Bloomberg China official Forex Reserves
 1ドル7元を割り込んでゼロコロナ最中の最安値に近付いた人民元が話題になっているが、以前同じような場面の2015年のチャイナショックや2018年の貿易戦争では注目されていた外貨準備はさっぱり話題にならなくなっている。中国の外貨準備は国家外貨管理局 (State Administration of Foreign Exchange, “SAFE”)が管理しており、かつての固定相場制時代や、2005年に管理フロート制に移行(人民元改革・人民元切上げ)した後の人民元への資金流入を吸収し人民元上昇のペースを緩めようと連日為替介入を行った過程で積み上がったのが3兆ドルの外貨準備である。しかし米国が金融危機から復活すると共に米ドルが再び強含み始め、更に2014年の欧州と日本の金融緩和に伴う米ドル独歩高に人民元が無理して付いて行ったため中国の輸出は伸び悩みはじめ、米ドルの低金利時代に積まれた外債返済の米ドル需要も相まって人民元の需給が悪化した。中国当局が人民元の売り圧力に対抗して人民元を買い支えるための外貨準備を一気に1兆ドル近く取り崩したのが目立ち、それが更なるパニックに繋がったのが2015年の人民元切下げショックであった。その時代では毎月発表される中国の外貨準備の数字、特に3兆ドルを割れるかどうかで一喜一憂していたのだが、そこから7年間も貿易戦争やパンデミックを経ても3兆ドルからほとんど変わっておらず異様に安定している。
Tradeeconomics China Account Balance
China Import Export
 実弾での為替介入は長らくやっていないため、毎年の経常黒字が――特に旅行サービス収支赤字もなくなったパンデミック後の荒稼ぎで――蓄積されるはずだがそういった様相もなく、かと言って減るわけでもない。異様に安定してきた人民元相場と同様、この数字も異様に安定している。日本と同様、外貨準備は米ドルだけで保有しているわけではないため、米ドル高になると米ドル建ての評価額が減るし逆の局面では膨らむが、本当にそれくらいでしか変動していないように思える。このぬくもりが感じられない数字をどう解釈すべきだろうか。

セッツァーの「影の外貨準備3兆ドル」

Brad Setser China estimated US portfolio
 バイデン政権の貿易顧問も務め今は米外交問題評議会のシニアフェローをしているBrad Setser氏がNYを拠点とするニュースプラットフォーム「China Project」に掲載した論文は外貨準備以外の外貨資産を"Shadow Reserve"つまり「影の外貨準備」と名付けた。米国債の海外保有額は国別に米国財務省が発表しており、それにFannie Mae, Freddie Macなどのエージェンシー債などを足せば概ね3兆ドルのうち2兆ドル程度を占めると推測される米ドル部分の中身を説明できる。従って透明性が低くてもこの数字は信頼できないわけではない。
China potential hidden reserves
China External Assets
 一方、外貨準備の資金は過去に様々な用途で取り崩されており、その都度中国政府がコントロールしたままの外貨資産が「外貨準備」から取り除かれてきた。2003~2005年には巨額の不良債権を資産管理会社に押し付けた後の国営銀行(中国銀行、中国建設銀行、中国工商銀行) への資本注入で使われており、更に国営銀行に通貨スワップで委託された資金も存在する。国有銀行はこれらの資金を外国債券で運用した。更に2007年以降はソブリン・ウェルス・ファンドのCIC(China Investment Corporation, 中国投資有限責任公司)への出資、金融危機の後は政策銀行(Policy Bank)の国家開発銀行(China Development Bank, CDB)、中国輸出入銀行(Export-Import Bank of China)への貸出し(後に2015年に出資に転換)にも外貨準備が使われており、政策銀行に渡された外貨は後の「一帯一路」を含む新興国向け貸出しに利用された。これらの外貨建て資産は流動性が低下しているため「外貨準備」には既に計上されないが、依然中国政府がコントロールしているため「影の外貨準備」と呼ぶべきだ。そう主張するセッツァーによると「影の外貨準備」も3兆ドルほど存在しており、SAFEの3兆ドルと合わせて中国当局及び国有銀行は陰陽合わせて6兆ドルの外貨資産を保有している
Japan net international position
 国営と民間の違いを無視して非常に雑に言えば、日本の外貨準備が1.257兆ドルであるのに対して対外純資産が418兆円という関係に近い。
China formal vs potential hidden reserves
 チャイナショックの前後に3兆ドルの外貨準備の中身について、ベネズエラなどの友好国への貸出は毀損しているのではないか、更に海外からの直接投資(FDI)の代金も外貨準備に含まれるため、中国政府が所有し動かせる外貨資産はもっと遥かに少ないのではないかなど様々な疑念が呈されてきた。8年後の今となってはそれらの疑問が的外れだったことが分かる。新興国への貸出はそもそも(影の外貨準備内の出来事であり)外貨準備に数えられていない。FDIの人民元買いフローが招く人民元高圧力をSAFEが外貨買い介入でオフセットしていた時代では確かにFDIのインフローは結果的に外貨準備に積まれていたが、同じFDIでも外貨買い介入が終わった後の時代なら為替取引の相手になった銀行が保有するだけなので、外貨準備とは別の概念である。つまり外貨準備の中に「この分はFDI債務」というお金があると思っているエコノミストは全ての外貨準備に全く無知なのか、或いは1980年代で時間が止まっているマンモスの糞である。中国国内で何倍かに成長したFDIを海外企業が引き揚げる時はもちろん人民元安圧力となるが、そのフローを為替介入で対抗して来ない限り外貨準備は減らない。

