
さてウクライナ東部のドネツク戦線。これほどまでに観客から頑なに軽視されてきた主戦場はかつてあっただろうか。この一帯は2014年にドネツク、ルガンスク両人民共和国が独立を宣言して以来10年間にわたってドンバス紛争と称される内戦の戦場であった。2022年の特別軍事行動と称するプーチン政権のウクライナ侵攻も両人民共和国の独立承認と共に開始されたことからも分かるように、あくまでもドネツク、ルガンスクから始まった物語である。
その際、ロシア陸軍が加勢したところでドネツク・ルガンスク正面に築かれた要塞ベルトを簡単に突破できそうにないと思われた。それならいっそキエフを奇襲してハイブリッド戦争でゼレンスキー政権を直接打倒した方が簡単ではないか、という悪い意味での閃きが特別軍事行動の始まりだったのではないかと思われる。キエフ急襲が惨敗に終わった後、ハイブリッド戦争の棚ぼたであったヘルソン州とハリコフ州の主要な占領地をウクライナ軍がきっちり回収したことで、特別軍事行動はいよいよドンバス地方での領土拡大を目的とする復古的な「大きなドンバス紛争」に回帰したのである。

ロシア軍の車列をキエフ近郊から叩き出して以来、ウクライナ陸軍にとっての主戦場も東部戦線であった。分離主義者との長い内戦の間に築いた要塞群は、内戦にローテーションで参加してきたほとんどの陸軍旅団にとって馴染み深い陣地であった。セベロドネツク、バフムート、アウディーイウカ、マリンカ。北から南に至るまでの各要塞は重装備の搬出が困難になる段階まで死守を命じられてきた。しかし一旦陥落すると「戦略的価値は低い」という扱いになった。東部戦線のトーチカ群に籠って持久戦をやるだけではスポンサーが飽きたり、痺れを切らすので、ウクライナ軍広報にとっての主戦場は南部のザポリージャや北方のクルスクと移ろってきた。鬱屈とした東部戦線であってはいけなかったのである。
静かな東部戦線北端

ルガンスク州を中心とする東部戦線北部では時間の流れが止まったようだった。誰もが認める東部戦線の要衝バフムートが陥落したのは1年半前だが、バフムートから10kmの平野を隔てただけのチャシブ・ヤールはあれから半包囲され断続的な攻勢に晒されているものの今だに健在である。ドネツク戦線北部のウクライナ軍本拠地であるスラヴャンスク・クラマトルスク方面に至っては2年前のリシチャンシク陥落から状況が変わっておらず、リシチャンシクから撤退したウクライナ軍が逃げ込んだシヴェルスクも健在である。むしろウクライナ軍がハリコフ反攻作戦で交通要衝リマンを奪還したことでこの方面への攻勢が更に困難になった。シヴェルスク方面では旧ルガンスク人民共和国軍を中核に開戦後に新兵で組成された第3軍団が攻略していない村を占領したと報告し、それがバレそうになると旧ルガンスク人民共和国軍の第123自動車化狙撃旅団に火力支援もなく攻勢を行わせて大損害を出し、旅団長レベルの指揮官が連行される椿事も起きた。少し南ではニューヨルク(New Yorkと綴られるが「ニューヨーク陥落」のヘッドラインは縁起がよくない)をロシア軍が攻略したがそれだけである。戦線北端の「交通の要衝」クピヤンスク市では1年前からロシア軍西方軍管区の部隊が北郊に迫っていたが、西方軍管区は歴史的に戦闘力が強くない(一部の珍しく部隊編成に興味がある軍事アナリストが経歴だけ見て最精鋭と決め付けているものの、現実には見掛け倒しの極致である第1親衛戦車軍の所属部隊もこの方面でちらほら見かける)のと、ウクライナ軍がドネツク戦線北部に十分な守備部隊を配置していたため、その後は膠着状態が続いた。それでも11月になってロシア軍はクピヤンスク市の南北をそれぞれ大きくに突破してオスキル川に到達し、オスキル川を利用してクピヤンスク市を包囲した形になる。もっとも冬になればオスキル川は凍結するのでこの遅きに失した包囲は再び半包囲に戻ると思われ、この方面のウクライナ軍は総崩れになっていない。
殻を失ったポクロフスク

ロシア軍が壮大な中央突破を成功させたのはドネツク戦線南部、アウディーイウカ西方のポクロフスク方面であった。ポクロフスクは最前線の各要塞と違ってかなりの大都市であり、貴重な外貨収入源となる炭鉱も持っていた。鉄道および国道の大規模な結節点であり、つまり東部戦線の兵站の要衝でもあった。ポクロフスクを守る前進基地がアウディーイウカであり、アウディーイウカを喪失するとポクロフスクまでの40kmは平野が広がっている。「アウディーイウカは戦略的価値が低く、プーチンがそこの攻略に拘るのは政治的な理由」などと発言するような軍事アナリストはさすがに陸戦に疎すぎて話にならない。

