debt-ceiling
 5月の相場は米国の債務上限問題に振り回されてきた。米国では政府が発行できる国債総額の上限が法律によって定められており、これを債務上限(Debt Ceiling)と呼ぶ。債務が上限にぶつかると財政省は一部の支出を制限しなければならず、政府の一部閉鎖や、既存国債償還の資金不足リスクに晒される。債務上限の引き上げは米国議会(上院と下院)が法案を通過し、大統領が署名することによって実現する。その時の両党の力関係次第ではあるが、このプロセスにおいて引き上げ承認とバーターに支出抑制の要求も出される。債務上限は1960年以来78回引き上げられており、今回が79回目となる。直近ではオバマ政権下の2011年8月に連邦議会がデフォルト直前に債務上限の引き上げに合意したが、S&Pがデフォルト発生リスクの上昇を踏まえて米国債の格下げを発表し、金融市場が大きく混乱した。その後2013年には実際に政府の一部閉鎖に追い込まれてきたし、概ね2年ごとに話題になってきた。

 すっかり死語になった2011年当時のティーパーティーと異なり、今回は共和党内の緊縮強硬派であるフリーダム・コーカスの人数が増えてきた一方、民主党の方も強気に大幅な引上げを要求していたため、いつもよりも協議がまとまりづらいと思われてきた。マッカーシー下院議長は選出されるまで15回もの投票を要したなど、支持基盤が弱いため妥協しづらいとも言われてきた。1月19日時点で財務省は債務上限に達しており、その後は特別措置でやり繰りしてきたがそれも6月には限界を迎えた。特に4月末になって税収が思ったより揚がらなかったのを受けて6/1近辺の財務省デフォルトをイエレン財務長官が警告すると一気にテクニカルデフォルト懸念が浮上してきた。もちろん財務省を積極的にデフォルトさせようとする勢力はいないので最終的には結論は決まっているようなものだが、討議の日程が足りないなどの凡ミスで追い込まれてしまうリスクは残った。しばらくして債務上限の期限が6/5まで引き伸ばされると安堵感が広がった。毎回そうだが15日まで耐え抜けば税収が入ってくる

債務上限ブリーチの織り込み方

GS US CDS
 債務上限問題の深刻さを債券市場の織込みから測定する方法は、アメリカ合衆国のCDSスプレッドと、T-Billカーブの歪み方の二つがある。アメリカ合衆国CDSは財務省がテクニカルデフォルトを起こしたらトリガーされ、CDS売り手は買い手が引き渡してきた国債と引き換えに元本を支払う必要がある。CDSスプレッドだけを見ると2011年や2013年よりも遥かに拡大しており年率150bpを超えた。ではデフォルトが起きる確率も当時の倍以上というのか。更に絶対値も気になる。テクニカルデフォルト(返済能力はあるのに凡ミスで支払いが遅れてしまう)の場合はキャッシュフローは遅れるだけで返ってこないことはないため、損失は5%の金利 x返ってこない期間程度にしかならない。だとすると相当デフォルト率を相当高く見積もっていないと150bpも払うのは合理的でないことになるが、他にもトリックがある。2011年当時と違って今は急速な利上げサイクルのピークにいるため、世の中には過去発行された元本に対して60セント台まで価格が下落したロークーポンの米国債がゴロゴロ転がっている。どうもCDSを買って60セント台の米国債を引き渡しても1ドルもらえるようなので、ちょうどいいタイミングで利払いがやってくる60セント台国債の保有者は150bpのCDSを買っておけば最大2400%のリターンを挙げられることになる。更に米国ソブリンCDSの参加者は限られており流動性が薄いので、結局スプレッドの数字には目立った意味はないという解釈になる。
GS Bill curve
 Billのカーブも5月後半にかけて大きく歪んだ。警戒されていた6/1を挟んで最大で実に3%も差が付いた。6月満期のBillはその後の満期のもの比べても最大で2%程度差が付いた。もっともデュレーションはもはや1〜2週間なので金額ベースで見るとたかが知れていて、テクニカルデフォルトに巻き込まれる手間を考えるとその程度のお金はドブに捨てた方が楽であった。特にBillの主な投資家はMMFであり、彼らはそういう線路に落ちている小銭を拾うほどのアニマルスピリットがないため、カーブが歪んでいるからと言ってデフォルトリスクが大きいと判断する必要はない。

