Bloomberg Yen spot
 12月の円相場はまたしても荒れた。二つの要人発言が重なったことで為替市場には円買いが殺到し、12/7にドル円は急落した。本邦個人投資家の為替証拠金取引(FX)の最大レバレッジは25倍なので、多くの人がポジションを持っているコストから4%ほど逆の方向に行けば統計的にロスカットが出やすくなると推定される。148〜150円に買いのコストが集まっているなら、144円を割り込んでから142円に向かう過程でロスカットの円買いドル売りが出やすいということである。ドル円は141円台まで急落した。ちょうど米金利も低下気味であり(半年前なら日銀の引締め織込みは米金利の上昇要因になり得た)、9月の記事でも取り上げた日米金融政策のサイクル格差の「米国引締め、日本緩和」から「米国据置き、日本引締め」へのシフトが炸裂した形となる。マイナス金利政策が撤廃されたところで高々10bpの利上げなので5%を超える日米短期金利差に与えられるインパクトが限定的であるという声が以前は大きかったのだが、高々撤廃の前倒し観測でもそれなりにドル円が大きく動いた。

前座としての氷見野副総裁講演

Himino Speech
 二つの要人発言を具体的に見ていくと、12/6にこれまで存在感が薄かった氷見野副総裁の講演があり、出口に差し掛かった際の名目金利上昇の経済への影響をポジティブに表現する箇所が多かったことから、(マイナス金利政策撤廃そのものには特段言及しなかったにもかかわらず)マイナス金利政策撤廃に向けた地ならしと広く思われた。ヘッドラインの打ち方は「出口戦略への言及」であった

「いろんなものをみていくといったときに、全部青信号が灯るということも実際の経済ではないわけですし、全部赤信号という状態もないわけで、実際には経済の動きの中でいろんなシグナルが混じって観察される中で、どこかで判断していく必要があるということだというふうに思います。ですので、どこの段階でとか、これをみてからとか、何か予めスケジュールを決めてというよりは、何が起こっているかというのを本当に虚心坦懐にみていくということを続けるということではないかというふうに思います」
「現在の大規模な金融緩和にもいろいろな要素があるわけですけれども、それを例えばどういう順番で外していくのかとか、大変ご関心の強いところだというふうに思います。これについては、実は今年の 5 月に金融研究所が国際コンファランスというのをやりまして、そこでオルファニデス先生が、海外の当局がある意味出口を経験したときのことをいろいろ比較して議論をされておられたんですけれども、まずこれをやってからその後これをやりますみたいなことを言った結果、タイミングが間違ってしまったみたいなこともあったというのがオルファニデス先生の見方で、可能な範囲で政策反応関数って言っておられましたけども、どういうふうな考え方かということを説明していくことは、大事なんだけれ
ども、予めいろんな対応の順番とかを決め打ちすることは、マイナスが大きいということをおっしゃっておられまして、私もそうかなという感じを持っております

 個人的に金利上昇の話よりも印象的だったのはこちらである。内容の割りに長い饒舌な解説で、オルファニデス教授まで引っ張り出した意図は、日銀は度重なるYCC修正でようやく手に入れた、余分なフォワードガイダンスに囚われないフリーハンドを、今後も引続き温存し続けるという意思表明ではないか。オルファニデス教授は「フォワードガイダンスの罠 "The Forward Guidance Trap"」を提唱しており、つまり低インフレ時代に金利政策が制約を受ける下ではフォワードガイダンスは金融緩和の代替としてワークするものの、これまでの見通しから外れるようなインフレ率の上昇が生じた際には、(これまでのフォワードガイダンスへの拘泥は)迅速な政策対応を妨げるものになる。具体的にはFedが2020年に予想ベースのガイダンス(ゴールに向かっていることを確認できるまで現行政策を維持)を実績値に基づくガイダンス(ゴールに達したと確認できるまで現行政策を維持)に変更したこと、またテーパリングをあくまでも漸減的に進めること、そして利上げはあくまでもテーパリングの終了後に始めるといった暗黙なコミットメントへの拘泥が、金融引締めへの転換の遅れ(ビハインド・ザ・カーブ)を招いた。今サイクルでのECBもだいたい同様である。代わりに教授の提言は「予想ベースのシンプルな効用関数をより明快に開示する」ことであったが、日銀はそれには必ずしも従わず、代わりに「出口政策の詳細、特に各施策の解除の順番を予め開示すべきではない」を教訓にしたようである。である以上、「植田総裁はフィッシャーの弟子なのでフォワードガイダンスを重視しており、金融政策修正があれば十分な先出しを行うだろう」という印象も、我々の演繹先行が産んだ先入観にすぎない可能性を意識する必要があるかもしれない。

