「—―クルスクで攻勢に出る必要が本当にあるのか?クルスクがどこにあるかさえ誰も知らない。世界は我々がクルスクを占領するかどうかに全く興味がない。クルスク、いやそもそも攻勢にこだわる理由はなんだ?」ハインツ・グデーリアン上級大将『電撃戦』
WP Lyptsi and Vovchansk
 前回の記事から9ヶ月経ち、ロシア・ウクライナ戦争は更に「忘れ去られた戦争」の色合いが濃くなっている。イスラエル国防軍がハマスやヒズボラの高官を次々と空爆で鮮やかに無害化する横で、こちらは何とも地味な陸戦が続いている。とはいえ、戦況の推移は前回の記事から新鮮な驚きに欠けたわけではない。この地味な陸戦を観客のために少しでも派手なものにしようという努力はちゃんと見られたのである。

蛇足かつ龍頭蛇尾なハリコフ侵攻

Aleksandr Lapin
 前回の記事ではロシア軍の優勢が続いているとしながらも、ウクライナ軍には戦略縦深が残っており、戦線を整理すればまだまだ持久戦を続けられると述べてきた。ハリコフ市とオデッサ市の二大要衝はまだまだ安全であるとしていたが、ひやっとする場面もなかったわけではない。ウクライナ軍がハリコフを拠点にして正面のロシア領ベルゴロド州に度々ロシア人義勇兵や砲撃を送り込むので、ロシア軍が「緩衝地帯を作る」と称してハリコフに再侵攻したのである

 5/10に開始されたハリコフ再侵攻作戦は周到に用意されたものだった。まずウクライナ軍の偵察ドローンに電波妨害を仕掛け、イーロン・マスクが提供するスターリンクも接続不能になった。激しい滑空爆弾の空爆と準備砲撃がそれに続いた。ウクライナ軍の怠慢と腐敗で地雷原をはじめとする防御工事もまともに築かれていなかったため、小隊ごとに分かれたロシア軍は徒歩で国境を容易に突破することができた正面のウクライナ軍は主力旅団でもない第125領土防衛旅団が50キロもの国境線を担当させられ薄く展開していたロシア軍は彼らを蹴散らし直ちに国境沿いの町リプツィとボフチャンスクに取り付いた。 

 ハリコフ方面の攻勢を主導したのはレニングラード軍管区の複数の自動車化歩兵旅団であった。レニングラード軍管区はかつて大祖国戦争でレニングラード包囲戦を戦い抜いた歴史ある軍管区だったが、プーチン政権下の軍縮でモスクワ軍管区と合併して西部軍管区になり、2024年に再び元通りに分割された。レニングラード軍管区の復活はウクライナ侵略を受けて実現したNATOの北方拡大に対する核威嚇のためと解釈されることもあるが、そもそも軍管区の肝心な部隊はウクライナの前線に一方面軍として張り付いているので深読みする必要はない。2022年のハリコフ反攻作戦で醜態を晒した西部軍管区の懲罰的解体と見なした方がすっきりする。この時ウクライナ軍は西部軍管区の担当区域を完全に突破して中央軍管区が担当する要衝リマンまで攻略した。味方の潰走とリマン陥落を阻止できなかった中央軍管区司令官のラピン大将はプリゴジンやカディロフら軍閥からの批判を浴びて解任され、しばらく陸軍参謀本部に匿われていたが、1年経って陸軍の規模が膨張して発言権を軍閥から取り戻すとレニングラード軍管区司令官として舞い戻ってきた。
Kharkiv offensive
 汚名返上を狙うラピン大将の戦意の高さは疑う余地がないが、レニングラード軍管区の兵力だけでハリコフ級の巨大都市を攻略するには明らかに無理があった。そもそも軍管区の部隊は2022年のハリコフ反攻作戦で潰走したのとだいたい同じメンツであり、そこに新兵を補充しておよそ4万8千人に膨れ上がっただけである。結局、強力な攻撃部隊と戦車が欠乏したロシア軍はボフチャンスクの町の半分ほどを占領したところで限界を迎え、ウクライナ軍がドネツク方面から撤収してきた第23機械化旅団総予備隊ポジションの第82空中強襲旅団を増援に投入したことで、2週間もしないうちにこの戦線は膠着状態に陥った。ロシア軍はハリコフ市を砲撃できる距離にも進出できなかった。せっかく真面目に考えた奇襲の段取りも無駄になった。この作戦を陽動と深読みする動きもあったがそれさえも過大評価であり、ウクライナ軍が兵力を引き抜いたのに乗じて他のロシア軍部隊がドネツク方面で攻勢に出たわけでもなく、ハリコフ周縁部を巡る一連の攻勢は龍頭蛇尾も甚だしい結末になった。

