
中国の民営不動産業界の苦境が続く中、すっかり懐かしい名前になった恒大(Evergrande)が突如マンハッタンの破産裁判所にチャプター15(連邦倒産法第15章)の適用を申請した。破産には破産清算(Bankruptcy Liquidation)と破産保護(Bankruptcy Protection)があるが、恒大が申請したのは明らかに後者であり、つまりこれは米国内の資産が取り付け騒ぎに遭わないように法廷の保護を求めたということにすぎない。しかし2年ぶりに「恒大が破産」とのヘッドラインが飛び交うことになり、ついでに3,000億ドル(50兆円)にのぼる負債規模も久しぶりに思い出されることになった。恒大の海外債券はもとより債権の中でも請求権が弱く、(一応まだ債権者集会を延々とやっているが)とっくの昔にほぼ全損が見えているので、チャプター15を申請したこと自体による経済的なインパクトはない。
あれから恒大は

恒大の経営危機は古い問題であり、概容は本ブログも2021年にまとめている。あれから丸2年経ったが、驚くほど進展がない。本来不払いを起こした企業を放置すると様々な債権者が早いもの勝ちで取り付けに殺到し、企業に残る資産が加速度的に劣化して突然死するものだが、この2年間まるで時間が止まったようである。「消費者への住宅の引き渡し(保交房)」が最優先のポリティカル・コレクトであるため、金融機関は政府の指導で取り立てを猶予している。その間に恒大は赤字を更に垂れ流しながらちんたらと工事を続けたようである。一部のプロジェクトはLGFVが引き継いだが、全体的に進捗は速くない。地面に杭を打っただけで2年間放置され続けたプロジェクトもある。要するに恒大は既に株主や債権者のために働く組織でなくなっている。各地の手足だけが政府(や現地の地方政府)の命令で動き続けるゾンビになっており、いつか引き渡しが終わったら恒大は解散を宣言することになるだろう。消費者>サプライヤー>(ポリコレの壁)>銀行>海外社債保有者の本ブログの整理に反し、サプライヤーさえも抜け駆け債権回収を許されなかったようで、多くのサプライヤーも債権回収に苦しんでいる。かつて余った頭金で作りまくった子会社の売却も進んでいないわけではないがもはや本質的ではない。最も有名なEV部門は今月になってUAEの新興メーカーが出資しているが、NWTN Inc.と呼ばれるこのドバイベースの新興企業の経営層が中国人だらけであることが分かっており、ただ恒大の資産を安く海外に移転しただけに見えなくもない。
計画倒産


金融債権の支払い猶予やリストラクチャリングも「住宅引渡し最優先」というポリティカル・コレクトによって正当化されつつあるように見える。前回の記事でも取り上げたが、「三道紅線」の優等生とされてきたカントリー・ガーデン(碧桂園)のドル社債利払い停止もこれを機にとりあえず債務減免プロセスに入ろうとする試みに見える。決算書によると6月末時点で1,100億元の現金を保有していたのに、8月になるとわずか2,250万ドルの利払いすらできないというのである。代わりに失うのは市場参加者からの信用と消費者から見たブランドであるが、恒大がデフォルト後ものうのうと生き続けているを見て、利払い停止という行為に対する心理的な抵抗が予想以上に軽いものになっている可能性がある。リオープンと民営不動産迫害中止の思惑で一時息を吹き返していたカントリーガーデンの米ドル建て社債は素早くディープ・ディストレス域まで売り込まれた。恒大の前例からも分かるように、一旦リストラクチャリング・プロセスに入ると民営不動産企業のドル債は回収率さえも期待できないからである。デフォルトラッシュが万科などの国有不動産企業にも波及するのではないかとのパニックも起きた。どうしても資金繰りが付かないならともかく、わざとデフォルトして債務減免プロセスに入ろうとするムーヴは民営不動産特有のものではないか。
政権にとっては恐らく銀行も民営不動産企業もボランティアでゾンビを続けるのが理想と思われ、創業者や幹部の逃げ切りだけは許せないため、企業としての救済は行われないだろう。不動産価格高騰で大富豪になった創業者や幹部を無一文に戻すのは民意でもあると思われる。カントリーガーデンは香港市場でペニー・ストックになった後も容赦なく増資を行っているが、株主資本は「共産」されるのが当たり前として、政権の引締めと「引き渡し優先」の間で板挟みになった金融機関の債権者も損失を分担させられるのは目に見えており、また分担させるのがポリティカル・コレクトでもある。一昨年の記事でも既に用いた論法であるが、恒大の場合、総債務2.4兆元のうち有利子負債は約6千億元、これは銀行の貸し出し全体の0.3%ほどである。従って銀行システム全体を揺るがす事態(=リーマン・モーメント)にはならないとの声も再び見られた。
銀行の抵抗力