春のアウディーイウカ攻略戦はそれまでの要塞攻略戦よりも進捗が早かったことは前回の記事で既に取り上げた。ザポリージャ方面の反攻作戦からアウディーイウカ防衛線に駆り出された第47機械化旅団はアウディーイウカから西に向かう鉄道の最初の駅があるオチェレティネ村まで後退していたが、連戦での消耗の後の再編成と休息のために更に後方に下がろうとしていた。その際にオチェレティネの陣地は第115機械化旅団が引き継いだが、ロシア軍は部隊交代の隙を逃さず、装甲車も砲兵も不足する第115機械化旅団を蹴散らして一挙に集落に突入した。第47機械化旅団の士官は第115機械化旅団は命令を無視して逃走したと非難した。ウクライナ軍はこれまた装備が貧弱な第100機械化旅団を放り込むのと同時に第47機械化旅団を再び引き返させざるを得なかった。100番台旅団は基本的に2022年の特別軍事行動開始後に動員兵を詰め込んだ国土防衛旅団であり、たまたま複数の機械化大隊を編成できる車両に恵まれると機械化旅団の名を冠されることもあるが、帝国陸軍風に言うと乙旅団である。ウクライナ軍の布陣は2桁番号の主力旅団と100番台旅団を組み合わせたパターンが多く、メディアに露出するのが主力旅団ばかりの時でも無名の100番台旅団が黙々と付き従っていた場合が多い。このような背景から100番台旅団はしばしばロシア軍に集中的に狙われ防衛線の蟻の一穴になってきた。100番台旅団に交代したばかりで兵士達が地形にまだ暗いとなれば尚更である。
第47機械化旅団の酷使を通してこの方面の防衛線の早期崩壊は免れたものの、ロシア軍がアウディーイウカ攻略の勢いを借りてその西方の平野で進撃を始めたのはこれまでの東部戦線とは明らかに様相が違った。オチェレティネ村に続き、プロフレス村でも第47、第31機械化旅団と第110機械化旅団、第111領土防衛旅団がロシア軍の阻止に失敗すると、長らく後方拠点だったポクロフスクがいよいよ危うくなってきた。平野に散在する集落をウクライナ軍の塹壕線が結んでいた。ロシア軍は絶えず前線に偵察ドローンを飛ばし、ウクライナ軍大隊の弱体化や交代を察知すると損失を顧みず食い付いた。塹壕には絶えず空から滑空爆弾を落とし、あたり一面を大きなクレーターに変えた。敵の戦線突破を見て包囲の危機を感じるとウクライナ軍大隊は命令を待たずに後退するようになり、無秩序な後退は更に損害の増大を招いた。一ヶ所が陥落すると包囲を避けるために周辺のウクライナ軍も後退し始める。南北二本の鉄道と国道に沿ってロシア軍が大きく前進すると、その間に挟まれた平野も放棄された。これまで見られなかったペースで集落が陥落し始めた。これは東部戦線のウクライナ軍の弱体化に加え、前線が既に山岳地帯に築かれた要塞線を通過してウクライナ側の平野地帯に移りつつあったためである。ポクロフスク正面に展開するウクライナ軍はおよそ6個旅団であり、人数では1万2千人程度となる。増援はあっても準軍事組織(警備部隊)の旅団だった。8月以降、経験豊かな精鋭部隊はむしろ逆に東部戦線からクルスク戦線に引き抜かれつつあった。数ヶ月の攻防を経てついに前線との間の要塞線が残り一本になると、ウクライナ軍はポクロフスクからの市民の疎開を本格化させた。
激戦地ウグレダルの素早い陥落

もしウクライナ軍に十分な予備兵力があれば――つまりクルスクに遠征していなければ――突出部を挟撃して挫く作戦を試み得たかもしれないが、現実的にはどこも兵力不足でそれどころではない。それでも慎重なロシア軍は一ヶ所の突出部からポクロフスクに長躯直入するのではなく、まずドネツク南部の戦線を整理しようとした。その時に真っ先に気になるのは左翼、ドネツク戦線最南端のウグレダルであった。高台に位置する炭鉱の町を要塞化したウグレダルは開戦時から前線であり、2023年春にロシア軍第155親衛海軍歩兵旅団の無謀な機甲突撃に大打撃を与えた戦場として有名であった。その時から2千人規模のウクライナ軍第72機械化旅団が2年近くにわたって防衛し、要塞は長らく難攻不落を誇って来た。第72機械化旅団はかつてシルスキー総司令官自身が少将時代に旅団長を務めたこともある主力旅団であり装備に弱点はなかったと思われるが、2年近くにわたって前線から交代できず疲弊していた。左右の戦線が潮が引くように後退するにつれ、ウグレダルにもついに最期の時が近付いてきたのである。

