Reuter Jackson hole
 久々に米国の労働市場と金融政策について。前回の記事は3ヶ月前になってしまったが、そこでは8月末に行われたジャクソンホール・シンポジウムで発表されるであろう筋書きを先取りし、9月FOMCから始まる利下げサイクルの再開は決定的になったと宣言した。秋から冬にかけての展開は基本的にその時の観測から外れていない。

金融政策を決定するジャクソンホール

 ジャクソンホール・シンポジウムは元より特定な会合での利下げ・利上げを発表する場ではない。しかし、ジャクソンホールは新たな金融政策の枠組みの導入を欧米の中央銀行が検討していた時に頭出しされやすい場である。従って「ジャクソンホールでは何も出て来ないよ、そういう場ではない」と斜に構えたことを言う人は――斜に構えたことを言う人が常にそうであるように――的外れである。2010年のジャクソンホールではQE2に向けた理論武装が行われ、この時からジャクソンホールの重要性は決定的になり、2012年になると開催前からすっかり「ジャクソンホールでのQE3示唆」期待が高まるようになった2020年のジャクソンホールではインフレの物価目標からの一時的な上振れを容認する悪名高い「平均インフレ目標(Average Inflation Targeting)」が発表され、これでは永遠に利上げなど来ないのではないかと市場参加者に錯覚させた。なおその後のインフレ高騰によってAITは黒歴史になり、今回のジャクソンホールでついに撤廃されることになる。2022年ジャクソンホールの「わずか8分間の講演」ではパウエル議長は「インフレ抑制のための利上げを継続する」と宣言し、株式指数の急落を招いた
Jun FOMC
 さて、2025年8月22日のジャクソンホール・シンポジウムのテーマは“Labor Markets in Transition: Demographics, Productivity, and Macroeconomic Policy”(「移行期にある労働市場:人口動態、生産性、マクロ経済政策」)であり、その時点で前回の記事と似たような話をすることになる可能性が高かった。経済指標が示すように、目下の労働市場は移民制限が招いた労働者の減少に伴い、雇用者数の減速と局所的な人手不足が併存しているより文系的に言えば「雇用と物価の板挟み」である。トランプ政権の経済政策が招いたこの二律背反をどう解釈するか、雇用と物価のどちらをより重要視するか。これがFedの中でも高官達を党派性もあってハト派とタカ派に分裂させたのは6月FOMCのドットチャートでもくっきりと観測できた。ジャクソンホール・シンポジウムはこの二律背反のアウフヘーベンとなる枠組みを提供する必要があった。

利下げ再開の論理

 ジャクソンホールにおけるパウエル議長の講演ではそれがもたらされた。パウエルはまず「雇用者数の増加は大幅に鈍化しているが、失業率や他の労働市場指標にはまだ大きな緩みは見られない、背景には移民減少などによる労働供給の縮小がある」という現在の労働市場を説明した後、この需給両面の鈍化がもたらす均衡を「奇妙な均衡(a curious kind of balance)」と表現した。「均衡」と言えるのは失業率が横ばいだからだ。ここまではみんな知っていることだ。物価の方は目標より高いのだから、均衡しているなら金融政策での対応が必要ないのではないか。そうとはならず、パウエルは説明もなく「この異様な状態は雇用のダウンサイドリスクの上昇を示唆しており、そのリスクが実現した場合は素早く、急激に解雇と失業が増えるだろう」と繋げたのである。このロジックは二律背反のうちどちらかを取るべきかを決定づけた。