 生煮えで終わったハリコフ攻勢はウクライナ軍の配備にも影響を残した。ロシア軍がハリコフに攻めて来るなら、緒戦でロシア軍を叩き出したこともある隣のスムイも同様の侵攻に晒される可能性がある。ウクライナ軍の相当数の部隊が北部国境に転進して来たことで、結果的に世界中を驚かせた次の作戦も可能になったのである。

クルスク逆侵攻作戦

Ukrainian tank in Kursk
 ウクライナ軍が逆にスムイを出撃してロシア領のクルスク州に雪崩れ込んだのは8/6のことであった。ロシア軍だけでなく、事前に作戦を知らされていなかった西側同盟国もウクライナ軍の行動に困惑した。ハリコフ反攻作戦の時と同様、最初は小規模な浸透作戦と思われていたのだが、米国製ストライカー装甲車の参戦が確認されたことで第80空挺旅団英国製チャレンジャー2戦車の参戦が確認されたことで第82空挺旅団の投入が推測され、様々な西側製車両の目撃情報と共に飛び交う新たな旅団の番号から、どうも総予備隊と思われていた旅団を満遍なく動員してクルスク州に突入させたらしいことが判明すると、驚きと共に困惑は一層拡大した。最終的に判明したウクライナ軍の編成は「6個旅団から抽出された各400人規模の12個大隊」であった

 ロシア領への逆侵攻作戦を発案したのはゼレンスキーの大統領府であったと言われ、ということはザポリージャ反攻作戦と同様、またしても政治的な都合から逆算されたものである。米国大統領選が迫っており、仮にウクライナ支援に消極的なトランプ大統領が再び爆誕すると停戦に向かわざるを得ない。それまでに東部四州とクリミアを陸戦で回復するのはもはや絶望的なので、ロシア領の一部を占領することで交渉材料に使おうとしていたとも言われている早い話、持久戦を何年も続ける可能性はなくなったので、悔いが残らないように総予備隊も使い切ってしまおう、というメンタリティである。

 例のごとく慎重なザルジニー総司令官は反対した。クルスク州に侵入に成功して橋頭堡を築けたとしてその次は何をすればいいのか?大統領府から返答が得られることはなかった。ザルジニーの後を継いだシルスキー総司令官はもっと上司の意図に忠実だった。ただの政治的な都合で思い付いたギャンブルだったとしても、シルスキー大将は戦場を選定し、緻密な作戦を組み立てた。用意周到な奇襲作戦はちょうど2年前にもハリコフ反攻作戦を成功させたシルスキー大将にとって得意分野であったスムイ周辺の森に部隊を隠して待機させ、西側の同盟国にも知らせず完璧な情報封鎖を完遂した。旅団がスムイに集結したこと自体は、少し前にロシア軍がハリコフ再侵攻を試みた事実から不思議ではなかった。

 作戦が決行されると、ウクライナ軍は持てる電子戦装置を集中的に投入することでロシア軍のドローン監視網を電波妨害で無力化し、自軍のドローンを突入させた。次が地上作戦であり、機動力の高い小部隊が道路沿いに進撃し、薄く引き伸ばされた守備部隊を突破した。ハリコフ反攻作戦の時と同様、一旦防御線を突破すれば舗装道路上を高速で走行する装輪車両をロシア軍がリアルタイムで捕捉するのは困難だった。敵の奥地への浸透の様子をテレグラム上で発信し、混乱を誘発することで幅広い範囲でロシア軍に後退を強いると、より大規模な第二梯隊が続いた。3週間も経たないうちにウクライナ軍はクルスク州の1,200平方キロの領域を支配したシルスキー大将は侵攻作戦の戦略的意義について「ロシア軍の攻勢の策源地を叩いてウクライナとの間に緩衝地帯を作る、ロシア軍部隊を他の戦線から引き抜く、そして士気の高揚」とBBCに説明した。三つ目は重要だった。消耗が激しく希望も見えない持久戦を青年将校達が嫌がったからだ