ここでもロシア軍は定石通りに圧倒的多数の兵力を使って要塞の左右両翼を侵食し、三面包囲と激しい砲爆撃で守備部隊を圧迫した。第72機械化旅団よると両軍の砲火は10対1の比率であり、更に滑空爆弾が降ってくる。後方と繋がる補給路が砲火とドローンに封鎖され、補給と負傷者の後送作業は多くの車両を喪失した後に中断を余儀なくされた。ウグレダルの陥落は総攻撃が始まって1,2週間の出来事であり、アウディーイウカよりも更に素早かった。ロシア軍が街に突入すると、命令系統が寸断されていたウクライナ軍部隊は撤退命令を待たずに撤退を始めたのである。無秩序な潰走が更なる混乱を招くのは戦場の摂理である。半包囲された要塞からの脱出も命懸けであった。兵士達はロシア軍に監視された舗装道路を避け、夜間に地雷原の中の小道から徒歩で逃げなければならなかったのである。平野に出ると迫撃砲やドローンに更に狙撃された。総司令部がウグレダルの放棄を許可したのは全てが終わった後の10/2であった。1年以上にわたってウグレダルに張り付き何度も大損害を受けた(ウクライナ軍と西側の主張を毎回鵜呑みにすると何度も全滅している)第155親衛海軍歩兵旅団はここに来てクルスク戦線に増援として駆り出されており、肝心の要塞攻略は他の部隊の功績になった。成果は配属運が決めるのである。
なし崩しに始まるクラホヴェ攻防戦
ウグレダルの陥落によりドネツク戦線南端の防衛線は一気に瓦解する。ウグレダルの後方でのウクライナ軍の要塞築城は間に合っていなかった。平野の中でキロメートル単位の塹壕の隙間を見つけるのは容易だった。ウグレダルとポクロフスクの間に位置し、戦前1.8万人の住民が居た南ドネツク最大の都市クラホヴェにもロシア軍の南部軍管区と中央軍管区の部隊が南、北、東の三方向から殺到した。クラホヴェはダム湖に面しており、流石に三面包囲は展開しづらいと思われたが、兵力に余裕があるロシア軍は迂回機動を多用して湖ごと街を半包囲にかかった。ロシア軍は相次ぐ突破で士気が高まっており、そうなると戦訓に基づく面倒な段取りを無視した機甲突撃を始める衝動に駆られるのが彼らの習性である。2023年のザポリージャ攻勢ではあまり活躍できなかった第33機械化旅団のレオパルド2がロシア軍戦車の縦隊を主砲で狙撃したが、ロシア軍は次々と被弾しても前進をやめない。かなりの損害を出させてウクライナ軍はようやく南部軍管区の部隊の進撃を抑え込んだが、それもあくまでも一時的だった。突出部になってしまったクラホヴェにウクライナ軍は8個大隊・4個旅団の1万人弱を配備しており、郊外で第79空挺旅団、第46空挺旅団がそれぞれロシア軍の猛攻に抵抗し続けたが、ロシア軍は毎日200~300mほどのペースで前進を続けた。11月末時点でロシア軍はクラホヴェ市街地の7割を包囲しながら補給路を走る車両を砲撃の射程に収め、12月に入って南部軍管区の第8親衛諸兵科合成軍所属の第150親衛自動車化歩兵師団が市街地に突入した。クラホヴェ南方郊外でも第8軍が戦線全体を押し上げる中、相対的に善戦していたウクライナ軍部隊はすぐポケットの中に取り残されて包囲されそうになる。ダム湖の北岸を旧ドネツク人民共和国軍の第51親衛諸兵科合成軍が掃討した。アウディーイウカ戦役以前であれば、この規模の都市の攻略には成功するにしても数ヶ月かかるはずであった。

その上でロシア軍はクラホヴェとポクロフスクの間を猛然と突破し、ポクロフスクの真南だけでなく南西にも出現した上で、市街地を遠くから囲む形で右旋回を始めた。この攻撃機動を主導したのは2年前に先鋒の戦車連隊長を戦死させた代わりにキエフ市街地に最も接近したことで知られる第90親衛戦車師団である。戦場が平野部に移行するにつれ、山岳地帯での要塞攻略フェーズではまるで目立たなかった戦車師団の満を持した再登場である。追撃戦でよくあることだが、ウクライナ軍の後退が勢い付いてきたため、予め建設してあった塹壕も気付いたらどの部隊も利用せずに通過してしまう。ロシア軍の先遣隊が既にポクロフスク市内に浸透し始めたとの観測もある。ドネツク戦線の全面崩壊の責任を取る形でドネツク方面軍司令官のルツェンコ准将は更迭された。
予備隊と要塞化