 「奇妙な均衡」が急激な解雇と失業に結び付くとはどういうロジックか、講演原稿を読んだだけでは本ブログの読者以外は咄嗟に反応できなかっただろう。前回の記事でこのカラクリは既に解説済みであった。米国経済の規模感はNFP総数によってこそ決定され、労働人口の減速は潜在成長率の低下に繋がる。2024年は「移民増なので思いのほかサームルールが発動されなかった」とすれば、2025年は「移民減なので思いのほかサームルールが発動されやすい」のではないか。「均衡→悪化の可能性」を繋げる論理として明らかにこの「疑似サームルール」がジャクソンホールに採択されたのである。「奇妙な均衡」とはまさに先月の記事で述べた縮小均衡であり、縮小均衡と口に出したくないから「奇妙な均衡」なのである。
Sep FOMC projections
 そして9月FOMCでは難なく25bp利下げが決定された。7月会合では既に2人の理事が25bp利下げを主張して据置きに反対しており、9月会合直前では、長らく続いたパウエルFedの全会一致時代が終わり、25bp利下げはタカ派の総裁達と忠誠アピール派のミラン(マイラン)新理事の双方から反対される可能性が観測された。しかし蓋を開けてみるとパウエルFedの団結はほとんど損なわれておらず、マイランの50bp利下げ案には誰も同調しなかったし、逆に利下げ反対の票もなかった。正確には、討議の時点では「インフレ目標復帰の動きは失速しており、復帰があまりにも遅れるとインフレ期待が動いてしまう」を理由に据置きが正しいと主張する高官が二、三人いたようであるが、パウエル議長の統率力のおかげで彼らは反対票を投じることはなかった。まだ現実になっていないシナリオに対応する利下げなので、パウエル議長は利下げを「リスク管理の利下げ(risk management cut)」と表現した。経済見通しは6月より明るくなっており、これは通商ディール締結を受けたものであり、何よりも自分達がリスク管理の利下げをするのだから失速しないということだろう。物価見通しも2026年中のインフレ収束に対して一層悲観的になっているが、物価と雇用の二律背反は既にアウフヘーベンを得たので物価はリスク管理の利下げを妨げない。

政府閉鎖中の労働市場

Bloomberg ADP
 さて、ジャクソンホールが懸念したように、縮小均衡は果たしてその後スパイラル状の雇用情勢悪化という二次効果をもたらしたのだろうか?ややこしいことに、10月に入って政府閉鎖が始まって経済指標の発表が遅れ始めると雇用情勢が霧に包まれてしまう。そうなると、以前は注目度が低かったADPの民間雇用統計が最も頼りとなる。経済自体に何が起きているのかを知りたい場合、政府部門が作るノイズは見れなくても構わないはずだ。ADPもQCEWの年次改定に従って過去分の下方修正を行っているが、QCEWの下方修正自体はよく知られたイベントとなっており、更なる修正の可能性のせいで全体像が見えなくなるような不安はない。ADPを見ると特に「解放の日」以降の民間雇用は減速が明瞭になっているが、加速度を付けてクラッシュしているわけではなく、一段と低い水準に切り下がっただけである最新の10月分ADPはまだポジティブであり、加速度的に悪化しているようには見えない
WSJ ADP 4week average
 ADP社は政府閉鎖に対応して週次データの公表も始めた。これで月内の経済情勢を見逃すこともなさそうだが、ADPの週次データの4週移動と月次データは必ずしも方向が一致していないことに要注意である。ADPの週次データも要するに一進一退が続く
Bloomberg US initial jobless claims
 新規失業保険申請件数は依然低迷しているが、継続受給者数は高値を更新しようとしている。最も賃金が低く失業しやすいグループの雇用が崩れない限り、公務員やエンジニアを解雇された労働者は少し賃金の低い椅子を探していけばよいので、新規失業保険申請件数が膨らむのは最遅行である
Bloomberg Challenger job cut announcements
Yardeni Challenger by sectors

