RRPによるTGAの綺麗な代替
まず5月末に警戒されていた米国の債務上限とデフォルト騒ぎのその後について。今となっては99%の市場参加者がすっかり忘れ去っているに違いないが、債務上限の再撤廃に伴うT-Bill増発で1兆ドルの流動性吸い上げなどという与太話が大真面目に語られていたのである。前回の記事では「資産価格の観点からは増発されたBillを準備預金がキャッチするか、MMFのRRP資金がキャッチするかは重要な分岐である。順番としてはRRP付利の方が準備預金に付くIORBより10bp低いためRRP資金の方が置換されやすいはずだ」「もしMMFが増発されたBillのキャッチを見送ると、Billが割安化して市中から準備預金を含む他の運用先から資金を吸い出すことになる」と整理していた。またMMFがRRPからBillへの置換を行ってくれる条件として「金融政策の先行き不確実性が(上向きも下向きも)抑えられている必要がある」を挙げていた。4ヶ月経ってみると、金利の水準が上昇したにもかかわらず金利ボラティリティの水準は低迷し、それがVIXの低迷と株式指数の上昇に繋がってきた。
実際にTGAの取り崩しが始まるまでRRPがあまりにも一定で粘着的に見えたので、本当にこれが大がかりに減るのかと本ブログ自身も半信半疑、というより実は想像さえも難しかったのだが、金融市場が正しい論理の積み上げを裏切るはずがなかったのである。約1年間にわたって2兆ドル近辺を維持していたRRP残高は1.45兆ドルまで大きく取り崩され、一方その間銀行の中銀準備預金はほとんど減らなかった。つまりTGAの積み上げプロセスは概ね市中流動性について中立であった。
8月末までの米国Gov MMFの投資先を見ても、感動的なまでに綺麗にそれまでの傾向から一転してRRP(紫)が減って水色(財務省証券)が増えている。本ブログは2021年6月時点でRRP残高の積み上がりを「ダムから放水した水を更に調整池を作って貯めている」と表現しており、また2021年12月時点でQTについて取り上げ始めた時もQTは資産価格の下落に繋がりやすく、「2022年以降のリスク資産の押し目買いは非常に慎重に進めるべき」としていたのだが、その際でも大クラッシュにはならず、ある程度落ちたナイフなら拾ってもよいとした論理も、RRPに待機している1.5兆ドルの過剰流動性がQTをオフセットしてくれるというものであった。ようやくRRPの役割が一周したのである。
進まないQT
QTやTGA積み上げによる流動性吸い上げをオフセットしたのはRRPだけではない。SVBショックにおいて苦境に陥った地銀に貸し出したディスカウント・ウィンドウ、FDIC向け繋ぎ融資、そしてその後創設されたBTFPにより流動性が一時的に供給された。その影響で(Fedが保有する米国債証券は漸減を続けたにもかかわらず)Fed BSは一時的に大きく拡大した。本ブログはSVBショックを2019年のようなnot QEモーメントへの突入と解釈したが、その時が絶好の株式の買い場であった。もっともnot QEには「金融引締めを効きづらくする」という副作用もあったため、その後の相当の長さにわたって似たようなイベントの発生は阻止され、ついに当然と思われていたリセッションそのものも遠のくことになった。QTが始まって1年余り経っているが、Fed BSの規模で言うとまだ絶賛QE中の2021年夏と同レベル、米国債の保有額は2021年春と同レベルである。
今後QTが更に進むとどうなるか。TGAがこれ以上動かない(TGAはファンディング手段の一つなので債務上限にのみ影響を受け、そもそも予算案を作成できず政府閉鎖になった場合もTGAとは関係ない)として、QTが吸収する流動性もRRPの残り1.45兆ドルが供給することになる。両者が概ね平行に動く時は市中流動性はドレインされない。RRPの減り方は必ずしも線形ではないので底が尽きるタイミングは測りづらいが、量的にはQTが引締めをあまり発揮しない構図は来年後半まで続くだろう。しかもMMFが人気になる局面で、より利回りが高いPrime MMFがGov MMFよりも資金流入に恵まれており、彼らによる金融機関が発行するCDの購入が2023年に入ってから増え続けている。MMFが低金利の銀行預金を吸収しているという主張が根強いが、直近に限って言うと全米の銀行預金総額は大きく減っていないし、MMFからも銀行CD投資に還流されている。クレジット量の供給という観点からも何ら問題ない。
RRPが供給できないデュレーション