チャレンジング・ショック

Ueda testimony
 12/7の参院財政金融委員会で植田総裁が「4月の就任以降の金融政策運営は、さまざまな不確実性が高い状況の下で"チャレンジングな状況が続いているが、年末から来年にかけて一段とチャレンジングな状況になる"と語った」。この「チャレンジング」もどうやらマイナス金利政策の早期撤廃観測に繋がったらしい。4月以来の金融政策運営で大変だったのは主にYCCからの撤退であったが、YCCは既に完全な形骸化に成功しており、YCCと対照的に投機筋との闘いも特に想定されないマイナス金利政策撤廃自体はどう見ても大してチャレンジングな政策変更ではない。もっとも筆者などより遥かに国語力が高い、経験豊かな市場参加者はたくさん居るので、きっと深い解釈がどこかに転がっているはずだが、後述のようにこの話題は既に終わったので調べる価値もなくなっている。

見慣れた煙モード

 ここに来て日銀がマイナス金利政策撤廃の(コンセンサスの来年4月から1月、更に12月会合への)前倒しを急ぐ理由が出てきたとすれば、それは一つしかない。Fed pivotが来年春に迫ってきており、Fedの利下げサイクル中に利上げを始める行為は過去の失敗を彷彿とさせて抵抗感が強いので、せめてマイナス金利政策解除だけでも駆け込みで行っておかないといけないということだ前回の記事でわざわざ「マイナス金利政策の撤廃はコンセンサスの4月でも、以前の記事で取り上げた1月でも構わないが、前倒しは必ずしもその次の利上げの遠さを近付けるものではない」としていたように、マイナス金利政策解除が4月から1月に前倒しになったところで、その次の利上げの前倒しまで連想すべきではない。更に1月どころか12月に前倒しになるとすればその背景は「pivot前の駆け込み」しかあり得ないため、むしろそれは今サイクルの利上げがそこで終わりになることを意味しており、21世紀前半の政策金利がゼロでほぼ決まったようなものである。そうだとだとすれば今後もはや国債トレーディングなどすべきではない。今プラスで付いている全ての年限の利回りが全てフリーマネーになるのではないか。

 極論はさておき、12月会合の記者会見は再び9月会合と同じパターンになった。つまり何も政策変更が出て来ず、記者が政策修正の言質を取ろうと燃え、それに対して植田総裁が緩和継続方針をディフェンスするのである。これは偶然ではなく、3, 6, 9, 12月会合では展望レポートが出ないので、何か重大な方針転換を打ち出そうにも「前回会合と何が変わったのか」と説明しづらいのである。今年6月も9月も「何かがある」と期待した勢を煙に巻いて追い払った後に、7月と10月に展望レポートと共に金融政策を調整してきた。これはもはや様式美になりつつあるのだが、なぜかそれでも非展望レポート月の直前の方が毎回、期待が高まりがちであった。記者会見は、政策修正の言質だけでなく、世間で広く考えられてきた金融政策の反応関数まで、記者が投げるたびに植田総裁に否定される展開になった。

・Fedが利下げサイクルに入っても利上げできるか?
「FRBの金融政策、場合によっては、来年、金利引き下げもあるかもしれないという中で、その日本経済、日本銀行の政策への影響というご質問だったと思いますけれども、そもそもそういう話がアメリカで出てくる背景と致しまして、おそらくアメリカの、ここは若干意見が分かれるかもしれませんが、供給サイドが、経済の供給サイドですね、改善する中でインフレ率が低下を続け、金融引き締めの影響もあるかもしれませんが、その中で所得と支出の好循環も続いていて、ソフトランディング期待が上昇しているというところがあるかと思います。それ自体を取り上げますと、日本にいろいろなプラスの影響もある動きであります。それも含めて総合的な日本への影響を配慮しつつ、私どもの金融政策を実行していくということですが、いずれにせよ金融政策は各国独自の要因をみつつ、独立に遂行するということになっていますので、日本銀行としても適切な金融政策運営に努めたいと思います
「もちろんFRBが利下げ局面に仮に入るとしますと、それに入っていくことに至った理由も含めて、いろいろな影響は日本経済にあるかと思います。為替レートの変化もあるかもしれません。更には先ほど申し上げたように、経済自体がインフレ率が低下するというソフトランディング的な動きを示しているからということもあるかと思います。それら全体が日本経済あるいは物価にどういう影響を与えるかということを考慮しつつ、私どもの金融政策も決定していくということでございます。その中で、例えば、3 か月後、6 か月後にFedが動きそうだから、その前に焦って私どもの政策変更をしておく、そういうような考え方は不適切だと思っておりますので、持っておりません