 敵国のど真ん中に総予備隊を送り込むのは極めてギャンブル性が強い作戦であり、シルスキーは彼らのために可能な限り工夫を凝らした。ロシア本土からクルスク州に向かう増援部隊が渡ることになるセイム川に架かる橋をHIMARSなどの遠距離攻撃で次々と落とした。増援のロシア軍は根気よく浮橋を掛け続け、その浮橋を更にウクライナ軍が執拗に砲撃する。こうして自然地形と砲火で作り出した局地的な優勢を生かし、ウクライナ軍はセイム川とウクライナ国境の間のポケットの中のロシア軍部隊の実質的な包囲さえ図ったクルスクでの攻勢展開の手際の良さは、シルスキー大将の純粋な戦術家としての素養が前任者を遥かに上回るものであったことを再び世に示した。さすがにロシア領内には持ち込まなかったが、パトリオット中隊も国境近くのスムイに進出させて敵空軍の活動を牽制した。一方、ロシア軍も前線近くに突出してきたこれら高価値アセットを叩く機会を見逃さず、パトリオットやHIMARSの発射装置をドローンで見つけては直接戦術弾道ミサイルを叩き込んだ高機動性のおかげでこれまで捕捉されづらく健在を誇ってきた米国製の決戦兵器(ゲームチェンジャー)も豪快に消耗され始めた。湾岸戦争の時とは勝手が違った。前線近くに出たパトリオット小隊の車両は敵のドローンに捕捉され、十数分後には自らの車両を狙ってくる戦術弾道ミサイルを自ら迎撃することで自衛する羽目になった。
NYTimes Russia Ukraine Border
 ロシアの領土が広大で人口密度が低く、また国境線が長すぎるため逆侵攻に弱いのは今に始まったことではない。ソビエト・ロシアに隣接する陸軍大国であればどこも多かれ少なかれ、侵略された場合の選択肢の一つとしてソビエト・ロシア領への逆侵攻を検討したことはあるはずだ。だからこそロシアは常に国境線の外側を緩衝国で固めることにこだわってきたのである。ロシア領への侵攻は西側同盟国から見ると戦争のエスカレーションであり彼らを一時的に慌てさせた。自国内での防衛作戦となれば戦術核を使われても文句を言いづらくなる。しかし戦術核は使われそうになかった。ロシア軍の核ドクトリンでは核兵器が使用されるのは、核兵器をはじめとする大量破壊兵器で攻撃された場合、或いは通常兵器による攻撃で国家存亡の危機に陥った場合と規定されており、クルスク州の一部が陥落したところで後者にも当たらないからである。核兵器の不在を除くと、ウクライナにとっては2022年2月に特別軍事行動が開始された日から戦争の烈度は常に最高水準に達している。である以上ロシア領内だろうとウクライナ領内だろうと、ウクライナ軍には戦場を選択する自由があり、その自由の行使による新戦場の開闢が道義的に非難されるべきでないことは論を俟たない。
Conscript prisoners
 一方、戦略的には逆侵攻を通してウクライナ軍が有利になったわけではない。戦場では両軍の条件は対等であり、一つの戦線に戦力を追加すれば別の戦線では戦力が減る。最も好ましいのはある戦線で事前に構築した要塞を利用しながら長期間にわたって敵の多数の兵力を引き付け、代わりに他の戦線で兵力を集中して優位に立つことである。バフムートをはじめとするドネツク人民共和国を囲む要塞線が健在であった頃、ロシア軍を要塞線で食い止めつつ別動隊を編成してハリコフ反攻作戦を決行し、ロシア軍の真空地帯になっていた地域を一気に奪還できた。では今回はというと、確かにウクライナ軍だけがスムイに張り付いていなければならないのはアンフェアなのでそれを有効活用したかった面はあるだろう。しかし、ロシア軍が国外の侵略戦争に送り出せるのは志願兵だけであり、兵役に就いた若い徴兵は国境線を越えられないことが知られている。それが2022年春にウクライナ国内に突入した陸軍兵力の想像以上の貧弱さに繋がったのであるが、戦場がロシア国内なら徴兵も戦闘に参加できるようになる問題は徴兵の練度が低いことであり、彼らはウクライナ軍の侵攻に対して防御戦闘を展開するどころか、大量に捕虜になって特別軍事行動の足を引っ張ったたちまちウクライナ軍の収容所は20歳前後のロシア人徴兵でいっぱいになったそれでも時間が経つにつれて戦場に投入できるロシア軍の総数は膨らむ。一方、戦線が拡大したところでウクライナ軍の総数は変わらない。ロシアから見るとウクライナ軍の行動はまさに「窮鼠猫を噛む」そのものであり、実際ロシア国境防衛隊のリアクションは生涯で初めてネズミに出会って困惑する猫そのものであった。