1兆ドルの民間米ドルプール

Bloomberg Chin Bank Foreign currency deposits
 もっとも出資は1件30bnドル程度のものが多く、それだけで3兆ドルを積み上げられるわけではない。政策銀行を除く国営銀行は1.1兆ドルの外貨資産ポートフォリオを運用している。そのうち(債券や劣後債など)海外債務は200bn程度なので差し引き900bnは「中国国内の外貨建て預金にファンディングされた外貨ポートフォリオ($900 billion foreign holdings that are funded domestically)」である。この外側に更に民間銀行の似たようなポートフォリオも存在する。Bloombergによると中国国内の外貨建て預金は更に多く、2021年に1兆ドルを超えた。一般的に中国企業が海外資産を大々的に購入することはチャイナショック後にタブーとされているが、銀行に限っては預金者が米ドルを預けることによってできた「パッシブ負債」見合いの外債投資は自由にできる。皮肉なことにこの中国系銀行の外貨資金は地理的に近い日本のドル建て銀行債を大々的に購入しており、邦銀の米ドルにファンディングを供給しているとセッツァーは指摘する。

 1兆ドルの民間外貨プールについては厳密には所有者は「人民」であり、外貨の最終所有者の行動を中国政府はコントロールできないため、セッツァーがこのプールに公的な色を付けるのは必ずしもフェアではない。現にこのプールが構築される過程では人民元安圧力が伴った。しかしセッツァーが問題視したように、チャイナショック後に外貨準備を3兆ドルまで減らしたSAFEが実弾為替介入を控えるようになった代わりに、国営銀行がフォワード市場を使って人民元で運用したりと、手持ちの外貨プールを利用して人民元市場であたかも為替介入を行う「中央銀行」として振る舞うことも多々ある

 この1兆ドルの民間外貨プールも原則として外貨準備に含まれない。日本で「外国為替資金特別会計」という名前が付いていることからも分かるように、外貨準備はただの一外貨ポートフォリオであり、極論、為替介入さえ行わなければ外貨準備の規模は激変しない。1980~1990年代では確かに外貨が絶対的に不足していたため、企業の全ての外貨収入はSAFEへの強制売却を経て集中管理され外貨準備を形成し、海外設備の輸入など外貨の使用は当局の審査を経て枠が分配されていた。この頃までは企業の収益を取り上げる時には人民元の収益とは別枠で「外貨をどれだけ獲得したか」も報道されていた。しかし中国がWTOに加入すると外貨がそこまで貴重ではなくなったため、集中管理規制は徐々に取り払われてきた。海外で業務や資金調達を行う企業の増加に伴い、2005年に人民元改革(自由化)が始まって以来、2006~2007年あたりから企業が外貨を(人民元に換金せず)手元に保持する自由が認められ、更に輸入企業などが必要な外貨を前倒しで購入することも許されるようになった。2010年には海外口座に外貨を滞留させることも許可された。2007年の「個人外貨管理弁法」で1人あたり年間5万ドルの外貨購入枠が設けられ、特に2015年のチャイナショックでは中国国内で外貨購入ブームが起きた。その時から積み上げられた個人の外貨建て預金に企業のオンショア外貨預金を加えて1兆ドルの民間外貨プールが形成されたと推測される。内訳として2023年に企業のオンショア米ドル預金が453bn、個人のオンショア米ドル預金が125bnとPBOCは公表しているが、前者の規模を912bnとする声もある

