Bloomberg Dollar Yen
 植田日銀がレビュー催眠を通じて日本国債のショーターを駆逐し、副作用として大幅な円安を招いてから、再び円金利と為替相場が荒れている。昨年末のYCC修正で一時期130円を割り込んでいたドル円は米金利の反発に伴い145円を再び付け、昨年高値の152円近辺の方が近く見える水準まで迫った。もっともそこからはYCC修正思惑が急に盛り上がったため再び急速に反落している

構造的な円安

Japan inbound tourist numbers
 昨年円安が止まらなかった背景として「これまで旅行サービス黒字を稼いでいた」インバウンド旅行が止まっていたことが挙げられた。2019年まで一直線に増え続けたインバウンド旅行が3年間ピタッと止まってしまったので2022年まで日本の経常収支は苦しかった。しかし2022年年末からインバウンドは再開され、2023年に入ると途端に圧倒的な円安もあって旅行客が殺到した。ゼロコロナ政策とその後のリオープンの混乱の影響で中国からのツアー観光だけは止まったままだが、中国抜きでも2019年並みに回復しそうな勢いとなっている。これは2019年以前のインバウンドが中国に大きく依存していたのと異なる。本ブログではそのネガティブ・フィードバック・ループは健在なのでドル円がどうなろうと人民元/円は20円を大きく超えない、とだけ予想しており、それが今年になってからの対米ドルの人民元ベアビューにもつながるのだが、人民元/円だけ見ているとインバウンドのネガティブ・フィードバック・ループに限っては期待通りだったと言えるだろう。経常収支も改善した。ではこれで2022年の円安も「特殊な、一時的な」ものとして片付けて一息付けそうかと思ったら、2023年に入っても円安傾向は変わらず、昨年高値に近い145円まで一時円安が進んだ。これは米国の金融引締めサイクルが中々終わらない中で植田日銀がYCC(イールドカーブ・コントロール)を筆頭とする金融緩和の継続に固執したという日米の金融サイクルの乖離が主因である。
Nikkei Japan digital payment balance 
 インバウンド収入の急回復が構造的な円高に繋がらなかった背景、そしてそもそも激しい円安が経常収支に与えたインパクトが「安堵」程度しかなかった背景の一つとして、近年急激に拡大しつつあるIT関連サービスの赤字、俗に言う「デジタル赤字」が存在する。日本経済新聞によると2022年のデジタル赤字の規模は4.7兆円であった。2019年の旅行収支が2兆6350億円の黒字で、2019年の訪日客の消費額は4兆8113億円なので、デジタル赤字の規模の大きさが分かる。内訳としては「通信・コンピューター・情報サービス」(クラウドサービスの使用料など)が1.6兆円、「専門・経営コンサルティングサービス」(SNSなどの広告や、いわゆるコンサルティングも含まれる)が1.7兆円、「著作権等使用料」(動画や音楽配信サービスなどのサブスクリプション)が1.5兆円となっている。デジタル赤字とは要するにGAFAMによる徴税である旅行サービス黒字を2019年よりも大幅に多い状態まで持っていかないとサービス収支は黒字にならないハイテク分野の出遅れを観光立国の肉体労働で補おうとしてもなかなか追いつけないのである。それが構造的な円安要因となる。一昔前の感覚では円安は輸出競争力の強化を通して輸出数量の増加に直結したためネガティブ・フィードバック・ループが存在していたのだが、近年その弾性は失われつつあるようである。植田日銀はどうも金融緩和を続ける気らしいので、構造的なものに加えて日米の金融政策の乖離で円安がじわじわと進み、これを止められるのは為替介入くらいしかなくなったと思われた。

為替介入の復習

 「YCC修正と為替介入のどちらが先か」の問いは、前回の記事では「為替介入の後にYCCで勢いを付ける」とイメージしていたが、かなり微妙なところになっている。昨年の為替介入で取り崩した外国為替資金特別会計は防衛力強化の財源に使われたことは周知の事実である。G7の中でも日本の外為特会の規模は突出しており、これのスリム化を図るべきという議論もあった。外為特会のスリム化を図る流れが続いているならこの埋蔵金をもっと取り崩したい衝動に財務省が駆られてもおかしくなく、どうせ為替介入で取り崩すならなるべく円安になった後の方が嬉しいということになる。だとすればやはり為替介入までYCCで円安にブーストをかけ続け、為替介入で利食いを終えた後に改めてYCCを撤廃して円安トレンドにとどめを刺せばよいという発想になってしまうのか。