Destroyed tanks
 ウクライナ軍兵士の士気はいつもにも増して高かったに違いない。大祖国戦争以来西側全体から長らく恐れられてきたソビエト・ロシアの機甲部隊を狙撃し、「鉄鋼の奔流」の虚像を粉砕したことで彼らは既に軍事史に名を残した。その興奮だけで長く苦しい持久戦を乗り切ることはできなかったが、今度は冷戦以来初めてロシアに、そして世界で初めて核保有国の領土に大々的に戦車を乗り入れるのである。後にソ連陸軍総司令官まで出世したワシーリー・チュイコフ元帥が大祖国戦争中のとある総攻撃前の明け方に前線を視察した時、攻撃命令を待つ若い兵士が「塹壕の中で敵の砲火を耐えることほど苦痛なことはない。運が悪かったら砲弾が頭の上に落ちてきて終わりだ。しかし突撃の最中なら対処のしようがある。砲弾が近くに落ち始めても、我々は跳びのくことも、地面に伏せることもできる」と熱弁したという。
Soviet army
 フィクションでないなら、この兵士はその後の過酷な東部戦線を生き残れなかった可能性が高い。
Gerasimov and Dyumin
 ロシア軍の方は当初のパニックから回復すると露骨にクルスク戦線を後回しにしたまさか戦後ウクライナに割譲されるはずがなく、また純軍事的にもただの平野などいつでも奪還できるからであるここでウクライナ軍の目的の一つであったドネツク戦線からのロシア軍部隊の引き剝がしに失敗したことになる。というより、東部戦線だけでなく南部戦線でも昨年ザポリージャ反攻作戦を乗り切った南部軍管区の精鋭部隊が暇を持て余している以上、ドネツク戦線からの引き剥がし計画がもし実在するとすれば最初から無理があった。実際、後にロシア軍がクルスク戦線に投入した増援は主にヘルソン、ザポリージャ方面から引き抜かれた連隊だった政治的には「特別軍事行動どころかついにウクライナ軍に本土まで攻め込まれ、追い出せない」構図にも見え、それだけにクルスクの被占領地の早期奪還を要求する政治的な圧力は強烈だったに違いない。それでもロシア軍はその圧力を跳ねのけてドネツク戦線での攻勢を維持した。これはクルスク戦線の監軍に任命されたアレクセイ・デューミン大将、全戦線を俯瞰するゲラシモフ大将の参謀本部がクレムリンから全面的な信頼を勝ち得ていたことを示唆する。それは特別軍事行動の総司令官役が頻繁に入れ替えられていた2022年からは想像できないような篤い信用である。ロシア人にとって陸戦がウクライナ領内で行われようとクルスク州で行われようと既に大した違いがなくなっている。ウクライナ軍総司令部はロシアの戦略面の柔軟性と内政面の団結力を過小評価していたのである。
abandoned Bradley
 攻勢が一段落してクルスク戦線が膠着状態に入ると、いよいよザルジニー大将の「橋頭堡を築けたとしてその次は何をすればいいのか?」という問いに向き合わざるを得なくなる。戦役前半はシルスキー大将の計画通りに大成功を収め、想定される敵の反撃への対処も含め「高度な柔軟性を維持しつつ臨機応変」するフェーズに入った。そしてこれまでの大半の戦役でそうであったように、戦役後半における軍総司令部と大統領府の意思決定能力の低さが目立つ時間帯に差し掛かる。クルスク戦役は決行された瞬間から政治的な色合いが強い作戦と位置付けられる運命にあり、「戦術面で工夫を凝らすことで泥濘期が始まるまでは暴れて見せます」と引き受ける前にそこまで想定しなければならなかったのである貴重な総予備隊は気付いたら敵のドローンが飛び交う敵地クルスクを死守するのが任務になっていた。火力で劣勢に立つウクライナ軍が善戦してきたのは2014年以来年月をかけて要塞化した都市や集落のコンクリート群を利用できたからであるが、クルスクでは自力で広大な荒野で陣地を築城しなければならず、にもかかわらずウクライナ軍の要塞線構築は遅々として進まなかった。これは両軍の損害比がより火力格差次第になることを意味する。陣地戦と比較して機動戦は損失の絶対数が膨らみやすいことも分かっている。緒戦のウクライナ軍の快進撃の中でさえ、多くの戦車、装甲車がランセットによって簡単に破壊された空挺軍の一部がクルスクに到着して防衛に加わると、たちまち多数の欧米製戦車や装甲車の残骸が幹線道路上に転がった。もちろん広野での機動戦という条件はロシア軍にとっても同様であり彼らも激しい車両の損耗に耐えることになる。ウクライナ軍の砲火が支配する舗装道路を油断した車列が漫然と通過すると実に効率よく撃破された