コーカサス方面での臨戦態勢が続いたおかげで特別軍事行動開始当初から最も練度高かった南部軍管区は、ザポリージャ反攻作戦を無慈悲に粉砕して以来、一部の部隊をドネツク戦線南部のマリンカ攻略に差し向けた以外総じて暇だった。南部軍管区の主力部隊の双璧を構成するのが第8、第58親衛諸兵科合成軍であり、残り2個の非親衛軍は反攻作戦の緊張感が消えると前線で見当たらなくなった。双璧のうち第58軍のイワン・ポポフ司令官はザポリージャ戦役で苦戦を訴え総司令部を批判したため解任され、その後も拘束を経てよくて軟禁中である。その間第8軍のゲンナジー・アナシキン司令官が南部軍管区司令代理に昇進した。軍司令官としては明らかにポポフ少将の方が有能であり人望も篤かったが、組織の中で生きる力の差が両者の明暗を分けた。重い責任を背負ったハイパフォーマーだからと言って公の場で組織を批判してはならないのである。結局、アナシキン大将は在任わずか半年で虚偽報告の責任を問われ南部軍管区司令官代理を解任されている。バフムート戦役あたりまではウクライナ軍には前線で見当たらない主力旅団の番号がたくさんあったのだが、ザポリージャ反攻作戦とクルスク侵攻作戦を経て未だに後方に予備隊として待機している主力旅団番号をすっかり挙げづらくなっている。独立大統領旅団さえも最前線に投入されている。総予備隊の第9軍、第10軍をザポリージャ反攻作戦に送り出して以来、ウクライナ軍は新たに14個旅団を新設したが、装備不足により半数近くは軽歩兵旅団としての編成を余儀なくされた。それに対してロシア軍が繰り出せる予備隊は軍単位である。

戦線後方におけるウクライナ軍の新たな要塞線建設は長い攻防戦の間にあまり進捗しなかった。2023年では大統領府は更なる領土奪還で頭いっぱいであり、戦線後方での築城などという辛気臭い議題は後回しにされた。反攻作戦が失敗に終わった後も効率の悪さと腐敗のせいで工事は遅々として進まなかった。どこが次に敵の攻勢の目標にされるかは予測しづらいし、一旦敵の攻勢が始まると工事どころではなくなる(あくまでも推測であるが、そういう意味でウクライナ軍はドネツク州北部を優先していた可能性がある)。ロシア軍が殺到した瞬間まで、ベリカ・ノボシルカ、ポクロフスク、クラホヴェなどドネツク州南部の残された拠点の間を結ぶ追加の要塞線はまだ建設途上だった。その後方のドニプロ・ペトロウシク州でも要塞化が進んでいないとFTは心配したが、さすがにロシア軍がドニプロ・ペトロウシク州に雪崩れ込むまでにこの戦争は終結するだろう。工兵も最前線の穴を塞ぐために歩兵として駆り出されたせいで不足しがちだったのは本末転倒である。戦闘で疲弊し、後退して態勢を立て直そうとする歩兵にとって塹壕は頼みの綱であり、不十分な築城は兵士達の士気を更に低下させた。軍組織とその周辺の腐敗はロシア軍の方も似たり寄ったりだが、少なくとも工兵部隊の規模、作業環境と能力には明らかな格差があった。口を開けば兵站の軍事アナリストも補給路及びその節点を巡る攻防と要塞築城の重要性を軽視してきた。それは地図を読めないのに加え、兵站という概念を、兵力と戦術面の劣勢を無視して希望的観測を成り立たせる架空のオールマイティ・カードとしてしか使おうとしなかったからである。それに対し本ブログは年初の時点で「せっかく世界大戦の頃と比べて土木作業の効率が格段上がっているので、防御戦を行う前線の後方で次から次へと新しい防御線を構築すべきであるが、ドンバス戦争時代からの要塞を除いて全体的に防御築城の不足が目立つ。援助する側も兵器や砲弾の量産が間に合わないならせめて大量の重機を送るべきだ。ロシア軍がせっせと塹壕を掘っていた間にウクライナ側の関係者全員がそれを怠ってきたのは、少数の新兵器で戦局を変えられる(ゲームチェンジャー)との妄想に囚われ、陸戦の現実を直視して来なかったからである」と防御戦のあるべき姿を説いてきた。戦術と兵站は互いに影響し合うものであり、両軍ともソ連軍の遺風で補給を鉄道に大きく依存する以上、敵を鉄道から榴弾砲の射程以上の距離まで押し出せば兵站が楽になるし、逆もしかりである。
ウクライナ防衛戦略センター(CDS)が「2024年攻勢のクライマックスになる」と表現するポクロフスクへの総攻撃はいまだ開始されていない。かなりの大都市なので、さすがに周辺拠点の脅威を取り除いて三面包囲を形成してからになる。第二次トランプ政権成立前にポクロフスクを攻略するハードルは低くない。ポクロフスク陥落の後、補給路が半減することになるコンスタンチノフカも攻略し、その上で一度戦線を整理してからいよいよドネツク北部戦線の大本営であるスラヴャンスク、クラマトルスクへの総攻撃をかけるという手筈となる。これらのプロセスは2025年いっぱいかかると思われるが、スラヴャンスクとクラマトルスクを中心とする「要塞ベルト」を粉砕した時点で、プーチン政権はドネツク州全域の「解放」と特別軍事行動の終結を宣言することになるだろう。ウクライナ軍とトランプ政権はこの計画を断ち切らなければならない。
戦況のビジュアル化

