ずっこけた日銀の6月会合
夏のテーマは「円安と日本銀行の二転三転」であった。日本銀行が3月会合でめでたくマイナス金利を撤廃した後、しばらくは新しい枠組み下の運営がそのまま続くと思われていた。しかし春から夏にかけて今度はバランスシート運営の方で二転三転した。オーバーシュート型コミットメントがゴミ箱に放り込まれたため、新しい買入れペースが「約6兆円」とされつつも、ある程度の裁量(縮小余地)ができた。そこで日銀が5月に国債買入れオペの買い入れ額を予定より減額してみたところ、当たり前だが長期金利はみるみるうちに上昇して1%を突破した。全面据置きの回だった4月会合での日銀の粗相に由来する円安が進行していたため、本ブログが推してきた「為替介入としての金融政策」と深読みする声も上がった。6月に入って植田総裁自身が参院財政金融委員会での答弁で減額方針を明らかにしたこともあり、市場参加者は6月会合での国債買入れ減額方針の発表を織り込み始めた。同時に7月利上げへの期待も高まった。果たして6月会合が近づくと恒例の日経新聞の2時のリークが入り、「国債買入れの減額と保有国債残高の減少の方向性で議論」することを示唆した。
こうして市場参加者は6月で国債買入れ減額が始まり、次の7月会合で利上げが続くというパッケージを想定しながら6月会合当日を迎えた。しかしそこでは盛大にずっこけた。6月会合で発表されたのは減額方針の決定のみであり、そこから「債券市場参加者会合を開いて国債買い入れの運営に関する意見を聞いてから減額計画を策定し7月会合で公表する」と実行を1ヶ月先送りしたのである。記者会見でさえ「なぜ"先送り"したのか」と容赦なく聞かれたようにコンセンサスより遥かにハト的な決定であり、そこから160円台まで円安が一直線に進行した。
これほど為替相場がハト・サプライズを許さない局面で、会合の決定事項がリークも含む事前のコンセンサスよりも後退したのは異常であり、背後で結論を曲げた圧力の存在を疑わざるを得なかった。思えば日銀が5月のサプライズ減額で国債市場で混乱を招いたのは事実で、そのままなし崩しに正式に減額方針になだれ込むようでは、仮に日銀に国債の安定消化を重視するような上司がいたとすれば――中央銀行は独立しているので当然いるはずがないが――もっと慎重な運営を求められても仕方ないところである。「市場参加者の会合を開いて意見を聞く」というプロセスも金融政策としては異色である。その異様なやり方をあえて考えたのは「仮に上司のような存在があり、その上司のような存在に対して国債市場の混乱を招くことはないと説明でき、またその圧力に対して民意を前面に押し立てることができる」ためと考えればすっきりする。もっとも繰り返すようだがそのような上司が実在するはずがない。植田総裁は記者会見では辛うじて7月利上げは買入れ減額とは独立でライブであると再確認したが、やはりこのスピード感と「丁寧さ」では到底7月利上げなど覚束ないという印象を抱かざるを得なかった。
再び日銀の後始末としての為替介入
日銀のオーソライズを得た形の円安はアンコントローラブル感が強まった。2023年までのドル高円安は日米金利差で概ね説明が付くものだった。しかし2024年入って明らかに日米金利差以上にドル高円安が進行した。その説明として最も分かりやすいものが新NISAが招いたキャピタルフライトである。新NISAによるキャピタルフライトというテーマは更に投機筋を呼んだ。
長期金利差で見ると日本国債金利の上昇(スティープニング、タームプレミアム拡大)と米国長期金利の低下でもっと縮小しているが、まさか米国の長期債と日本の長期債を長期金利差を見ながら為替取引を伴う形で、言い換えればタームプレミアムのために為替リスクを取ってアロケーションを変更する債券投資家が多くいるとは思えず、為替レートは究極的には政策金利差、せいぜい近い将来の政策金利差を予想する短期金利差に連動する。6月に入ると日米金利差とドル円の乖離は極まってきた。これまで為替介入を指揮してきた神田財務官の7月末付の退任も介入警戒を剥落させる結果になった。