ロシア軍の反撃

ISW kursk
 9月中旬に始まったロシア軍の反撃も、当初のウクライナ軍の攻勢に劣らないほど順調に進んだ。ロシア軍は東部戦線の攻勢を維持したまま、クルスク戦線で5万人程度の部隊を編成し、およそ1万人のウクライナ軍が防衛する占領地に対して攻勢に出た。9月中に行われた第一波の攻勢は大した進捗がなかったが、10月に行われた第二波の東西からの攻勢ではウクライナ軍左翼の防御線を突破し、占領地に大きな楔を打ち込むことに成功した太平洋艦隊第155、黒海艦隊第810という2つの海軍歩兵旅団に加え第7、第106空挺師団から引き抜かれた複数の空挺連隊が攻勢の中核となった。ウクライナ軍はたちまち防戦一方に追い込まれ、最も敵地奥深くまで侵攻した部隊は退路を断たれる危険性に晒された。これは2022年の特別軍事行動序盤が大損害で終わって以来機動戦を避けてきたロシア軍に見られなかったような果敢な戦闘機動であった。第155海兵旅団が普段は前線に出て来ないドローン操縦班をまとめて捕虜にし、普段よりドローンからハラスメントを受けてきた恨みでパンツ一丁にしてそのまま処刑した不祥事が前線の崩壊の深刻さを物語った。

 とはいえロシア軍の華麗な右フックもこのあたりまでであり、慣れない土地でも懸命に抵抗するウクライナ軍に対し、これ以上の劇的な突破が連鎖することはなかった。これまで南方戦線そしてドンバス戦線での長い酷使で決戦兵器(ゲームチェンジャー)M1A1エイブラムス戦車の半数を喪失してスムイまで撤収してきた第47機械化旅団をはじめとして第82、第95空中強襲旅団、マリウポリ陥落後に再建された第36海兵旅団を次々と投入し、ウクライナ軍は突出部に対して反撃にさえ出た次々と増援を継ぎ足した結果、クルスク戦線に投入されたウクライナ軍は最終的には3万人を数えたと言われる。シルスキー大将が「ドンバス戦線からのロシア軍の引き剥がし」と戦略目標をオープンにしたことで、ロシア軍参謀本部は「ドンバス戦線の攻勢を緩めたら負けだ」という心理的な強迫観念に微妙に囚われたようである。結果的には一周回って、どのみち主導権が揺らぎようがないドンバス戦線を少し後回しにしても、ウクライナ軍の総予備隊が突出してきた貴重な機会を生かし、戦力を集中して彼らをクルスク戦線で殲滅すべきであったかもしれない。第47機械化旅団と3つの主力空挺旅団を筆頭とする総予備隊の後方を遮断して一気呵成できればこの戦争の決着(いわゆるウクライナの非武装化)はかなり明瞭に見えて来る。にもかかわらずロシア軍はクルスク戦線に中途半端な兵力しか投入せず、ドンバス方面での攻勢維持にこだわった。今回の戦争ではとにかく大兵力を展開したダイナミック大攻勢が見られないのが特徴であり、これはドローンの隆盛で大規模な車両集結の時点から狙撃されやすくなったのと、両軍とも方面軍レベルの作戦機動を実行するには部隊及び参謀部門の練度が低すぎるのが背景であるが、とにかく機甲部隊による縦深攻撃が見たい観客にとっては画龍点睛に欠ける展開が続く。という中でやはりシルスキー大将が指揮した二度もの軍規模の縦深攻撃はこの戦争における機動戦の最高傑作だったと言える。
WP Kursk
 いずれにしろ、クルスク戦役後半の激しい機動戦の結果、ウクライナ軍は当初占領した地域の半分を10月末までに喪失した。11月に入っても戦闘の烈度は下がらず、ロシア軍の中央突破によって敵中に取り残されたロシア側占領地も放棄された。包囲網の中のウクライナ軍は手遅れになる前にかろうじて脱出した。泥濘期の悪天候にもかかわらず、ロシア軍の波状攻勢は続いた。双方のメンツは冬に入ってもあまり変わっておらず、すっかり小さくなった占領地をめぐって第76、第106両親衛空挺師団の部隊や第83空挺旅団、第155親衛海軍歩兵旅団を中心とする5万人規模のロシア軍、第41、第47機械化旅団、第82、第95空挺強襲旅団、第17重機械化旅団などから構成される2万人規模のウクライナ軍が対峙している。トランプ政権が爆誕して本格的に停戦に向けた調整を始めるまでにはロシア軍はウクライナ軍を国内から駆逐したいに決まっており、冬の間に総攻撃を仕掛けてくるだろうと広く思われている。