 ただでさえ円安が止まらない恐怖が強い中で、本当に目先の円建ての小銭のために外為特会がスリム化されたらかなり心細いのは間違いない。幸い、為替介入を取り仕切る神田財務官のやたらと格調高い天下国家インタビューでは「日本の外貨準備高は途上国で輸入の何カ月分と言われているよりも遙かに多いが、他方、一秒で膨大な資金が動くようにマーケットが巨大化しているなか、本当に我が国の通貨価値を護ろうとすれば決して過大ではない。昨秋の英国危機のエピソードが示すように、国は謙虚でなくてはならない」という認識になっているため、外為特会を利食うためだけに積極的に為替介入を行うということではないようだ。そもそも、外為特会の資金を一般会計に移すには必ずしも実際に取り崩す必要がなく、含み益の安全圏内ならそのまま移せばよいらしい。先ほど述べたような構造的な経常黒字の減少にも警戒感を見せた。一安心である。

 為替介入そのものがしたいわけではないなら、YCC撤廃の前に急いで行う必要もなくなる。為替介入が自然体で発動されるとすればどの水準で発動されそうか。為替介入が発動される条件は本ブログが述べてきたように、為替介入が為替の激しい変動によって本業に支障が出る輸入企業を救済するためのスムーズ・オペレーションであることを鑑み、財務省が「過度な変動」と表現するのを素直に読み取るべきで、昨年時点では「新高値かつ1週間で安値から5円上昇」を目安としていたが、もっと精密な数式を導出している市場参加者がいるならそちらに譲る。いずれにしろ、特定な水準に来たらそれを死守する形で行う、という行動にはならない。急上昇の直後でなければ下がっている間の介入もないだろう。

 為替介入の国際的なハードルは昨年の経験を経て低くなっている。7月に入ってイエレン財務長官は日本の当局と連絡を取り合っているとした上で「為替介入についての私たちの一般的な見解としては、過度の変動に対処するためには正当化されうるが、私たちは市場で決定される為替レートを信じているということだ」述べている。つまり「過度な変動」は日米当局の共通言語であり、それをただの建前として軽視し、代わりにどこの馬の骨かも分からないアナリストの水準当てを本気にするのは合理的ではない。そもそも2023年6月の米財務省の外国為替政策報告書の監視リストから日本は外れている。実弾の為替介入を大々的に行ったにもかかわらず、である。為替操作国・地域の認定は2015年の貿易円滑化・貿易執行法に基づく3つの基準によって行われ、具体的には(1)大幅な対米貿易黒字(年間150億ドル以上の財・サービス貿易黒字額)、(2)GDP比3%以上の経常収支黒字、または為替レート評価フレームワーク(GERAF)を用いて財務省が実質的に経常収支「ギャップ」があると推定した場合、(3)持続的で一方的な為替介入(過去12カ月間のうち8カ月以上の介入、かつGDP比2%以上の介入総額)の3つである。日本はもとより(3)に該当しないが、経常黒字の減衰に伴い(2)も該当しなくなったため監視リストからも外れた。そもそもこの基準は明らかに自国通貨売り介入を想定している。イエレン財務長官が声明で述べたように日本を含めて「昨年、米国の貿易相手国が行った為替介入のほとんどはドル売りであり、自国通貨支援のための行動だった」。昨年実際に財務省が行ったように米国債を取り崩すことも全く問題にならず、為替介入の規模は外貨預金の136bnによって全く制限されない。

