バンピーなCPIと利下げ織込み

Nick Timiraos US CPI
Nick Timiraos US PCE
 2024年に入って米国のCPIと利下げ織込みは右往左往が続いた。残念ながら2023年中の利下げ転換(pivot)はなかったが、12月FOMCで再び利下げ開始に含みが持たれ始めると利下げ期待が一気に再燃し、短期金利市場は一時的に2024年中6回利下げまで織り込んだ。2024年年初の時点ではヘッドラインCPIの3ヶ月平均が年率2%に到達し、コアCPIも2%半ばペースまで一時的に減速した。物価目標で用いられているPCEに至ってはヘッドラインが3ヶ月平均が年率2%を大きく割り込み、続いて6ヶ月平均でも年率2%に到達した。コアPCEは3ヶ月平均も6ヶ月平均も物価目標の2%に到達した。そのペースがもう数ヶ月続けば物価目標達成ということで利下げが差し迫っているように見えたのである
Reuter Fed cut pricing
 3ヶ月平均年率や6ヶ月平均年率は前年同期比と違ってベース効果を排除できる代わりに単月のデータの影響を受けやすくボラティリティが大きい。2024年に入ると一転してCPIとPCEは上向きに転じ、それが「中国補助金の春」とも共鳴する形になったため、市場参加者のインフレ減速への確信が大きく揺らぎ、利下げ織込みも一気に遠ざかった一転して「年内利下げなし」や「次は利上げ」といった極論が飛び交い始めたFed内部でもこれらの極論に影響される高官が出始め、6月FOMCでは3月FOMCの年内3回利下げだったメディアン・ドットが――年内2回に後退するとは広く見られていたが――年内1回まで大きく後退することになった。年内利下げなしの極論が4票まで増えていたためである。
BofA Market pricing of Fed cuts 2024
 極論が一通り飛び交った後、肝心の物価自体は5月以降に再びクールダウンしている。CPIやコアCPIは再び3ヶ月平均で年率2%を、昨年末以上に派手に割り込んでいる。6月FOMCで「今年1回利下げ」がメディアンになったので2回以上の利下げを織り込むのが困難と思われたが、4,5,6月分のCPIのクールダウンが明らかになると再び2回の壁を突破した。

パッシブ・タイトニング論

 物価目標と関係ないCPIはともかく、PCEも年率2%ペースが見えていないのに、これほどまでに執拗だった市場参加者の利下げ織込みの根拠は何だったのか。ボスティック総裁は今年初頭に「パッシブ・タイトニング」という概念を提示したことがある。政策金利の引締め効果が政策金利とインフレ率の相対的な関係で決まるとすれば、インフレが着実に減速する中、政策金利を一定に維持するなら引締め効果が更に強まる。つまり引締め効果を一定に保つにはインフレの減速として平行して調整利下げを入れるということになる。同時期にウォラー理事も、急速な利下げを余儀なくされた過去のケースと今回の利下げは違うと強調しつつ、「引締め具合を一定に維持するために政策金利を引き下げることが可能」と同様のロジックを提示した。もちろんそれが実現するには過去の引締め具合が足りている、つまり既にインフレが2%巡航に着実に向かっていることが前提である。既に政策金利が低すぎるなら当然利下げどころではなくなる。

 これほどまでの利下げ織込みのブレが観測されたのは、サイクルを当てることを放棄したFedが「予断を持たずにデータ依存」を宣言している以上、個々のデータから敷衍していくしかないためである。更に、中立金利の考え方も必然的に利下げパスの大幅な不確実性に繋がる。つまりインフレ率が高ければ高いほど、それは金融緩和が効いていない=中立金利も高いことを意味するので、名目の政策金利はインフレ分と中立金利の上昇分を同時に引き上げなければならない。それだけに、一旦景気が減速してインフレが目標に近付いた場合、インフレ率の低下に加え、インフレ率の低下によって政策金利が中立金利より高かったことも同時に判明するので、名目政策金利を引下げる時も倍速になる。引締め期の最後になると、緩和が遅すぎたというビハインド・ザ・カーブ懸念が持ち上がらないためには政策金利を速やかに引き下げなければならないのである。