このようにドネツク戦線におけるロシア軍の進撃は破竹の勢いと呼ぶのにふさわしいものになりつつある。月を追うごとに占領地の拡大ペースが加速した。クルスク侵攻が始まってからの3ヶ月間、ウクライナ軍がクルスク州でまだ維持している占領地と同程度の面積をロシア軍は東部戦線で新たに占領した。ウクライナ軍はクルスクに押し入った後、クルスク込みでも領土を失い続けたのである。

ガーディアン紙の統計は更にショッキングであり、11月に入ってからのロシア軍の支配領域は一気に1,000平方キロ拡大した。上のNY Times版とは10月と11月の間で計上タイミングの違いがあると思われ、ガーディアン版の方が遥かに月によって凸凹であるが、いずれにしろこの間にドネツク州でこれまでと段違いの、非線形的な突破が起きたことは間違いない。1,000平方キロと言えばクルスクの占領地の倍近い。BBCによるとロシア軍支配領域は10月中に500平方キロ拡大した。11月中に占領した面積は725平方キロとAFPは分析した。ロイターの11/26の記事によると前週の一週間で235平方キロ拡大した。FTは「8月以来で1,200平方キロを占領した」と表現する。ただ、この快進撃はあくまでもドネツク州というコップの中の嵐であり、1,200平方キロでも埼玉県の3分の1の面積にすぎない。軍事アナリストは全ての拠点が「戦略的に重要ではない」と言い張るだろう。
両軍の損失


ウクライナ軍の死傷者数は当局の秘匿に同盟国も協力していることもあって、ロシア軍のそれよりも判明しづらい。WSJは9月時点でウクライナ軍の死者8万人・負傷者40万人、ロシア軍の死者20万人・負傷者40万人と推定した。エコノミスト誌によるとUAlossesというウェブサイトが60,435名のウクライナ兵の死者を名前や年齢付きで集計している。うち57,118名は年齢付きであり、それに基づいて年齢分布も作成できる。6万人は戦前の18歳~49歳の男性人口の0.5%に当たるが、これは死者数の下限でありエコノミストは死者6~10万人、戦場に戻れない重傷者40万人と推定した。重傷者と合わせるとと18歳〜49歳男性人口の5%に近い。トランプは不謹慎な言い方でSNSに「ウクライナは40万の兵士を失った」と書き込んだが、戦場に戻れない重傷者を喪失に含めるならだいたい上記と似たような推計である。ゼレンスキーはこれに反発して死者4.3万人、軽傷も含めた負傷者37万人という数字を挙げている。義手、義足を連想させるような「戦線復帰できない重傷」と異なり、軽傷は治れば戦線に復帰できるし、その後もう一度負傷したら負傷者2人とカウントされる。

ロシア軍戦死者についても7月時点でエコノミスト誌が似たような特集を組んでおり、ロシア国内の反体制メディアMediazona and Meduzaは10.6~14万人、BBCロシア語は11.3万人とそれぞれ推定している。死傷者の推定の上限はやはり50万人となっている。いわゆるキルレシオはBBCベースでは1対1に近い。ロシア軍の方が一貫して火力と築城という攻守両面で優勢であり、会戦の条件を整備する戦略ではロシア軍優勢、戦術面と練度は2022年がピークではあるがウクライナ軍有利、その上でロシア軍は事前に構築してあった要塞線に対して攻勢をかける側なので、多少なりとも損失が大きかったという構図に見える。これらの統計に含まれない双方の行方不明者の規模によって実際の損失やキルレシオは変動し得るが、少なくとも砲火の効果が薄れキルレシオが1対1に近付く市街戦をロシア軍が一貫して回避し、ウクライナ軍が一貫して選好していることから、ウクライナ軍が大きく優勢ということはない。

11月末時点のBBCロシア語とMediazonaの統計は80,973名のロシア軍死者を特定し、戦死数の週次分布も掲載している。うち52%は特別軍事行動開始時にロシア軍に所属していなかった。右図の色の濃い順に開戦時点で軍に所属していた契約兵、部分動員で動員された徴兵、一時金を払って募集した志願兵、囚人兵と民間軍事会社(共にワグネル所属と思われる)である。正規軍の損失はやはり特別軍事行動初期に集中しており、次に2023年初のバフムート戦役でワグネル軍と国防省が募集した囚人兵が大量に戦死した。これは攻防戦がそれだけ激しかったことを意味しており、同じ囚人兵の中では歩兵戦術に精通しているワグネルに所属した方が損耗が遅かったことが分かっている。戦死者が再び増えるアウディーイウカ戦役の頃になると囚人兵に代わって志願兵が戦死者の大半を占めるようになった。興味深いことに、8月に始まったクルスク州とドネツク州での戦闘激化の中でロシア軍の戦死者は増えないどころか急速に減少している。もちろん統計作業にはラグがあってもおかしくないので直近のゼロ近辺までの落ち込みは信用できないが、それでもロシア軍の支配領域が爆発的に増えているにもかかわらず戦死者数が8月以来週次データで一貫して減り続けているのは、やはり戦線に何らかの質的変化があったことを示唆する。
募兵制