 ここまでの議論はオンショア外貨預金であり、民間外貨プールの中では更に中国の輸出企業が所有し、中国国内に還流せず海外銀行に預けられたオフショア外貨プールが存在する。こちらの規模を推測するのはさすがに難しくなっているが増えつつあることだけは間違いない。還流比率は構造的に低下してきた。中国国内で設備投資する予定があるわけではないなら、輸出代金をわざわざ中国国内に持ち帰るメリットは少ない。逆にいつか中国国内で再び設備投資ブームがやってくれば米ドルからの遅れたリパトリを期待できるだろうが、いつになるかは分からない。

人民元安トレンドの背景

Citi US China Economic Surprise Index
 直近の人民元安トレンドの背景は元を辿れば米中の景況感格差である。米国の国内経済の堅調さが続く中、中国は2022年の厳しいゼロコロナ政策を経て、リオープン期待で一度跳ねたものの再び深く落ち込んでいる。
Rhodium China FDI
China FDI
 景況感格差に加えて習近平政権の外交政策が招いたサプライチェーンのデリスキングに伴い中国へのFDIは急減速しており、ネット直接投資はマイナスに転落している。サプライチェーンの脱中国依存は貿易戦争の頃から唱えられてきたが、結局のところ工場は消費市場の近くに作るのが合理的なので、それでも大半の外資系企業は政治的な圧力に抗って中国からの移転に消極的だった。しかしゼロコロナ政策に翻弄された挙句に、どうも消費市場としても大して成長しなさそうと分かるといよいよ中国に投資する意味がなくなってくる。World Government Bonds US China 10y yield differencial
China US Yield Curves
 より直接的に影響しているのは米中金利差である。米国が利上げを続ける横で中国は利下げサイクルに入っており、米中金利差は近年あまり見られなかった水準まで拡大した。政策金利差で見ると更に大きい。
Nomura MOF Foreigner holding of China bonds
 少し前までは中国国債の世界債券指数入りに伴い海外からポートフォリオ投資が入ってきていたが、ここまで米国債との間で金利に差が付くとあえて中国に資金を入れる意味が薄れて来る。金利差に加えて地政学リスクもあって2022年の海外投資家による中国債券購入は減速した。同じくらい米中金利差をシビアに見ているのは貿易代金の置き場を米ドルと人民元の間で選択する中国の輸出・輸入企業であり、米中金利差が開くと輸出企業は米ドルを人民元に回金せず、輸入企業は米ドルを買い急ぐだろう。