 占領地が縮小するにつれて戦後の停戦交渉におけるカードとしての価値も低下するため、どこかでウクライナ軍は作戦を切り上げて部隊をスムイまで撤収させるのが合理的である。あまりにも長引かせると総予備隊が溶けてしまうというのが常識的な見方だ。しかし大統領府と総司令部の頑固さは再び我々を驚かせた。ウクライナ軍は占領地の死守を決め込み、隙あらばごく局地的にとはいえ反撃にさえ出た。随伴歩兵も不足してきたのか、第21機械化旅団の残り少なくなった孤独なレオパルド2がロシア軍陣地に向かって突撃していく姿も見られた。待ち構えていたロシア軍のドローン群が当たり前のように襲い掛かり、たちまちレオパルド2は火だるまになってしまう。それでもウクライナ軍はめげずに様々な国籍の主力戦車を前面に繰り出し続けた。泥濘期の悪天候が終わってみるとこれまで車両を空から隠してくれた防風林の葉はすっかり禿げてしまっており、薄い雪が積もり始めた戦場は一段と隠れ場所がない平野に近付く。

クルスクに乱入する北朝鮮軍

North Korea army
 クルスク戦線のグダグダさを更に際立たせたのは北朝鮮軍の参加である。数ヶ月前から噂が先行しており、ウクライナ軍の宣伝では早速何度も壊滅したり大打撃を受けたことになっていたが、11月になって米国当局がようやくオフィシャルにクルスクへの北朝鮮軍の配備を確認した北朝鮮軍の参加は6月にプーチンと金正恩が調印した、一般的に事実上の軍事同盟と言われる「包括的戦略パートナーシップ」の枠組みの中で行われたものと思われる。ウクライナ軍によるロシア領侵攻はたまたまこの直後に行われたので集団的自衛権らしきものが発動された形になるが、議会承認されたのはつい最近でありクルスク戦役時点ではまだ拘束力はないため、北朝鮮軍は軍事同盟により強制的に動員されたわけではない。ヴラジオストクから輸送機で飛び立ちクルスク州に進駐した北朝鮮軍は1万人強と思われ、ロシア軍の軍服と装備を支給されたが、独自の部隊編成は維持されているという部隊番号は韓国の情報機関によると精鋭部隊の第11軍団である少なくとも11月末時点で、北朝鮮軍が前線の攻勢に参加している兆候はない