志願兵を給付金で釣る中世的な募兵制とも言えるやり口がロシア軍の兵力供給を支えている。入隊時の一時金に加え、死亡や負傷した場合も補償金が支払われており、一部の貧しい地域ではこの収入は60歳まで民間人として働いて得られる収入の累積額を上回る。「前線に行って1年後に殺されるほうが、男性のその後の人生よりも経済的には得になる」状況をロシアの経済学者ウラジスラフ・イノゼムツェフは「死の経済(Deathonomics)」と呼んだ。BBCロシア語の州別戦死者数統計を見るとモンゴルに近いシベリアが死亡率で突出している。それに連動する形でモンゴルに近いトゥーバ共和国(前国防相ショイグの故郷でもある)やブリヤート共和国では銀行預金が急増した。もちろん政府が刷った給付金に支えられた活況はゆくゆくはインフレと高金利になって返ってくるのだが、とにかくこれらの最貧地域は貧困を脱したばかりかタワマンまで次々と建設されている。

代わりに次々と中年男性が識別票や骨の欠片になって帰ってくることになるのだが、これでは反戦運動に繋がるどころか、特別軍事行動に従軍せず家族の貧しい人生を変えられなかった父親が子供に冷たい目で見られても仕方がない。
ウクライナ軍は当初ロシア軍に人的損失を強いることで継戦能力を削げると見込んでおり、その作戦指揮もあらゆる拠点の死守と共に個々の兵員の殺害に重きを置いていたように見えた。ウクライナ軍のドローンがロシア兵を殺害する動画がSNS上に連日流れていたが、この運用思想はせいぜい長い塹壕戦の間に立ちション等で塹壕を離れた敵兵を狙撃するスナイパーの三次元版にすぎない。一方、ロシア軍は明らかに最優先目標を重装備の破壊に置いており、ドローンも非常に射程距離が長い対戦車ミサイル(徘徊弾薬)や安価な巡航ミサイルと定義しているように見える。1940年前後の冬戦争でもフィンランド軍スナイパーの武勇伝ばかりが語り継がれているが、戦争自体の展開は物量の格差通りであり、ソ連赤軍がフィンランド軍を戦場で打ち負かした上で戦争目的を達成したことを忘れてはならない。全体の戦況からかけ離れた個別の武勇伝など殺人ポルノにすぎず、そのようなポルノの延長上に全体像があるかのように陸戦を語ってはならない。いずれにしろ、防衛戦争であるがゆえの動員能力の優位をウクライナ軍は2022年に使い果たしており、ザルジニー前総司令官などはこれだけ敵に人的損失を強いても効果がなかったと嘆いていたが、要するにロシア軍は募兵制を使って動員能力を再び人口比通りに持ってきたのである。

もちろん募兵制にも欠点がある。兵員数が集まっても士気と練度には限界があるし、組織を支える下士官は兵士ほど簡単に集まらないため、この巨大な募兵集団が同規模の国防軍と同様の戦力を保持するとは評価しづらい。プーチン政権の異様な財政緊縮志向、軍縮志向から普通の国に戻る過程は国防産業を中心とする経済に活気をもたらしたが、それ以上の給付金の印刷は持続不可能なインフレ、高金利と通貨安に繋がりつつある。ウクライナが持久戦を決め込んでいれば敵の戦時経済が破綻する日の朝を迎えられる可能性もそれなりに大きかった。しかしロシア軍と政権にとって極めて幸運なことに、ウクライナ軍と政権は短期決戦を選好した。