 ポイントを羅列すると、原則論として日銀の金融政策は日本国内の要因に決定される、Fed pivotの前に焦って政策変更しておくという発想はない、特にFedの利下げが供給制約の解消によるソフトランディングに伴う調整利下げにすぎないとすれば、日銀はそれを気にせずに利上げを継続できると解釈することが可能だろう。不動産危機で大幅利下げに追い込まれた2007年のケースとは違うのである。である以上、先ほどの「日銀はFed pivotに間に合わせるためマイナス金利政策撤廃を前倒しする、間に合わなければ永久にウィンドウが閉まる」という論理は否定できるだろう。不適切である。

・1月会合へのインプリケーション
「1 月に向けてですけれども、これは現在から 1 月の後半にある決定会合までの間に入ってくる新しい情報次第ということにならざるを得ませんが、新しいデータはある程度入ってきますが、そんなに多くないということが一つあるかと思います。ただ、間には支店長会議も私どもありますし、地方を含めた様々な情報を吸い上げることもできるということで、そうした結果およびここまでのデータを 1 月にかけて新しい見通しとして整理しますので、それらを含めて判断するということになるかと思います
「それから二番目の、利上げをすることになるときに予告するかどうかというご質問だと思いますが、これは繰り返しになりますが、データや情報をどういうふうに活用するかという私どもの考え方を繰り返しご説明していくということですし、それに今後の展開に応じて付け加えられるような、こういう見方もあるということが出てくれば、それも適宜追加的に情報発信をしていきたいと思いますが、来月上げますよということをいきなり言いますということになる可能性は、あまりないかなとは思っております

 12月会合と1月会合とで判断が変わる余地—―展望レポートが出るのだから本来大きく変わってもおかしくない—―も残しつつも、最後の一文が曲者で、これは「上げるにしても事前には言わない」なのか、「上げるなら一ヶ月"以上"前からアナウンスする」を意味しているのか。一般的にマイナス金利政策撤廃はサプライズで行うのが難しいし、YCCと違ってあえてサプライズで行う意味もないため後者と受け取るのが自然だろう。ヘッドラインも *UEDA: CHANCES ARE LOW WE WILL FLAG RATE HIKE AT NEXT MEETING とかなり意訳したものが打たれた。12月の据え置きだけでなく、1月会合でのマイナス金利政策撤廃についての予告もゼロだったと言える。それでも、例えば1月予告・4月撤廃のパターンがまだ消えたわけではないし、さすがに引締めサイクルという大きな流れの中にあることまで会見が否定したわけではない。市場参加者が勝手に利上げ前倒し説を盛り上げ、そして勝手に今から頓挫すると決め付けているだけである。マイナス金利政策撤廃に動けなかったのは政権による圧力という見方さえ出てきたが、本ブログとしては圧力抜きでも今回の判断を説明できるため、あえて怪力乱神を語る必要はないと思っている。

サプライズ空振り

Bloomberg Dollar Yen Surges after comments from BOJ Ueda
 こんな感じでマイナス金利政策撤廃が全く見えてこないなら円売りを仕掛ければいいのかというと、興味深いことに――今までと違って――自棄っぱちの円売りも大してワークしなかった。それだけ海外金利も低下していたため、日銀のダビッシュ・サプライズは諸外国対比でも大したことがない、と為替市場に追認された形になる。ダビッシュ・サプライズでも円安に走らなくなった以上、日銀が焦って「為替介入としての金融引締め」を導入する喫緊性は一層低下し、政策変更の出し惜しみは正当化されることになる。
Japan 10y Bond Yield
 長期金利の方は、月初の言及に続く形でのマイナス金利政策撤廃の前倒しにベットするショートが軒並みカバーさせられたため一時0.5%に近付いた。本ブログは日本の長期金利が1%を大きく超えることはないと一貫して主張してきたし、逆に10月会合の後、0.5%より内側まで低下する理由もないとしている前回の記事でも述べたように、日本の政策金利の今サイクルでの0.5%以上への引上げリスクを考慮する必要は基本的にない。そして前回の時点よりも更に諸外国のインフレ終息とFed pivotが明瞭に見えてきたため、かなり長期にわたって日銀の政策金利が0.5%を上回ることがない世界を真顔で想定する必要がある。「日銀がこれから利上げサイクルに入るのだから長期金利は1%、2%とどんどん上昇する」といったナイーブな懸念はかなり長期にわたって不要になりつつある。