 軍事同盟及びそれに伴う出兵については、最後の最後に勝ち馬に乗れると判断した北朝鮮側がより積極的だったと思われる。ここで人命を差し出すことで直ちに原油や食糧、ロケット技術と交換できるのに加え、戦後はロシア軍の戦力が余ってくる中で安全保障も万全になる。優勢側として概ね安全と思われる戦場で21世紀の実戦経験を積んでみたいというのもあるだろう。特別軍事行動の副作用の一つとして、北朝鮮が安全保障を依存する相手が中国から完全にロシアに移行したことが挙げられる。韓国との関係をはじめとして新たなグランドデザインに不明点が多い中、北朝鮮がどうやら普通の国にソフトランディングしたいと思っていることだけは確実である。逆に米国の経済制裁を恐れて頑なにロシアに対して中間財輸出以上の軍事支援を拒否する中国は、東側陣営の中で「湾岸戦争で軍隊を出さなかった日本」に近い立場になりつつある。二次制裁を恐れて中国の金融機関もロシアとの輸出代金決済から手を引きつつある。代わりに北朝鮮が加わったからと言って、時間が経つにつれてプーチンに共感する仲間が増えていくという構図ではない。
M-1989-Koksan_2017-military-parade
 プーチン政権は1人でもロシア人死傷者を減らしたい気持ちから北朝鮮軍の参戦を歓迎した。しかし現場としては既に兵力に余裕があり、北朝鮮軍など必要としていないというのが本心だろう。現在ウクライナ国内に投入されているロシア陸軍は57.5万人と推定され、それを69万人に増強しようとしているが、北朝鮮軍1万人が加わったところで何も変わらない。戦闘力はともかく、ロシア軍部隊との間の通信能力は致命的に低いと思われ、言語さえも通じない北朝鮮軍をいきなり前線に投入したところでロシア軍部隊との連携を期待できようがない。連絡士官の派遣など余計な仕事が増えるだけである。砲弾だけの方がありがたい。(遠距離からソウルを火の海にするために保有していた)自走砲も持ってきたのはどうやら確からしいが、それはそれで170mmやら240mmやらと、ロシア軍砲兵の砲弾とは互換性がない。外交的にも余計な仕事が増えるだけであり、それと引き換えに得られるものはあまりにも小さいが、こういう時に後先をあまり考えないのも慢性的に孤独感に苛まれてきた東側諸国の指導者の特徴だ。北朝鮮との軍事同盟は国連安保理決議に明確に違反するものである。既に国連から追い出された気分でラパッロ条約でも思い出していたのだろうか。

意外なエスカレーション

ATACMS
 北朝鮮軍の参戦という大して助けにもならないイベントへの懲罰として、バイデン政権はウクライナ軍にこれまで自制させてきたATACMS、ストームシャドウと言った米英仏製の長距離ミサイルのロシア領への使用を許可したウクライナ軍はそれを即座に実行した。これまで自制してきたのは米軍はこの手の兵器はゲームチェンジャーにならない一方で戦争のエスカレーションに繋がりやすいと評価したためであるが、ここに来て許可に傾いたのは政治的な懲罰のためだけでない。これまでウクライナ軍が運用してきた射程70kmのHIMARSでは徐々にランチャーの車両も危険に晒されはじめている。ロシア軍の後方を砲撃しようとすると前線からそれなりに近い配備になるので既にロシア軍の偵察ドローンに捉えられやすくなっており、偵察ドローンとランセットや戦術弾道ミサイル等の連携も過去と比べて素早くなっている。射程300kmのATACMSを使ってようやく車両が安全になるのである。これまでもウクライナ国内でATACMSは実戦に投入されており、それがロシア領内に広がったところで大した違いはない。
Oreshnik missle
 米軍が予想した通りにロシア当局は激怒し、報復としてウクライナのドニプロ市に核弾頭を装備できる中距離弾道ミサイルを叩き込んだ。当初ウクライナ側はICBM(大陸間弾道ミサイル)に攻撃されたと発表したため、久々にこの戦争のネタで世界中の金融市場が震撼されたが、恐らくこれが最後の震撼になるだろう。ロシアは使用したミサイルを新型の極超音速ミサイル「オレシュニク」と発表したが、このミサイルは要するに米ソ間のINF(中距離核戦力全廃条約)が2019年に破棄される前からロシアが開発し、最大射程が辛うじてICBMの定義(5,500km以上)に届くためICBMと言い張っていた、いわば脱法IRBM(中距離弾道ミサイル)の改良版にすぎない。INFが締結されたきっかけは1970年代後半にソ連が「米国には届かないが欧州には届く」SS-20中距離弾道ミサイルをウラル山脈以西に配備して米国と欧州の分断を狙ったことであるが、ウクライナでの脱法IRBMの実戦投入をプーチン政権が高らかに宣言したことで、歴史は繰り返されることになる。プーチンは更にオレシュニクでキエフを攻撃できると恫喝した