3回まで確実な利下げ

 「利下げ開始タイミング」があまりにもボラタイルなので、初回利下げ以降についての利下げパスの考察はあまり行われず、長期金利までが「2024年利下げ回数」を手掛かりにトレードされてきた。本来残り半年しかない2024年中の利下げ回数など長期金利にとって何のヒントにもならないにも関わらず、である。景気後退がない中の調整利下げという前提で議論を進めると、前例として1995年や1998年、そして2019年が挙げられるが、どの例でも75bpの利下げが行われている。調整利下げは景気後退時の利下げと違って喫緊性が薄いため、必ずしも連続利下げになるわけではない。もっとも数字だけで言うと、CPIやPCEの今の3ヶ月平均のペースがそのまま6ヶ月平均まで展延された場合、2%を割っているので十分、速やかな75bp連続利下げに値するだろう。逆に連続利下げがないと予想するには、CPIやPCEが7〜9月にかけてもう一回バウンスする必要がある。

 いずれにしろ、5.3%から75bpの利下げが行われれば、その時点で政策金利は4.55%となる。従って今後4%後半の長期金利が見られるとすればそれは「景気後退がない上、調整利下げの後に再利上げが続き、それが10年近くにわたって維持される」という極端な長期シナリオを織り込んでいる。それほどまでに4%後半は遠いのだから本来長期金利はもっと短期金利の高さを無視していてもおかしくないのだが、そんなにインバートしていないのは需給の悪さに由来するタームプレミアムと解釈される。金利カーブがインバートしていると長期債を買えないのは潤沢準備レジームが始まる前に現役だった世代の癖であり、言われたらそのまま無視してよい。

バンプがなかった雇用

Bloomberg US Employment and Inflation
Bloomberg supercore
Bloomberg US Unemployment and Initial Claims
 物価に加え、特に反発もせず減速の一途を辿っている雇用の方が早期利下げの決め手になりそうである。パウエル議長にとっては物価よりも雇用の方が若干、遅すぎる利下げを回避するためのロジックになりやすそうである。つまりFedが雇用を見て調整利下げを入れたいのが前提にあり、CPIのバウンスがその邪魔になるかどうか、という整理になる。もちろん雇用もリセッショナリーに急減速しているわけではないが、それでも利下げが早すぎるリスクを遅すぎるリスクが追い越しつつあるように見える。雇用には金融引締めが効いているのだから、中立金利が今の実質政策金利より高いはずがないのである。2024年に入ってから失業率は概ね毎月0.1%のペースで上昇してきたが、これが毎月0.2%ペースに加速した場合は政策金利は3回以上の利下げ、長期金利の4%割れが確約されるだろう。3回以上の利下げが決まっているならわざわざ何ヶ月もかける必要がないということで50bp利下げも見られるだろう。

いつの間にか9月利下げに

WSJ Williams
 7月に入ってウォラー理事が講演で状況を整理している。5月分から始まったインフレのデータは好ましいものであり、これらが続いた場合は「遠くない将来の利下げ」が正当化される。5月分以降のトレンドほどではないが物価目標から遠ざかるほどでもないデータが続くと利下げに不確実性が出てくる。2024年後半に再びインフレが急騰し、物価目標に向かって前進しているとも言えなくなると利下げどころではないが、その可能性は低いとウォラーは見積もっており、利下げは近いと結論付けている。もっともウォラーは同時によほどのショックがやって来ない限り利下げが9月か、或いは11、12月かは大した違いがないとも述べているが、いずれにしろその間には利下げが来るということでもある。同様にNY連銀のウィリアムズ総裁もWSJのニック・ティミラオスの取材において今年中のPCEが2.5%ペース、GDPが2%ペースの前提で、財とサービスの双方の物価が広範に減速していることを挙げ「全て適切な方向に動いており、かなり一貫している」とし、「パッシブ・タイトニング」の概念を用いながら、利下げは物価が2%まで回帰するのと最大雇用からのスラックが拡大するのを待つつもりはないと明言している。一部エコノミストが7月利下げ論を唱え始めており、ティミラオスもそれを総裁にぶつけているが、7月から9月の間の7週間で2回のCPIを含む多数の経済指標を確認できるので、それを待たずに7月利下げを見込む理由はない。