日米金利差から乖離した円安に対して11日夜に再び財務省は為替介入を敢行した。この日21:30に米国CPIが発表され米金利が大きく低下し、ドル円も下落した。15分以内に財務省は為替介入を決断した。2022年の為替介入の一部始終を覚えていれば、2024年の為替介入が2022年と全く同じパターンを辿っているのを瞬時に理解できたであろう。まず一度は値動きそのものに対して逆張りの防衛介入を行い、逆張りなので一旦は最高値を更新される。二弾目は翌月、米国側の金利低下イベントが起きた直後に実行し、米金利の値動きを味方にする。為替介入の補助金的な性格から、日本の輸入企業が昼間に買えないと意味がないので、翌営業日の朝9時前にもう一度実行する。2011年以前と違って東京時間の昼間はやらない。ここまでは完全にパターン化されており、それに加え、いわゆるキャリートレードのロスカットスパイラルとはまた違う、少し跳ねたところを力づくで押し下げる独特なリズムを見れば為替介入が入ったと断言するのは実に容易いことであった。
翌営業日には為替介入の規模感が5兆円台程度と判明した。これで前回のイエレン発言以来の為替介入できない説は完全に吹き飛んだ。これは2022年や2024年ゴールデンウィークの9兆円対比で約半分の規模であり、規模感は以前夜通し行っていたのをロンドン引けあたりで止めてしまっていたところから察することができただろう。説明などの手間は規模が半額でも変わらないので今回も9兆円程度を使うつもりであり、直後に海の日の三連休を控えていたため残り半分を温存していたようにも思えるが、たとえそうだとしても三連休の間にトランプ大統領候補銃撃事件が起きたためそれどころではなくなった。もっとも直後にはトランプ自身が円安を批判したのが伝わったためドル安円高が加速した。2022年10月の為替介入と同様、財務省の為替介入は米国側の都合を味方にできたため、前回の半分の金額で前回の5%を上回るドル円の下落トレンドを作ることに成功した。海外時間の方が円高方向の値動きが激しかったことは海外勢の円ショートのキャリートレードがアンワインドに追い込まれていた構図を示唆する。
陰謀論
日銀を主語にすると4月会合で「失言」して円安を招いて財務省の為替介入に後処理してもらった後、6月に再び悠長な回答で円安を招いて財務省の為替介入に後処理してもらったことになる。もっともこれを招いたのも財務省自身であり、前回の「次はこんなに甘くない」発言に続き、他の断片的に流れてくるニュースと実際の展開を総合すると、財務省は国債の安定消化の観点から、本ブログが考えていた「為替介入としての金融政策」をやってもらいたくなかったようである。円安には財務省が為替介入で十分対処できるものであり、日銀は余計なことをしなくてよいということである。日本国債市場は既に完全に日銀に依存している。その上でコミュニケーションの失敗で円安を招くのは「日銀が悪い」ということだろうから、要するに植田総裁は「実際の行動を行わないまま円安を進行させないマエストロの役割」を押し付けられていると想像される。マエストロは簡単になれるものではない。
「為替介入としての金融政策」に対して財務省が横槍を入れたとすれば、本ブログが「150円以上で円安がアンコントローラブルになる可能性は限定的」としていた前提も崩れようというものである。「為替介入としての金融政策」ができないなら、円安を止めようと思えば為替介入で押し下げるしかなくなる。為替介入の効率も大してよくない(米金利の味方がなければ9兆円あたり5%程度のドローダウン)ため、円高余地は自ずと限定的になる。そもそも公的債務の管理の観点からは、インフレを低金利で放置して通貨安を招きながらインフレ税を取るのが最も都合がよい。
財務省に加え、内閣府関係者からも「このタイミングで政府が脱デフレ宣言を出せば、日銀の利上げによる引き締めを容認しているととられかねない」との声が紹介されており、こちらは純粋に景気の腰折れ懸念であるが、要するにこれらの省庁で金融引締めに対して批判的な声が強いことが分かる。ここでコケる程度なら日米の中立金利格差は巨大なものになるので、為替介入の方も意味がないのではないかという話になるのだが、恐らく財務省の中では「米国経済だって大したことない、そのうちコケるだろう」という整理になっていると思われる。でなければ、(円安トレンドを止められない)為替介入は通貨安インフレ税志向を隠すためのアリバイでしかないということになる。自民党総裁選と解散総選挙の可能性が控えている中、経済環境が自らの椅子にも影響する政府関係者からは「日銀が利上げしようとするなら決定会合での議決延期請求権の行使だってあり得る」との強硬論さえ流れた。一方で珍しく河野デジタル相や茂木幹事長が「通貨防衛としての利上げ」を後押しする発言をそれぞれ行ったことが更に事態を複雑にした。ポスト岸田を狙う政治家にとって、自分は円安インフレ税志向の犯人ではないというアリバイを表明しなければならないということか。だとすれば、日銀に圧力をかけている疑いが晴れない首相周囲の政治家の範囲は徐々に狭まってくる。
