先進各国のインフレ退治の金融引締めで実質成長が一斉に抑圧されてきた中、2024年に入ってから米国の実質GDPコンセンサスだけが急に景気後退スレスレから盛り返し、一転して実質2%成長に戻っている。これは――日本は言うまでもなく――欧州と並べても飛び抜けて高く、米ドル全面高に繋がった。米国だけがどうやら景気後退の回避に成功(ノーランディング)したらしい背景はAI需要が招いた半導体産業の活況、財政出動を伴う工場建設ブーム、一向に失速しない個人消費などが挙げられる。
市場参加者やエコノミストの予想がガラッと変わったのは米国の製造業景況感が2022年に金融引締め以来の低迷から反発し始めたためである。現在のGDPデータはバックミラーのデータでしかないが、製造業の景気サイクルが底を打って再び回り出したとなると、現在のGDP水準が巡航速度になってしまう。それでもFedは昨年12月に遠くない利下げを示唆して以来スタンスを変えようとしなかったことが債券市場の最後のアンカーになってきた。債券市場のアンカーが健在な限り、実質成長が堅調なのはグッドニュースということで1~3月にかけて株式市場は債券市場を無視して堅調に推移してきた。しかし4月に入って6月利下げに時間切れ感が漂い、債券市場のアンカーがいよいよ外れ始めたことで株式市場も不安定化した。米国だけがどうやら好況に戻ってきたらしい中、他の先進諸国はそうでもないため、Fedが見せ始めた高金利長期化の動きに対して諸外国の中央銀行はFedに付いて行くか、脱落かの選択に迫られた。
米国の利下げ後ろ倒しを無視するECB
ユーロ圏は長らく米国より成長が弱くデフレーショナリーだったが、ウクライナ戦争の戦場に近いため食料品やエネルギー価格の高騰の影響が大きく、FedとECBのどちらが先に利下げサイクルに入るかは微妙なところであった。伝統的にECBはFedより金融政策サイクルが先行しない傾向もある。しかし2024年に入って米国との成長とインフレ両面の格差が顕著になるにつれ、金融政策でも欧州の脱落が決定的になった。3/21に一足先にインフレ目標の2%を達成したスイス中銀がサプライズで利下げをカチ込むと欧州の早期利下げは時間の問題になった。4月ECB理事会では将来の金融政策はデータ依存としつつも「必要な決定を下す際、全ての部門のインフレ率が2%に戻るまで待つつもりはない」と早期利下げを正当化した。記者会見ではラガルド総裁が「ECBの金融政策はFedに依存しない」「欧州経済は米国経済と様々な面で違う、中国などの影響も受ける」と、たとえFedの利下げが遅れてもECBの利下げサイクル入りは影響を受けないと示唆した。
そうなると気になるのは為替レートであり、ECB理事会の記者会見の時点から米欧金融政策の完全な乖離がユーロ安を招く懸念が提起された。ラガルド総裁はそれに対し「輸出物価へのインパクトは注意深くモニターする必要がある」としつつ「ECBは為替レートをターゲットにしない」と原則として放置を宣言した。米欧の金融政策の乖離を受けてユーロは対ドルで豪快に売られた。
日本の通貨防衛
日銀も米国の高金利政策長期化を無視する道を選択した。本ブログではかねてからドル円の150円以上での推移は日銀に「為替介入としての金融政策」を迫るものであると述べてきたが、実際円安の進行に伴い日本の債券市場でも早期利上げ加速観測が高まった。そこまでは自然な動きであるが、なぜか財務省が急なマイナス金利撤廃についてカンカンに怒っていたようである。「次はこんなに甘くない。日銀は(追加利上げの)タイミングを探すのだろうが、しばらく死んだふりしたほうがよい」などという映画の悪役の捨て台詞みたいな財務省幹部発言も新聞に掲載されている。それならドル高円安は日米金利差というファンダメンタルズに沿ったものであり、同じ財務省が円安に対してもカンカンに怒るようでは、一体どのような金融政策観を持っていたのかということになる。
