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GS Gold Demand
BofA net central bank gold purchase
Bloomberg ETF Gold Selling vs Central Banks Buying
 本記事は「常に政治色が強かった資産ゴールド (前編)」の続きとなる。2020年代に急に実質金利耐性まで付けたゴールドの需要側を整理すると、ジュエリー好きの国々の購買力の増大によるものはあるものの、ゲームチェンジャーというほどではない。ETFなどの投資家はスタグフレーションが遠く、実質金利も高止まりしているため経済的な判断から売り一色である。それらを吸収するほどの圧倒的な買いフローをもたらしたのは中央銀行コミュニティである。
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 世界中銀の外貨準備の脱ドル依存とゴールド・シフトは21世紀に入ってから淡々と続く流れであるが、2022年以降に一段と進んでおり、外貨準備に占めるウェイトはユーロを超えた

金の経済制裁耐性の発現

Russia FX reserve
 基軸通貨の覇権を蔑視し、その濫発を絶対的な高所から監視するゴールドは常に政治性を持つ資産である。それだけに基軸通貨の上で成り立つ資本主義社会を素直に認めたくない人々の間でゴールドは熱狂的な人気があるが、国家単位になっても同様である。2022年に始まった特別軍事行動は誰がどう見ても壮大な愚行であったが、そこで唯一の見所とも言える好手はロシアが2014年以来、西側による経済制裁の危険性を予期し、コツコツと外貨準備の米ドル保有を削減し、代わりに西側の制裁から隔離されそうな人民元とゴールドに振り替え、更にゴールドは全てロシア連邦国内に物理的に保管したことである。
Russia Gold Reserve
 脱米ドルを進めておいたおかげで、ロシアは外貨準備の約半分を西側の経済制裁から守ることができた。外貨準備が凍結された以上、戦費調達のための金準備放出の可能性も想定できたのだが、米英当局はロシアが保有する金塊にまで経済制裁をかけており、また現実的にロシア国境まで出向いて金塊を受け取るのも効率が悪いので、よくも悪くもロシアの戦費調達は金塊放出では大々的に行われなかった。
macrobond share of SWIFT payment
 外貨準備のもう半分については、恐らく2014年あたりに「将来の米国のロシア制裁に欧州は同調しないだろう」と考えてユーロを残していたのが明らかに誤算であり、EUへの甘えのおかげでロシアのユーロ外貨準備は今も凍結されたままである。SWIFTにおける決済シェアでユーロの地位は大幅に低下した。ユーロ決済のモチベーションのうちの大きな部分は「米ドルを使いたくない」が占めており、端的に言えばそれは――SWIFTから排除された――ロシアの需要だったからである。米国の経済制裁から免れる手段にならないなら通貨ユーロの地位は今後も低下するだろう。国際貿易における脱ドル化は進みそうにない。資金調達でも同様であり、米ドルを借りるのをやめられない国々が脱ドル化など百年早い。しかし金準備だけは別格である。貧しすぎて金準備を積めなかった時代はあっても、積んだ金準備を換金できないせいで貧しかった時代は過去なかったのである。脱米ドルの試みの行き先は非米国家の法定通貨ではあり得ず、ゴールドか米ドルか、しかないのである。

中国外準のゴールドシフト

Nikkei Treasury Holding by country
Bloomberg share of Gold in China's Official Reserves
 元より台湾問題を抱える中国政府は「次は自分の番」と思ったに違いない。巨額の外貨準備を保有する中国政府にとって「西側による資産凍結」リスクが顕在化した2022年はロシアにとっての2014年に等しい。中国政府は直ちに行動を起こし、元より低迷気味だった外貨準備での米国債保有は急速に減り始めた。その低迷気味だった中国を追い越して米国債の保有トップ国になった日本も2022年になると通貨防衛のための為替介入を余儀なくされ、買支えどころではなくなった。代わりに3位のイギリスが急増しているがこれは金融市場の投機筋とも、原油高騰を受けた中東オイルマネーの資金還流と言われている。中国も同じ米国債でも少しでも凍結の可能性が低いルクセンブルク等に保有を移しているとも思われ、米財務省が統計する米国債の保有国推移は必ずしも実態と一致しないが、とにかく中国は外貨準備を露骨に米国債からゴールドにシフトしたこの過程は米国債の需給悪化要因として語られることもある。もちろんマージナルにはそうだが、米国債市場における中国外準の保有シェアは既に大きくなく、例えば中国外準がこの10年間で削減した米国債は0.5兆ドルであり、米国債残高に占めるウェイトは1%台である。中国の銀行、企業が保有する外貨プールも外貨準備と同程度の規模があり、こちらは一応私有財産保護という西側の建前から国家機関の外貨準備より凍結されづらく、従って外準ほどは政治的リスクを優先して動く必要がない。米国は二度の世界大戦で新興債権国として圧倒的な金準備を入手し、それによって米ドルはポンドを押しのけて基軸通貨になった。中国も同様に圧倒的な貿易黒字から巨額の外貨準備を積み上げたものの、ただ凍結される恐怖が増しただけだった。金準備を重視しなかったせいである。