もっとも、士気や練度などは相対的に当面の敵よりマシであればよい。パイロットや整備士を含む空軍スタッフから医療スタッフまで歩兵部隊に詰め込んでいるウクライナ軍の方が兵員の枯渇感が強い。FTの取材に応じた将校は付き添いの料理人まで塹壕に送り込んだという。米国当局はウクライナ政府に動員年齢の25歳から18歳への引下げ(動員拡大)という「厳しい決断」を求めており、それに対しゼレンスキー政権は足りないのは兵士ではなく兵器として抵抗している。米国側は兵員数が足りないなら兵器だけあっても効果を発揮できないとしているが、雀の涙のハイテク兵器(ゲームチェンジャー)を扱える兵士すら不足したわけでは当然ないので、要するに「負けて鹵獲されるかもしれないのに劣勢サイドに兵器を渡したくない」という心理である。論争している間も前線の部隊はローテーションもなく戦い続けている。補充される新兵は簡単な訓練を受けただけの中高年男性が多く、ロシア軍と同様、ウクライナ軍も中高年男性で構成された軍隊になりつつある。絶望的な戦況と劣悪な環境を前に脱走が相次いでおり、訴追された今年の脱走兵だけで6万人に達する。脱走兵の総数は10万人を超えると推定され、最大で20万人とする国会議員もいる。開戦後にウクライナ軍は最大100万人を動員したと言われ、全てが野戦軍ではないにしろ、ヘルソン市奪還の頃は兵員数で圧倒的に優位に立ったので人海戦術を用いる余裕もあったのが、今現役で任務に就いているのは約35万人であり、ウクライナ領内で60万人前後の兵員を維持するロシア軍に対して量的劣勢が拡大している。100万人のうち、戦死10万、重傷40万、脱走15万とすれば案外辻褄が合うのが恐ろしいところである。火力では一貫してロシア軍優勢なので、量的にも優勢に転じ始めたのはロシア軍の死傷者が減り始めたこととも辻褄が合う。
停戦交渉

11月に決まった第二次トランプ政権の爆誕はプーチン政権にとってブランデンブルクの奇跡に当たる出来事であった。七年戦争でプロイセンのフリードリヒ大王はオーストリアとロシアの連合軍を相手に敗死も覚悟するほど苦戦していたが、敵国の一角であるロシアで反プロイセンのエリザヴェータ女帝が死去し、親プロイセンのピョートル3世が即位したことでロシアが連合軍から脱落したことが知られている。選挙結果を聞いてロシア軍将校群の士気は沸騰したことだろう。


もっともバイデン政権からトランプ政権への移行による影響を過大評価すべきでもない。米国によるウクライナへの軍事援助はザポリージャ反攻作戦の直前にピークを迎え、反攻作戦が失敗に終わり、何よりも2023年末からイスラエル・ハマス戦争が勃発したことで一気に削減された。テクニカルには2023年11月にウクライナ安全保障支援イニシアチブ(USAI)の予算を使い切ったのがきっかけであるが、後続法案の成立は共和党の反対のせいで2024年4月までかかり、その後も援助の規模は回復していない。その間の空白は欧州が頑張って埋めた形となる。従って逆説的ながらトランプ政権になって更なる軍事援助の縮小が戦局を著しく悪化させる余地はあまりない。将来そういう都市伝説が生まれるかどうかまでは分からないものの、背後からの一突きとまではならないだろう。

ゼレンスキー政権は既に11月に様々な海外メディアに対し、クリミアを含む全領土の武力奪還の困難さを認め、失陥した領土については将来の外交的な方法で返還交渉ができるとのスタンスを明らかにしている。2年前ならともかく今すっかり現実的になったゼレンスキー政権に対してトランプ政権が改めて圧力をかける余地はあまりない。むしろウクライナ政府が戦場における劣勢への加速度的な転落の中で始まる停戦交渉を「あくまでもトランプ政権の圧力で開始した」という構図に持っていきやすくなる。トランプ政権の停戦案は朝鮮戦争の休戦の前例に準ずるもの、つまりその時の前線を実効支配線とし、平和条約やその前提となる領土画定までは立ち入らず、とにかく暫定的な非武装地帯を設定して両軍を引き離すものになると思われるが、1953年の停戦成立の2年前から既に陣地戦に移行して戦線が動かなくなっていた朝鮮戦争は状況が異なる。問題は今戦場で勢い付いており停戦を先延ばしにした方が得するロシア軍の方であり、停戦を実現させようにもまずロシア軍の進軍の勢いを挫かなければならないという課題にトランプ政権も同様に直面している。純軍事的にはロシアはトランプ政権による調停を必要としていない。米国が現行の支援ペースを維持できたところで、ドネツク州全域の占領とウクライナ軍の非武装化による特別軍事行動の終結は視野に入りつつあるからだ。それでも兵士の更なる消耗が支持率に響く可能性があるプーチン政権は停戦自体を拒否するほどではないが、停戦までにとにかく前進を果たして将来の実効支配線をウクライナ側に押しやりたいのだろう。それに対してトランプ政権は結局のところ、ウクライナ軍への支援の劇的な拡大の可能性をカードにせざるを得ない。劇的な支援金額引上げの困難さは見透かされているだろうから、それは具体的にはこれまで出し渋ってきた新兵器のタブーのない供与か、今まで抜け穴を残してきた経済制裁の劇的な強化になると思われる。
繰り返しとなるが実効支配線での停戦ないしは休戦は国境線の正式な変更を意味するものではない。ソビエト・ロシアが一旦獲得した領土を平和裏に他国に譲渡した前例はほとんどないし、領土紛争の裁定は戦争による更新を経ない限り実効支配側が有利なのが原則である。しかし昨年32年越しに武力で解決されたナゴルノ・カラバフ問題の例のように、たとえ支配の実態が長らく無かったとしても、薄っすらと法的な正統性を維持していれば、ウクライナが将来奪われた領土の奪還に動いたとしてもそれは「武力による現状変更」として批判されることはない。停戦が国境線の現状変更を必ずしも意味しないにもかかわらず、「ロシアの武力による現状変更を成功させてはならない」と原則論を唱えて停戦をタブー視してきたナイーブな識者が多いが、結果的には2023年のどこかで停戦なり休戦なりを決めていた方がウクライナにとって遥かに有利な条件な停戦になっていた。欠点も多いトランプの最大の強みは識者の原則論を豪快に粉砕できるところだ。ウクライナの安全保障については、後にメルケルが「ウクライナのための時間稼ぎ」と認めた2015年のミンスク合意と同様、停戦はロシアに時間を与えるというよりウクライナに時間を与える。ロシアはあくまでも抑圧を受ける戦時に強いタイプの国家であり、平和な時代にロシアの国力を削ぐには原油価格を低めに抑え続ければよく、それはトランプ政権にとって難しいことではない。
戦闘民族同士の民意

