中国補助金の春
先進国の製造業景況感とインフレ懸念が急速に変調している。今年の春から夏にかけての先進国製造業景況感の期間限定の盛り上がりはやや不可解なものに見えるだろう。元より強烈な金融引締め下では反発し得ないはずだったが、それが実際に起きたことで中立金利が大幅に上昇した(金融引締めがまだ効いていない)観測が持ち上がった。一方、反発の持続性も大したことなかった。これをどう解釈すべきかというと、やはりリバティ・ストリートが並べた二つのブログ記事に沿って進行していると考えるのが最もすっきりする。本ブログもそれらのブログ記事を4月にセットで取り上げた。そこでは中国景気とFedの金融政策の関係について、
「どちらのシナリオが起きそうかで言うと、ブログが冒頭において"中国当局が人為的にローン・クレジットを不動産業から製造業にリアロケートしている"としているのがそれらしいとすれば、論理的には"時間差を付けて両方"ということになるのではないか。つまり我々はまず中国製造業の設備投資の底打ちとそれの海外への波及を観測し、次いでどこかのタイミングで不動産市場のクラッシュの波及を体験することになるのではないか」
「更にこのような論文が出る背景を深読みすると、Fedはいまだに中国経済との関係性をデカップリング前の関連性で捉えている、従ってこれまで中国経済減速は米国経済に実際にはデフレを輸出して来なかったにもかかわらず"海外発のダウンサイドリスクシナリオ"として暗黙のうちにカウントされていたのではないか。その分Fedの景気見通しもダウンサイドに傾いていたとすれば、次に中国経済の反発――外から見ると一時的にすぎない――というものをFedが認識した時、時節外れの反応を示す可能性も示唆しているのではないか」
と述べている。グローバルマクロにおける中国景気の立ち位置はデフレ(ただし先進諸国への波及はブロックされている)プラス製造業への補助金のミックスであったことは既に常識になっている。チャイナショックの頃と異なり、中国発デフレの先進諸国への波及はあくまでも断続的である。断続的だったので先読みするのは極めて困難だったのだが、春から夏にかけて概ね上記通りの展開になっているのではないか。恐らく2023年末の1兆元の補正予算の実行を受け、2024年前半に中国の設備投資は明らかに製造業を中心に一度盛り返した。その後は製造業が失速し、不動産とインフラ関係が更に減速している。
不動産は住宅価格の下落から分かるとして、本来それを「景気刺激のための財政出動」として補うはずのインフラ投資まで急減速しているのは、本ブログが常々取り上げてきたように、ランドセールの壊滅が地方政府に緊縮財政を強制しているためである。共産主義政権のプロシクリカルな財政政策の面目躍如である。
先進国製造業景況感のコブ
先に海外にインパクトが染み出したのは「中国補助金の春」とも言える中国製造業の設備投資の方である。2024年前半の米中製造業景況感はシンクロする形で一度盛り返した。補助金を受け取った中国製造業が設備投資の発注を先進国企業にばら撒いたためである。奇しくも米国のCPIもシンクロする形で一度盛り返した。
もっともCPIはさすがに偶々だと思っている。パンデミック後に先進国の景気サイクルは早送りになっているが、パンデミック前はCPIはPMIに18ヶ月遅行することが分かっており、物価はここまで景況感にビビッドに反応するものでは本来ない。いずれにしろ、「中国補助金の春」は実際にFedの時節外れのリアクションを招いた。米国の製造業景況感がこれだけの高金利政策にもかかわらず改善し始めるようでは、中立金利はもっと高いのではないかと思われた。6月FOMCは――今にしてみればそれは黒歴史にしか見えないが――引締めの効果に対してすっかり自信喪失に陥った。2024年のドットプロットでは利下げなし勢がどっと増え、メディアンも年内3回から1回に後退したのである。米国の長期金利も一度4%後半まで上昇した。
しかし中国補助金の春はすぐに限界が来た。これは昨年末に可決された補正予算が一度きりであったから当然である。財政緊縮と海外市場からの締め出しで有効需要を見つけられないため、中国の鉱工業生産は8月になって大きく落ち込んだ。その上でインフラ投資の減速が止まらない。製造業PMIも普段から変化幅が小さいので分かりづらいが、コブは明らかに一度きりであった。中国製造業景況感の減速は夏にかけてすぐに米国製造業景況感にも波及した。欧州の製造業にも同時に波及しているため、米国製造業の本国需要に問題が出てきたわけではないことが分かる。
小さなコモディティバブルの崩壊
