25日に新華社が発表した一通の目立たない英文ニュースが世界中をざわつかせた。中国共産党中央委員会が、国会に当たる(とされる)人民代表大会に提出した憲法改正案で、「国家主席の二期以上の連任禁止」規定の削除、つまり任期の撤廃が提案されていたそうだ。


週が明けた月曜26日から上海株が金曜までのラリーから下落に鋭く切り返している。海外投資家からすれば平地に乱を起こす政局不安要素という捉え方になるし、本土投資家はと言えば、トランプ大統領の当選時と同じく移民が急上昇ワードになったり、ブラックジョークが飛び交ったりと(おかげでかつて共和制を廃止して帝政復活を試みた袁世凱の名がNGワードになったと言われる)、当然投資どころではない。いくら欧米諸国がトランプや欧州のポピュリスト達にかき回された後とはいえ、これで「長期安定政権になるので経済にポジティブだ」と言い出す参加者がいたらさすがに能天気すぎる、というのが市場の評価だった。
やや分かりにくいが、中国の最高指導者はあくまでも中国共産党総書記であり、最高権力者は中央軍事委員会主席である。国家主席はどちらかというと名誉職であり、毛沢東ですら2期10年間務めただけで興味をなくしている。文化大革命中は廃止されているし、1982年に復活してから江沢民が兼任するまでは李先念、楊尚昆と言った軍高官で持ち回りしていた。鄧小平が中央軍事委員会主席を務めていた時代を通して実権がない共産党総書記が二人おり、さらに同時に無名の国家主席が二人いたわけだ。権力を守るなら共産党総書記と中央軍事委員会主席の方を連任しないと意味がないのに、わざわざ名誉職の連任にこだわって批判を浴びる意図がどこにあるのか、外からはややはかりがたい。あまりにもセンスがないので、党内の敵対勢力によるトラップじゃないかとすら思えてくる。当然21世紀になって皇帝を目指す意味はないし、茹でガエル風に終身独裁を目指していくにしては最初から最も大きな蜂の巣を全力で突きに行っている。あまりにも反響が大きかったためか、今日になって人民日報が「これは終身制を意味するものではない」と言い訳している。
中国は一党独裁とはいえ、かつての老人独裁の暴走への反省を込めて鄧小平が定めたと言われる「集団指導制」「最高指導者の三選禁止」「68歳定年」などの掟の下で動いてきており、選挙による競争がない割には驚くほどの自律性を保ってきた。その見えない掟が、まず68歳定年を習近平の右腕・王岐山が破ったのを皮切りに揺らぎつつあるように見える。もちろん、21世紀になって世界中で民主主義が醜態を晒して回り、権威主義が勢いを盛り返す中、経済成長と適切な国家運営さえ続けば、掟が破られようと国民の支持を保ち続けることも可能である。
中国政治はとにかく全体像がわかりにくいが、大雑把に言って、イデオロギーを飾りだと思いながら実務を頑張ってきた超有能なテクノクラートたちと、イデオロギーと組織の論理で飯を食ってきた人たちのせめぎ合いと思えば良いはずだ。経済運営は基本的にテクノクラートが仕切っているので大変効率も良く学習も早いが、たまに後者がひょこっと頭を出すと、民主政治に生きる我々が想像もできないような低レベルな失敗を犯し得る。チャイナショック後の対応策も実務家が考えたものと政治的な要請によるものがくっきり分かれていたし、そもそもチャイナショックの背景の一つに、国有企業の経営層が次々と収監される中で設備投資どころではなかったというのがある。筆者はたとえ習近平政権が3期続いたところでそれを理由に経済がクラッシュすると思っていないが、戦術そのものに危うさを感じなくもない。
やや分かりにくいが、中国の最高指導者はあくまでも中国共産党総書記であり、最高権力者は中央軍事委員会主席である。国家主席はどちらかというと名誉職であり、毛沢東ですら2期10年間務めただけで興味をなくしている。文化大革命中は廃止されているし、1982年に復活してから江沢民が兼任するまでは李先念、楊尚昆と言った軍高官で持ち回りしていた。鄧小平が中央軍事委員会主席を務めていた時代を通して実権がない共産党総書記が二人おり、さらに同時に無名の国家主席が二人いたわけだ。権力を守るなら共産党総書記と中央軍事委員会主席の方を連任しないと意味がないのに、わざわざ名誉職の連任にこだわって批判を浴びる意図がどこにあるのか、外からはややはかりがたい。あまりにもセンスがないので、党内の敵対勢力によるトラップじゃないかとすら思えてくる。当然21世紀になって皇帝を目指す意味はないし、茹でガエル風に終身独裁を目指していくにしては最初から最も大きな蜂の巣を全力で突きに行っている。あまりにも反響が大きかったためか、今日になって人民日報が「これは終身制を意味するものではない」と言い訳している。
中国は一党独裁とはいえ、かつての老人独裁の暴走への反省を込めて鄧小平が定めたと言われる「集団指導制」「最高指導者の三選禁止」「68歳定年」などの掟の下で動いてきており、選挙による競争がない割には驚くほどの自律性を保ってきた。その見えない掟が、まず68歳定年を習近平の右腕・王岐山が破ったのを皮切りに揺らぎつつあるように見える。もちろん、21世紀になって世界中で民主主義が醜態を晒して回り、権威主義が勢いを盛り返す中、経済成長と適切な国家運営さえ続けば、掟が破られようと国民の支持を保ち続けることも可能である。
中国政治はとにかく全体像がわかりにくいが、大雑把に言って、イデオロギーを飾りだと思いながら実務を頑張ってきた超有能なテクノクラートたちと、イデオロギーと組織の論理で飯を食ってきた人たちのせめぎ合いと思えば良いはずだ。経済運営は基本的にテクノクラートが仕切っているので大変効率も良く学習も早いが、たまに後者がひょこっと頭を出すと、民主政治に生きる我々が想像もできないような低レベルな失敗を犯し得る。チャイナショック後の対応策も実務家が考えたものと政治的な要請によるものがくっきり分かれていたし、そもそもチャイナショックの背景の一つに、国有企業の経営層が次々と収監される中で設備投資どころではなかったというのがある。筆者はたとえ習近平政権が3期続いたところでそれを理由に経済がクラッシュすると思っていないが、戦術そのものに危うさを感じなくもない。
この記事は投資行動を推奨するものではありません。