YCCの余命

 いずれにしろ、急速な円安にならない限り為替介入は行われなさそうということで、目先の円安トレンドを反転させるきっかけになり得るイベントはやはりYCCの修正や撤廃になると思われる。7月会合に限らず、全ての会合でYCC修正がライブであるとの従前のビューはまだ維持している。レビュー期間が1年〜1年半だからと言って期間中に金融政策を変えないとは誰も言っていない。今すぐYCCを撤廃しても誰にも怒られる筋合いがないところまでお膳立てはしてある。最近はむしろYCC修正が遅すぎて備えてあった人達に怒られているように見える。本ブログもやや植田日銀を過大評価していたようである。一向にYCCが修正されないから逆切れしているのではなく、行動原理の方に対してである。せっかく口先介入が効いて海外勢のショートカバー(と一部本邦勢のFOMO)で金利カーブがYCC下限から離れ、海外勢に大儲けさせることなくYCCから逃げられる機会が来たのに、勝ち逃げする決意がついに付かなかったのである。当てにしていた米国のpivotは逃げ水のように遠ざかっている。「主な意見」の中では一歩先が見える審議委員が既に「2%の持続的・安定的な物価上昇」の実現の可能性が高まりつつあるが、金融緩和全体については、待つことのコストは大きくないため、当面継続すべきである。ただし、そのツールであるイールドカーブ・コントロールについては、将来の出口局面における急激な金利変動の回避、市場機能の改善、市場との対話の円滑化といった点を勘案すると、コストが大きい。早い段階で、その扱いの見直しを検討すべきである」とYCCを金融緩和そのものから切り離す形で現状を綺麗に整理している。しかし他の審議委員が「イールドカーブの歪みの解消が進んだほか、市場機能に改善もみられており、イールドカーブ・コントロールの運用を見直す必要はないと考える」とこれを否定している。債券市場の機能度については更に「水準はまだ低い」という反論も見られた。

 市場機能の水準を巡る議論は全く本質的ではない。市場機能が回復しているがゆえにYCCを見直す必要がない、という論理なら、YCCを変えるのは市場機能が損なわれた時ということになる。その時には再び海外から投機筋が集まって来て金利カーブを歪ませているに違いない。それにならあっさり屈するということだ。この中銀は勝ち逃げをする道を知らず、海外の投機筋に稼がせる惨敗でしか戦いを終わらせることはできない身体のようである。12月にYCCをサプライズで拡大して以来、まだ金利カーブが歪んでいるから再修正が必要、という声を本ブログは笑い飛ばして来た。とりあえず歪ませれば修正してくれるならそれほど楽なゲームはないからだ。現に黒田日銀のあの手この手の反撃で「金利カーブが歪んでいるから再修正が必要」の声は死に絶えた。しかし半年経って一周回って結局低レベルなゲームになってしまうのか。

 現実的に考えてYCCを修正するにしても理由の作文が必要であり、あまりにも筆が動かないようでは仕方がない。となれば結論は一つである。「アタックせよ、さらば市場機能に支障が認められてYCCは撤廃されん」である本ブログがかつて懸念した攘夷思想の欠落、「植田日銀が黒田日銀から大きく変わるところがあるとすれば、それは素朴な攘夷思想の濃さではなかろうか。つまり、海外勢が正しい道を提示しており、代わりに彼らがそこで儲かるようなポジションを取っている時、"海外勢に儲けさせない"ためだけに毅然として正しい道を拒絶する選択ができるかどうかである」がまさにこれから試されようとしている。前回までは市場参加者が植田日銀の性格を知らないので「1年以上のレビュー」というハッタリが効いたものの、再びチャレンジを受けている時になって同じ魔術を再び使えるとは限らない。「黔驢之技」という故事成語がある。だとすればいよいよ「海外勢のYCC撤廃にベットするポジションがせこい嫌がらせでバックファイヤーする可能性は黒田日銀時代より小さくなる」時間帯がやってきてしまうのか。

 7日0時に日経新聞に載せられた金融政策の実務を取り仕切る内田副総裁のインタビューが日本の長期金利上昇、円買いというYCCチャレンジ・トレード再燃の号砲になったとされている。日経の記事では「微妙な含みを持たせたのは、長短金利操作(YCC)の運用だ。”うまく金融緩和を継続するという観点から続けていく”との意向を示す一方、”市場機能に影響を与えていることは強く認識している”とも認めた。金融仲介機能や市場機能に配慮し”バランスをとって判断したい”とし、将来の見直しの可能性を否定しなかった」という取り上げ方となっている。「足元の円安については”急速かつ一方的な円安は先行きの不確実性を高めて望ましくない。引き続き政府と連携し、金融為替市場の動向や経済への影響を十分注視したい”と話した」別の記者の記事では「当面YCCは続けていく」となっており、必ずしもYCCの維持に後ろ向きなメッセージが発せられたわけではないが、結局「市場機能に悪影響を与えているなら修正する」というアタックをおびき寄せやすい論理に沿っていた。円安に対して明確にネガティブなメッセージを発したことも材料視されやすかった。一方、興味深いことにYCCの「戦後」も視野に入っているようなインタビューとなっており、マイナス金利解除については「もし解除するなら実体経済面の需要抑制で物価上昇を防ぐのが適切と判断したということ。今の経済物価の情勢からみると、その判断には大きな距離がある」としつつ、解除は「0.1%の利上げ」で行われると言明する。