とはいえ、今後不良債権を吸収しなければならない銀行業界への政権の配慮も薄っすら見えている。実体経済への貸出金利のベンチマークであるローンプライムレート(LPR)は銀行の調達コスト引下げ(利下げ)と共にしか行われないことが分かっているが、8/15の緊急利下げの後に行われた8/21のLPR引き下げでは企業向け貸出のベンチマークである1年物だけが引き下げられ、住宅ローンのベンチマークである5年物は据え置きられた。普段から5年物LPRの扱い方は政権の住宅市場へのスタンスのシグナルとして見られてきたため、この組合せはこの期に及んでも住宅市場をサポートする気がないのかと市場参加者を愕然とさせた。

シグナルの深読みは時間の無駄である。銀行業界は今後民営不動産向け不良債権処理とLGFV支援の双方が控えているので、住宅ローンからの金利収入があまりにも素早く減ると困るのである(NIM制約)。低金利ローンへの借り換え制度が整備されていない中で、新規住宅ローンの金利だけガンガン引き下げると既存のローンの金利が一層割高に見えて繰上げ返済ラッシュが加速してしまう。四大銀行も国有なので共産党政権に対してある程度の発言権があり、財布として使い潰されないよう抵抗した結果が5年LPRの死守ではないか。またNIM制約から出発するとゼロ金利に近い極端な低金利政策も到底考えられない。
規制緩和と銀行による利下げ

恐らく5年LPRの据え置きとバーターで、銀行業界は既存住宅ローン金利の引下げに同意した。このような特例としての既存住宅ローン金利引下げは2009年のGFC直後にも前例があり、銀行が顧客との協議を経て住宅ローンの対LPRスプレッドを新規ローン並みまで引下げるよう、人民銀行が督促する形をとる。銀行は当然金利収入の一部を失うが、今の環境下ではどのみちローン金利引下げを認めなければ繰上げ返済アタックを受けるだけである。中国の住宅ローン残高は38.6兆元であり、うち金利引下げ対象になると思われる1戸目向けのローン残高は8割強である。優遇を受けるための他の諸々の条件も加えて25兆元程度(4,000万人)が住宅ローン金利引下げ対象になると言われている。最も金利が高い住宅ローンを借りた2017~2019年組の金利は今の新規住宅ローンより150bp程度高く、うちLPR連動でその後75bp低下したとして、まだ75bpのスプレッド格差が残っている。JPMは新規住宅ローン金利の4.18%に対して既存住宅ローン金利全体で60bp高いとしている。上限シナリオで既存住宅ローン金利を60bp切下げて新規に揃えるとすれば年間1,500億元の銀行にとっての金利収入減、消費者にとっての金利節約となる。現実にはそれぞれの都市ごとにLPRスプレッドの下限があり、既存契約も最初から下限スプレッドで借りていた消費者には関係がない(この人達にとってそもそも今も住宅ローン金利は割高に見えない)ので、金利削減額はもっと少ない。

住宅ローン金利の削減分を補うために銀行は更に預金金利の引下げを進めようとしている。こちらは利下げサイクル入りと共に何度か行ってきたが、今回も定期預金の年限によって10~25bp引下げる。中国銀行業界の預金総額は40兆ドル=300兆元弱であるので、住宅ローン金利の引下げ効果を十分オフセットできると思われ、銀行の利ザヤを悪化させない。