 攻撃を受けたのはドニプロ市にあるミサイル工場「ユージュマシュ」であったと言われる。A.M.マカロフ記念南部機械生産共同体製造工場とも呼ばれるこの工場は、巨大輸送機で知られるアントノフ、中国への売却をゼレンスキー政権が阻止したエンジンメーカーのモトール・シーチ、黒海沿いの61コムナール記念造船工場と並んでソ連がウクライナに遺した重工業の遺産の一つであった。資金不足、需要不足及びカラー革命以降の技術者の間での親ロシア派狩りによって、本来恐ろしい重武装国家を作り出すポテンシャルを持っていたこれらの企業群は基本的に開店休業状態にあるが、ソ連がたまたまユージュマシュをウクライナ領内に置いていたことは、特別軍事行動中にわたってロシア国内でのミサイル量産ペースが上がらなかった一因と思われる。ロシアのミサイル技術者にとってもユージュマシュは馴染み深い場所であったに違いない。それが今回の攻撃において、宇宙空間から夜間の雲を引き裂いて落下してきた最大36個の弾頭に戦闘部が装着されなかった理由かどうかは分からない。

 ATACMSの解禁はトランプ政権爆誕を前にしてバイデン政権が最後の最後にできることをやってあげたと解釈することもできるが、トランプ政権移行チームも「就任直前の駆け込みエスカレーション」に対して批判を繰り出していない。停戦に持って行くにしてもせめて朝鮮戦争後半のような露骨な手詰まり感が必要であり、でないとトランプ政権といえども「停戦が遅くなるほど占領地が広がって得するロシア軍」を口先だけで止めるのは簡単ではない。これは純軍事的な命題であり、両政権のスタンスに大きな違いがあるとは思われない。結果的に、最新鋭のハイテク兵器を供与しなかった以外、バイデン政権は最後の最後になってウクライナ軍にほぼ完全なフリーハンドを与えることになったが、それなら最初からもっと大胆に援助していればとの批判を免れることは難しい。実戦をあたかも試験のように扱い、ウクライナ軍が合格するたびに援助のグレードを少しずつ引き上げるやり方は、前回アフガン軍が不甲斐なかったトラウマから仕方がないものの、忌むべきとされる戦力の逐次投入であっただけでなく、何よりもウクライナ軍の作戦指揮を「見せるための作戦行動」に歪めたことが有害であり、この戦争を代理戦争と称するには代理人があまりにも不遇であった

 いずれにしろ、両軍ともに1月後半のトランプ政権の成立をメルクマールにしており、ウクライナ軍はクルスクの占領地をそれまで死守しようとし、ロシア軍は可能な限り停戦ラインを自軍にとって有利な位置まで押し上げようとしている。時間的な終わりが見えてきたからこそ、陸戦は激しさを増しつつある。双方ともに持久戦の用意を捨て、総力を挙げての短期決戦の姿勢を明らかにしつつあることから、トランプ政権の調停があろうとなかろうと、この陸戦はそれ以上長く続きそうにない。最後に前回の記事で記した9か月前の戦局評価を今一度載せてみる。次の記事では並行する東部戦線について整理する。

「ウクライナ軍にとって2024年の最善の展開が持久戦という現実もまた既に確定している。2024年中はとにかく手持ちの兵力でロシア軍の攻勢を食い止め続けなければならない。次の反攻作戦で国土回復を視野に入れられるのは2025年以降になる。もし一部観測のように大統領府がシルスキーを起用したのが2024年中の攻勢再開のためだったとすれば(ザルジニーは当然攻勢再開など到底無理と判断した)、その無理な攻勢は2023年のものと同様、ウクライナ軍の将来の防御態勢を更に不利にし、不本意な形での戦争の終結を早めるものになる。もし米大統領選でトランプが勝てば2025年の反攻作戦再開も覚束なくなる。持久戦では軍組織さえ自壊しなければ不利でない形で続けられるが、いわゆる反攻作戦による国土回復が絶望的になるとウクライナにとって戦争を続ける意義はない」

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ウクライナ軍が反攻作戦で闘争心を使い切る : 炭鉱のカナリア、炭鉱の龍 

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