Bloomberg JGB
 日本の金利市場、米ドル相場の陰謀論、そして関税についてとりどめなく。結局日銀の1月利上げは何のトラブルもなく済んだ。それが予定の行動であったにもかかわらず、2月から3月にかけて日本の長期金利は大幅に上昇した。1月末時点の1.2%近辺の長期金利水準はまだ本ブログが長らく考えてきた「1%を大きく超えない」の範囲に収まっていたと強弁できるが、3月に1.6%手前まで上昇したのは全くの予想外であった。すんなりと日本の国債金利が上昇した背景として、どうもベッセント財務長官から日銀に「円安是正と利上げ加速」の外圧をかけたということになっていたようだ。もちろん普段からベッセントは日銀の金融政策正常化に対してポジティブなコメントを繰り返しているが、どうもそのレベルではない。確認できる最も古い話としては、日本経済新聞が1月会合直前に取り上げた「関係者の間で流れている情報」がある。

「次の米政権の有力閣僚、ベッセント次期財務長官は日銀の金融政策正常化を望み、歓迎する――」
「情報のネタ元は、ヘッジファンドなどを顧客とする米金融情報コンサルタント会社、オブザーバトリー・グループの昨年12月中旬のリポート。"ベッセント次期米財務長官は①円が弱すぎる②日銀の金融政策正常化が遅すぎる――の2つを問題視している。同氏の就任後、日本にこれらの懸念を伝え、改善を要求しても全く不思議ではない"と指摘した」
「この情報を軽視できないのは、オブザーバトリー・グループの共同経営者、齋藤ジン氏がベッセント氏と親しいからだ。ベッセント氏はヘッジファンドでの経験が長く、両者もそうした世界で交友を深めた」
Nikkei BOJ May hike
 常に蚊帳の外にいる本ブログなどから見ると、我々が歴代の財務長官から聞かされてきた「強いドルは国益である」が実は建前で、関係者のインナーサークルの間でだけ「円高誘導と利上げ加速」を求める財務長官の本音が共有され、それが市場テーマになっていく流れは非常に不愉快である。次回利上げの織込みはこれまでコンセンサスになっていた「半年ごとに1回のペース」から逸脱する形で前倒しされ、6月をメインシナリオにしつつも、5月利上げ確率が一時3割近くまで上昇した
Bloomberg Japan super long bonds
 日本国債に投資する機関投資家も期末を前に「ベッセントからの外圧」を言い訳にしたのか、豪快に国債保有を削減した。正確には、利上げ前倒しの織込みと比較しても国債金利は派手に上昇した。金利スワップとのスプレッド(スワップスプレッド)の拡大は、利上げ前倒し云々の議論から離れて国債自体の需給悪化が本格化したことを示唆する。

恭順の円高への道

Ueda Trump
 12月利上げにストップがかかった記憶はまだ鮮明であり、昨年夏以来、日銀の利上げにはあれだけ財務省からの妨害、政治家からの罵倒が伴ったのに、1月会合を皮切りに日銀の引締め加速ムードを戒める声は全く聞かなくなった。あれだけ金融政策に一家言あると自負して日銀の利上げを批判してきた人達が、「ベッセントからの外圧」と聞いた途端にウンともスンとも言わなくなったのである。「ベッセントからの外圧はすなわちトランプの意思であり、ベッセントからの外圧に逆らうことはすなわちトランプに逆らうことである」という大本営参謀のような論法を面に向かって用いるまでもなかった。日銀の利上げを批判してきた面々はそれだけトランプ政権が怖く、ないしは機会があれば媚びたいと思っており、従ってトランプ政権の影にも従順であり、一たび錦の御旗を見せられれば自分の金融政策への一家言、天下国家の脱デフレへの想いなど直ちに泥の中に打ち捨てられる柔軟性を持っていたのである。
Bloomberg US JP Spread
 しかし、偉い人達ほど従順でなかったのはドル円相場である。日本側の急速な金利上昇もあり、2、3月にかけて日米長期金利差は久々に3%を割り込んだ。しかしドル円は150円台後半から150円割れまで円高が進んだものの、3月になるとむしろすっかり底堅くなってしまっている。円高にならない限り円金利の上昇は止まらないし、更にそれを為替市場は無視し続けた。
Gaitame IMM speculative Yen position
 日米金利差を見ている可能性が高いIMMの投機的ポジションで見るとかなり久しぶりの規模まで円買いが積み上がっている。それでも相場が全然円高に動かないどころか、積み上がったポジションは円安方向へのストレスに脆弱になってしまう。
Nikkei orukan
 日米金利差を見た投機的な円買いを吸収したのはまたしても個人投資家によるオルカン投資だったと思われる。年初で新NISA成長投資枠が空いていることもあって個人投資家は円建て米株の押し目に飛び付いたようであり、「ベッセントからの外圧」の空気を読まない彼らの海外投資は円高を阻止し続けた。逆に言うと個人投資家のこういうキャピタルフライトが続く限り、日銀の引締め前倒し圧力も強まるというものだ。本気で円安を是正したいならば、このキャピタルフライトにメスを入れなければならない。