一連の銀行業界による金融政策は、預金者から住宅ローン借り手への所得移転を意味し、利下げと同様の効果を持つ。中央政府が財政支出を増やさないため、預金者の金利収入が更に減り民間全体で見るとフラットであるが、ローン支払い中の住宅保有者への住宅価格下落が与える逆資産効果のうちの一部を、全ての預金者で分担させるという解釈となる。パンデミック後に急増した余剰貯蓄からの少しの貯蓄課税という言い方もできるだろう。

引下げを申請すればお金が戻ってきた感覚になり繰上げ返済は減るだろう(もちろん不動産価格や景気へのセンチメントが悪すぎてそもそもバランスシートを圧縮したい消費者も多いので完全には止まらない)。本ブログは5月時点の記事から住宅ローン繰上げ返済の量的引締め効果を取り上げてきたが、既存住宅ローン金利の引下げが上手くいけば一旦の解決を見たと言える。
住宅価格と規制緩和


中古住宅を中心に住宅価格はピークから既に2割弱調整したとされているが、住宅神話への信仰はともかく、そもそも景気があまりにも悪く収入が減る家計が多い限り、下落圧力が止むと考える理由はない。それに対し、上で見てきた銀行業主体の金融緩和に加え、2戸目購入の規制緩和(住宅ローンを返し終えた住宅は1戸目とカウントしない)が打ち出されている。こちらは憎き「房住不炒」に抵触しないように「改善性需要(新しい高級住宅への住み替え需要)」への対応という理論付けがなされた。憎き「房住不炒」については7月の政治局会議決議で一旦消えたが、その後は政府系新聞の論説で再登場したりと、完全に死滅したとはまだ安心して言えない。恐らく地方政府の担当者も同じような「死滅したか、まだ死滅していないか」の分析を行って空気を読もうとしているはずだ。不動産市場が下支え策を必要としているため、これまでの非合理的な制度や厳しい規制の改革が各論として進めやすくなっただけで、どれも大規模なマクロな景気対策とまでは言えない。1戸目が買えないという話なのに2戸目を買わせたところで大した違いはない。しかしいずれも方向性は間違ってはいない。現政権下では方向性が間違っていないだけでも貴重である。
不良債権問題

中国系銀行の不良債権比率は今のところ高くない。中でも住宅ローンは健全であり、フィッチが格付けを付与した銀行では2022年で0.44%にすぎない。不動産デベ向け不良債権はもちろんそれより遥かに高く、4.5%に達している。フィッチが格付けを付与しているのは大きめの銀行が中心と思われるため、銀行業全体ではもう少し数字が悪いはずだ。また2023年はこれらの数字が大きく悪化するだろう。最終的に民営不動産向け不良債権があまりに増えるようだと金融機関への公的資金注入は素早く、そして無原則に行われるだろう。「システミックリスクを起こしてはいけない」というところに政策の線引きがなされているためである。不良債権の規模を隠蔽したい気持ちは非常に強いものになるだろうが、隠蔽したまま相互不信によるシステミックリスクを防ぐには公的資金注入しかないのである。財政出動は期待するだけ無駄であるが、リーマン・モーメント周りの処理だけは信用してもよいだろう。
唐突に登場する日本銀行

不動産市場の全体像については日本銀行がレポートを出している。今サイクルの住宅価格下落はまず2022年に不動産業の資金繰り要因から始まり、2023年から主因が在庫率上昇にシフトするところが興味深い。概ね「住宅価格下落はあくまでも政権が何年もかけて人為的に作り出したものである」という本ブログが思い描いてきた世界観通りであるが、ここでも極論は排除されている。逆資産効果で中国の消費がしばらく勢いを盛り返さなそう、不動産関連の固定資産投資が長く低迷しそう、そしてランドセール低迷を通して地方財政が倹約的になって潜在成長率が低下するという大局観は変わらないとして、国際社会に需要減以上の何かが染み出る可能性は高くない。
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この記事は投資行動を推奨するものではありません。