グッドニュースにさせてくれないイベント通過

 結局その後6/5を待たず、両党で「財政責任法案」を成立させ2025年1月まで債務上限を一時停止することで合意が取れた。民主党にとって修正14条を根拠に債務上限を強行突破するという選択肢もあったと言われているが、共和党が最高裁を抑えている以上後で違憲判決が出るに決まっているのでそれはあり得なかった。バーターで共和党が要求する歳出削減にもある程度応えたことで、このディールはある程度デフレーショナリーな効果を持つ。証券投資でしか合衆国と関わりを持たない人達からは定期的にやってくるこのイベントは茶番、プロレスに見えるだろうし、実際プロレスではあるものの、これは民主主義が放漫財政を牽制する儀式である。散々建前をバカにした挙句に、放漫財政のツケを増税や通貨安で払わされて不満を言っている人間がいるとすれば滑稽な自業自得である。
Bloomberg SP500 and Bank Reserves
 債務上限問題の解決は大きな不確実性剥落に繋がるはずだが、次に「債務上限が解決すると次は債券発行による1兆ドルの流動性吸い上げがリスクオフ要因として控えている」との声が上がった。債務上限を前にほとんどゼロまで使い込まれたTGA(財務省がFedに置いてある預金)を積み直すためである。銀行の準備預金が2週間で500bn取り崩された後はS&P 500は売られがちだったという6月中だけでもTGA積み増しのためのBill発行が350bnを目標に予定されている

TGA、準備預金とS&P 500の関係

FRED TGA vs SP500
 TGAの取り崩しは本当に株安要因になるのか。確かにS&P 500と並べてみると2021年以来はよく連動しているようにも見える。2021年中のTGA放出は過剰流動性相場を加速させた。年末には債務上限で少し揉めたためTGAをほとんど使い切った。この時の騒ぎは今回の予行練習と見なすこともできる。2021年末から2022年前半にかけてTGAの積み直しが行われ、それがちょうど昨年のS&P 500の最も急速な下落局面と重なっている。2022年後半から2023年前半にかけてはTGAが再び減り始め、それがS&P 500の再上昇と重なっている。では2020年前半の急上昇とTGA積み上げは、というと、TGAをFedの大規模緩和がファンディングしたためTGAの積み上げは流動性吸収にならなかったためと解釈されるだろう。
FRED BS - RRP - TGA
 一連の展開を更に計算に落とし込むと上のようになる。Fed BSから、民間から打ち返されてきたRRP、民間と関係ないTGAを引いた金額水準をS&P 500と並べると、驚くほど連動する。
FRED SP500 vs bank reserves
 Fedの負債構造を考えると上の図とほぼ同じ動きになってしまうのは仕方ないが、銀行の準備預金と並べても同様である。その連動が続く前提下で銀行の準備預金を1兆ドル引き出すとすればかなりのインパクトになる。

ようやくRRPダムの出番

FRED TGA RRP and bank reserves
 幸い、Bill発行増が資金を吸い出す先は銀行の準備預金のみではない。一昨年の記事からずっと取り上げてきたように、もう一つの過剰流動性の貯水池であるRRPも、いまや3兆ドルの準備預金と大して変わらない2.5兆ドル以上まで成長している。こちらが増発されたBillを全て吸収できればTGAの民間からのファンディングは不要になる。MMFの資金が一つの短期運用先からもう一つの短期運用先にシフトするだけである。
OFR Gov MMF investment breakdown
 もともとRRPの拡充は2021年のQEで運用難に陥ったMMFをいわば救済するために行われた。それがいまやすっかり巨大化しており、MMFは運用のかなりの割合を慢性的にRRPに依存している。本ブログなどは2021年末の時点で2022年中のQTが招き得る資産価格クラッシュを警戒していたが、その時に落ちるナイフを拾える根拠としていたのが、QTのインパクトをRRPからの資金再流出が一部オフセットできるとの観測だった。しかし率直に言ってRRPの粘着性は想像以上であり、1年以上にわたってRRP残高は2兆ドル強で安定して推移した。これは利上げ局面、特に目先3ヶ月や6ヶ月の金融政策の不確実性が大きすぎるため、MMFのマネージャーとしてはデュレーションをRRPのオーバーナイトからBillの数ヶ月まで長期化する判断を下せなかったためである
FRED IORB, RRP and Bill yields
 今年春になって利上げが概ねピークを迎えたと思われた後も、中小銀行ショックで金融政策織込みは大きく混乱し、差し迫った利下げ織込みのせいでBill利回りはRRP対比でも魅力的でなくなった。それが解消されると更に債務上限問題でBill市場は大混乱に陥ったのでそれどころではなくなった。デフォルトリスクを警戒して利回りが大幅に上昇したBill銘柄にもMMFはあまり食指を伸ばさなかった。財務省がテクニカルデフォルトしたらBillの元本が(毀損はしないものの)しばらく返ってこないので、もし巨大なRRPプールが存在しなかったら米国債デフォルトを聞きつけた投資家から解約が殺到した場合に対応できなくなるところであった。
FRED SOFR vs Bill
 RRPがここまで粘着的だと本当に今度こそ資金が流出してくれるのか?と思うものの、資産価格の観点からは増発されたBillを準備預金がキャッチするか、MMFのRRP資金がキャッチするかは重要な分岐である。順番としてはRRP付利の方が準備預金に付くIORBより10bp低いためRRP資金の方が置換されやすいはずだ。単純なオーバーナイトとの利回り差ではなく、レポレートを同じ3ヶ月で揃えたSOFRとの比較でもBillはまだ魅力的である。もしMMFが増発されたBillのキャッチを見送ると、Billが割安化して市中から準備預金を含む他の運用先から資金を吸い出すことになる。RRPの減り方(日次で観測できる)が資産価格の推移を規定する局面に差し掛かっているわけだ。