ロシア側の民意について。9月時点の独立調査機関Levada Centerによるアンケート調査結果によると、停戦への支持は半々であるが特別軍事行動への評価は高い。ウクライナへの領土返還とNATO加盟容認は依然7割が反対している。もしプーチン政権がウクライナへの領土返還を決めても6割は反対すると答えており、これはプーチン政権の譲歩の余地を狭めるものである。もっとも大半のロシア人が素直に答えないであろう教条的な質問とは別に、特別軍事行動の損得を聞かれると2023年時点よりも損失の方が大きいと答える人が増えてきている。

Gallupによるウクライナ人のアンケート調査にはもう少し人間味が感じられる。早期停戦に向けた交渉への支持は2024年になってようやく半数を超えた。勝利まで戦い続けるべきとする声は東部の州を中心に薄れている。領土的譲歩を伴う和平交渉にも辛うじて過半数の回答者が支持した。自分は戦場に行かずに済む高齢者ほど好戦的なのはウクライナだけでなくロシアも同様と思われ、これは人間性の醜悪な一面である。いずれにしろ、現在の前線での即時停戦に対して両国とも民意は阻害要因にならなそうである。
結び

特別軍事行動は様々な厳しい制限を受けた異形な戦争であった。少数の新兵器は全体の戦局を変えるほどの影響を持ち得ず、砲弾を含む一般装備の量産能力(物量)が継戦能力を決定することが改めて確認された。舗装道路を利用した高速機動は捕捉されづらいものの一旦攻撃の目標になれば被害を受けやすく、治安戦しか想定していなかった車両を中心に防御力(装甲)不足は前線から非難を浴びた。戦場の至るところにドローン等によるセンサー網が張り巡らされた結果、機甲部隊の大規模な集結も封じられ、亡きプリゴジンが導出した100年前(奇しくも塹壕戦の完成から機甲部隊の集中運用までの短い期間に当たる)と同様の歩兵の小部隊による浸透戦術が城塞攻撃の標準形となった。

航空機が発達した現代において100年前の戦訓など役に立たないはずであった。制空権の定義である「敵の航空戦力を撃破または抑制して優勢を確保することで空域を支配し、敵から大きな妨害を受けることなく陸海空の作戦を実施できる」において、前半と後半は繋がっていないことが判明した。空戦で劣勢で空を使えなくても、S-300をはじめとする強力な対空砲火網を維持することで、敵にも同様に空を使わせない状態の長期にわたる維持が可能となった。ロシア軍はステルス機を量産できておらず、ウクライナの西側同盟国も攻撃型ドローンを含むステルス機の投入を自粛したため、ステルス機を頂点とする敵防空網制圧(SEAD)→近接航空支援(CAS)の流れが構築できず、敵の陸軍にはあくまでも陸軍をぶつけなければならなかった。本来レーダーとミサイル兵器の発達でどう考えても出番がない巨大人型兵器を活躍させるために両軍のレーダーを無効化する架空の粒子を考案した某プラモデルの販促アニメが有名であるが、(様々な偶然が積み重なった結果であるが)空での手詰まりが戦闘様式の復古に繋がった様子はそれを彷彿とさせる。

従って次の戦争の様相はまた違ったものになる可能性が高い。しかし、両陣営とも今回特有の構図への対応に苦慮する中、主力戦車をはじめとするロシア製兵器も欧米による軍事支援も欠点や限界ばかりが目立ったことは、世界中で戦争行為への抑止力の全面的後退に繋がった。代わりに「装備のカタログスペックでさえ敵を圧倒していれば戦争を低コストに、(選挙権を持つ一般国民が参加する必要もなく)プロフェッショナルに進めることができる」というこれまでの常識を、百万人の死傷に加え国土に与えた甚大な被害を与えた陸戦が否定したことが次の戦争の抑制力になるとすれば、それが特別軍事行動の数少ないポジティブな遺産となる。戦争は決してクールなものではないのである。
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