グローバルサウスと先進国中銀の金準備

GS Central Banks Gold Net Purchase
GS Central Bank net Gold Purchase
 グローバルサウス(中国を除く新興国)諸国も「ロシアのように他国を侵略さえしなければ経済制裁を受ける心配をする必要がない」などという殊勝な考え方をすることはない。冷戦終結以来、平均的な新興国の視点では遠く離れたロシアからロシア軍が戦車を乗り付けて来る危険性よりも、人道的介入や民主化の推進などを理由にNATO軍やら有志連合から空爆や巡航ミサイル攻撃を受ける危険性の方が遥かに高かった。それがロシアがウクライナの大地をキャタピラで蹂躙するのを見ても新興国の大半が無感動だった背景でもある。軍事制裁でさえそうなので、経済制裁や資産凍結は更にカジュアルに受けるに違いない。西側のロシアへの経済制裁は西側自身の法定通貨制度の信用に小さな穴を開けたとも言えるだろう。もちろん、実際に新興国の金準備積み増しのシェアの大半を占めるのは中国当局である。
Top10 countries by Gold Reserves
SG DM and EM in Central Bank Reserves
 先進国中銀は今更ゴールドの積み増しに興味を示していない。ストックベースでは世界中の金準備の大半は既に金本位制時代があった旧列強諸国が保有しているからだ。イギリスは第二次世界大戦後のイギリス病時代に国際収支の赤字をファンディングするためにブレトンウッズ体制の下で金準備の大半を手放し、1990年代で最後の金準備の大半を歴史的安値で手放した「ゴードン・ブラウンの金売却」でとどめを刺された。米国はベトナム戦争の戦費などで金準備を使い果たす可能性があると見るとニクソン・ショックで金本位制を放棄しして金準備を温存した。フランスはド・ゴール時代からその米ドル基軸通貨制を信用せず金準備の保全にこだわった。ドイツは伝統的にインフレへの警戒心が強く、また輸出主導型経済だったので金準備を難なく維持できた。新興国のゴールド積み増しが目立つのはあくまでもキャッチアップのフローである。冷戦終結後に外貨準備の大半を米ドル資産で積み増したのがナイーブだったのである。金準備に占める先進諸国の保有比率は徐々に低下しているもののいまだに6割を超えており、東側では中露合わせても1割程度である。特別軍事行動が世界を再び東西に分けたとすれば、西側諸国が法定通貨の決済を支配するのに対して、BRICsをはじめとする東側諸国が原油と金という実物資産の値動きを振り回しているが、実物資産においても東側は牛耳れるほどの影響力を持っているわけではない。

中央銀行以外の動き

China people
Chinese Gold Imports
WSJ Global Annual Gold Demand
GS Gold and China easing
 中国人民銀行に後追いする形で人民もゴールドに殺到した。中国では人民が過剰貯蓄を政府の給付金に頼らず自力で積み上げているが、先進国と真逆にパンデミック後に成長減速を受けて低金利政策(金融緩和)が続く。しかし中国株及び中国不動産にだけは悲観的になったので投資先選定に迷走している。日本株QDIIファンドへの殺到も以前に取り上げた。迷走の一環として法定通貨になり得ないほど希少で、伝統的に富の象徴だったゴールドに殺到するのは不思議ではないゴールドが米国の金利上昇に耐えて上昇したのは不思議に見えるが、中国の国債金利と並べると自然にも見える。中国はデフレなので株式や中国にしか需要がない贅沢品に投資するのは非合理的であり、債券は利回りが低すぎる。デフレの人民元は対米ドルで高騰する可能性がほとんどない、実質的に固定相場制の通貨であり、従って「米ドル世界のインフレの象徴」であるゴールドは計算上は対人民元でも高騰するに違いないと思われ、にもかかわらず低金利が続く人民元は、米ドルに代わってゴールド買いのファンディング先になったわけである。実物の金も人気になったし、上海先物取引所(SHFE)でのゴールド先物取引も急増した
Gold speculator positioning
Bloomberg HF Gold Future Position
 人民のゴールドへの殺到を検知したヘッジファンドまでがゴールドの上値追いに加わった上海先物取引所のトレードの多くが夜間に集中しているため、必ずしも人民のレバレッジ取引ばかりではないとの観測もある。インフレが収まらないトレードや景気後退トレード(スタグフレーション気味のトレード)としてのエントリーもあるだろうが、それがたとえ今まで上手く行ったとしても偶然であり、ゴールド市場のメインテーマはあくまでも東側の脱ドル化と東側の金融緩和のスピルオーバーであるはずだ。