 YCC撤廃さえ遠いタイミングならその次の利上げ幅などどうでもよいはずだが、利上げ幅が妙に具体的に示されたのは逆に違和感がある。昨年YCCチャレンジと共に「YCCが撤廃されたら次は」と利上げ織り込みも火を噴いたものだが、その時はもしマイナス金利が解除されるなら0%を飛ばして+0.1%まで20bp幅上がると言われていた。0%に張り付かせると預金金利0%の金融機関の余った資金はどこに置いても変わらなくなるので短資市場が死んでしまう、というのがその根拠であった。今の(-0.1%, 0%, +0.1%の)三層構造を維持したままなのか、日銀当預付利を0%の一本値に戻すのか分からないが、ここまで言い切るからにはとにかく無担保コール金利が10bp程度上昇するようなスキームに着地するのだろう。いずれにしろこれは「戦後」の話であり、「戦後」は既にスコープに入りつつあるということではないか。

 7月会合で政策変更が行われるかどうかはチャレンジの盛り上がり方によると思われる。チャレンジする市場参加者が増えればそれだけ撤廃される理由が固まるということである。これは黒田日銀時代とは逆転したという仮説である。チャレンジが足りず、0.5%での無制限連続指値オペさえも発動されないようなら、どうせ稼働していないのだからもう少し粘れる判断になってもおかしくなく、その時は撤廃してほしかったのに自分でそう持っていけなかった市場参加者の自業自得である。本邦金融機関は概ねYCC撤廃の備えが出来ていると思われ、それだけに撤廃のタイミングが後ろ倒しになればなるほど備えは解かれやすくなってしまうものの、今ならたとえYCCが撤廃されても長期金利の1%超えさえも遠く、金利市場以外への影響は限定的との見方は維持している。もっとも前回の記事「まさかYCCレンジ拡大前の世界に逆戻りするということはない」としていた通り、長期金利が0.25%や0.3%に近付くことはさすがに次のサイクルまでないだろう。

 急に沸き上がったYCC修正懸念は「急速な為替変動さえなければ介入はないのだから、匍匐前進でゆっくり円安に持っていけば安全」と考えていた日米金利差(キャリー)狙いのドル円ポジションを背後から突き崩した。それまで一時期キャリートレードには死角がないとさえ思われたのでクラウディッド・ポジションになっていた。金融政策に為替変動が与える影響はかなり微妙であり、素直に考えればYCCを修正や撤廃に追い込みやすいのは円安であり、逆に円高になればYCC修正の喫緊度は低下する。一方、為替介入の代替のようなノリでYCCを撤廃してなおも円安が止まらない可能性も当局は恐れていると思われるので、際限なく円安にならなそうと分かった後の方が撤廃しやすいとも思える。この発想は昨年のFed Pivot期待→為替介入→YCC修正の流れでも見られた。もちろんYCCが金融緩和そのものの方向性から切り離されて議論されている以上、YCCはただ純粋に修正や撤廃するのではなく、金融緩和そのものを続けるスタンスからピュアQEの補償が付くパッケージになるはずだ。YCCからピュアQEに移行した場合、日米金利差の変動からは円高圧力になり得るものの――現にYCCチャレンジの流れが出来上がるにつれて既にそう動きつつある――円滑な移行をサポートするためにBSを(今の稼働していないYCCと比べても)膨らませる可能性もあり、その場合は追加緩和とまで言えないとしても引締めではない。マイナス金利の撤廃は内田副総裁が釘を刺した通りかなり遠いし、その時の利上げ幅も10bpの牛歩にとどまる。いずれにしても構造的な円安と日米金利差の絶対値は残っているため、Fedが利下げサイクルに入るまで大した円高にはならないと思われる。

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金融政策決定会合における主な意見 (2023 年 6 月 15、16 日開催分) 
「経済安保危機に市場も覚醒を」 -金融ファクシミリ新聞 
物価高・賃上げ、緩和出口へ瀬踏み 内田日銀副総裁 -日本経済新聞 
日銀内田副総裁、金利操作修正は「バランスとって判断」 -日本経済新聞 

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この記事は投資行動を推奨するものではありません。