そうにない。他の場でもこの考え方は繰り返された。確かにこれでは金融緩和縮小まで丸1年以上かかりそうな気しかしない。藪から棒に「賃金の上昇を伴う形で2%」と政策目標に入ってきた賃金も同様である。今回の春闘の次を確認できるのは来年の春闘であり、それは丸1年後である。

 YCCチャレンジを1年間続けられる体力がある投資家は多くない。しかもその間に米国のpivotなりリセッションなりがやって来るとなると、もはや今サイクルの金融緩和縮小のウィンドウを完全に逃してしまうのではないか。海外勢はベットを止めてそれ以降このマーケットに見向きしなければ問題ない。多くの国内の債券運用者が検討せざるを得なくなったのは、YCCが撤廃されるにしろされないにしろ、今サイクルが終わるまで10年1%超えが永久にやって来ない場合にどうするかである。これは本ブログが最初から一貫して想定してきた世界線である。散々10年1%と言われてきたのに、現実に先にやってきたのは20年1%だったのである。実に滑稽ではないか。役員は常に無謬なので、今度は現場にとって「金融政策を分析しないで短期決戦型のヘッジポジションを漫然と残してはダメだろう」という罵声が待っている。こうして国債ベアファンドが解約され始めた。生保などは一歩先に、YCCが撤廃されたら長期金利が上昇したところで淡々と国債を買い続けるし、たとえ撤廃されなくてもそのまま淡々と買い続ける覚悟を既に始めていた

植田日銀のYCC観

 しかし、本当に1年以上にわたってYCCも含めて現状維持になりそうなのか。ここで植田総裁のYCC観を再確認してみよう。4月会合の記者会見では聞かれなかったにも関わらず積極的に開陳した、思い入れが深そうな箇所がある。曰く、「基調が弱い間はあまり(緩和)効果が強くなくて、例えばインフレ率の基調が少し上がってきますと、インフレ期待も上がってきて、そうしますと名目金利を抑えていることが名目金利-インフレ期待の実質金利を下げるという効果を持ってきまして、経済の緩和効果は強まる。ただし、同時にそういう局面に至ると副作用も出てくるというような政策」ということである。本ブログではかつて為替を切り口に長期金利上昇を食い止めるために国債買入れを加速すると、久々に日銀のバランスシートの膨張が加速するのである。それは理論的には円安要因であり、円安は期待インフレの上昇を通して一層の長期金利上昇圧力となるため、買入れ額がスパイラル状に膨らむ可能性がある。この場面こそがYCCが本当の威力を発揮する場面と見ることもできる」と表現していたが、金融緩和の中でもインフレ圧力が高まれば高まるほど逆に威力が高まる仕組みになっているとの認識は共通である。YCCの修正は「効果と副作用のバランス」と明言されている。ということは「物価が目標に達しなければ修正しない」という話でもなさそうである。副作用とは当然債券市場の流動性などである。では債券市場で追い詰めれば止めるのか、という話になるが、幸い市場参加者のYCCチャレンジへの興味もそこまで残っていない。しかも海外勢の代わりにYCC撤廃を待ち望んでいるのはベアファンドを抱えている国内勢である。邪魔となるフォワードガイダンスも取っ払った。植田日銀はYCCの処分について完全なフリーハンドを残していることになる。

物価目標に立ち戻る

Estat Japan Core CPI
 そもそも、これまで散々1年後の姿について語ってきたが、2022年のFedのようにいきなり足元をすくわれることはないのか。4月会合の「経済・物価情勢の展望」では2023年度の物価(コアCPI)見通しをそれまでの1.6%から1.8%に上方修正した。2022年度のコアCPI(生鮮食品を除く総合, 2020年基準)指数の実績値の年度平均は103であり、2023年4月分は104.8となっている。いかに前年比の数字にはベース効果があるとはいえ、物価見通しの2023年度1.8%というのは2023年4月分の104.8 vs2022年度平均の伸び率でもあり、2023年度の上昇率が1.8%に着地するには2023年度の残り11ヶ月の平均水準が4月分の104.8から途端に上がらなくなることが必要であり、ハードルはまだ高い。これが2.0%に再び上方修正された日には2024年の2.0%予想と合わせて「やはり2.0%の物価目標を安定して達成したのではないか」という議論が再燃しやすいだろう。2023年中が既に2.0%ペースなら、来年2.0%に戻るか戻らないかどころの問題ではなくなる。エネルギー価格の反落でどれほど助けられるかにもよるが、諸外国がそうだったように日本でも物価上昇率の反落が緩慢だったら、思わぬデジタルリスクが発覚する形になる。
Bloomberg Japan Core CPI historical
 レビューの論点に見当を付けるのは難しくなく、要するに25年間続いたデフレの中で、自らも反対した2000年や、その後の2006年の利上げが間違っていたかどうかを論証したいに違いない。それ以外でもところどころ「拙速なインフレ認定と金融引締め」への抵抗感が20年越しに温存されているように見える。従って「物価目標達成」と外野が騒ぎ立てたところで利上げには最大限の慎重さが見られるに違いない。しかしそうなるといつかは再び市場参加者と対立することになり、それまでに(ピュアQEと比べても)チャレンジに対して著しく脆弱なYCCを片付けておかないと邪魔である。

 YCCが生き残るにはやはり早期のFed pivotを待つしかない。本来、他国の金融政策への憶測に基づいて自国の金融政策を決定するのは好ましくない。憶測はしばしば外れるものである上、失敗した時は"Our currency, your problem"となり誰も言い訳させてくれないのである。しかしこれまで見てきたように、日銀と為替介入を司る財務省は明らかにFedを意識しながら金融、為替政策を行ってきた。YCCは大した害がなければ円安対策ツールとして温存されるものの、だからこそ再び円安が急速に進み始めるとYCCが矢面に立たされやすくなる。では円安対策だけのために撤廃され得るかというと、昨年の(為替介入が日米両国の金融政策変更をフライングする形で行われた)経験が繰り返されるなら、為替介入が先とも思える。更に政治サイドからの干渉も受ける。夏に想定される総選挙の直前に市場を混乱させる可能性がある施策に出づらいとの観測も根強い。となると夏までのYCC撤廃はスケジュールを立てづらいが、それでも年後半がまだ残っている。数ヶ月以内のピュアQEへのシフトという本ブログの従来の見方は堅持する。まさかYCCレンジ拡大前の世界に逆戻りするということはない。ただ、たとえYCCが撤廃されたところで長期金利の1%超えは期待しづらいだろう。ということはやはり国債村以外にとっては大した出来事にはならないし、その程度の長期金利上昇で困らないのであれば備える価値もなさそうである。

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当面の金融政策運営について(4月28日) (boj.or.jp)
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この記事は投資行動を推奨するものではありません。