結局、4月会合で日銀はバランスシート政策も含む全面的な現状維持を決定した。毎回引締め策を打ち出すわけにはいかないのでポーズの会合が存在するのは自然だが、記者からの円安対策を求める質問攻めに対して植田総裁はディフェンスしなければならない。何も毎回真面目に回答する必要もないのだが、コミュニケーション重視の植田総裁が政策変更の時は政策変更の理由を、据置きの時は据置きの理由を真摯に語ってしまうため、市場参加者の近い将来の金融政策に対する見通しが会合ごとに振り子のように大幅にブレる結果を招いてきた。せっかく前回会合で円安が物価上昇に大きな影響をもたらす場合は金融政策の変更もあり得ると「為替介入としての金融政策」に向けたロジックを用意したのに、記者に重ね重ね問い詰められたところ「今の円安が基調的な物価上昇率に大きな影響を与えておらず、無視できる範囲だった」旨の回答をしてしまい、これは「為替介入としての金融政策」を否定するものだったため、会合後から翌週のGW入りにかけて円安が加速する結果になった。これは失言と広く評価されており、植田総裁は後日「過去の局面と比べて、為替の変動が物価に影響を及ぼしやすくなっているリスクがあることは意識しておく必要がある」と反省文の書き写しのような発言をさせられることになった。
アンコントローラブルになった円安に対し財務省はGW最中の4/29に円買いの為替介入を行わざるを得なくなった。為替介入に用いられた資金額は5兆円程度だったと言われている。続く5/2の早朝に再び3兆円程度の為替介入を行った。為替介入と外貨準備の話になるたびに「外貨準備のうち為替介入を使えるのは米ドル預金の〜兆円であり、それ以外の米国債を取り崩すのは難しい」という勘違いが流れてくるが、本ブログがかつて取り上げたように一昨年の為替介入でも財務省は真っ先に米国債を売却しており、米ドル預金には手を付けてもいない。これは基本常識であり、ここを取り間違えるような記事はそれ以上読む必要がない。
米国の対同盟国ドル高容認
日本だけでなくアジア諸国もドル高に伴う自国通貨安の対応に苦慮している。日本の為替介入の少し前に日韓米で急速な円安、ウォン安を懸念する共同声明を出している。もっともしばらく後にイエレン財務長官は「為替介入は極めてまれで例外的な場合に限定されるべきだ」「足元のドル高については米経済の強さと金利の高さを反映したもの」と発言している。本邦財務省の為替介入の後も同じコメントを繰り返した。要するにイエレンは日韓両国の為替介入の打診に対してあまりいい顔をしなかった、と広く受け取られた。それが為替介入を恐れない円安進行の背景の一つになった。
米国が米ドル高・同盟国通貨安を是正しようとしないのは自然である。家計も企業も長期固定金利調達を固めてしまったがために利上げが実体経済にあまり効かない中、ドル高は貴重な引締めパスだからだ。その一方でイエレンは中国に対してはデフレを輸出しないように釘を刺してきた。その流れでは人民元の切り下げは当然許容されないため、米中金利差が拡大する中でも人民元はアジア通貨の中で珍しく妙な安定を見せている。米国のインフレの後半は中国からのデフレ輸入の拒否(デカップリング)という国策が招いたものであり、それだけに高々インフレを理由に国策を変える可能性は低いが、一方で米国へのデフレ輸出の役割は徐々に同盟国に求められるようになる。同盟国の視点では自国通貨安を通して米国のインフレをシェアするということである。
同盟国が鍵を握る資産価格
インフレ・シェアリングは重要な不確実性を内包する。同盟国にもインフレ目標があるからだ。既に豪州などでは既にドル高・豪ドル安が物価上昇の減速を阻害している兆候が出てきた。もっとも豪州は小さな経済体と小さな債券市場であり、RBAが「通貨防衛としての金融政策」を発動したところで大した影響はない。先進国の債券市場のアンカーはECBの夏までの利下げサイクル入りと日本の「緩和的な金融環境の継続」であり、日欧までが「通貨防衛としての金融政策」に踏み出すとアンカーが一気に引き抜かれる。2022年のインフレ局面で本ブログは「EPSは名目値なのでたとえ高インフレ下で実質ベースで景気後退に陥っても大して低下しない」可能性を提起してきた。同じ理屈で現在の緩やかに高いインフレと高い実質成長の組合せ、すなわち名目ベースの超高成長は株式にとって強い追い風になる。今こそ遠すぎて見えないものの、一旦金融引締めが効き始める場面になると実質成長とインフレは同時に低下するため名目成長も急減速しやすい。そうならないようにFedがソフトランディングを目指して金融政策をコントロールしているのだが、同盟国の通貨防衛的な引締めがそこまで器用になれるはずがない。1980年代後半、米国の「緩やかなインフレと堅調な実質成長の組合せ」でEPSへの期待が発散して株式が猛烈に買われたところ、ブンデスバンクが先進国の協調緩和から抜け駆けして利上げを始めたのをきっかけで米株市場が大暴落(ブラックマンデー)を起こした。