 新規失業保険申請件数の先行指標であるチャレンジャー人員削減数は明らかに例年以上に増えている。もっともセクター別に見ると倉庫とテクノロジー業界が多く、これは技術革新に伴うものであり、いわゆる個人消費の景気に連動したものに見えない。なお技術革新に伴う構造的な失業は、失業者の下方への椅子移動に繋がるので当然賃金インフレを抑制する方向に働くが、元に戻そうと思ったところで利下げ継続で解決できる類いのものでもない。
GS layoff tracker
 チャレンジャーに加えてJOLTS解雇率などからなるGSの解雇トラッカーも、パンデミックを除く期間の中ではそれなりの水準になっている。雇用者数(ADPやNFP)が減るだけなら「労働供給が減ったからかもしれないではないか」と強弁することも可能であったが、解雇は解雇である。「雇用者数が減っているのは労働供給の制約のせいであり、人手不足はむしろ賃金インフレに繋がり得る」懸念だけは無用である。
Bloomberg college educated job loss
GS labor market for college graduates
 企業におけるAI普及に伴い大卒新卒の就職事情も悪化している。これも単体ではリセッショナリーとまで言えないにしろ、明らかに「労働供給の減少」とは関係ない雇用悪化である。余談であるがAIの収益化問題については、ユーザーが何らかの製品を作って売るイメージが先行しているが、収入よりも、このように人員削減(人件費削減)に繋がれば十分ペイするのである。
GS overall labor market githtness
 こうしてみると、シクリカルな雇用減速はどうも続いている一方、それがスパイラル状に加速しているわけではなさそう、という全体像に辿り着くだろう。AI関連の若年層の失業、自動化による物流関連の失業など局地的にはかなり悪化しているが、少なくとも消費が滑ったせいでサービス業が総崩れになるという構図ではない。従ってジャクソンホールが恐れたように「雇用の奇妙な縮小均衡の次にやってくるのは急速な悪化」が実現したわけではないと言えるだろう

高官たちの反乱

Reuter US CPI
 にもかかわらず9月、10月とFedはジャクソンホールが定めたロジックに従って粛々と利下げを続けた。悪化が顕在化したわけではない中で「将来の潜在的なリスク」を理由とした利下げは必然的に9月、10月にかけてあらゆる金融市場でバブルを引き起こした。株式とゴールドのバブルモードは10月FOMCでブレーキがかかる直前にクライマックスを迎えた。そこで一部のタカ派連銀総裁達が反乱を起こしたようである。10月FOMC議事要旨にも「労働市場の急激な悪化は見られない」とジャクソンホールのフレームワークに対する参加者のチクチク言葉が残されている。
GS FCI
 カンザスシティ連銀のシュミッド総裁はインフレ率がまだ高すぎるとして据置きを主張して利下げに反対票を投じた。賛成票を投じたものの「据置きが結論なら据置きにも賛成しただろう」とわざわざ議事要旨に残した逆さハンコの投票者も何人かいた。それなら堂々と反対しろ、それでも男か、と言いたいところだが、パウエル議長がかなり頑張って根回ししたから反対票が一人で済んだに違いない。また年内(12月会合)についても「多くの参加者は据置きが妥当」と主張した。利下げ反対論の根拠は物価の根強さ、経済の堅調さ、フイナンシャル・コンディションの緩さであった。9月から10月にかけて政府閉鎖もあって動かなかったCPI以外大した指標は出ていないので経済云々は今更であり、要するに株式指数が高すぎて気に入らないのであるパウエル議長も会合後の記者会見で「12月会合での追加利下げは既定路線ではない。そう呼ぶ状況からは程遠い」と語った。これは自分がそう思ったというより多数意見の集約だろう。それだけ10月FOMCは参加者の意見分裂が深刻な会合であった

 10月会合が終わる途端に、タカ派連銀総裁から追加利下げ反対論が噴出した。投票権がある高官の発言だけでも連日ヘッドラインが並ぶ。

FRB緩和余地「限定的」、追加利下げは慎重に=セントルイス連銀総裁 | ロイター 
カンザスシティー連銀総裁、12月FOMCでも利下げ反対の可能性 | ロイター 
FRB追加利下げは慎重に、金利「中立水準」に近づく=ジェファーソン副議長 | ロイター 
FRBの金融政策は適切、12月利下げに慎重=ボストン連銀総裁 | ロイター 

 投票権のない高官達は更に「10月利下げにも反対だった」と踏み込む。

米国のインフレ高止まり、追加利下げに慎重=クリーブランド連銀総裁 | ロイター 
インフレなおリスク、金利据え置き望ましい=米アトランタ連銀総裁 | ロイター 
FRBの10月利下げ支持せず、12月の判断は留保=米ミネアポリス連銀総裁 | ロイター 
12月利下げ支持できず、インフレは高止まり=米ダラス連銀総裁 | ロイター 
さらなる利下げは金融安定リスクを招く=米クリーブランド連銀総裁 | ロイター  
Williams
FRB、近い将来の利下げなお可能 政策「やや引き締め的」=NY連銀総裁 | ロイター 
ウォラーFRB理事、12月利下げを支持 1月は「データ次第」 | ロイター 