 それに対して中国当局は米ドル預金の魅力を押し下げようと国内銀行に顧客に提示する米ドル預金利回りの引下げを指示した。これは一瞬だけ人民元のサポートとなったが長続きしなかった。米中金利差があまりにも大きいのと、この利下げ命令は国内銀行にしか効かずオフショアの米ドル預金には適用できないからである。オフショア米ドル預金を国内に還流させるにはいくつかの新興国のように、資本規制を敷いて海外収入のうちの何十%かにリパトリ義務を課す方法が考えられるが、人民元の国際化もまた国策なので非現実的である。
Rifinitiv China Treasury Holdings
 人民元の国際化への習近平政権の思い入れは、米ドル覇権への不満が世界人民の間で溜まっており今にも崩壊して多極化に邁進せんとしているため、人民元の国際化でこの流れを加速させなければならないという世界観に由来する。特に友好国ロシアがウクライナ侵略をきっかけにドル決済を止められたことは多極化の流れを加速させるかに見えた。少なくとも中国政府自身は次は我が身と思ったことだろう。現に2022年に入って中国はクリミア併合後のロシアを見習う形で米国債の保有を大幅にカットして「外貨準備の多様化」を図り、脱米ドル依存を急いだ。
GS BIS International debt by currency
 しかし友好国たちは中国を裏切った。誰も米ドル覇権が今から崩壊するとは思っておらず、それよりもできるだけ米ドルを手元にとどめたいと思い、米ドル建て債務を懸念していたのである。中国のLGFVも含めて米ドル建てで借金するのをやめられないのに脱米ドルなど100年早いのである通貨下落に悩まされているアルゼンチンなどは喜んで中国からの輸入に貸してもらった人民元を使った更にアルゼンチンはIMFへの融資返済にスワップラインで借りた人民元を利用した。米ドル準備を消費せずに済むからだ。今後米国が利下げサイクルに入って低金利に戻るまで、人民元を借りて米ドル建て負債を返済しようとする新興国は増えるだろう。彼らにとって人民元は手に入りやすい低金利のファンディング通貨であり、そしてその割りには米ドル対比の値動きが安定しているため、金利が高い米ドルとの間でキャリートレードが可能になるのである。
MOF China RMB trade transition
GS CNY market share in international payments

 そして以前の記事でも軽く触れたように、長期的に中国の貿易黒字の「西側依存」が薄れ、代わりに東側諸国にシフトするのにつれて人民元決済が拡大すると、そもそも中国が貿易黒字を稼いでも入って来るのが米ドルではなく、中国自身が貸した人民元にすぎない可能性が高まって来る。そうなれば米ドル預金選好以前の問題である。もちろんよくも悪くも人民元決済は大して進んでいないため、貿易構造のシフトがテーマになるのはまだ先だろう。
Bloomberg China Yuan Slide
 これまでの議論を踏まえて人民元相場を考えると、やはり米中金利差はいかんともしがたく、それは貿易黒字がもたらすべき通貨高圧力をかき消すのに十分である(正確には貿易代金が回金されていないのだから何も起きていない)。FDIも止まっているとなると、人民元高トレンドに回帰する要因はほとんど考えられない。一方外貨準備は「影の準備」も含めると想像以上に潤沢であり、従って2015年のように外貨準備不足懸念がテーマになるほどではない。断続的に国営銀行に為替介入の火中の栗を拾わせる展開は続くと思われるが、それだけで輸出企業の米ドル選好とキャリートレードの流れを変えるのは難しい。また人民元の国際化というポリコレの前に人民元レートの防衛は(レートに国威がかかっていた2015年と異なり)優先度が低くならざるを得ず、当局は前回よりも人民元安とボラティリティの上昇を許容することになるだろう。従って緩やかな人民元安は今後も続く可能性が高く、来年以降に米国がリセッション入りして利下げサイクルに入るまで再び7を割り込むカタリストはほとんど思い付かない。それも不動産引締めに由来する地方債務懸念や国内経済が火を噴かなければの話であり、本ブログなどはメインストーリーに近いところに据えているが、大した経済対策が出て来ないまま国内経済がハードランディングすればより一層人民元相場は話題にのぼりやすいだろう。

関連記事

Shadow reserves — how China hides trillions of dollars of hard currency – The China Project 
China Has $3 Trillion of ‘Hidden’ Currency Reserves, Setser Says - Bloomberg 
China's Rising Holdings of U.S. Agency Bonds -CFR 
How to Hide Your Foreign Exchange Reserves—A User’s Guide -CFR 

中国の人民元国際化戦略とデジタル人民元との関係・展望 -財務省財務総合政策研究所 
外貨管理に関する易綱中国人民銀行副総裁・ 国家外貨管理局局長の論考 -(財)国際通貨研究所

これより先はプライベートモードに設定されています。閲覧するには許可ユーザーでログインが必要です。


この記事は投資行動を推奨するものではありません。