仮にFedがこれから「年末までに1回以上の利下げ」のちゃぶ台をひっくり返した時、同盟国の「通貨防衛のための金融政策」との共鳴がその影響を増幅することになる。それがFedが「いま必要なのは利上げ」といった愚かしい極論を全く黙殺している背景であり、Fedはその点に関して安心感がある。5月FOMCの記者会見はまるで植田日銀の記者会見のような雰囲気になった。つまりインフレのラストワンマイルの退治に懸念を呈する記者の集中砲火に対し、今の金融政策は十分引締め的であり利上げの可能性はほとんどない、とディフェンスして回る形になったのである。FOMCで一方通行な米ドル高の勢いが削がれたため金融市場の緊張感は少し和らいだものの、今後も強烈な米ドル高トレンドが再開するとリスクオフのトリガーを引きやすいだろう。なお当の米国も通貨防衛的な引締めを迫られるのは原油とゴールドの高騰が止まらないケースであり、その場合ニクソン政権が金本位制のアンカーをぶっこ抜いた1970年代の再来も笑い事ではなくなるが、今のところ米ドルの信認は損なわれていない。
結果的に財務省は為替介入を押し通すことに成功した。筋論としては他の同盟国も高金利に苦しみながらインフレに対抗している中、一人金融緩和を継続しておいて自国通貨の買い支えを為替介入で行うのは正しくはないが、財務省に代わって日銀が「通貨防衛のための金融政策」を発動するよりマシである。イエレンがどうやらいい顔をしなかったらしい中でも、財務省は――2022年11月に続き――FOMCが債券市場を追いかける形で発作的にタカ化する可能性を排除するのに十分な情報収集を、米国側のカウンターパートとの協議の中で行うことができ、その情報を元にFOMC直前に為替介入を決断したものと推測される。その手の神通力が生きている限り、財務省の為替介入から悲壮感は漂って来ない。日銀の為替介入の敢行は、揺らぎかけた先進国の債券市場に再びアンカーを与えた。日本国債市場発の「通貨防衛としての金融政策」ショックの可能性が一気に薄れたからである。我々が次に注目すべきなのは伝統的に空気を読まないECBである。今のところ、日本の為替介入から始まり5月FOMCが追認した債券市場のリアンカリングは阿吽の呼吸で進んでいるが、もし揺るぎないはずの夏までのECBの利下げサイクル入りが何かの拍子で危うくなった時、世界中の資産価格は激しいストレスに晒される可能性がある。
新興国は元々経済が弱いのに加え、先進国と違って中国からデフレを輸入できるのでインフレの鎮火は早く、にもかかわらず通貨防衛的な金利据置きを余儀なくされている。インドネシアなどは純粋な通貨防衛のための利上げに踏み切った。一時的にアンコントローラブルに見えた円安は「通貨危機」と表現されがちになったが、同じ通貨安でも対外純資産を潤沢に持つ日本などよりも、米ドル建て債務もある新興国の方が遥かに通貨危機に近い位置にいる。1997年のアジア金融危機と2015年のチャイナショックがそうだったように、経験上、ドル高局面で円が節操なく下落するとアジア通貨の下落圧力も増大する。米国は財政政策に後押しされたリショアリングで最も高インフレ・高成長であり、リショアリングがない欧州は米国より名目成長が遥かに弱く、更に後方に中国からデフレを輸入する新興国が続き、最後に中国自身がデフレ最右翼に鎮座する。この物価圧力の不揃いは人為的なグローバル化の阻害によって生まれたものであり、各国の金融政策を神経質なものにしている。
要約
・2024年に入って米国と諸外国の成長格差が極端なものになる懸念が浮上・Fedの高金利長期化に対し、諸外国の中央銀行は付いて行くか脱落かの選択に迫られる
・日本は金融引締め加速を選択せず、通貨安圧力を為替介入で凌いだ
・ECBは今のところ脱落を選択し、ユーロ安を放置
・日本の為替介入は世界中の債券市場の安定化に貢献。ECBの変心が大きなリスク
・米国は米ドル高を原則として放置。極端なドル高進行は資産価格の大きなリスク
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この記事は投資行動を推奨するものではありません。