 提督たちの反乱ならぬ高官たちの反乱は11月中盤の資産価格に大きな影響を与えた。肝心の国債金利は経済指標が出ないのをいいことにすっかり動かなくなっているので、主に株式市場が12月利下げの有無を気にした。資産価格の調整が少し進んだところで、今度はハト派の重鎮達が12月利下げを再織り込みにかかった。早速市場から無視されているマイランはどうでもいいとして、ウィリアムズとウォラーが利下げを主張して反対票を入れる形での12月据置き決定はかなり考えづらいのを金融市場は思い出し、高官たちの反乱は終息した
Bloomberg Dec cut pricing
 つまり、12月FOMCは10月FOMC以上の反対票を観測できる可能性が高いとはいえ、利下げ自体を懸念する必要はなさそうだ。政府閉鎖のせいで10月CPIは1994年以来の欠番になりそうで、11月CPIの発表は12月FOMC後まで持ち越されるデータが足りない中でのFOMCは試練みたいな言い方をされているが、10月CPIを見て利下げしやすくなるなど元より誰も期待していないので、CPIを見れないから利下げしづらいという観測も、特にジャクソンホール・レジーム下では説得力を持たない。ただ「調整利下げといえば3回75bpの利下げパッケージ」という様式が固まって来る中、2026年に入ってからの「4回目の利下げ」へのハードルは一気に上がってくる。ジャクソンホール・レジームが支配する中「やはりインフレの方が心配だ」という声は鳥の鳴き声のように無視されるとして、「その懸念していた急速な悪化が来ないではないか」という陰湿な指摘であれば、ジャクソンホール・レジームの中でも頭ごなしに否定しづらい。逆に、ジャクソンホール・レジームが想定する通りに労働市場の一層の縮小が観測されれば、4回目以降の利下げもすんなりと再開されるだろう。現に解雇は発表されているのだからそう遠いことでもなかろうと思ってはいるが、果たして。
Bloomberg Powell Fed
 いずれにしろ、経済指標も碌に出ていない中、これしきの資産価格の調整で風向きが変わる程度の覚悟なら、ジャクソンホール後に自分達も納得していたはずの利下げサイクル再開を今更後悔する動きは一体何だったのか。一つ考えられるのは、トランプ大統領の金利に対する関心が露骨に薄れたことでゲリラ的な抵抗を行いやすくなったこと。トランプに屈服する形で株高バブルを作りたくなかったというのもあるだろう。もう一つ考えられるのは、トランプ大統領によるFed新議長の指名が差し迫るなか、理事会の存在感を示す示威ではないか。毎回利下げが実現するのは無条件ではなく、反対意見も多い中でパウエル議長の調整能力のおかげであることを広く世に示す必要があったのではないか。それを怠って舐められたら誰を送り込んでもいいと思われてしまう、ということである。いずれにしろ、この反乱に深い意義があったとは思っていない。2026年にMMF運用で得られる利回りは3.5%近辺で始まる可能性が高く、株式投資も債券投資もその水準をリスクフリーレートと考えて各々の資産の益回りなり利回りなりと比較すればよいだろう。

要約

・「縮小均衡→悪化の可能性」を8月ジャクソンホールが採択
・ジャクソンホール・レジームに従い9月、10月は利下げ
・しかし、二次効果としての悪化加速は観測されていない
・新規失業保険申請件数は低位安定、先行指標の解雇は増える
・技術革新による雇用悪化は「二次効果」ではない
・予防的利下げは10月FOMCまで資産価格バブルを助長した
・10月FOMCでは利下げ反対論が噴出
・12月FOMCでの利下げ反対論も噴出
・理事達が利下げ期待を再開させ、12月利下げは決定的に
・発作的な利下げ反対論は無視してよい

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この記事は投資行動を推奨するものではありません。