ドル安の聖典

 結局、本格的なドル安円高は、4月のローズガーデン関税の後にトランプ政権の通商政策と経済政策への世界中の投資家の不信が炸裂して米ドル全面安(米国のトリプル安)が進行するまで待たなければならなかった。ところで本当にベッセントの財務省は弱いドルを望んだのだろうか。歴代の財務長官は強いドルを望む姿勢を表明し続けており、ベッセントも例外ではなかった。しかし第二次トランプ政権は本当はドル安を望んでいると人々は言う。発足前や発足直後のドル高コール一色とは大違いだ。「関税を撤廃してもらうのと引き換えに、ドル安円高を実現するために日銀が利上げを前倒しする」ディールを想定する声がすっかり大きくなってしまった
Stephen Miran
 トランプとベッセントが米ドル安を求めているとされる根拠は何か。ローズガーデン関税の時に「非関税障壁」の筆頭に「為替操作」が挙げられたことが知られている。もう少し理論的背景を探すと、再び例のスティーブン・ミランの「世界貿易システム再構築のための取扱説明書(A User’s Guide to Restructuring the Global Trading System)」に行き当たる。ミランは米ドルは世界の基準通貨であるがゆえに恒常的な過大評価が生じてきたと主張する。本来、貿易赤字は通貨安に繋がり、それが進んだ段階で貿易赤字が減って再均衡に達するものだ。しかし米ドルが基軸通貨であるがゆえに、貿易黒字国は稼いだ米ドルを米国債投資等で打ち返してくる。そのせいで貿易競争力を失っても米ドル安が進まないため、製造業への負荷がますます増大し、今の体たらくに至ったというわけである。その不均衡を是正するためには関税と米ドルの切り下げが俎上に上がる、という流れである。後者はプラザ合意にも似た多国間の通貨政策協調によって実現されるものであり「マールアラーゴ合意」と名付けられる。そこでは諸外国が外貨準備を売却し、また保有する米国債を100年国債に交換することで、過去の負債がもたらす米国財務省の利払い圧力を軽減する。或いは米国の支払い利息から「準備通貨の利用料」そして税金なり手数料なりを徴収する。これが成功すれば貿易黒字国が過去に蓄財した外貨準備は没収に近い形になるが、それでも協調を実現させるためには再び関税が武器になる。

 「マールアラーゴ合意」は現実的に可能だろうか。どんなに真面目にミランに寄り添っても、米ドル安誘導は米国の製造業が復活した後でなければならない。なぜならトリフィン世界にすっかり適応した状態でマールアラーゴ合意など言い出しても、米ドル安を製造業の競争力向上に転換できず、ただ米ドルが紙くずになって終了するからである。また準備通貨からステップダウンする過程で中国にドル建てGDPで大きく引き離されたら安全保障も何もなくなる。何よりも、いつかマールアラーゴ合意がやってくると諸外国が本気で懸念し始めたら、米国への証券投資などとてもできなくなる。歴代の財務長官による「強いドルは国益」発言は、財務省の円滑なファンディングのために、まさに第二次ニクソンショック、第二次プラザ合意をやらないコミットメントである。ミラン自身もさすがにジョークが過ぎたと気付いたか、「他人の考えを紹介したもので私の考えではない。トランプ政権の方針を示したものでもない」とあまり触れてほしくなさそうにしている