梯子を外し始める中国人民銀行

China SAFE Gold Reserve since 2022
 新興国の外準脱ドル化は息の長い過程になるはずだが、決済の脱米ドル化と同様、定期的に限界にぶつかるとの観測もできる。肝心の中国人民銀行のゴールド保有量は中国国家外貨管理局(SAFE)が毎月発表しているが、2022年11月に始まったこのゴールド購入プログラムは2024年4月まで18ヶ月連続で続いた。しかし2024年春以降明らかに勢いが落ちており、2024年5月にはついにゼロになってしまった。5月分が公表されたのは6/7の夕刻でありゴールド価格は下落した。ここまでの相場を引っ張ってきたリーダーが梯子を外したことは、ゴールド市場にとって大きなネガティブ材料になる。中国当局の意図には憶測の余地があり、ただ高いから追いかけるのをやめただけとの観測があり、従って調整したら再開するだろうとの声が聞こえるが、実際に再開を見るまでは何とも言えない。

 米国の実質金利が今後低下余地しかないのは事実だが、そもそもゴールドがここまで実質金利上昇に逆らって急騰したのは主に中国当局のせいである。ファンダメンタルズだけ見ると景気後退とインフレ高騰のいずれも遠く、ゴールドのサポートは乏しい。米国の景気減速が明瞭に確認できるか、中国の積み増し再開を実際に確認できるまでゴールドの上値余地は限定的になるのではないかと思われる。ただでさえ遠い中、景気減速~金融緩和への再シフト(pivot)だけなら何も投機筋が群がった後に梯子を外された後のゴールドではなく、素直な米長期国債投資で表現できるだろう。長期的には前編で述べたようにゴールドの価値保存能力は紙幣の比ではないし、新興国中銀による金準備の積み増しも短期的なトレンドではない。その上で本ブログはゴールドを長期投資の選択肢に入れつつ、その長期投資のスタート地点として「今」がふさわしいとは判断していない。ポスト2022レジームで長らく金価格のアンカーであり続けた2000ドルを再び割り込むほどの調整は見込んでいないが、中国人民銀行の次の金準備積み増しを確認できるまで、2000~2400ドルの領域内で停滞が続くのではないか。

金ETFとそのトラップ

1540
 当局の「陰謀」を警戒したいとしても、我々一般投資家は何本も延べ棒を買って家で保存できるわけではないので、現実的には気軽なゴールド投資は投資信託かETFから選ぶことになるだろう。世界最大のゴールドETFはステートストリートが運用する "GLD"とその低手数料版"GLDM" であるGLD/GLDMは現物の金を裏付けとしており、HSBCの貴重品保管室に延べ棒を保管している(*GLDMはJPM)。東証にはGLDの日本版1326と三菱系の1540純金上場信託などが上場している。1540は三菱商事と三菱UFJ信託銀行が日本国内の倉庫にゴールド現物を保管しており、まとまった額で現物化を申し込むと(手数料を取られるが)三菱商事が延べ棒を引き渡してくれるそうだ。本ブログは商品投資の専門家ではないのでそれ以上のETF銘柄選択や保管スキームの検証手段がないし、極端な政治・経済環境で金ETFが金塊と同様に価値を保存できるかどうかについても知る手段がない。純粋なマーケット参加者の視点から最も気を付けるべきなのはゴールドETF価格とフェアバリューの乖離である。4月のゴールド急騰局面では日本国内の小さな金プールを保有する1540に資金が一気に殺到した結果、金塊の追加入庫を伴うと思われるETF新規設定が上場株ETFほどはスムーズにいかないため、上場価格が一時フェアバリューである一株あたり純資産対比で10%以上も上方に乖離した。1540純金上場信託の運用者は基準価格と市場価格の乖離についてのアラートを出すことになった。金ETF投資ではこのようなトラップを回避するよう留意すべきであり、常に指標価格と市場価格の照合が必要である。プールが大きいGLD/GLDMは流動性がより高いため、似たような事象は今回起きなかった。従ってゴールドに資金が殺到しETF玉の争奪戦になっている局面では、プレミアム状態の小さな金プールを追いかけなくても、大きな金プールに投資する選択肢もあることを想起すべきだ。逆にプレミアムが付いていない局面では次の急騰時のプレミアムを狙うことがフリーオプションになるので、あえて小さな金プールに投資し、いつか急騰した際のETF玉争奪戦で濡れ手に粟を狙う発想もあり得るだろう。

要約

・2022年以降のゴールドの急騰は中央銀行需要が主力
・新興国の中央銀行需要の背景にあるのは経済制裁の回避能力
・既存のETF投資家はゴールド売り一色、スタグフ懸念の低さを象徴
・長期的にはインフレヘッジ機能と新興国の金準備積み増しは続く
・中国人民銀行の金購入は5月に停止、短期テーマとして旬が過ぎた
・投資開始は少なくともPBOCの積み増し再開を確認したい
・米国のFed pivot単体なら米国債投資で代用可
・現物ETFは上場株ETFほど裏付け資産とよく連動しないことがある

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この記事は投資行動を推奨するものではありません。