代わりに、RRPからの流出でも補えないQTの効果はデュレーションの需給である。バイデン政権の下で歯止めがかからない財政赤字をファンディングするために2023年後半から米国債の発行が加速している。一方で伝統的に「債券価格の変動にあまり敏感でない長期投資家」とされてきたFedと商業銀行の米国債保有比率は低下している。前者はQT、後者も銀行預金が高利回りMMFとの競争に晒されるため粘着性が低下すると判断されており運用サイドで国債投資を増やす余力がない。更に同じく鈍感な長期投資家として挙げられてきた海外勢の米ドル還流に伴う債券投資も2020年代に入って低迷しており、拡大する米国債券市場に占めるウェイトが大きく低下している。ウクライナ戦争でロシアの外貨準備が凍結されて以来、中国が米国債の保有を減らして金を積んでいるのは有名だが、中国の外貨準備単体では米国債残高332兆ドルのうち1兆ドル弱(0.3%未満)を保有しているにすぎず、大した影響力を持っていない。しかしいずれにしても海外からの米ドル還流が米国債残高の拡張に追い付いていない事実には変わりはない。既に利上げの最終局面に差し掛かっており、金利政策にほとんど不確実性がなくなったにもかかわらず、長期金利が4%台で大幅に上昇したのはデュレーションリスクの需給悪化の影響である。
タームプレミアムの復活と上昇する実質金利
債券の需給悪化は利回り上昇を通して新たな買い手を引き付けることで解消されることになる。Fedの政策金利パスは9月FOMCを受けて2024年分が多少持ち上がったものの大きくは変わっていないため、直近の長期金利上昇はタームプレミアムの上昇であり、タームプレミアムはマイナス域からプラス転換しつつある。またインフレ期待も大して変わっていないため、長期金利上昇は実質金利の上昇と解釈される。市場が織込む将来の物価上昇を控除しても、債券投資はなおも実質金利を獲得することができるのである。これで10年以上ぶりに債券は度重なるQEで利回りを抑圧された時代から脱出し、株式に遜色ないほど将来のインフレにも勝てる資産として復活することになった。
実際金利上昇サイクルで最初に国債ファンドに、次に後から利回りが上がってきたMMFに家計などの資金が大々的に入っている。その分、わずかながらも家計の株式プールから資金が抜かれることになる。GFC以降の低金利時代、米国家計の証券投資は利回りの低い債券から株式へのシフトが続いたが、債券にまともな利回りが付くようになるにつれてそのトレンドは反転しつつある。キャッシュ・イズ・キングにはなっていない。つまり流動性の議論をするまでもなく、QTは直接株式のバリュエーションに影響を与えたのである。国債投資からタームプレミアムを享受できるなら株式投資にも相応のプレミアムが要求されると見るべきだ。
株式バリュエーションへの影響
直近の金利上昇に伴うS&P 500の調整は明らかに金利上昇に伴うバリュエーション調整である。前回の決算期の最後にNVDAがブロックバスターを出して以来、予想EPSは動いていない。金利上昇に対して「それだけ好景気ということなのでバリュエーションが伸びても問題ない」という解釈もあったが、その後の展開から問題なくはないことが分かっている。(時間経過に伴うロールアップ以外)予想EPSが止まっているため金利上昇によって株式の上値が抑えられる現象を本ブログは「S&P 500の債券化」と呼んできた。それが頭の中に入っていれば金利上昇を見て後追いでも株式の機動的なリスク削減が可能だったはずだ。長期金利のブローアップの最初のきっかけこそリセッションヘッジの解消だったとしても、ノン・リセッションを他人に先んじて取引する時間帯はとっくに終わっており、途中からは需給悪化と機械的な、或いは人力のロスカットがドライバーと思われる。それを「それだけ好景気~」と解釈していると、たとえ金利の上昇を予想できたとしても肝心の株式投資では上から下まで持っていかれたことだろう。バリュエーションは雰囲気ではないのである。
今後の資産価格について。米国債そのものは明らかに正当化できないほど割安な領域までぶん投げられている。「景気後退が来ないから今年来年は利下げがない」とは言っても、10年債ならあと8年も自然体の政策金利が続く期間が残っている。金融政策自体は据え置きでも、長期の実質金利が先に上昇するとあたかも利上げがあったかのように勝手に金融環境は引き締まっていく。それをFCIでも確認することができる。ただでさえ現在の政策金利水準に安住する気満々のFedが追加利上げで更に債券市場をかき回そうとするはずがない。金利カーブのスティープニングが更に進めばツイストオペを求める声も出るかもしれないが、ツイストオペは何度名指しされても実現しづらいものである。長期実質金利はただ上がっているのであり、上がったからと言って長期実質成長の加速≒潜在成長率の上昇を織り込んでいるわけではない。実際パニックになった債券の売り手を誰か捕まえて理由を聞いても全要素生産性、人口動態、資本ストックなど微塵も考えていないに違いない。もしQTを含む需給悪化で長期金利が今の水準に長くとどまるなら株式の上値はきつく抑えられるだろう。逆に、長期金利が近いうちに4%前半に向けて再低下するなら、同じ分だけS&P 500にも上値余地ができるということである。
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この記事は投資行動を推奨するものではありません。