確実な国債買入れ減額とQT
陰謀論はこのあたりにして、肝心な7月会合。これまでの経験では非展望レポート月のハトさは次の展望レポート月のハトさを意味しないことが分かっている。6月会合からアナウンスしていた国債買入れの減額はさすがに実現するだろう。そのペースについては、これまで見てきた経緯(為替介入としての金融政策の否定)から、少なくとも減額そのものでサプライズを出すことを通して円高ショックを起こそうとするとは考えづらい。金融政策決定権のための解散総選挙とも言えるやり方が「様々な圧力に対して民意を前面に立たせる」ためであったとすれば、民意と違う結論を持って行っては意味がないのである。市場参加者の中で金利上昇に最も積極的に備えているメガバンク三行は積極的な減額を主張し、過去に購入した長期国債を大量に抱えている地銀は慎重であった。議事録も公開されており、その範囲から外れない結論になるだろう。概ね漸減を経て2年後には月間3~4兆円あたりのペースに着地させようとするだろうと思われている。国債の安定消化とバランスシート縮小を両立させようとすると、残存の長い国債の買い支えを温存しつつ、残存の短い国債の買い入れを大幅に減額することになるが、やりすぎると日銀が自らの投資の出口をなくすようなものなので、現実的な着地点を探ることになる。いずれにしろ、2024年の日銀の保有国債の償還ペースが四半期あたり16~17兆円程度なので、買入れ減額が始まったらバランスシート縮小(QT)に入るだろう。またこれほどまで買入れペースが減速するのはアベノミクス開始以来初めてとなる。
日銀のバランスシート縮小は通貨高要因になるが即効性のある施策ではない。「緩慢な利上げとバランスシート縮小」の組合せは常識的に考えて金利カーブにスティープニング圧力をかける。しかし長期金利だけが上昇した場合、先ほども議論したように、長期金利差は為替レートに直接働きかけるわけではない。むしろソロスチャートのような連想で、マネタリーベースの縮小そのものが長期的にじわじわと効いてくるだろう。
割れ続ける7月利上げ
気になるのはやはり利上げの有無である。これについては、会合まで残り1週間を切っている中、もし利上げがあるとすればそろそろリークがあってもおかしくない頃合いだが、7月会合前はこれまでと比較してリークが少なかった印象がある。ロイターは次の会合で「追加利上げの要否について議論する」としている。もちろん議論の俎上には上がるだろう。Bloombergは「足元で弱めの個人消費が追加利上げに踏み切るかどうかの判断を複雑化させている」としている。日経新聞は「一部の政策委員は7月会合での追加利上げを支持するとみられる。一方、物価上昇を加味した実質賃金は前年比を下回った状態が続くなか、賃金や消費の動きをもう少し見極めるべきだとの意見も根強い」と意見が割れている様子を報じている。利上げについては現時点で実際に意見が割れているのだろう。為替さえ無視すれば物価と賃金は日銀に完全なフリーハンドを与えているため、尚更「視点の違い」で割れやすいのである。このあたりまでは取材に基づく観測記事であり、或いは日銀側からレクチャーがあったとしても何も明言できなかったということである。せっかくの展望レポート月なのに展望レポートについては時事通信社の「成長率と物価見通しを小幅に下方修正するだろうが、基調的インフレが2026年まで2%で推移するシナリオは崩れていない」しかなくインパクトに欠ける。決定会合当日になっても自由投票で票が割れそうというよりは、取りまとめる植田総裁自身がまだ決めかねていると言った方が正しいかもしれない。引締めと引締めのパッケージは、引締め決行の都度に別の施策でバッファを敷いてきた植田日銀の性格にはあまりそぐわない。