 今後の長期金利の動向は将来の政策金利パスよりも日銀のバランスシート政策(が規定する買入れフローを含む需給)により依存すると考えられ、買入れペース下限を規定する「オーバーシュート型コミットメント」を前回の記事では金融政策正常化の障害のラスボスと表現した。オーバーシュート型コミットメントを忠実に守るならば、2024年度に国債の発行が減少することと合わせて長期金利をかなり強力に抑制することになる。2016年9月に導入されたYCCは誰がどう見てもマネタリーベース拡大を止めるためのレトリックであるが、それまでマネタリーベース拡大によるインフレ実現を目指していたリフレ派への配慮で同時に導入されたのがオーバーシュート型コミットメントであり、歴史的経緯だけ考えると、審議委員からのリフレ派の駆逐が進む2023年時点では不要になりつつある。やや屁理屈になるが、日本銀行の声明文によると金融緩和自体は「賃金の上昇を伴う形で、2%の物価安定の目標を持続的・安定的に実現することを目指す」ものとガイダンスされているが、オーバーシュート型コミットメントのガイダンスは「マネタリーベースについては、消費者物価指数(除く生鮮食品)の前年比上昇率の実績値が安定的に2%を超えるまで、拡大方針を継続する」となっており、賃金の上昇は継続条件になっていない。CPIの実績値は既に20ヶ月連続で2%を超えているため、賃金つまり春闘云々と関係なくマネタリーベース拡大方針を撤廃しても理論上は全く問題ない。それが「条文の削除」という形を取るか、条文を残しながら「実績値が2%を安定的に超えたためマネタリーベース拡大方針を転換」と公表する形を取るか、それとも黙ってステルスQTに入るか、複数の選択肢がある。リフレ派が「実際には降臨しない神」として崇拝してきたインフレがマネタリーベース拡大以外のルートで降臨したため、インフレは目指すべきものである、マネタリーベース拡大によってそのインフレを目指すことができる、の双方が間違いであったことが分かっており、見るべきものがもはや何一つ残っていない。

 0.5%以上への利上げがなくなったと唱える本ブログでも、マイナス金利政策撤廃自体への確信が揺らがないのは、マイナス金利政策もYCCと同様の「非常時の非伝統的な金融政策」であり、その撤廃がプラス域の利上げより遥かにハードルが低いためである。冒頭の「フォワードガイダンスの罠」論の引用を思い出すと、マイナス金利政策とマネタリーベース拡大方針についてはこれと言ったアナウンスがない状態でも引続き撤廃の自由度がそれぞれ残っており、その順序についても日銀は極力言質を与えようとしないだろう。非常にプラグマティックに勘繰ると、極端な円安に振れそうになったらそれらを撤廃し、過度な円高に振れそうになったら残すというフリーハンド運用を可能にしつつ、長期金利0.5%以下の低金利局面での大規模な国債買入れをもなるべく回避するように日銀は動くだろう。である以上、ドル円の150円より上で為替相場がアンコントローラブルになる可能性はどんどん低下しているし、一方で過度な円高(昔なら100円割れのイメージだが130円割れあたりまでハードルが上昇してきたか?)も止めようと思えば止められる、そして長期金利は引続き1%以内での安定した推移が続くと思われる。
BOJ Japan and US Neutral Rate
 余談となるが、すっかり忘れ去られている「金融政策の多角的レビュー」に関する第1回ワークショップで日銀企画局が日米の自然利子率のチャートを作成しており、そこでは米国は直近で短期的に上昇していると認めているが、日本については依然過半数のモデルでマイナスになっており、将来コアCPIが物価目標の2%近辺で継続する場合でも政策金利は1%台で均衡し、未達に戻るなら「中立金利?何それ」で終わるだろう。

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この記事は投資行動を推奨するものではありません。