BOJ New YCC scheme
 円金利と円相場について。10月の金融政策決定会合を経て長らく懸案だったYCCは実質的に完全に撤廃され、長期金利はほぼ完全に自由行動に移行した。7月に0.5%から1.0%にバックした毎営業日連続指値オペは「強力な効果の反面、副作用も大きくなり得る」を理由に完全に撤廃された。これで2022年4月に黒田日銀の逆ギレから始まり、多大なコストと副作用をもたらした毎営業日連続指値オペはついに葬り去られ、YCCは完全に形骸化した。本ブログが長らく唱えてきた「YCCからピュアQEへの移行」は完成した。これも前回の記事「10月に再び物価見通しが上振れるなら、金融政策も何らかのアクションが伴うと考える方が自然である。いきなりマイナス金利政策を撤廃することはできないのでせいぜい来年早々の撤廃に向けた予告の強化くらいしかできないだろうが、既に形骸化されているYCCもより一層形骸化されるのだろうか」としていた通りであり、本ブログの読者にとっては10月会合で決定された金融政策も、長期金利の値動きも何のサプライズもなかったことになる。
Trading Economics JGB 10y
 一方10月会合での金融政策再修正はさすがに世間的にも常識だったようで、会合前から長期金利の上昇が続き、会合前後にピークアウトした。長期金利が絶対防衛線に近付くと逃げ水のようにゴールポストを動かすようでは一体何がYCCかと言いたいところであるし、逆に下手な後退が国債売り勢に勢い付かせる可能性もあったのだが、結果として植田日銀はまたしてもYCCチャレンジからの逃走に成功した。日銀の解説資料の薄い色の範囲から暗黙の許容範囲を紙の上で測ろうとする動きこそ一部であったものの、実弾で1%超えを試して日銀の反応を観察しようという流れになるほど市場の需給は悪化していなかったのである。

 前回の記事でも繰り返したように本ブログは一貫して「日本の長期金利が1%を大幅に超えるとは想定していない」としてきた。植田総裁就任後にYCCの余命は短いとしていた時から「たとえYCCが撤廃されたところで長期金利の1%超えは期待しづらいだろう。ということはやはり国債村以外にとっては大した出来事にはならないし、その程度の長期金利上昇で困らないのであれば備える価値もなさそうである」、そして7月のYCC再修正を経て国債市場がほぼ自由行動になった後「日本円の30年金利の2%超えは財政プレミアムから得られるフリーマネーであると断言できるだろう。YCCが撤廃されて自由行動になったとしても、円金利の10年1%や30年2%は強いサポートになると思われ、そこからインフレが実は3~5年ほど待ってみたらやはり未達に戻る確率、海外経済が大きく減速したりリセッションに陥る確率の分だけ下にシフトさせることになる」としてきた。実際の長期金利(10年国債金利)は0.95%で反転し、30年国債金利は1.9%で反転した。フリーマネーと断言していたぼた餅は僅差で棚から落ちて来なかったのである。

頑なに無視されるTransitoryな「第一の力」

BOJ 1st and 2nd force of Inflation
 前回の記事で長期金利が大して上がらないとした根拠として「我々が盛り上がっているのはせいぜいこの1, 2年にわたって日銀が"物価目標未達"と言えなくなる点」にすぎないとしていたが、物価の論点を植田日銀は「第一の力、第二の力」という使い分けで整理し始めた。植田総裁の記者会見では「第一の力は輸入物価上昇が国内物価に及んでいくというところ、第二の力は国内の賃金と物価が好循環で回っていくというところ」と説明している。それだけではピンと来ないので、9月に大阪で行われた植田総裁の講演で述べられた「"第一の力"は、2021 年以降の大幅な輸入物価上昇の価格転嫁です。消費者物価を品目別にみますと、食料品など輸入原材料を多く使う品目で上昇が目立っており、これまでの物価上昇の多くが、この"第一の力"によるものであることは明らかです。ただし、この"第一の力"自体は、輸入物価の上昇という一時的なショックを起点としたものであり、いずれは減衰する性質のものです。価格転嫁の大きさが過去を上回っており、2%を超える物価上昇率が長引いていることは事実ですが、これだけで、"物価安定の目標"の持続的・安定的な実現が近づいていると評価することはできません」という説明を引くと、何やら見覚えがある議論が浮かんでくる。要するに「第一の力」とはTransitory Inflationのことではないか。Transitoryである限り、直近のインフレ率がどんなにスパイクしてもそれをもって物価目標達成(超過)と認めない、ということだ。この使い分けで「物価上昇率が3%を超え続けているのにどうして金融緩和を続けるのか」との批判を躱そうとした。時間軸とインフレへのインパクトを描くと2つの力は図のようになるだろう。
FRED CPI and core CPI
 これはかつてFedが用いた論法でもあり、米国のtransitory論がその後どうなったかは皆の知るところである。非常に雑に喩えると、エネルギー価格上昇とサプライチェーン制約によるヘッドラインCPIの急騰は2022年半ばにピークアウトし、その後前年比効果もあり急速に反落したがこれは「第一の力」と言え、2022年9月から始まった賃金とサービス価格の高止まりに由来するコアCPI高止まり懸念は「第二の力」だったと言える(雰囲気が分かるように便宜上コアCPIを描いているだけで、コア=第二の力とするのは適切ではない)。「第一の力」がフェードしても「第二の力」が残り、もたらした金利上昇圧力は「第二の力」の方が圧倒的であったことが分かっている。