またしても「奇しくも」CPIもシンクロする形で落ち込んだ。チャイナショックの時と異なり、米中のデカップリングが十分に進んだ2024年では中国発デフレは米国にあまり波及しなかった。この波及の断続性はパンデミック後のマクロ経済の重要な構造変化の一つであり、それを理解せず中国のデフレと景気減速を海外資産で表現しようとしたら痛い目に遭ったに違いない。その断続的な連動を当てる際に頼りになったのはしぶとく生き続ける米中製造業景況感の連動と、グローバル市場であるコモディティ市場である。夏にかけて中国のコモディティ需要は目に見えて落ち込んだ。
上半期には補助金漬けのEVブームへのベットのために銅の在庫を投機的に積み上げる動きが中国であった。それを「ドクターカッパーが世界の景気過熱を示唆している」と解釈した市場参加者は背景も調べずにチャートを並べただけである。投機的な買いが入らなかった鉄鉱石価格は惨憺たる推移となった。JPMによると中国は世界の銅在庫の9割強、原油の25%近く、トウモロコシや小麦などの主食用作物の半分余りを保有する。下半期になると中国企業は在庫を維持する体力もなくなったようで銅価格は大幅に調整し、世界中にデフレーショナリーな雰囲気が漂った。
原油市場は長引く地政学リスクに加え、米国の民主党政権のシェールガス新規採掘規制などで供給能力回復が長らく遅れているとされており、投機マネーの流入ですぐ100ドルを超えるだろうと我々は散々脅かされてきた。確かに原油は比較的小さな市場であるが、投機筋は何もホットマネーを借りて原油先物か何かを買い建てるわけではない。むしろ投機筋は背後に生産者と繋がっており、或いは自分自身が生産者であり、注文を踏み上げられたら自分が動員できる在庫をぶつけるつもりでショートから入りがちである。地政学リスク等に由来する供給サイドの不安は、生産者の都合が変わる懸念に繋がるため、投機筋のショートカバーを誘発する。逆に需要側の需要増はゆっくりとしか相場を持ち上げない。ロシアによるウクライナ侵略に伴うロシア産原油の締め出しはさすがに供給側の大掛かりな地殻変動であり、終息するまで1年を要した。原油価格が再び100ドルを割った時点で、米国のスタグフレーションだけはあり得なくなった。2023年後半以来、中東地域の地政学リスクが2度ほど噴出したが、いずれもショートカバーがWTIベースで80ドル台で止まっており、それを乗り切った時点で原油高騰の芽は消えている。8月に入るWTIは長らくサポートであった1バレル70ドルを大きく割り込み、やや遅行する形で全米ガソリン価格も夏の行楽シーズンにもかかわらず下落した。
ガソリン価格は直ちにCPIやPCEに反映される。更に金融市場の長期インフレ期待は原油価格の影響を大きく受けることが分かっている。実質長期金利は緩やかな低下が続いているが、長期金利が4%を割り込んで大きく低下したきっかけはどちらかというと長期期待インフレ(ブレイクイーブン)の2%への接近であった。これまでブレイクイーブンは長らく2%~2.5%の間を徘徊しており、10年スパンでもFedの物価目標達成に半信半疑だったことになるが、急に疑わなくなったのが8月である。
9月FOMCのなし崩し大幅利下げ
8月発表分の米国の雇用統計は労働市場の減速を強く意識させるものでありFedの早期利下げを決定付けた。労働市場に限っては差し迫った景気後退まで意識するのは時期尚早であると本ブログは主張した。現にその後の労働市場はスパイラル状の悪化を見せていない。8月の米国長期金利の3%台突入と同様、9月FOMCの50bp利下げは雇用情勢への警戒に加え、コモディティバブル崩壊が決定付けたインフレ減速をも理由としていると思われる。ウォラー理事も会合後にCNBCの取材に対して雇用よりもインフレ減速のナラティブを使っている。「前提としてインフレがスティッキーであり、Fedが利下げを迫られるとしたらそれは雇用情勢が我々が考えるよりもリセッショナリーであることを示唆している」と考えていた市場参加者は前提も推論も間違っているということになる。しかもこの場合、マイナスとマイナスを掛け合わせてもプラスにならない。早期の50bp利下げはビハインド・ザ・カーブ懸念を剥落させ、景気後退リスクを減退させるものであったため、長期金利はむしろ浮き上がったのである。これを「50bpのホーキッシュ利下げだったから長期金利は下がらなかった」と解釈するのは何か何までも間違っている。まず自分で発音していて違和感を感じないものなのか。
もちろん、米国の労働市場もFedの50bp利下げを全く後押ししなかったわけではなく、つまり労働市場から50bp利下げを導出できなかったわけではない。本ブログは8月の記事で労働市場のリセッショナリーな悪化を否定しつつも、