あくまでもパブロフの犬

WSJ Fed lending outstanding
 準備預金の残高は3.2兆ドルあり、2018年に準備預金枯渇が問題になった1.5兆ドルまでかなりの距離があるが、米国債残高も米国の名目GDPもこの5年で大きく伸びているため準備預金限界も上方にシフトしているかもしれない。インターバンクで資金が枯渇すると一部の地銀などの資金不足行の詰み具合が加速する可能性がまず挙げられるが、BTFPやFHLB依存ならともかく、インターバンク借入れに慢性的に依存する地銀がそんなに多いとも思われない。準備預金とてFedに打ち返しているだけであり、それ以上信用創造には関与しないので、一体RRPと何が変わるのか、という問いは残るが、とにかくS&P 500がパブロフの犬のように連動するのは準備預金残高である。真面目に考え出すとそもそも過剰流動性が多いからと言って、別にその資金は株を買うわけではない。同様にBillが数bp安くなったからと言って株を売ってBillを買う人も増えるわけではない。あくまでもパブロフの犬である。

金融政策への要求

Bloomberg policy rate pricing
 上の議論から1兆ドルの資金供出をMMFが担ってくれる条件も見えて来るだろう。金融政策の先行き不確実性が(上向きも下向きも)抑えられている必要がある。従ってTGAの積み増しをスムーズにするためという目的のみからは、できるだけ長い間金融政策を概ねフラットに維持することが好ましい。利上げの限界を無理に試すと、金利だけでなく量の面からでも引締め圧力がかかってくる。たかが25bpペースでも、効果にレバレッジがかかってくるのである。従ってFedが債務上限から始まる一連の問題をケアしていると仮定すれば金利ボラティリティは更に低下すると思われ、それは恐らくVIXの低下にも繋がっていくが、一方もしFedが思っていたよりも近視眼で6月にサプライズ利上げでも行った場合、或いは外生的な要因でボラティリティが急上昇する局面がやってくると量的も引き締まって来やすい、という解釈になるだろう。

QTへの影響

net Liquidity vs SP500
 粛々と進んでいるQTについては、2022年後半以降は効果が明瞭でなくなっている。まずTGAの放出で、次に中小銀行救済で打ち消されてきたためである。それこそがここ半年の株高の背景であったと解釈することもできる。3月の中小銀行危機に際して、世間がリーマン・モーメントについて取り沙汰していた横で、本ブログは not QEモーメントを迎えたと喝破した。実際その後続いた株高局面はまさにnot QE相場そのものであった。TGAの積み増しで流動性枯渇があまりにも急速に進む場合、QTのペースダウンで対応する必要があるかというと、その前にやるべきことがいくつもある。政策金利パスの不確実性を払拭すること。更にMMF側をBillキャッチに追い立てるために、本ブログがずっと唱えて来たようにRRP付利を相対的に低めに抑えてRRP -IOBRコリドーを拡大すべきである。QTは最後まで予見可能な一定のペースを維持するだろう。維持できなかったら金融政策の失敗である。

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この記事は投資行動を推奨するものではありません。