幻の「第二の力」

Japan CPI and Core CPI
Picte Japan import price
 では今の日本の長期金利低下も米国で言う2022年8月のような「第一の力」と「第二の力」の間の踊り場にすぎないのか。諸外国で言うCPIにあたる、生鮮食品だけ抜いたコアCPIは年初早々にピークアウトしている。輸入物価はとっくにピークアウトしている。しかし政府の補助金による物価高対策でCPIのピークが低かった分、その剥落も先進諸国ほど急なものにはならず、10月分になっても政策要因で跳ねたりしている。諸外国のコアCPIにあたるコアコアCPIは諸外国と同様一拍子遅く、10月分でようやくピークアウトした程度である。
BOJ inflation and labor demand supply
 11月に入ってからの総裁講演資料にも載っている通り、日銀の中でも第二の力を見極めようとしている。期待インフレのスライドもあったが期待インフレは水物なので無視するとして、「第一の力」は間違いなく減衰しつつある。日銀も引用したナウキャスト日次物価指数によると店頭物価のピークは8/23であった10月の値上げ期を通過しても大して伸びていないようなので、今サイクルの大幅な物価上昇はピークを打ったと判断してよいのではないか。物価サイクルで先行した他の先進国をいくらでもカンニングできる中、まさか日本だけ複数の波を描くことはないだろう。
Picte Japan wage
 「第二の力」(賃金と物価の好循環)であることが「安定的に 2%」というインフレ目標達成の必要条件ということになっている。賃金は原資となる企業の利益水準が積み上がっており、かつ人手不足感が高まれば伸びるとされている。である以上「賃金ターゲット」の金融政策には「EPSターゲット」という色が薄っすらと付いてくる。サーベイを見ると人手不足感はパンデミック前並みに達したことは間違いないものの、(我々の体感とは異なり)パンデミック前を大幅に超えているわけでもない。従って「第二の力」の威力を観測できるかどうかは日銀が主張する通り、その時になってみないと分からず、今はあくまでも確率分布の世界の中の出来事である。米国では着火点としての「第一の力」だけでなく、移転所得(給付金)FIREや移民排斥による人手不足、補助金にサポートされた工場移転ブーム、QEにファンディングされた会社設立ブーム、そして労働者側のストライキや異業種転職の多用の合わせ技が賃金高騰を招いた。そのうちいくつが日本に当てはまるのか、と考えると、もちろん一個もないわけではないが、日本では物価の反落が賃上げの慣性にぶつかる瞬間以外では、たとえインフレ・レジームに移行したとしても賃金の伸びが物価上昇に追い付くことはないのではないか。賃金上昇を待つことはインフレの放置に他ならない。

為替市場も自由行動へ

Bloomberg USDJPY move after BOJ
 いずれにしろ、10月会合はYCCの実質的な完全撤廃を成し遂げた。そういう意味で「10月会合もドル円が150円より上に向かって吹っ飛ぶような会合にはならないだろう」としていたのも日銀の行動に関する限り正しかったのだが、肝心の為替市場はというと、10/31に発表された「外国為替平衡操作の実施状況」で10月の実弾介入がゼロ円だったのを受けて介入懸念が後退したことから再び150円を突破して上値を伸ばした。それまで10月中にわたり、たとえ米金利の上昇に伴い日米金利差が拡大しようと、前回の記事で導出した「150円直下での停滞」が続いた。上値が万人に見える形で抑えられれば下値も堅くなるのは当たり前である。11月に入って実弾介入警戒が剥落したことで再び円相場はコントロールを失ったように見えたが、ちょうど米国で軟調な経済指標を連発して米金利が低下に転じると、円相場は再び救われた形となる。結果的に――あくまでも結果的に――ドル円の150円より上はあまり想定する必要がなかった。