「パッシブ・タイトニングの調整だけでも2024年中の少なくとも75bpの利下げは確約されたようなものであるが、それが終わると、或いは終わる前から雇用の減速を理由とする利下げが更に続く。そして計25bp x4回以上の利下げまで確定しているようなら、4回のFOMCは4ヶ月以上にわたるため、その間の経済環境の悪化を待たずに先に50bp利下げを行ってしまった方が不確実性を払拭できる。従って9月になるかどうかはともかく50bp利下げ織込みには一定の合理性がある」
「中立金利の考え方も大幅利下げを後押しする。前回の記事で述べた通り、インフレ率が高ければ高いほど、それは金融緩和が効いていない=中立金利も高いことを意味するので、名目の政策金利はインフレ分と中立金利の上昇分を同時に引き上げなければならない。それだけに、一旦景気が減速してインフレが目標に近付いた場合、インフレ率の低下に加え、インフレ率の低下によって政策金利が中立金利より高かったことも同時に判明するので、名目政策金利を引下げる時も倍速になる。引締め期の最後になると、緩和が遅すぎたというビハインド・ザ・カーブ懸念が持ち上がらないためには政策金利を速やかに引き下げなければならないのである。25bp x3のパッシブ・タイトニング調整期にかけては金利低下を受けて急に景気が内生的に持ち直す理由もないので、雇用の減速はこれまでのペース通りとなる可能性が高く、年末年始のベバリッジ曲線の変曲点到達はそれなりに高い蓋然性を持つ。その時点で金融政策は"引締め的"でなくなるべきである」
と大幅利下げに向けた論理展開を試みた。というよりこれだけインフレ懸念が低下――景気後退懸念が持ち上がるくらいなら物価目標を達成できないわけがない、その二つを同時に懸念するならさすがにどうかしている――した今、たとえ50bp利下げでなければならない喫緊の理由がなかったとしても、どの切り口でも大幅利下げを正当化し得るのに、「50bp利下げがない」にベットするのはあまりにも愚かしい賭けではないか。2019年の経験から「非駐投資家が米国市場で盛り上がる利下げ織込みを蚊帳の外から眺めて納得できない時は蚊帳の中が正しい」と学ばなかったのか。
さて今後について。米国発の差し迫った景気後退懸念がないとすれば、利下げの緊迫感はどこから来ているのか。それはやはり、中国発デフレの本格化への警戒ではなかろうか。年内100bp以上の調整利下げは確定しているとして、ここから現在FOMCが2.875%を付けている中立金利—―毎期ごとに1/8ほど上昇しているので現実的には3%台前半で邂逅するだろう――まで一気に利下げが進む(Mad dash to neutral)かというと、中国発デフレの深刻さ次第ということになるのではないか。2024年の米国の製造業景況感の妙な挙動を説明するストーリーとして「中国補助金の春」が最もしっくり来る。中国補助金の春が終わって製造業景況感が落ち込んできたことで、米国の実質成長はGDP 2%台巡航から脱落する可能性が出てくるが、それさえもまだ直接観察できるわけではない。また脱落するとしても景気後退は遠い。金利市場が漂わせている景気後退の雰囲気は米国ではなく中国を名指ししていると考えるべきだ。つまり米国から見て基本的には対岸の火事である。
なお今のところコモディティ市場はFOMC直前の底割れ感を必ずしも維持しておらず、インフレ再燃は当然遠いものの、そこまで極端にデフレーショナリーというわけでもない。2%の物価目標は必ず近日中に達成するため、米国のGDPが2%巡航を維持できるなら長期金利は再び4%にタッチできても不思議はないが、「中国補助金の春」が作ったコブを指して「中立金利がもっと高いのではないか」と懸念するたわけた議論は消滅するはずだし、2024年末には政策金利も4.05~4.3%に到達すると思われる中、長期金利が4%を再び上に突き抜けるハードルは高い。一方、際限なく低下して3%前半に突入するには原油をはじめとするコモディティ市場のデフレーショナリーな動きがもう少し持続する必要があるだろう。
要約
・2024年前半の先進国製造業景況感のコブの背景は「中国補助金の春」・中国補助金の春は2023年末の補正予算が製造業の設備投資を後押ししたもの
・2024年後半になると中国補助金の春は失速し、更にインフラ投資が失速
・先進国製造業も2024年後半に一斉に失速、中国補助金の春の終焉と重なる
・中国企業の在庫消化でコモディティ市場もややデフレーショナリーに
・インフレ再燃懸念の後退によりFedは50bpのサプライズ利下げを敢行
・蚊帳の外から利下げ織込みが行きすぎと感じる時は蚊帳の中が正しい
・金利市場から漂う景気後退の雰囲気はあくまでも中国経済の話
・長期金利の一層の低下にはコモディティ市場の下落の持続が必要
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この記事は投資行動を推奨するものではありません。