 とはいえ為替操作批判からも分かるように、米ドル高が米国の製造業を駄目にしたというトランプ政権の被害者意識は本物であるようだ。一方で、トランプ政権の最適関税理論はドル高(相手国の通貨安誘導)を前提にしていたのではなかったか?この矛盾をどう整合させるのか。米国はいったいドル高とドル安のどちらが嬉しいのか。突き詰めると公約数は一つしかない。「ドル高のまま諸外国から関税を毟るのが嬉しい」のである。間違っても「ドル安に誘導するための武器としての関税」という構図ではない。専業主婦が夫に対して「あんたのせいで私のキャリアがすっかり駄目になって」と言い出したとして、「じゃ働き出しやすいようにユーキャンでTOEICをやるか」となるのか?「この人はお金がほしいのだな」ではないのか。

 「マールアラーゴ合意」に対するヘッジ手段は、外貨準備を米国資産から他の市場に移すかゴールドに換えることしかない。ローズガーデン関税から始まる混乱の中で米国がしばしばトリプル安に見舞われたのは、アジア、欧州の投資家による「マールアラーゴ合意」懸念への牽制と示威とも表現できる。トランプ政権にとって今は「取扱説明書」的にもまだドル高で関税をオフセットするフェーズであるはずで、ドル安を加速させるのはむしろ彼らの見当はずれを助長する行為だ。前回の記事でも推定したようにトランプ政権はとにかく「一律10% +中国60% +安全保障に絡む品目の個別関税」程度の歳入を毟るのが目的と思われ、何かと交換に10%まで全て撤廃してもらおうというのは非現実的である一方、10%を上回る分の「相互関税」については、とにかくトランプのディール芸の演出に協力さえすれば撤廃は難しくないだろう。
Yardeni Magnificent7 vs USD index
 そもそも米国経済は「対価を稼げないまま負債を刷って消費している」レベルまで堕ちたわけではない。第二次トランプ政権のナラティブの中で空気になっているだけで、米国は海外からサービス黒字を回収している。もし何かの拍子で本当に米国の貿易赤字が消滅した場合、ラージテックなどは世界中から猛烈な勢いで米ドルを回収すると思われ、諸外国のサービス赤字の流出は外貨準備取り崩しと金融危機に繋がるだろう。米ドル相場とマグニフィセント7の株価は連動してきた。マグニフィセント7が健在である限り、極端な米ドル安にはなりようがない。

混乱で歪んだ日本の金利市場

Bloomberg Japan CPI
Nikkei Japan short end
 より穿った見方をすると、「円高要求の演出」自体が、ここ数年円安インフレに苦しんできた日本政府の芸である可能性もある。利上げを完遂したい日銀にとっても、外圧の演出は好ましいものである。現実的に関税経済が米国にとってインフレーショナリーかデフレーショナリーかは見方が分かれるとしても、掛けられる方にとっては間違いなくデフレーショナリーであるこれはECBもはっきりと述べている。円安も一服したことで、日銀にとっての利上げ前倒し圧力は強まったというより弱まったと見るべきである。もちろん直近のCPI伸び率は全く収束していない中で利上げが完全に挫折したと見るべきではない。激しいリスクオフの中で「0.5%の壁」さえ復活したと言われ始めているが、さすがにそれは極論であり、利上げ織込みが一向に復活しないのは、先立って利上げ加速にベットしていた市場参加者の傷跡にすぎないと思われる。
Bloomerg Japan Real  Yield
 長期金利で言うと、従って1%割れは遠く、一方で本ブログが置いて行かれた1.6%もやはり間違っていたということになる。関税経済で市場ベースのインフレ期待は低下しており、その結果2020年以来はじめて日本の長期実質金利はポジティブになった
Bloomberg JGB 30y
 今後30年のインフレに余裕で勝てそうな、2005年以来の水準まで上昇した日本の30年国債金利は更に間違っており、これは米国のトリプル安と同様、混乱からのセンチメント回復と共に修復される類いの値動きであると思われる。

要約

・円安是正を求める外圧が取り沙汰され、日銀利上げへの障害が消滅
・米国はドル高の犠牲を強調するが、それは関税を取るための理由
・マールアラーゴ合意は米ドルを紙くずにするため現実的でない
・円安インフレの懸念はよくも悪くも関税経済で後退
・関税経済は日銀利上げを後ろ倒しさせるが、完全には挫折しない
・超長期金利と米国のトリプル安は、センチメントと共に修復へ

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この記事は投資行動を推奨するものではありません。