今から会合2日目未明にかけての期間はリークに要注意の期間となる。逆にこの残り短い期間にも日経新聞や時事通信社をはじめとする日系大手メディアからリーク記事が出なければ、7月利上げはないと考えるのが自然だ。本ブログの3月時点の見方では「為替介入としての金融政策」説に基づき7月利上げは為替次第であり、具体的には「7月会合前にドル円が150円以上で推移するなら7月再利上げの可能性が大きく、150円以下で推移しているなら利上げを10月まで延期する選択肢が出て来る」としてきた。その後、「為替介入としての金融政策」への風当たりが強かったためドル円は一時160円台まで上昇したが、縮小しつつある日米金利差への収斂と為替介入を受けて150円台前半まで戻ってきたので、為替からのプレッシャーもかなり微妙な強さである。仮に7月会合までにドル円が150円を割り込んだ場合――元々の「為替介入としての金融政策」に立ち戻れば――会合はそれを加速させるような結論を出すというより、多少なりとも負のフィードバックを持つだろう。一方、市場で7月利上げへの期待は多少なりとも残っているため据置きになった場合、円安再開のきっかけになりやすいものの、ドル円がクラッシュした直後なのでキャリートレード勢のポジションは既に傷んでいると思われ、先月ほどは円安の圧が強いわけではない。
利上げパスがFed利下げにぶつかる日
ロイターの日本語記事と微妙に内容が異なる英語記事で日銀ウォッチャー達が「利上げが7月か年内のどこかは決めの問題、タイミングの問題でしかない」と述べたのはリーズナブルである。そもそも高々15bpの利上げにすぎない。しかし心理的には初手の利上げペースは今後の利上げペースを想像する手掛かりを与える。4月、7月のペースで続いたら10月あたりにもう一回ありそうに思えるし、2025年も少なくとも3回は利上げが続きそうな感覚を抱かせる。その時点で政策金利は1%を超える。逆に4月の次が9月か10月のペースなら、来年もせいぜい2回程度ということになるので来年末でも0.75%にとどまる。これは短期金利の累積である長期金利の水準を考える上でもかなり大きな分岐となるが、どちらの結論に落ち着くにせよ、日銀は今回の決定から先々のパスを深読みさせるようなアナウンスの仕方を避けると思われる。逆にBloombergの記事では「先行きが不透明なので逆に利上げの機会を逃したくないがゆえに利上げを急ぐ」という発想も紹介されているが、本当に0.25%への利上げさえ逃しそうなら0.75%やら1%はあまりにも遠いではないか。「機会を逃したくないがゆえに急いだ」のはあくまでも国債買入れ減額の方だろう。
Fedの方は確約された調整利下げの75bpが年末年始に済み、その後2025年中にかけてずっと据置きというよりは利下げサイクルが続く可能性の方が高く、現にFedのメディアン・ドットでも2025年末が4%まで利下げということになっている。日銀の利上げサイクルはある程度まで(75bpの調整利下げまで)はFedの利下げサイクルに逆らって進められるにしろ、さすがに2025年末の政策金利は極めて日銀のターミナルレートに近いものと考えてよいのではないか。ターミナルレートより長期金利が高い分はタームプレミアムであり、満期まで保有すれば政策金利の累積対比で得られるフリーランチである。Fed側の政策金利パスがメディアン・ドット通りならその頃には日米政策金利差は今の5.2%から3%強まで縮小することになり、これは今の米ドルと人民元の政策金利差水準に相当するので、キャリートレード由来の円安圧力は自然と和らぐだろう(新NISAが招いたキャピタルフライトは金利差を見ずに脳死で米ドル資産を積立て続けるだろうが)。
要約
・6月会合での日銀の慎重さが円安の加速を招いた・6月以降の円安は日米金利差から説明できないものだった
・7月に財務省は再び5兆円強の規模の為替介入を行った
・日米政治家の円安批判発言もあってキャリートレード解消
・7月の国債買入れ減額は民意通りの決定に
・7月以降、日銀のバランスシートは縮小へ(QT)
・7月利上げはかなり微妙なところ、リークもない
・どちらに出てもターミナルレートは2025年末に到達する1%近辺か
・ソロスチャートと日米金利差縮小で新NISAを除けば円安要因は減衰に
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