 常識的に考えてこのタイミングでFedは利下げをフライングで織込ませたくないはずであり、にもかかわらず早期利下げにまんざらでもない雰囲気の発言を受け――よほど夏の間に指標が変な方向に飛ばない限り――9月利下げは概ねダン・ディールになったと広く解釈されている。ここに来て――利下げ転換の妥当性はともかく――「Fedは今年利下げできないと思うよ」などと言って回っているようでは、経済指標も高官発言も金融政策の論理も追っておらず、頭の中に「株式指数が高いなあ」程度の材料しか入っていないということになる。

アップサイドの懸念

BofA Disinflation
FRED CPI PPI
 中期的にはインフレにアップサイドもある。ミシガン大のインフレ期待は徹頭徹尾役に立たなかったことが判明しているので無視してよいとして、中東の地政学リスクに由来する貨物コンテナ運賃の高騰も続いている。しかし2024年に入ってのCPIには遅行でもPPIの反発がほとんど反映されておらず、これはディスインフレーションのメインドライバーがサプライチェーン制約の解消から需要の制約にシフトしつつあることを意味しているのではないか。小売売上高も停滞しながらも崩れはせず、景気後退懸念は依然薄い。最大のアップサイドリスクは利下げサイクル入りに伴う不動産バブルと株式バブルの再開ということになる。
Bloomberg 5y BEI
 対照的に金融市場が織り込むインフレ期待は「中国補助金の春」のコブを乗り越えて再び2%に鎮火している。

実質GDPの2%ペース

Atlanta Fed GDP now and GS GDP tracker  
 本ブログが昨年の中小銀行経営危機直後から述べてきたように、長短金利のインバートは景気後退を示唆するものではなかった。実際、実質GDPは概ね2%ペースで推移しており景気後退からかなり遠い。数年単位でインフレが2%ペース、実質GDPも2%ペースを維持するなら、非常に雑に考えて名目長期金利は2 +2 =4%以上なら名目GDPを上回る。2024年の実質GDPは2%台がコンセンサスになっており、これは昨年時点のコンセンサスでは今頃リセッションに突入していることになっていたことを考えると隔世の感がある。もっともよく見ると1QのGDP成長率は前期比年率+1.4%であり、2QはGDPナウを見ると2%近辺に着地しそうではあるが、2Qが2%ちょうどになったとしても3Q, 4Qが再加速しないと通年で2%ペースにならない。その上で雇用も物価も減速していることを考えると、2%ペースを維持できない可能性もあるのではないか。ディスインフレーションは供給制約の解消に伴うものなら実質GDPにとってポジティブであるが、需要の抑圧によって起きているなら実質GDPは減速に向かうのではないか。それが「物価は経済の体温計」ということであるし、特にこれまでインフレの減速には経済の減速が必要と散々言ってきたのに、まさか現実にインフレの減速を見ても経済が減速していないと主張する人はいないだろう。物価目標は近い将来に達成するとして、実質GDPが2%ペースを維持できないなら、長期金利も4%台を維持できないだろう。