為替介入としての金融政策変更

 米金利のピークアウトが見えてドル円が150円を割って来ると「為替介入としての金融政策変更」の必要性は一層薄れた。恐らく大半の国債市場参加者は「第二の力」の存在を大して信用しないまま「第一の力」、より具体的には(第一の力を左右する)為替の水準を使って日銀を「behind the curve」と煽っている自覚があるようで、ドル円のピークアウトが見えて来ると日銀よりも素早く自説を捨てた。その結果が長期金利の急速な低下である。もちろん「第二の力」の実力が観測されるまで、たとえ「第一の力」によるものであろうとCPIの2%超えが続く限り、「第二の力」対応の大幅引締めが必要となる確率が消えることはない。その「確率」が高まるにつれてYCCが段階的に撤廃されてきたのであり、またマイナス金利政策の撤廃もその延長上にあり、こればかりは最悪「非常時の策からの回帰」という理屈が立つので堅いものの、プラス域の利上げパスはすっかり怪しくなってきた。春闘の情報は1月会合から4月会合にかけては増えないので、マイナス金利政策の撤廃はコンセンサスの4月でも、以前の記事で取り上げた1月でも構わないが、前倒しは必ずしもその次の利上げの遠さを近付けるものではない。海外景気の減速と共に米金利がこのままピークアウトするなら、日本の政策金利の今サイクルでの0.5%以上への引上げリスクは基本的に考慮しなくてよくなる。そして今サイクルでなければ今後しばらくないだろう。もちろんパンデミック前のデフレ・レジームへの逆戻りも遠くなったため、一旦マイナス金利政策が撤廃されれば再導入は考慮する必要がないほど遠ざかる。上手く行けば最適に近い適温経済が続くかもしれない。

 とはいえ、12月のYCC修正後に長期金利が修正前のレンジであった0.25%の内側に戻ることがなかったのと同じように、今回も7月の再修正前のレンジであった0.5%の内側に戻る理由もあまりない。少なくとも日銀がその水準まで国債を買い上げる喫緊性がない。金利が低下してすっかり1%から離れると日銀は早速11/15そして11/22に国債買入れオペの減額を行った9月の記事でもYCCからピュアQEへの移行に伴い量的緩和の縮小も可能になると述べたが、量的緩和の縮小方向へ自由度を日銀が取り戻したことを我々は観測したことになる。もっとも国債買入れ減額の自由度は金融政策を受けて四半期ごとに公表される買入れペースのレンジ内に限られ、また究極的には「オーバーシュート型コミットメント」(物価目標達成までのマネタリーベース拡大方針)がバランスシート正常化の障害のラスボスになる。さすがにYCCの買支えによってパッシブにマネタリーベースが拡大する可能性だけはなくなった。「第二の力」が観測可能になるまでの間、中央銀行が自由度を取り戻すとその分だけ、長期金利のボラティリティは低下するだろう。つまり日本国債に直接タッチしない我々の視野から外してよくなるのである。

 そうするとドル円相場は再び米金利次第に戻って来やすくなる。9月の記事でも述べた「日米金融政策のサイクル格差は"米国引締め、日本緩和"から"米国据置き、日本引締め"にシフトしつつある」「Fed Pivotがやって来るまで5%以上の名目政策金利差のパワーは絶大であるし、実質政策金利どころか長期実質金利さえもマイナス域にいる間は円安圧力が消えることはない。円資産と米ドル資産の保有を検討する時、金利込みではまだまだ後者が有利に決まっている。しかし一直線にドル円の数字が上昇するフェーズは既に通過しつつあるとは言えるのではないか」との見方は維持しており、引続き150円より上で為替相場がアンコントローラブルになるとは思っていない。例外シナリオは物価上昇に毎回財政支出で対応しようとするポピュリズム勢力が国会の中で勢い付く場合であるが、そうでなければタームプレミアムや中立金利を気にする必要もなくなるし、為替にしろ金利にしろ、徐々に調和が戻って来るだろう。

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この記事は投資行動を推奨するものではありません。