政治とスティープニング

GS US yield curve and probability of Republican winning
 11月にかけて政治的な不確実性が続く。もともと経済指標を確認する前から9月利下げ説が根強かったのは「パウエルFedは大統領選を前に景気をよくしておきたい」という政治的なストーリーもあるようで、9月利下げがなさそうと見ると今度は大統領選の11月をスキップして初利下げは12月と言い出すことになる。大統領選の存在も利下げ織込みの振幅の大きさの背景の一つであったようだ。逆にトランプ候補が現職を利する大統領選前の利下げに反対を表明したことは、利下げは現職の支援になるというナラティブの実在を示唆する。しかし、実際にFedが政治の影響を受けると考え出すとキリがないので、本ブログでは陰謀論としてあえて軽視する。分かっているのは、仮にトランプ二期目が爆誕すると一期目の経験から利下げ圧力がかかりやすいだろうということである。
Bloomberg US Fiscal Balance as share of GDP
 一方で2016年のトランプ・ショックの記憶から長期金利は上がりやすくなるとの声も根強く、従ってこれらを足し合わせた金利カーブのスティープニングが「トランプ・トレード」の一つと数えられている。しかし選挙は水物であり、今からトランプ二期目爆誕はともかくオールレッドの財政拡張によるタームプレミアム拡大までトレードするのはかなり気が早い。そもそもパンデミック時の緊急支出を除くと、トランプ一期目よりもバイデン政権の方がより財政拡張的であったことが、ここまでのインフレ退治を妨害してきたのではないか
Bloomberg 2-10y gap
 市場参加者がスティープニングを素直にトレードできたのはむしろ、Fedが指標に反応して素早く利下げ織込みを再前進させた結果でもある。5月分以降のCPI急減速と6月FOMCの2024年利下げ大幅後退が併存した局面ではポリシーフェイル・トレード、つまり7月FOMCまでの間にFedはビハインド・ザ・カーブであり、6月FOMCの間違いを認めるよう促す催促相場が来てもおかしくなかった。それはリスクオフに対する短期金利の硬直的なリアクション、すなわちリスクオフと金利カーブのフラットニングの組合せになっていたと思われるが、Fedがそれを回避して利下げ織込みの再前進を許容した結果、ポリシーフェイル・トレードを封じられたのである。WSJのニック・ティミラオスによると7月FOMCは今年初めての「次回会合での利下げについて現実的な議論を行う場」となる何もなければ7月FOMCでは初回利下げが差し迫っているとの示唆を発信するはずであり、逆に6月FOMCで年内利下げなしに投票した高官達との間で議論が紛糾したりゼロ回答になった場合、8月中は催促相場になりやすいだろう。

 利下げが近付いてくるにつれ、利下げ織込みの進行が(どうやら受難が終わった地銀や、ラッセルのショートカバーを除いて)ゴルディロックス的な株高にも繋がっていないのは、利下げは正しい時期に提起されたものであり、実際に近付くにつれてビハインド・ザ・カーブ懸念との闘いが見えてきたためである。一方、では過去の利下げのように「利下げが始まると逆に株式が暴落しやすくなる」ジンクスが効いてくるかというと、今回は過去のように景気後退対応ではなく、実質GDP 2%ペース下の調整利下げなので、そちらも信用に値しない。株式が「マイルドなインフレと堅調な実質GDPが合わさった極めて高い名目GDP」を理由に買われてきたとすれば、「インフレ引締めの効きはじめ」のタイミングでは物価、実質両面からの名目GDP減速が株式にとって逆風になりやすいだろうが、根本的に景気後退に陥るわけではないのでバリュエーション調整が済み次第平穏が戻るだろう。

要約

・利下げ織込みは散々CPIに翻弄されてきた
・利下げ織込みがブレるのはデータ・ディペンデントのせい
・物価目標達成前の利下げの根拠はパッシブ・タイトニング
・一旦利下げが始まれば75bpは確実、恐らく毎会合連続
・9月利下げはほぼダンディール
・失業率が前月比0.2%のペースで上がり始めたら50bp利下げも
・実質GDPが2%ペースを維持できなければ長期金利は3%台に回帰
・トランプ・トレードの金利上昇は限定的
・7月に9月利下げを示唆できればポリシーフェイル回避
・7月がゼロ回答ならリスクオフの催促相場へ
・調整利下げは景気後退・株式暴落の号砲にならない
・インフレを好感する株式投資ブームには一旦逆風も

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この記事は投資行動を推奨するものではありません。